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「……この店の照明、維持費がかかりすぎですわ。キャンドルの本数を三割減らしても、客の満足度は変わりませんわよ」
私は、運ばれてきた前菜には目もくれず、店内の設えを値踏みしていた。
手元には、ディナーの席だというのにいつもの銀製計算機が鎮座している。
「それも計算の内だよ、アマ。この絶妙な陰影が、客の滞在時間を平均十五パーセント延ばし、追加のワイン注文率を二割引き上げている。……ここは、雰囲気を売る場所だ」
ゼノスは優雅にワイングラスを傾け、不敵に笑った。
この男、ただの荷物持ちではなかったらしい。
店の内装による経済効果を即座に数字で返してくるとは。
「……ふん。滞在時間を延ばせば回転率が下がりますわ。客単価の上昇が、回転率低下の損失(ロス)を上回っているという証拠は?」
「あるさ。この店の裏帳簿を、私が管理していると言ったら信じるか?」
「なんですって……?」
私は思わず身を乗り出した。
この隣国の公爵、どこまでこの国の経済に根を張っているのかしら。
……いけない。驚いている場合ではないわ。
「それよりも公爵様。先ほどの絹織物店の件ですけれど、私の交渉術に何か不満でも? 原価の三割で仕入れたのですから、私の勝利(ディール)は確定しておりますわ」
私が自信満々に計算機を叩き、予想利益を提示すると、ゼノスは楽しげに首を振った。
「そこだ、アマ。君の計算式は……、残念ながら『美しくない』」
「……なんですって?」
私はカチンときて、計算機をテーブルに強く置いた。
私の計算式が美しくない?
この、幼少期から一度も家計簿を狂わせたことのない私のロジックを否定するつもり?
「説明を求めますわ。納得のいく説明がなければ、このディナー代、私のコンサル料から相殺させていただきますわよ」
「いいだろう。……君はあの店から、在庫を安く毟り取った。短期的には確かに君の利益だ。だが、あの店主の『心』を買い叩きすぎた。彼は今、安堵と同時に君への『恐怖』を抱いている」
「商売に恐怖は付きものですわ。甘い顔をしていては、足元を掬われますもの」
「だが、恐怖は忠誠を生まない。もし私が、彼に原価の五割を提示し、さらに再建プランへの追加融資を約束していたらどうなると思う?」
ゼノスは私を射抜くような鋭い視線を向けた。
「彼は一生、私のために働くだろう。私が困ったときには、原価を割ってでも品物を用意する。君が手に入れたのは『一度きりの安売り商品』だが、私なら『一生分の優先取引権』を手に入れる」
「…………」
私は言葉を失った。
目先の利益ではなく、長期的な「信頼」という名の無形資産をポートフォリオに組み込め、ということかしら。
「感情を数字に変換できてこそ、一流の投資家だ。君の計算は正確だが、係数が足りない。……『人間の恩義』という変数を無視した式に、未来はないぞ」
ゼノスはそう言うと、私の手元にある計算機のボタンを一つ、指先で弾いた。
「お黙りなさい。……今、その変数を組み込んで再計算しているところですわ」
私は必死に計算機を叩いた。
確かに、彼の言う通りに計算し直すと、十年後の期待収益(リターン)が跳ね上がる。
……認めたくないけれど、この男、私より一歩先を見ている。
「……負けましたわ。今のところは、ですけれど」
私は悔しさを飲み込み、ようやく運ばれてきたメインの肉料理を口に運んだ。
……美味しい。
この味も、店主の「感謝」が込められているからだとしたら……。
「面白い顔をするな。負けを認めるのも早い。……君のそういう、数字に対して誠実なところは嫌いじゃない」
「……お世辞は不要ですわ。次のプロジェクトでは、私があなたの計算式に赤字を入れて差し上げますから」
私はワインを煽り、自分の中に芽生えた新しい感覚に戸惑っていた。
悔しい。けれど、この男と競っている時間は、退屈だった王子の隣とは比べ物にならないほど、私の脳を活性化(アップデート)させていく。
「期待しているよ、アマ。……さて、食後のデザートの前に、もう一つビジネスの話をしようか。……例の『眠れる鉱山』、私の調査チームが動いているが……」
「あら、それは私の専売特許ですわよ! 勝手に動くなんて、情報漏洩(コンプライアンス)違反で訴えますわ!」
「ははは! なら、今すぐ私の口を塞ぎに来るがいい」
私たちは、最高級の料理を囲みながら、まるで戦争でもしているかのような激しい口論を続けた。
周囲の客は、美男美女が愛を語っていると勘違いしていたようだが、その内容は「利回り」と「市場独占」の殺伐としたものだった。
「……公爵様。一つ聞いていいかしら」
食後のコーヒーが運ばれてきた頃、私はふと、気になっていたことを口にした。
「なんだ?」
「あなたのその『美しくない』という基準……。もし私が、あなたの想定を超える『美しい利益』を叩き出したら、あなたは何を差し出してくださるの?」
ゼノスはコーヒーカップを置き、静かに立ち上がった。
彼は私の背後に回り、耳元で低く囁く。
「私の心臓……以外の、すべての資産を君に管理(アセットマネジメント)させてやろう。……もちろん、私という『人間』の所有権も含めてな」
「…………」
私は、今日一番の大きな数字が頭に浮かび、思わず計算機のキーを叩き損ねた。
この男、自分自身を担保にするなんて……。
「……リスクが、大きすぎましてよ」
「そのリスクを取れるのは、世界で君一人だけだ」
私は真っ赤になった顔を隠すように、空になったコーヒーカップを覗き込んだ。
婚約破棄から始まった私の新生活は、どうやら予想を遥かに超える「ハイリスク・ハイリターン」な展開になりそうだった。
私は、運ばれてきた前菜には目もくれず、店内の設えを値踏みしていた。
手元には、ディナーの席だというのにいつもの銀製計算機が鎮座している。
「それも計算の内だよ、アマ。この絶妙な陰影が、客の滞在時間を平均十五パーセント延ばし、追加のワイン注文率を二割引き上げている。……ここは、雰囲気を売る場所だ」
ゼノスは優雅にワイングラスを傾け、不敵に笑った。
この男、ただの荷物持ちではなかったらしい。
店の内装による経済効果を即座に数字で返してくるとは。
「……ふん。滞在時間を延ばせば回転率が下がりますわ。客単価の上昇が、回転率低下の損失(ロス)を上回っているという証拠は?」
「あるさ。この店の裏帳簿を、私が管理していると言ったら信じるか?」
「なんですって……?」
私は思わず身を乗り出した。
この隣国の公爵、どこまでこの国の経済に根を張っているのかしら。
……いけない。驚いている場合ではないわ。
「それよりも公爵様。先ほどの絹織物店の件ですけれど、私の交渉術に何か不満でも? 原価の三割で仕入れたのですから、私の勝利(ディール)は確定しておりますわ」
私が自信満々に計算機を叩き、予想利益を提示すると、ゼノスは楽しげに首を振った。
「そこだ、アマ。君の計算式は……、残念ながら『美しくない』」
「……なんですって?」
私はカチンときて、計算機をテーブルに強く置いた。
私の計算式が美しくない?
