婚約破棄の慰謝料はツケ払い分、愛よりも忙しい!

桃瀬ももな

文字の大きさ
7 / 28

7

しおりを挟む
「……この店の照明、維持費がかかりすぎですわ。キャンドルの本数を三割減らしても、客の満足度は変わりませんわよ」


私は、運ばれてきた前菜には目もくれず、店内の設えを値踏みしていた。
手元には、ディナーの席だというのにいつもの銀製計算機が鎮座している。


「それも計算の内だよ、アマ。この絶妙な陰影が、客の滞在時間を平均十五パーセント延ばし、追加のワイン注文率を二割引き上げている。……ここは、雰囲気を売る場所だ」


ゼノスは優雅にワイングラスを傾け、不敵に笑った。
この男、ただの荷物持ちではなかったらしい。
店の内装による経済効果を即座に数字で返してくるとは。


「……ふん。滞在時間を延ばせば回転率が下がりますわ。客単価の上昇が、回転率低下の損失(ロス)を上回っているという証拠は?」


「あるさ。この店の裏帳簿を、私が管理していると言ったら信じるか?」


「なんですって……?」


私は思わず身を乗り出した。
この隣国の公爵、どこまでこの国の経済に根を張っているのかしら。
……いけない。驚いている場合ではないわ。


「それよりも公爵様。先ほどの絹織物店の件ですけれど、私の交渉術に何か不満でも? 原価の三割で仕入れたのですから、私の勝利(ディール)は確定しておりますわ」


私が自信満々に計算機を叩き、予想利益を提示すると、ゼノスは楽しげに首を振った。


「そこだ、アマ。君の計算式は……、残念ながら『美しくない』」


「……なんですって?」


私はカチンときて、計算機をテーブルに強く置いた。
私の計算式が美しくない?
この、幼少期から一度も家計簿を狂わせたことのない私のロジックを否定するつもり?


「説明を求めますわ。納得のいく説明がなければ、このディナー代、私のコンサル料から相殺させていただきますわよ」


「いいだろう。……君はあの店から、在庫を安く毟り取った。短期的には確かに君の利益だ。だが、あの店主の『心』を買い叩きすぎた。彼は今、安堵と同時に君への『恐怖』を抱いている」


「商売に恐怖は付きものですわ。甘い顔をしていては、足元を掬われますもの」


「だが、恐怖は忠誠を生まない。もし私が、彼に原価の五割を提示し、さらに再建プランへの追加融資を約束していたらどうなると思う?」


ゼノスは私を射抜くような鋭い視線を向けた。


「彼は一生、私のために働くだろう。私が困ったときには、原価を割ってでも品物を用意する。君が手に入れたのは『一度きりの安売り商品』だが、私なら『一生分の優先取引権』を手に入れる」


「…………」


私は言葉を失った。
目先の利益ではなく、長期的な「信頼」という名の無形資産をポートフォリオに組み込め、ということかしら。


「感情を数字に変換できてこそ、一流の投資家だ。君の計算は正確だが、係数が足りない。……『人間の恩義』という変数を無視した式に、未来はないぞ」


ゼノスはそう言うと、私の手元にある計算機のボタンを一つ、指先で弾いた。


「お黙りなさい。……今、その変数を組み込んで再計算しているところですわ」


私は必死に計算機を叩いた。
確かに、彼の言う通りに計算し直すと、十年後の期待収益(リターン)が跳ね上がる。
……認めたくないけれど、この男、私より一歩先を見ている。


「……負けましたわ。今のところは、ですけれど」


私は悔しさを飲み込み、ようやく運ばれてきたメインの肉料理を口に運んだ。
……美味しい。
この味も、店主の「感謝」が込められているからだとしたら……。


「面白い顔をするな。負けを認めるのも早い。……君のそういう、数字に対して誠実なところは嫌いじゃない」


「……お世辞は不要ですわ。次のプロジェクトでは、私があなたの計算式に赤字を入れて差し上げますから」


私はワインを煽り、自分の中に芽生えた新しい感覚に戸惑っていた。
悔しい。けれど、この男と競っている時間は、退屈だった王子の隣とは比べ物にならないほど、私の脳を活性化(アップデート)させていく。


「期待しているよ、アマ。……さて、食後のデザートの前に、もう一つビジネスの話をしようか。……例の『眠れる鉱山』、私の調査チームが動いているが……」


「あら、それは私の専売特許ですわよ! 勝手に動くなんて、情報漏洩(コンプライアンス)違反で訴えますわ!」


「ははは! なら、今すぐ私の口を塞ぎに来るがいい」


私たちは、最高級の料理を囲みながら、まるで戦争でもしているかのような激しい口論を続けた。
周囲の客は、美男美女が愛を語っていると勘違いしていたようだが、その内容は「利回り」と「市場独占」の殺伐としたものだった。


