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「……やはり、この区画の流通コストは異常ですわね」
私は、平民風の地味な(といっても最高級のシルク製ですが)ドレスに身を包み、王都最大の市場に立っていた。
片手には、もちろん愛用の銀製計算機。
周囲の喧騒など耳に入らない。私の瞳に映っているのは、並べられた野菜や果物ではなく、それらに付随する「価格推移」と「利益率」だけだ。
「お嬢さん、このルル果実はどうだい? 今朝採れたばかりで、たったの銀貨三枚だよ!」
威勢のいい商人が私に声をかけてくる。
私は足を止め、その果実をじろりと睨みつけた。
「店主。このルル果実、三日前の卸値は銀貨一枚でしたわ。昨晩の雨で物流が滞ったことを加味しても、輸送費の上乗せ分は銀貨〇・五枚が妥当。……それなのに、なぜ販売価格が三倍になっているのかしら?」
「えっ……。い、いや、それは……手間賃だよ!」
「手間賃? あなたのその、ただカゴに並べるだけの単純作業に、果実一個あたり銀貨一点五枚の価値があると? ちなみに、この王都の一般的な未熟練労働者の時給は銀貨二枚ですわ。一個売るのに四十五分もかけている計算になりますけれど、効率が悪すぎません?」
ピ、ピピ……と、私の計算機が非情な音を立てる。
「ひっ……! な、なんだいあんたは! 税務署の回し者か!?」
「いいえ。ただの、数字に潔癖な通りすがりの投資家ですわ。……店主、商売を続けたいなら、価格設定の根拠(エビデンス)を明確になさい。不当な吊り上げは、長期的には顧客の離反を招き、あなたの資産価値を毀損しますわよ」
私は言い捨てて、次の店へと歩き出した。
婚約破棄されて自由になった今、やるべきことは山ほどある。
まずは、ゼノス公爵から提案された「新規事業」の足固め。
市場のリアルな数字を知らずして、大きな投資などできない。
「……お嬢様。そろそろ休憩にしませんか? もう三時間も市場を往復しておりますが……」
背後で、荷物持ちに変装させられた護衛の騎士が、今にも倒れそうな声を出した。
「何を言っているの。まだこの区画の食肉の価格変動データを取っていないわ。数字はナマモノ。鮮度が落ちる前に収穫しなければ意味がありませんのよ」
「ですが……」
「お疲れのようだな。交代しようか」
聞き覚えのある、低くて心地よい声が響いた。
振り返ると、そこには平民の服を着崩したゼノス公爵が、片手にコーヒーを持って立っていた。
変装しているつもりだろうが、その圧倒的な覇気と美貌は隠せていない。市場の女性たちの視線が、彼に釘付けになっている。
「ゼノス公爵……。なぜあなたがここに?」
「言ったはずだ。君のパートナーになると。パートナーが汗水を垂らして働いているのに、私だけ公爵邸でふんぞり返っているわけにはいかないだろう?」
「汗なんて一滴も流しておりませんわ。流しているのは計算機の魔力だけです」
私は計算機をスッと隠し、不機嫌そうに口を尖らせた。
「それより公爵様。私の手紙、読んでいただけて? 鉱山の採掘権の件ですけれど」
「ああ。……君らしい条件だ。だが、あの鉱山は十年以上、何も出ないとされて放置されている死に体だ。なぜあんな『不採算物件』を欲しがる?」
ゼノスが、面白そうに私に歩み寄る。
顔が近い。
だが、今の私を動悸させるのは恋心ではなく、利益の見通しだ。
「『何も出ない』のではなく、『誰も見つけられなかった』だけですわ。私が見積もった地質調査のデータによれば、あの山には特殊な魔力伝導率を持つ新種の鉱石が眠っている可能性が、八十八パーセントを超えていますの」
「……八十八パーセント、か。具体的な数字だな」
「数字に嘘はありません。……もし私の予測が当たれば、あなたの資産は今の三倍に膨らみます。どうかしら? 私を信じて、その権利、預けていただけます?」
ゼノスはしばらく私を見つめていたが、やがて噴き出すように笑った。
「いいだろう。君に賭ける。……ただし、一つだけ条件を追加させてくれ」
「条件? 追加の配当金かしら?」
「いいや。……今日の調査が終わったら、私と食事に行け。これは業務提携の『接待』ではなく、私個人の『投資』だ」
「…………」
私は計算機を取り出し、素早く数値を入力した。
「公爵様と食事に行くことによる、私の時間の損失と、彼とのコネクション強化による将来のリターン……。……ふむ。……いいでしょう。プラス収支と判断しましたわ」
「即答してほしいところだが、君らしいから許そう。……さあ、護衛は下がっていい。ここからは私が君の『計算機のスタンド』になろう」
ゼノスは私の護衛から無理やり荷物を奪い取ると、エスコートするように手を差し出してきた。
「……公爵様。それ、エスコート料として後で請求しないでくださいませね?」
「ああ、出世払いで構わない。君が世界一の富豪になった時に、私を雇ってくれればな」
私たちは市場の喧騒の中へと踏み出した。
背後で、元婚約者のリュカ殿下が「リリィに贈る花を値切られて売ってもらえなかった」という情けない噂が流れてきたが、今の私にはどうでもいいノイズだった。
私の隣には、今、世界で最も期待値の高い投資家(ゼノス)がいる。
婚約破棄の慰謝料を種銭に、私はこの男と共に、歴史を書き換えるほどの利益を叩き出してやるのだ。
「……さあ、次はあそこの布屋ですわ! あそこの店主、さっきから帳簿を誤魔化している臭いがしますの!」
「ははは! よし、暴きに行こうか」
