婚約破棄の慰謝料はツケ払い分、愛よりも忙しい!

桃瀬ももな

文字の大きさ
2 / 28

2

しおりを挟む
「……隣国の、ゼノス公爵?」


私は計算機を握りしめたまま、目の前の男を凝視した。
アステリア公爵家といえば、隣国の経済を牛耳る「鉄の金庫」と謳われる名門だ。
その当主がなぜ、他国の卒業パーティーの裏側で、令嬢の馬車に不法侵入しているのか。


「いかにも。もっとも、君にしてみれば不審者の闖入(ちんにゅう)による精神的苦痛の損害賠償、といったところだろうか。……とりあえず、これを」


ゼノスと名乗った男は、金の装飾が施された懐中時計を確認すると、革張りのアタッシュケースから一束の紙を取り出した。


「何かしら、これ。……融資の申込書?」


「いいや。私と一緒に仕事をすることのメリットを数値化した、事業計画の叩き台だ。君の先ほどの立ち振る舞いを見て確信した。君は、王子の婚約者なんていうボランティア活動で腐らせていい人材ではない」


私は差し出された書類をひったくり、高速でページをめくった。
利益率、市場独占率、減価償却の推移……。


「…………悪くないわね。でも、フォントが小さすぎて可読性が低いですわ。あと、この人件費の計算が甘いわ。福利厚生をケチると離職率が上がって、結果的に採用コストが増大しますのよ?」


「ふ、ふふ……。初対面の私の書類に、速攻で赤字を入れるとは」


ゼノス公爵は、口元を歪めて笑った。
その目は、美しい女性を見るというよりは、非常に珍しい高価な宝石を見つけたコレクターのような、狂気的な輝きを帯びている。


「いいだろう。そこも含めて修正案を出してくれ。ただし、条件がある。今すぐその馬車を止めろ」


「嫌ですわ。私はこれから王宮へ向かい、国王陛下に直接、あの愚か者の債務を請求しに行くのですから」


「それなら好都合だ。私も国王に用がある。ついでに君の『債権回収』、特等席で見学させてもらおう」


図々しい男である。
だが、隣国の有力公爵が証人として同席するなら、王家も安易に私を黙らせることはできないはずだ。
私は計算機で弾いた損益分岐点を確認し、御者に「王宮の執務室へ」と命じた。


深夜の王宮。
突然の令嬢の訪問に衛兵たちはうろたえたが、横にゼノス公爵が控えているのを見るや否や、道を開けた。
第一王子の父、この国の王であるヘンリー三世は、寝巻きの上にローブを羽織った姿で私たちを迎えた。


「……アマ嬢、こんな夜更けに何事だ? リュカがパーティーで何か不手際でもしたのか?」


「『不手際』なんていう可愛い言葉で片付けられる規模ではありませんわ、陛下」


私は、先ほどリュカに突きつけたものより三倍は分厚い「最終報告書」を机に叩きつけた。


「息子さんの婚約破棄を承認いたしました。つきましては、ゴールドマン侯爵家がこれまで王家に提供してきたすべての経済的支援の即時返還、および慰謝料の請求に参りました」


王は、眼鏡をかけ直して書類を手に取った。
数秒後、彼の顔から血の気が引いていくのがわかった。


「な……。なんだ、この額は! 国家予算の三割に相当するではないか!」


「妥当な数字ですわ。陛下、思い出してください。昨年、王宮の屋根を修繕した資金はどこから出ました? 南の街道を整備するための資材は? それらすべて、我が家が無利子・無担保で貸し付けたものです。婚約関係という信頼があったからこその特例措置でした」


私は、計算機の液晶を王に見せつけた。


「ですが、関係が解消された以上、これらはすべて『短期借入金』へと振り替わります。明日中に全額一括返済していただかない限り、私は我が家が保有する国債をすべて市場に放出し、この国の通貨価値を暴落させますわ」


「ま、待て! そんなことをすれば、この国は破産する!」


「あら、お困りですか? それでは、解決策を提示しましょう。……ゼノス公爵?」


話を振ると、後ろで優雅に脚を組んでいたゼノスが立ち上がった。


「ヘンリー陛下、ご無沙汰しております。我が国は、この国が保有する北部の炭鉱権を、アマ嬢の提示した負債額と同等額で買い取る用意があります」


「な……。アステリア公爵、貴殿まで何を……!」


王は絶望に顔を歪めた。
炭鉱権を売れば、国の将来の収入源を失う。
だが、今ここで支払いができなければ、明日にも国が滅ぶのだ。


「陛下、お選びなさい。息子さんの不始末を炭鉱で購(あがな)うか。それとも、親子揃って路頭に迷うか。……あぁ、もし炭鉱を売却されるなら、その仲介手数料として、私に売却額の五パーセントを支払っていただきますわよ?」


