婚約破棄の慰謝料はツケ払い分、愛よりも忙しい!

桃瀬ももな

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「……このシャンデリアの維持費だけで、平民の家庭が十年は暮らせますわね。まったく、非効率極まりない空間ですわ」


私は、王都で最も格式高いと言われる夜会会場の隅で、扇子の陰から会場内を冷徹にスキャンしていた。
手元には、ドレスのデザインに完璧に溶け込ませた、特注の小型計算機(ポシェット型)が忍ばせてある。


「お嬢様、周囲の令嬢たちがこちらを見てヒソヒソと話しております。『婚約破棄されて、よほど悔しいから壁際で震えているのだわ』と」


影のように付き添うセバスが、淡々と周囲の雑音を報告する。


「震えている? 失礼ね。私はこの会場に集まった貴族たちの衣装、宝飾品、そして漏れ聞こえる『噂話』から、各家の資金繰りを計算して武者震いしているだけですわ」


私は計算機のキーを指先でなぞった。


「見てごらんなさい、あのバロン子爵夫人。昨年までは最高級のシルクを纏っていたのに、今夜は去年のドレスをリメイクしていますわ。あそこの領地、不作の影響でキャッシュフローが滞っている証拠ですわね。……今なら、あの家の鉱山権を安く買い叩けますわよ」


「……お嬢様、ここは舞踏会であって、競売場ではございません」


「情報の集積という点では同じですわ。……おや、あそこにいるのは不採算物件一号(リュカ殿下)ではありませんこと?」


会場の中央で、リュカ殿下がリリィを連れて優雅に踊っていた。
……が、その足取りはどこか重い。


「殿下、ステップが乱れておりますわよ。……あぁ、なるほど。あの方が今履いている靴、私の実家が差し押さえたブランドのものですわ。おそらく、支払いの督促状が届いていて、気が気ではないのでしょう」


「そこまで分かりますか」


「数字は歩き方にも出ますのよ」


フンと鼻を鳴らしたその時、背後からふわりと上質な革とインクの匂いが漂ってきた。


「壁際で獲物を探すハヤブサのような令嬢がいると思ったら、やはり君か。アマ」


振り返ると、正装したゼノス公爵が立っていた。
黒の燕尾服を完璧に着こなし、胸元には私との「共同事業」を象徴する、あの鉱山の紋章をあしらったピンが光っている。


「ゼノス公爵。……お誘いいただいた『合同監査』、まさかこんな着飾るだけの無駄な場所だとは思いませんでしたわ」


「無駄? いいや。ここは世界で最も『嘘』が高い値で取引される市場だ。君のその計算機で、誰が本当のことを言い、誰が破産寸前かを見抜く練習には最適だろう?」


ゼノスは優雅に右手を差し出した。


「一曲、どうかな? 踊りながら、例の鉱山の『邪魔者』について共有しよう」


「……ダンス一曲につき、通常なら金貨一枚のコンサル料をいただきますが」


「私の全資産の管理権を君に預けると言ったはずだ。……その端数をケチるな」


「……ふん。分かりましたわ。リードは完璧になさい。私のドレスの減価償却費を早めるような不器用なステップは許しませんわよ」


私は彼の手に自分の手を重ねた。
会場の中心へと進み出ると、周囲の視線が一気に突き刺さる。
「婚約破棄された令嬢が、なぜ隣国の公爵と!?」という驚愕の声が、心地よいBGMのように聞こえた。


音楽が始まり、私たちは円を描くように踊り出す。


「……で、邪魔者とは?」


「西の隣国、バルドゥール商会だ。彼らが例の鉱山の地下水脈を狙って、周囲の土地を買い占め始めている。……このままでは、我々の採掘ルートが物理的に遮断されるリスクがある」


「……あのアリのような商会ですわね。利益率を優先するあまり、周辺住民の雇用を蔑ろにする三流企業ですわ」


私は踊りながら、脳内のシミュレーションを高速で回した。


「公爵様、対抗策は一つです。彼らが土地を買う前に、私たちがその土地にある『ゴミ捨て場』を買い占めますわ」


「ゴミ捨て場?」


ゼノスが怪訝そうに眉を上げた。


「ええ。最新の魔導技術を使えば、そのゴミから建築資材を再利用(リサイクル)して利益を出せます。ゴミ捨て場の所有権を盾に、彼らの輸送路に高い『通行税』をかける。……そうすれば、彼らは自滅するか、こちらの軍門に下るしかありません」


「……ははっ。舞踏会のステップを踏みながら、ゴミの山で敵を圧殺する計画を立てるとは。……やはり君は最高だ」


ゼノスの腕に力がこもる。
ふと、隣で踊っていたリュカ殿下とリリィが、私たちの会話を耳にしたのか、顔を引き攣らせて立ち止まった。


「ア、アマ! 貴様、こんな場所で不潔なゴミの話を……! 公爵、騙されてはいけない! この女は頭の中まで金勘定で汚れているんだ!」


リュカが怒鳴るが、ゼノスは冷たく一蹴した。


「汚れている? 殿下、君の足元のその絨毯。アマの実家が寄付しなければ、君は今頃泥の上で踊っていたはずだ。……自分の財布の底に穴が空いていることにも気づかない男が、一流の投資家に口を出すな」


「な……っ!」


「行きましょう、公爵様。不採算なノイズと話していても、利息は生まれませんわ」


私はリュカをゴミを見るような目で見つめると、さらに優雅にターンを決めた。


「……アマ。さっきの計画、明日から実行に移そう。……ただし、今夜だけは数字以外のことも、少しは考えてくれないか?」


「数字以外? 例えば?」


「……私の心拍数が、君のステップに合わせて、通常の二十パーセント増しで稼働していること、とか」


「…………」


私は思わず足をもたつかせそうになった。


「……それは、血圧の異常か、運動不足による心肺機能の低下ですわ。……後で、健康診断の見積もりを取っておきます」


「……君という女は、本当に手強いな」


ゼノスは可笑しそうに笑い、私をさらに強く引き寄せた。
シャンデリアの光の下、私は自分の顔が、計算機では算出できない熱を帯びていることに、密かに戸惑っていた。
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