婚約破棄の慰謝料はツケ払い分、愛よりも忙しい!

桃瀬ももな

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「……公爵様。これ、一体何の冗談かしら? あるいは、アステリア公爵家の蔵書の在庫一掃セールでもお始めになるつもり?」


私は、ゼノス公爵邸の最上階にあるテラスで、目の前に積み上げられた「書類の山」を呆然と見上げていた。


今夜は、王宮の財政再建が一段落したことを祝う、二人きりのディナーのはずだった。
しかし、食後のデザートとして運ばれてきたのは、甘いケーキではなく、高さ一メートルはあろうかという膨大な領収書と予算計画書の束だった。


「冗談なものか、アマ。……これは、私の『全人生の貸借対照表(バランスシート)』だ。……そして、その上に乗っているのが、これから百年分の『家族運営予算案』だ」


ゼノスは、いつになく真剣な表情で、その山の頂点に一通の封筒を置いた。


「百年分の予算……? (チャカチャカチャカ……ッ!)……。ちょっと、公爵様。不確定要素(インフレ)を考慮しても、この予備費の計上は多すぎましてよ。……それに、この『子供の教育費』という項目……。まだ契約提携の段階なのに、気が早すぎませんこと?」


私は顔を赤くしながらも、反射的に計算機を叩いた。
しかし、ゼノスはその計算機を優しく手で制し、私の目を真っ直ぐに見つめた。


「……契約は、今日で終わりだ。……アマ、私は君と、新たな段階(フェーズ)へ進みたいと思っている」


ゼノスは膝をつき、私の手を取った。
彼の指先が、宝石箱を開ける。
中には、まばゆいばかりの輝きを放つ、特大のダイヤモンドが鎮座していた。


「……これは、隣国の鉱山で採れた最高級の原石を、私が自ら買い付けたものだ。……資産価値は金貨一億枚。……だが、そんな数字はどうでもいい」


「どうでもいいわけありませんわ! 一億ゴールドの資産を指に乗せて歩くなんて、盗難リスクと保険料の算出だけで一晩かかりますわよ!」


「なら、その計算を一生隣でやってくれないか」


ゼノスの声が、夜風に混じって甘く響く。


「……アマ・ゴールドマン。……私は君という、世界で最も正確で、最も強欲で、そして最も美しい知性に惚れた。……私の全財産を君に預けたい。……いや、私の『人生の監査役』になってほしいんだ」


「監査役……?」


「ああ。……私の資産が、君を幸せにするためだけに正しく使われているか。……私の愛が、君の心の中で赤字を出していないか。……死が二人を分かつまで、毎日チェックしてほしい」


ゼノスは、指輪と共に、一枚の「領収書」を私に差し出した。
そこには、品名としてこう記されていた。


『品名:ゼノス・フォン・アステリアの心臓および全人生。……代金:アマ・ゴールドマンの永遠の契約(愛)』


「…………っ」


私は、計算機を落としそうになるのを必死でこらえた。
……この男、なんて非合理的なことを。
自分の心臓の価値を、ただの一令嬢の愛と等価交換(トレード)しようなんて。
計算が、全く合いませんわ。


「……公爵様。……(パチ、パチ、パチ……)」


私は、震える指で計算機を叩いた。


「……出ましたわ。……今のプロポーズによる、私の人生の『期待収益(リターン)』。……グラフが天井を突き破って、計測不能(オーバーフロー)ですわ」


「……だろうな。……私の愛は、複利で増え続ける一方だからな」


「……調子の良いことを。……でも、いいでしょう。……アステリア公爵家の資産、およびあなたの不器用な情熱……。私が責任を持って、一円の無駄もなく管理(マネジメント)して差し上げますわ」


私は指輪を受け取り、自らの指にはめた。
一億ゴールドの輝き。
けれど、今の私にとっては、目の前の男の、安堵に満ちた笑顔の方がずっと価値が高く見えた。


「……契約、成立ですわね。……旦那様(パートナー)」


「ああ。……最高のディール(取引)だったよ、アマ」


ゼノスは私を抱き寄せ、深く、熱い口づけを交わした。
背後で、王宮の空に祝杯の花火が上がった。
かつて「悪役令嬢」として追放されかけた私が、今、大陸一の富を誇る男と、世界で最も贅沢な「家計簿」を始めようとしている。


「……あぁ、そうだ。公爵様。……早速ですが、この結婚式の予算案。……装飾品の中抜き業者が三社ほど見受けられますわよ? ……明日一番で、私が直接、彼らの事務所を監査(処刑)しに行って差し上げますわ!」


「……ははは! 頼もしいな。……手始めに、その業者たちの資産を全部買い叩こうか」


「ええ、もちろん! 新婚旅行の資金(ボーナス)にさせていただきますわ!」


私たちは、夜空に咲く花火を見上げながら、これからの人生における「莫大な利益(幸せ)」を想像し、誰よりも強欲に、そして誰よりも幸せそうに笑い合った。


悪役令嬢アマの「最強の婚約」。
それは、甘い愛の言葉と、一寸の狂いもない計算書によって、完璧に裏打ちされていたのである。
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