「……公爵様。一つ聞いていいかしら」


食後のコーヒーが運ばれてきた頃、私はふと、気になっていたことを口にした。


「なんだ?」


「あなたのその『美しくない』という基準……。もし私が、あなたの想定を超える『美しい利益』を叩き出したら、あなたは何を差し出してくださるの?」


ゼノスはコーヒーカップを置き、静かに立ち上がった。
彼は私の背後に回り、耳元で低く囁く。


「私の心臓……以外の、すべての資産を君に管理(アセットマネジメント)させてやろう。……もちろん、私という『人間』の所有権も含めてな」


「…………」


私は、今日一番の大きな数字が頭に浮かび、思わず計算機のキーを叩き損ねた。
この男、自分自身を担保にするなんて……。


「……リスクが、大きすぎましてよ」


「そのリスクを取れるのは、世界で君一人だけだ」


私は真っ赤になった顔を隠すように、空になったコーヒーカップを覗き込んだ。
婚約破棄から始まった私の新生活は、どうやら予想を遥かに超える「ハイリスク・ハイリターン」な展開になりそうだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

彼女が望むなら

mios
恋愛
公爵令嬢と王太子殿下の婚約は円満に解消された。揉めるかと思っていた男爵令嬢リリスは、拍子抜けした。男爵令嬢という身分でも、王妃になれるなんて、予定とは違うが高位貴族は皆好意的だし、王太子殿下の元婚約者も応援してくれている。 リリスは王太子妃教育を受ける為、王妃と会い、そこで常に身につけるようにと、ある首飾りを渡される。

報われなかった姫君に、弔いの白い薔薇の花束を

さくたろう
恋愛
 その国の王妃を決める舞踏会に招かれたロザリー・ベルトレードは、自分が当時の王子、そうして現王アルフォンスの婚約者であり、不遇の死を遂げた姫オフィーリアであったという前世を思い出す。  少しずつ蘇るオフィーリアの記憶に翻弄されながらも、17年前から今世まで続く因縁に、ロザリーは絡め取られていく。一方でアルフォンスもロザリーの存在から目が離せなくなり、やがて二人は再び惹かれ合うようになるが――。 20話です。小説家になろう様でも公開中です。

幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~

二階堂吉乃
恋愛
 同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。  1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。  一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。

いつか終わりがくるのなら

キムラましゅろう
恋愛
闘病の末に崩御した国王。 まだ幼い新国王を守るために組まれた婚姻で結ばれた、アンリエッタと幼き王エゼキエル。 それは誰もが知っている期間限定の婚姻で…… いずれ大国の姫か有力諸侯の娘と婚姻が組み直されると分かっていながら、エゼキエルとの日々を大切に過ごすアンリエッタ。 終わりが来る事が分かっているからこそ愛しくて優しい日々だった。 アンリエッタは思う、この優しく不器用な夫が幸せになれるように自分に出来る事、残せるものはなんだろうかを。 異世界が難病と指定する悪性誤字脱字病患者の執筆するお話です。 毎度の事ながら、誤字脱字にぶつかるとご自身で「こうかな?」と脳内変換して頂く可能性があります。 ご了承くださいませ。 完全ご都合主義、作者独自の異世界感、ノーリアリティノークオリティのお話です。菩薩の如く広いお心でお読みくださいませ。 小説家になろうさんでも投稿します。

ジェリー・ベケットは愛を信じられない

砂臥 環
恋愛
ベケット子爵家の娘ジェリーは、父が再婚してから離れに追いやられた。 母をとても愛し大切にしていた父の裏切りを知り、ジェリーは愛を信じられなくなっていた。 それを察し、まだ子供ながらに『君を守る』と誓い、『信じてほしい』と様々な努力してくれた婚約者モーガンも、学園に入ると段々とジェリーを避けらるようになっていく。 しかも、義妹マドリンが入学すると彼女と仲良くするようになってしまった。 だが、一番辛い時に支え、努力してくれる彼を信じようと決めたジェリーは、なにも言えず、なにも聞けずにいた。 学園でジェリーは優秀だったが『氷の姫君』というふたつ名を付けられる程、他人と一線を引いており、誰にも悩みは吐露できなかった。 そんな時、仕事上のパートナーを探す男子生徒、ウォーレンと親しくなる。 ※世界観はゆるゆる ※ざまぁはちょっぴり ※他サイトにも掲載

チョイス伯爵家のお嬢さま

cyaru
恋愛
チョイス伯爵家のご令嬢には迂闊に人に言えない加護があります。 ポンタ王国はその昔、精霊に愛されし加護の国と呼ばれておりましたがそれももう昔の話。 今では普通の王国ですが、伯爵家に生まれたご令嬢は数百年ぶりに加護持ちでした。 産まれた時は誰にも気が付かなかった【営んだ相手がタグとなって確認できる】トンデモナイ加護でした。 4歳で決まった侯爵令息との婚約は苦痛ばかり。 そんな時、令嬢の言葉が引き金になって令嬢の両親である伯爵夫妻は離婚。 婚約も解消となってしまいます。 元伯爵夫人は娘を連れて実家のある領地に引きこもりました。 5年後、王太子殿下の側近となった元婚約者の侯爵令息は視察に来た伯爵領でご令嬢とと再会します。 さて・・・どうなる? ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

ピンクローズ - Pink Rose -

瑞原唯子
恋愛
家庭教師と教え子として再会した二人は、急速にその距離を縮めていく。だが、彼女には生まれながらに定められた婚約者がいた。

~春の国~片足の不自由な王妃様

クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。 春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。 街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。 それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。 しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。 花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??

処理中です...