悪役令嬢アマの、市場を揺るがす戦いは、まだ始まったばかりである。
私は、平民風の地味な(といっても最高級のシルク製ですが)ドレスに身を包み、王都最大の市場に立っていた。
片手には、もちろん愛用の銀製計算機。
周囲の喧騒など耳に入らない。私の瞳に映っているのは、並べられた野菜や果物ではなく、それらに付随する「価格推移」と「利益率」だけだ。
「お嬢さん、このルル果実はどうだい? 今朝採れたばかりで、たったの銀貨三枚だよ!」
威勢のいい商人が私に声をかけてくる。
私は足を止め、その果実をじろりと睨みつけた。
「店主。このルル果実、三日前の卸値は銀貨一枚でしたわ。昨晩の雨で物流が滞ったことを加味しても、輸送費の上乗せ分は銀貨〇・五枚が妥当。……それなのに、なぜ販売価格が三倍になっているのかしら?」
「えっ……。い、いや、それは……手間賃だよ!」
「手間賃? あなたのその、ただカゴに並べるだけの単純作業に、果実一個あたり銀貨一点五枚の価値があると? ちなみに、この王都の一般的な未熟練労働者の時給は銀貨二枚ですわ。一個売るのに四十五分もかけている計算になりますけれど、効率が悪すぎません?」
ピ、ピピ……と、私の計算機が非情な音を立てる。
「ひっ……! な、なんだいあんたは! 税務署の回し者か!?」
「いいえ。ただの、数字に潔癖な通りすがりの投資家ですわ。……店主、商売を続けたいなら、価格設定の根拠(エビデンス)を明確になさい。不当な吊り上げは、長期的には顧客の離反を招き、あなたの資産価値を毀損しますわよ」
私は言い捨てて、次の店へと歩き出した。
婚約破棄されて自由になった今、やるべきことは山ほどある。
まずは、ゼノス公爵から提案された「新規事業」の足固め。
市場のリアルな数字を知らずして、大きな投資などできない。
「……お嬢様。そろそろ休憩にしませんか? もう三時間も市場を往復しておりますが……」
背後で、荷物持ちに変装させられた護衛の騎士が、今にも倒れそうな声を出した。
「何を言っているの。まだこの区画の食肉の価格変動データを取っていないわ。数字はナマモノ。鮮度が落ちる前に収穫しなければ意味がありませんのよ」
「ですが……」
「お疲れのようだな。交代しようか」
聞き覚えのある、低くて心地よい声が響いた。
振り返ると、そこには平民の服を着崩したゼノス公爵が、片手にコーヒーを持って立っていた。
変装しているつもりだろうが、その圧倒的な覇気と美貌は隠せていない。市場の女性たちの視線が、彼に釘付けになっている。
「ゼノス公爵……。なぜあなたがここに?」
「言ったはずだ。君のパートナーになると。パートナーが汗水を垂らして働いているのに、私だけ公爵邸でふんぞり返っているわけにはいかないだろう?」
「汗なんて一滴も流しておりませんわ。流しているのは計算機の魔力だけです」
私は計算機をスッと隠し、不機嫌そうに口を尖らせた。
「それより公爵様。私の手紙、読んでいただけて? 鉱山の採掘権の件ですけれど」
「ああ。……君らしい条件だ。だが、あの鉱山は十年以上、何も出ないとされて放置されている死に体だ。なぜあんな『不採算物件』を欲しがる?」
ゼノスが、面白そうに私に歩み寄る。
顔が近い。
だが、今の私を動悸させるのは恋心ではなく、利益の見通しだ。
「『何も出ない』のではなく、『誰も見つけられなかった』だけですわ。私が見積もった地質調査のデータによれば、あの山には特殊な魔力伝導率を持つ新種の鉱石が眠っている可能性が、八十八パーセントを超えていますの」
「……八十八パーセント、か。具体的な数字だな」
「数字に嘘はありません。……もし私の予測が当たれば、あなたの資産は今の三倍に膨らみます。どうかしら? 私を信じて、その権利、預けていただけます?」
ゼノスはしばらく私を見つめていたが、やがて噴き出すように笑った。
「いいだろう。君に賭ける。……ただし、一つだけ条件を追加させてくれ」
「条件? 追加の配当金かしら?」
「いいや。……今日の調査が終わったら、私と食事に行け。これは業務提携の『接待』ではなく、私個人の『投資』だ」
「…………」
私は計算機を取り出し、素早く数値を入力した。
「公爵様と食事に行くことによる、私の時間の損失と、彼とのコネクション強化による将来のリターン……。……ふむ。……いいでしょう。プラス収支と判断しましたわ」
「即答してほしいところだが、君らしいから許そう。……さあ、護衛は下がっていい。ここからは私が君の『計算機のスタンド』になろう」
ゼノスは私の護衛から無理やり荷物を奪い取ると、エスコートするように手を差し出してきた。
「……公爵様。それ、エスコート料として後で請求しないでくださいませね?」
「ああ、出世払いで構わない。君が世界一の富豪になった時に、私を雇ってくれればな」
私たちは市場の喧騒の中へと踏み出した。
背後で、元婚約者のリュカ殿下が「リリィに贈る花を値切られて売ってもらえなかった」という情けない噂が流れてきたが、今の私にはどうでもいいノイズだった。
私の隣には、今、世界で最も期待値の高い投資家(ゼノス)がいる。
婚約破棄の慰謝料を種銭に、私はこの男と共に、歴史を書き換えるほどの利益を叩き出してやるのだ。
「……さあ、次はあそこの布屋ですわ! あそこの店主、さっきから帳簿を誤魔化している臭いがしますの!」
「ははは! よし、暴きに行こうか」
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