今更復縁とか言われても邪魔なんですけど?

桃瀬ももな

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王宮を出た私は、その足で実家であるローゼンバーグ公爵邸へと戻った。

深夜の帰宅にもかかわらず、屋敷の中は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。

それもそうだろう。

「王城で王子に婚約破棄を突きつけられ、慰謝料をふんだくって帰ってきた」娘など、前代未聞だ。

玄関ホールに入ると、そこには顔を真っ赤にしたお父様と、おろおろと泣いているお母様が待ち構えていた。

「ウィルヘルミナ!!」

お父様の怒号が、シャンデリアを揺らす。

「貴様、なんということをしでかしたのだ! 殿下との婚約を破棄だと!? しかも、あのような法外な慰謝料を請求するなど、公爵家の恥だぞ!!」

お父様は手にした杖を床に叩きつけた。

血管が切れそうだ。

血圧が高そうなので、少し塩分を控えた食事にした方がいいかもしれない、と私は冷静に分析する。

「申し訳ありません、お父様。ですが、性格の不一致はいかんともしがたく」

「黙れ! 性格を合わせるのが貴族の女の務めだろうが!」

「殿下のあの貧相な……いえ、繊細な御体に合わせるには、私の溢れ出る包容力(フィジカル)が強すぎました」

「何を訳の分からんことを言っている!」

お父様は肩で息をしている。

私はすかさず、懐から二つ目の封筒を取り出した。

今日は書類を出す日だ。

「お父様。公爵家の面汚しである私を、どうかお許しにならないでください」

「当たり前だ!」

「つきましては、こちらの書類にサインをお願いできますか?」

「……なんだ、これは」

お父様が怪訝な顔で封筒を受け取る。

中身は、『勘当証明書』ならぬ『除籍願い』だ。

「私、ウィルヘルミナは本日をもってローゼンバーグ家を離縁し、平民となります。二度と敷居は跨ぎませんし、公爵家の名前も使いません。遺産相続権も放棄します」

「なっ……!?」

お父様もお母様も絶句した。

通常、貴族の娘が家を追い出されるとなれば、泣いて縋りつくのが定石だ。

路頭に迷うことになるのだから。

だが、私には王家から毟り取った……いただいた、莫大な資金がある。

むしろ、公爵家という「家名」は、私の野望(カフェ経営)にとって邪魔でしかないのだ。

「正気か、ウィルヘルミナ。平民になるということは、この贅沢な暮らしを捨てるということだぞ?」

「はい。絹のドレスも、柔らかいベッドも、退屈な夜会も、すべて捨て去ります」

私は胸を張って答えた。

「私は荒野へ……いいえ、下町へ行きます。そこで自分の力で生きていきます」

「お、お前……」

お父様の手が震えている。

怒りではなく、動揺しているようだ。

「本気なのか?」

「大真面目です。お父様、今まで育てていただきありがとうございました。おかげで丈夫な身体に育ちました」

私は深々と頭を下げた。

感謝は本当だ。

幼い頃、高い高いをしてくれたお父様の上腕二頭筋は、そこそこ立派だった記憶がある。

「……勝手にしろ! 二度と私の前に顔を見せるな!」

お父様は震える手で書類にサインをし、私に投げつけた。

「ありがとうございます!」

私は書類を拾い上げ、満面の笑みでお礼を言った。

「お母様も、どうかお元気で」

「ミーナ……どうして……」

泣き崩れるお母様には申し訳ないが、私の決意は揺るがない。

私は自室に戻ることなく、そのまま着の身着のまま屋敷を出ることにした。

荷物?

必要ない。

ドレスなど、筋肉の前では布切れに過ぎない。

これからの私に必要なのは、動きやすい作業着と、そしてプロテインシェイカーだけだ。

「お世話になりましたー!」

私は屋敷の使用人たちに手を振り、夜の闇へと飛び出した。

          ◇

翌日。

私は王都の「下町(ダウンタウン)」と呼ばれるエリアにいた。

貴族街の石畳とは違い、ここは土埃と活気に満ちている。

職人たちの掛け声、屋台の匂い、そして何より――。

「重いぞ、気をつけろ!」

「おうよ!」

資材を運ぶ男たちの、逞しい二の腕!

額に光る汗!

服の上からでも分かる大胸筋の盛り上がり!