「お前……! 自分の国を売る仲介をして、さらに手数料を取るつもりか!」


「当然です。私の時間は、陛下が思っているよりずっと高いんですの」


私は微笑んだ。
王宮の冷たい空気の中、計算機を叩く音だけが規則正しく響く。


「さあ、契約書はここにございます。……あ、お急ぎになった方がよろしいですよ? 一分遅れるごとに、遅延損害金として金貨百枚を上乗せしますから」


「……くっ、分かった! 署名する、署名すればいいのだろう!」


震える手でペンを走らせる王。
私はその様子を、一切の情を排した投資家の目で見つめていた。


「取引成立ですわ。まいどあり」


王宮を出た時、東の空が白み始めていた。
私の手には、炭鉱権の譲渡に伴う莫大な仲介料の小切手が握られている。


「……驚いたな。王を相手に一歩も引かず、最後には手数料まで毟(むし)り取るとは」


ゼノスが隣で、心底感心したように呟いた。


「毟り取るだなんて人聞きが悪いですわ。私は正当な労働に対する対価を頂いたまで。……さて、これで私も自由の身。明日からは新しい帳簿を用意しなくては」


「それなら、私の隣でつけるがいい。君のその計算機が、私の資産をどれだけ増やしてくれるか、興味がある」


「あら、公爵様。私のコンサル料は、王家よりも高いですわよ?」


「構わん。私の全財産を担保にしてもいい。……ただし、私という人間に『投資』する価値があるかどうか、君自身の目で確かめてくれ」


ゼノスはそう言うと、私の手を取って、指先に軽く唇を寄せた。


「…………」


私は無言で、もう片方の手で計算機を取り出した。


「何をしている?」


「いえ。……公爵様の『資産価値』と、今の『求愛行動』による将来的なリターンを予測していますの。……ふむ、悪くない数字ですわね」


私は初めて、打算抜きの(あるいは、打算に満ちた)本気の笑みを彼に向けた。
悪役令嬢アマの、愛と金勘定が交差する第二の人生が、今、猛烈な勢いで動き出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

彼女が望むなら

mios
恋愛
公爵令嬢と王太子殿下の婚約は円満に解消された。揉めるかと思っていた男爵令嬢リリスは、拍子抜けした。男爵令嬢という身分でも、王妃になれるなんて、予定とは違うが高位貴族は皆好意的だし、王太子殿下の元婚約者も応援してくれている。 リリスは王太子妃教育を受ける為、王妃と会い、そこで常に身につけるようにと、ある首飾りを渡される。

報われなかった姫君に、弔いの白い薔薇の花束を

さくたろう
恋愛
 その国の王妃を決める舞踏会に招かれたロザリー・ベルトレードは、自分が当時の王子、そうして現王アルフォンスの婚約者であり、不遇の死を遂げた姫オフィーリアであったという前世を思い出す。  少しずつ蘇るオフィーリアの記憶に翻弄されながらも、17年前から今世まで続く因縁に、ロザリーは絡め取られていく。一方でアルフォンスもロザリーの存在から目が離せなくなり、やがて二人は再び惹かれ合うようになるが――。 20話です。小説家になろう様でも公開中です。

幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~

二階堂吉乃
恋愛
 同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。  1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。  一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。

いつか終わりがくるのなら

キムラましゅろう
恋愛
闘病の末に崩御した国王。 まだ幼い新国王を守るために組まれた婚姻で結ばれた、アンリエッタと幼き王エゼキエル。 それは誰もが知っている期間限定の婚姻で…… いずれ大国の姫か有力諸侯の娘と婚姻が組み直されると分かっていながら、エゼキエルとの日々を大切に過ごすアンリエッタ。 終わりが来る事が分かっているからこそ愛しくて優しい日々だった。 アンリエッタは思う、この優しく不器用な夫が幸せになれるように自分に出来る事、残せるものはなんだろうかを。 異世界が難病と指定する悪性誤字脱字病患者の執筆するお話です。 毎度の事ながら、誤字脱字にぶつかるとご自身で「こうかな?」と脳内変換して頂く可能性があります。 ご了承くださいませ。 完全ご都合主義、作者独自の異世界感、ノーリアリティノークオリティのお話です。菩薩の如く広いお心でお読みくださいませ。 小説家になろうさんでも投稿します。

ジェリー・ベケットは愛を信じられない

砂臥 環
恋愛
ベケット子爵家の娘ジェリーは、父が再婚してから離れに追いやられた。 母をとても愛し大切にしていた父の裏切りを知り、ジェリーは愛を信じられなくなっていた。 それを察し、まだ子供ながらに『君を守る』と誓い、『信じてほしい』と様々な努力してくれた婚約者モーガンも、学園に入ると段々とジェリーを避けらるようになっていく。 しかも、義妹マドリンが入学すると彼女と仲良くするようになってしまった。 だが、一番辛い時に支え、努力してくれる彼を信じようと決めたジェリーは、なにも言えず、なにも聞けずにいた。 学園でジェリーは優秀だったが『氷の姫君』というふたつ名を付けられる程、他人と一線を引いており、誰にも悩みは吐露できなかった。 そんな時、仕事上のパートナーを探す男子生徒、ウォーレンと親しくなる。 ※世界観はゆるゆる ※ざまぁはちょっぴり ※他サイトにも掲載

チョイス伯爵家のお嬢さま

cyaru
恋愛
チョイス伯爵家のご令嬢には迂闊に人に言えない加護があります。 ポンタ王国はその昔、精霊に愛されし加護の国と呼ばれておりましたがそれももう昔の話。 今では普通の王国ですが、伯爵家に生まれたご令嬢は数百年ぶりに加護持ちでした。 産まれた時は誰にも気が付かなかった【営んだ相手がタグとなって確認できる】トンデモナイ加護でした。 4歳で決まった侯爵令息との婚約は苦痛ばかり。 そんな時、令嬢の言葉が引き金になって令嬢の両親である伯爵夫妻は離婚。 婚約も解消となってしまいます。 元伯爵夫人は娘を連れて実家のある領地に引きこもりました。 5年後、王太子殿下の側近となった元婚約者の侯爵令息は視察に来た伯爵領でご令嬢とと再会します。 さて・・・どうなる? ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

ピンクローズ - Pink Rose -

瑞原唯子
恋愛
家庭教師と教え子として再会した二人は、急速にその距離を縮めていく。だが、彼女には生まれながらに定められた婚約者がいた。

~春の国~片足の不自由な王妃様

クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。 春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。 街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。 それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。 しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。 花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??

処理中です...