この、幼少期から一度も家計簿を狂わせたことのない私のロジックを否定するつもり?
「説明を求めますわ。納得のいく説明がなければ、このディナー代、私のコンサル料から相殺させていただきますわよ」
「いいだろう。……君はあの店から、在庫を安く毟り取った。短期的には確かに君の利益だ。だが、あの店主の『心』を買い叩きすぎた。彼は今、安堵と同時に君への『恐怖』を抱いている」
「商売に恐怖は付きものですわ。甘い顔をしていては、足元を掬われますもの」
「だが、恐怖は忠誠を生まない。もし私が、彼に原価の五割を提示し、さらに再建プランへの追加融資を約束していたらどうなると思う?」
ゼノスは私を射抜くような鋭い視線を向けた。
「彼は一生、私のために働くだろう。私が困ったときには、原価を割ってでも品物を用意する。君が手に入れたのは『一度きりの安売り商品』だが、私なら『一生分の優先取引権』を手に入れる」
「…………」
私は言葉を失った。
目先の利益ではなく、長期的な「信頼」という名の無形資産をポートフォリオに組み込め、ということかしら。
「感情を数字に変換できてこそ、一流の投資家だ。君の計算は正確だが、係数が足りない。……『人間の恩義』という変数を無視した式に、未来はないぞ」
ゼノスはそう言うと、私の手元にある計算機のボタンを一つ、指先で弾いた。
「お黙りなさい。……今、その変数を組み込んで再計算しているところですわ」
私は必死に計算機を叩いた。
確かに、彼の言う通りに計算し直すと、十年後の期待収益(リターン)が跳ね上がる。
……認めたくないけれど、この男、私より一歩先を見ている。
「……負けましたわ。今のところは、ですけれど」
私は悔しさを飲み込み、ようやく運ばれてきたメインの肉料理を口に運んだ。
……美味しい。
この味も、店主の「感謝」が込められているからだとしたら……。
「面白い顔をするな。負けを認めるのも早い。……君のそういう、数字に対して誠実なところは嫌いじゃない」
「……お世辞は不要ですわ。次のプロジェクトでは、私があなたの計算式に赤字を入れて差し上げますから」
私はワインを煽り、自分の中に芽生えた新しい感覚に戸惑っていた。
悔しい。けれど、この男と競っている時間は、退屈だった王子の隣とは比べ物にならないほど、私の脳を活性化(アップデート)させていく。
「期待しているよ、アマ。……さて、食後のデザートの前に、もう一つビジネスの話をしようか。……例の『眠れる鉱山』、私の調査チームが動いているが……」
「あら、それは私の専売特許ですわよ! 勝手に動くなんて、情報漏洩(コンプライアンス)違反で訴えますわ!」
「ははは! なら、今すぐ私の口を塞ぎに来るがいい」
私たちは、最高級の料理を囲みながら、まるで戦争でもしているかのような激しい口論を続けた。
周囲の客は、美男美女が愛を語っていると勘違いしていたようだが、その内容は「利回り」と「市場独占」の殺伐としたものだった。
「……公爵様。一つ聞いていいかしら」
食後のコーヒーが運ばれてきた頃、私はふと、気になっていたことを口にした。
「なんだ?」
「あなたのその『美しくない』という基準……。もし私が、あなたの想定を超える『美しい利益』を叩き出したら、あなたは何を差し出してくださるの?」
ゼノスはコーヒーカップを置き、静かに立ち上がった。
彼は私の背後に回り、耳元で低く囁く。
「私の心臓……以外の、すべての資産を君に管理(アセットマネジメント)させてやろう。……もちろん、私という『人間』の所有権も含めてな」
「…………」
私は、今日一番の大きな数字が頭に浮かび、思わず計算機のキーを叩き損ねた。
この男、自分自身を担保にするなんて……。
「……リスクが、大きすぎましてよ」
「そのリスクを取れるのは、世界で君一人だけだ」
私は真っ赤になった顔を隠すように、空になったコーヒーカップを覗き込んだ。
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