「はぁ……天国……」

私は道端でうっとりとため息をついた。

すれ違う人々が、奇妙なものを見る目で私を見ている。

それもそのはず、私はまだ昨晩の夜会用のドレスを着たままだからだ。

裾は汚れ、髪も少し乱れているが、そんなことは些末な問題だ。

「さて、まずは拠点(城)を手に入れなくては」

私はあらかじめ調べておいた、裏通りの不動産屋へと向かった。

ギギィ……と錆びついたドアを開ける。

カウンターの奥で居眠りをしていた、ヤギのような髭の店主が飛び起きた。

「へいらっしゃ……って、ええ!?」

店主は私の姿を見て、目を剥いた。

「き、貴族のお嬢様!? なんでこんなむさ苦しい店に……迷子ですかい?」

「いいえ、物件を探しに来ました」

私はカウンターに、ドン! と金貨の袋を置いた。

ジャラッ、と重い音が店内に響く。

店主の目の色が変わった。

「こ、これは……」

「条件は三つ。一つ、天井が高いこと。二つ、床が頑丈であること。三つ、治安が悪くて屈強な男たちがたむろしている場所に近いこと」

「は、はい?」

三つ目の条件に、店主が首を傾げる。

「治安が悪い方がいいんで?」

「ええ。喧嘩っ早い殿方は、筋肉が発達している傾向にありますから(スカウトし放題ですもの)」

「はぁ……よくわかりやせんが……」

店主は地図を広げた。

「それなら、ここなんてどうでしょう。元々は冒険者ギルドの支部だった建物でしてね。広さは十分、天井も吹き抜けです。ただ……」

「ただ?」

「場所が『赤熊通り』のど真ん中でして。荒くれ者が多くて、普通の商売はまず無理です。お嬢様みたいな綺麗な方が行ったら、骨までしゃぶられちまいますよ」

「赤熊通り……素晴らしい響きね」

熊。

なんてパワフルな動物だろう。

私の脳裏に、熊と相撲をとるマッチョの姿が浮かんだ。

「そこにします。即決で」

「ええっ!? いやいや、下見もせずに!?」

「案内なさい。今すぐに」

私は店主を急かし、現地へと向かった。

案内された建物は、確かにボロボロだった。

壁の塗装は剥げ、看板は半分落ちかかっている。

窓ガラスは割れ、中からは酒と埃の匂いが漂ってきそうだ。

だが、私はその建物の「骨格」に惚れ込んだ。

太い柱。

広々としたフロア。

そして何より、入り口の扉が分厚いオーク材でできている。

「これなら、バーベルを落としても床が抜ける心配はなさそうね」

「お嬢さん、本当にここでいいんですかい? お化け屋敷みたいなもんですが」

「内装(メイク)なんて後でどうにでもなります。大事なのは基礎代謝(土台)です」

「はぁ……」

「契約します。この金貨で足りますか?」

私が提示した額は、相場の倍以上だった。

店主は震える手で金貨袋を受け取った。

「た、足りますとも! お釣りが来ますが!」

「お釣りはいりません。その代わり、すぐに掃除用具と、あと……『力自慢の内装業者』を手配してください。できるだけ筋肉質な方々を」

「き、筋肉質……?」

「ええ。タンクトップが似合うような方々を、大至急」

店主は完全に私を「変わった道楽貴族」だと思ったようだ。

まあ、間違ってはいない。

「わ、わかりやした! すぐに手配しやす!」

店主が走って去っていくのを見送り、私は廃墟のような店舗の前に一人佇んだ。

今日からここが、私の城だ。

『カフェ・マッスル・パラダイス』予定地。

私は落ちかかっていた看板に手をかけ、グッと力を込めた。

メリメリ……バキッ!

腐っていた木製の看板を、素手で引き剥がす。

「ふう、いい運動」

ドレスの袖をまくり上げ、私はニヤリと笑った。

さあ、忙しくなるわよ。

まずはこの廃墟を、男たちの汗が輝く聖域に作り替えなくては。

私は埃まみれの床に第一歩を踏み出した。

その時、店の奥の暗がりから、ドサッ……という重い音が聞こえた。

「あら?」

ネズミにしては大きい。

まさか、先客(不法侵入者)かしら?

私は警戒するどころか、目を輝かせて音のした方へと近づいていった。

もしや、野良マッチョが落ちているかもしれないという期待を胸に。
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