婚約破棄の慰謝料はツケ払い分、愛よりも忙しい!

桃瀬ももな

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馬車がゴールドマン侯爵家の重厚な門をくぐった。


私は馬車を降りるなり、大きく背伸びをした。
王立学院の寮から引き揚げてきた荷物は、馬車三台分。
そのほとんどがドレスや宝石ではなく、領収書の束と、各国の経済統計、そして最新の魔導計算機だ。


「お帰りなさいませ、お嬢様。……その、お加減はいかがでしょうか?」


執事のセバスが、おずおずと声をかけてくる。
卒業パーティーでの「あの一件」は、すでに早馬で伝わっているはずだ。
世間一般では、婚約破棄された令嬢は部屋に引きこもり、枕を濡らすのが定石とされている。


「最高に気分がいいわ、セバス。長年、私の資産を圧迫していた不良債権を、ついに損切りできたのですもの。これからは管理費も交際費もかかりません。実質、利益率百パーセントの人生の始まりよ」


「……左様でございますか。お元気そうで何よりです」


セバスが引き攣った笑みを浮かべるのを無視して、私は父の執務室へと向かった。
ゴールドマン侯爵——この国の経済の半分を支える「守銭奴侯爵」こと、私の父がそこにいる。


扉をノックもせず開けると、父は山のような書類に囲まれて、やはり計算機を叩いていた。


「お父様、ただいま戻りましたわ。王家との契約は、本件をもって正式に解消(クローズ)いたしました」


父は顔を上げず、パチパチと指を動かし続けている。


「……リュカ殿下に五千万ゴールド、さらに王宮から北部の炭鉱権まで仲介料名目で毟り取ったそうだな」


「情報の反映が早くて助かりますわ。ええ、妥当な清算額です。あのような不採算物件をこれ以上抱え込んでいたら、ゴールドマン侯爵家の格付けが下がるところでしたもの」


父の手がピタリと止まった。
彼はゆっくりと顔を上げ、私をじろりと見据えた。
怒られるかしら? それとも勘当?


……直後、父は満面の笑みを浮かべて立ち上がった。


「よくやった、アマ! 我が娘ながら、その容赦のない見積もり、実に見事だ! 実は私も、王家との縁を切るタイミングを計っていたのだ。あそこは投資効率が悪すぎる!」


「まぁ、お父様もそう思われていましたの?」


「当然だ。婚約中だからと安く融資してやっていたが、返済は滞るし、態度はデカい。あんな連中に貸しを作るより、市場に流して利息を取った方がマシだと思っていたところだ。……して、回収した小切手は見せてくれるな?」


私は懐から、王の署名入りの小切手を取り出した。
父はそれを奪い取るように受け取り、透かしを確認して、恍惚の表情を浮かべた。


「素晴らしい……。この筆跡、王の絶望が滲み出ているな。最高のご馳走だ」


「お父様、趣味が悪くてよ。……それで、私の今後についてですが」


私は父の机の対面に座り、自分の計算機を置いた。


「現在、私は世間的には『婚約破棄された傷物令嬢』という評価になっています。市場価値は一時的に下落していますが、これは絶好の『買い戻し』のチャンスだと思いませんか?」


「ほう? 具体的には?」


「私が独身に戻ったことで、ゴールドマン家の潤沢な資産と、私の実務能力が完全にフリーになりました。他家は今頃、私を安く買い叩こうと画策しているでしょうが……。そこに、隣国のゼノス公爵という超大型投資家が接触してきておりますの」


父の目が、商人のそれへと変わった。


「アステリア公爵か。あの男は食えないぞ。若くして国を買い取れるほどの資産を築いた怪物だ。……アマ、お前、売られるつもりか?」


「失礼ね。私は『対等なパートナーシップ』を結ぶつもりですわ。彼の持つ物流網と、私の持つ商品開発能力。これらを合わせれば、大陸全体の経済を掌握(バイアウト)することも夢ではありません」


私は父の前に、一枚の事業計画書を差し出した。


「お父様。私を『無職』として家に置いておくのは、機会損失(チャンスロス)ですわ。私に、我が家の予備費から金貨一億枚の出資を認めなさい。三ヶ月で、利息を添えて二倍にしてお返しします」


父は計画書に目を通し、何度も鼻を鳴らした。
やがて、彼は豪快に笑いながら、机の引き出しから私の名前が刻まれた印鑑を取り出した。


「いいだろう! 『婚約破棄』という名の解雇通知を、これほどまでにポジティブな事業報告に変えるとは。お前は私の誇りだ、アマ」


「ありがとうございます。……あぁ、そうそう。お父様。リュカ殿下がもし、泣きついてきたとしても、追加融資は厳禁ですわよ? あの方、担保にできるものがもう『自分の体(労働力)』しか残っていませんから」


「ふん、王子の労働力など、時給に換算すれば銅貨一枚にもならんだろう。そんな不採算物件、我が家には不要だ」


私たちは、鏡合わせのような冷徹な笑みを交わした。
血は争えない。私は改めて、この「ゴールドマン(金の男)」の家に生まれた幸せを噛み締めた。


部屋に戻ると、私は早速ドレスを脱ぎ捨てた。
これからは、王子の横で置物のように笑っている必要はない。


「……さあ、始めましょうか」


私はペンを執り、ゼノス公爵宛ての手紙を書き始めた。


『拝啓、ゼノス・フォン・アステリア様。
先日の提案、検討いたしました。……つきましては、私のコンサルティング料の先行投資分として、貴公の領地にある「眠れる鉱山」の採掘権を、一旦私に預けていただけますかしら?
愛よりも確かな、利益(数字)の誓いを込めて。
アマ・ゴールドマンより』


手紙を封じ、私は計算機のキーを叩く。
カチカチという音は、まるで新しい人生の秒針のようだった。


世間が私をどう笑おうと構わない。
最後に笑うのは、最も大きな数字を積み上げた者なのだから。


「……ふふ、次の決算(パーティー)が、今から楽しみですわ」


夜の静寂の中、私の部屋には計算機を叩く音だけが、心地よく響き続けていた。
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