婚約破棄の慰謝料はツケ払い分、愛よりも忙しい!

桃瀬ももな

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「……はぁ。朝から時間の無駄遣い(ロス)をしてしまいましたわ」


私は自室の執務机で、届けられた一通の手紙を指先で摘まみ上げた。
上質な羊皮紙、王家の紋章が入った封蝋。
差出人は、私の元婚約者であるリュカ・ド・マニエール第一王子。


しかし、封を開ける前から漂ってくる「香水の匂い」が、すでに私の鼻腔という名の検閲に引っかかっている。


「セバス。この香水、最近流行の『愛のささやき』という安直なネーミングの商品ではありませんこと? 小瓶一つで金貨五枚。現在の王家の財政状況で、こんな不急不要なものを購入する余力があるのかしら」


「お嬢様、情報によりますと、リリィ様へ贈るついでに自分の手紙にも振りかけたとのことです」


「ついで、ですって? 香水の香りを共有することで親密度を上げようという魂胆でしょうけれど……。私にしてみれば、経費の無駄としか思えませんわ」


私は銀色のペーパーナイフで、無造作に封を切った。
中に記されていたのは、読むに堪えない妄言のパレードだった。


『親愛なるアマへ。
突然の婚約破棄に、さぞかし夜も眠れぬ日々を過ごしていることだろう。
リリィとの真実の愛に目覚めた私だが、君が涙ながらに反省し、これまでの不遜な態度を改めるというのであれば、側妃として迎えてやらんこともない。
やはり、私の隣には君の家の資金……もとい、君の献身が必要だと気づいたのだ』


「…………」


私は黙って手紙を机に置いた。
沈黙が流れる。
隣で控えていたセバスが、心配そうに覗き込んできた。


「お嬢様、いかがなさいましたか? あまりの失礼さに言葉を失われたので?」


「いいえ。……あまりの『誤字』の多さに、校正(チェック)を入れる指が止まらなくなっただけですわ」


私はペンを執り、手紙の余白に赤いインクで次々と書き込みを始めた。


「まずここ。『親愛なる』。私たちはすでに債権者と債務者の関係です。ここは『債務者リュカより、筆頭債権者アマ様へ』が正解。次に『夜も眠れぬ』。私は毎日八時間の質の高い睡眠を確保し、レム睡眠とノンレム睡眠の比率も理想的です。事実誤認ですわ」


シュッ、シュッ、と鋭い音が部屋に響く。


「さらにここ。『資金……もとい、献身』。本音が漏れすぎていて、文章としての整合性が取れていません。そして極めつけは『側妃』。私の現在の時給と、側妃の年金受給額を比較したことがありますの? 私の人生を不当に安く買い叩こうとするこの提案、独占禁止法があれば即座に提訴(デリート)対象ですわ」


手紙は、わずか数分で真っ赤な添削の嵐に呑み込まれた。


「……お嬢様。それで、お返事はいかがなさいますか?」


「返事? そんなものに割くインク代がもったいなくてよ。……セバス、例の物を持ってきて」


セバスが差し出したのは、私が特注で作らせた「手動式・書類抹消機(シュレッダー)」だった。
ハンドルを回すと、鋭い刃が紙を細かく裁断する仕組みだ。


私はリュカからの手紙を、ためらいなく投入口へ差し込んだ。


「……さようなら、不良債権。あなたの言葉は、資源ゴミとしての価値もありませんわ」


ガリガリ、ガリガリ……。
心地よい振動と共に、王子の傲慢な言葉たちが、ただの白い紙切れへと姿を変えていく。


「あぁ、スッキリいたしましたわ。ゴミを片付けると、思考のキャッシュがクリアになりますもの」


「さすがはお嬢様。……あぁ、そういえば。ゼノス公爵様から、別の使いが届いております」


セバスが差し出したのは、無骨な黒い封筒だった。
香水の匂いなど一切しない。
ただ、微かに「インクと革の匂い」がした。


中には、一枚の地図と短いメッセージが記されていた。


『アマ。例の鉱山で、君が予測した通りの反応が出た。……だが、少しばかり計算外の「邪魔者」も紛れ込んでいる。至急、現場で合同監査(デート)を行いたい。
追伸:この手紙の紙代は、次回の利益から差し引いておく』


「…………」


私は思わず、小さく吹き出した。


「あら、生意気な。……でも、不採算な愛を語るより、よほど建設的な誘いですわ」


私はすぐに計算機を取り出し、現場へ向かうための馬車の速度と、消費される燃料、そして得られるであろう利益の概算を開始した。


「セバス! すぐに準備を。……それから、さっきの王子の手紙の残骸、堆肥にでも混ぜておきなさい。せめて植物の成長という『リターン』に貢献させるのが、数字への礼儀ですわ」


「承知いたしました」


私は銀製計算機を誇らしげに掲げ、窓の外に広がる市場の喧騒を見つめた。
元婚約者からの見当違いな手紙など、今の私の資産表(バランスシート)には、一ミリの誤差も生じさせない。


私の未来は、もっと強欲で、もっと美しい数字で満たされているのだから。
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