今更復縁とか言われても邪魔なんですけど?

桃瀬ももな

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廃墟同然の店舗の奥。

暗がりから現れたのは、熊のような――いや、熊に失礼かもしれない、薄汚れた大男だった。

ボサボサの髪、無精髭、そして破れた革鎧。

どう見ても、堅気ではない。

この「赤熊通り」を縄張りにするゴロツキか、あるいは職にあぶれた元冒険者といったところだろう。

「あぁ? なんだぁ、テメェ……」

男は不機嫌そうに唸り、私を睨みつけた。

酒臭い。

二日酔いだろうか。

「ここは俺様の仮宿だ。迷い込んだお嬢ちゃんか知らねぇが、怪我したくなかったら金目のもん置いてとっとと失せな」

男は腰のナイフに手をかけ、威嚇してきた。

常人なら悲鳴を上げて逃げ出す場面だ。

しかし、私は違った。

私の目は、男のナイフではなく、その腕に向けられていたのだ。

(ふむ……)

私はあごに手を当て、品定めをするように男を凝視した。

(栄養状態は悪そうだけれど、骨格は素晴らしいわ。特にあの上腕二頭筋のピーク(盛り上がり)。重い武器を振り回してきた歴史を感じる)

「おい、聞いてんのか!」

「貴方、お名前は?」

「あぁ!? ガ、ガロンだが……って、なんで名乗らなきゃなんねぇんだ!」

「ガロンさんですね。採用です」

「は?」

ガロンと呼ばれた男は、間の抜けた声を出した。

「さ、採用……?」

「ええ。ちょうど、この店の改装工事のために力仕事ができる方を探していたんです。貴方、なかなかいい筋肉(そざい)をお持ちでしてよ」

「な、何言ってやがる! 俺は元Bランク冒険者のガロン様だぞ! 大工仕事なんてやるかよ!」

「日給、金貨1枚」

「へ?」

「三食昼寝付き。さらに、仕事終わりには特製プロテイン(栄養ドリンク)飲み放題」

「やります」

ガロンさんは即答した。

ナイフを捨て、直立不動の姿勢をとる。

「どこの壁を壊せばいいですか? 姐さん!」

「あら、素直でよろしいこと。まずはその辺の瓦礫を外に運び出してくださいな。あ、できるだけ上半身裸でお願いしますね」

「へ? 裸?」

「ええ。服が汚れるといけませんから(筋肉の動きが見えませんから)」

「は、はぁ……」

ガロンさんは首を傾げながらも、大人しく上着を脱ぎ始めた。

私はその背中を見ながら、満足げに頷く。

(広背筋の広がりも悪くない。磨けば光る原石ね)

こうして、私は第一の従業員(下働き)を確保したのだった。

          ◇

それから一時間後。

不動産屋の店主が、約束通り「力自慢の内装業者」たちを引き連れて戻ってきた。

「お、お嬢様……本当にここでやるんですかい?」

「ええ。あら、頼もしい方々ですこと!」

私の目は輝いた。

店主が連れてきたのは、大工の棟梁(とうりょう)率いる、屈強な男たち十数名。

全員が、重い木材を軽々と担げる猛者たちだ。

日焼けした肌、浮き出る血管、そしてほとばしる汗!

ここは工事現場ではない。

私にとっては、もはや美術館だ。

「へい、棟梁の岩鉄(がんてつ)だ。注文はどうすりゃいい?」

棟梁は、その名の通り岩のような体躯をした初老の男だった。

ねじり鉢巻が似合いすぎている。

「岩鉄さん、よろしくお願いしますわ。注文はシンプルです」

私は図面(先ほど羊皮紙に走り書きしたもの)を広げた。

「基本方針は『マッスル・ファースト』です」

「……まっする?」

「ええ。まず、床はすべて補強してください。どんなに重い男たちが飛び跳ねても抜けないように」

「おう、そりゃあ任せな。で、壁は?」

「厨房とホールの間の壁は取り払って、フルオープンキッチンに。客席から、シェフの肉体……いえ、調理風景が完全に見えるようにしてください」

「なるほど、見せる厨房ってやつだな」

「そしてここ! 店の中央に、謎の『お立ち台』を作ってください」

「お立ち台?」

「ええ。少し高めのステージを。スポットライトが当たるような設計で」

「……そこで踊り子でも踊らせるのかい?」

「いいえ。ポージング用です」

「ぽーじんぐ?」

棟梁は眉をひそめたが、私は気にせず指示を続けた。

「さあ、説明はこれくらいにして、作業に取り掛かってください! 時間は惜しいですわ!」

「おう! 野郎ども、やるぞ!」

「へいッ!!」

男たちの野太い返事が響き渡る。

工事が始まった。

そして、私の至福の時間(鑑賞会)も幕を開けた。

私は店の隅に持参した折りたたみ椅子を置き、優雅に座った。

手には紅茶……ではなく、ただの水を入れたコップを持っているが、気分は劇場のロイヤルボックス席だ。

「そこの二人! その太い柱を持ち上げる時は、もっと腰を落として! そう、大臀筋(おしり)を意識して!」

「こ、こうか!?」

「素晴らしいわ! ハムストリングスの収縮が見事よ!」

「よ、よくわからねぇが、褒められてるのか!?」

若い大工が顔を赤らめながら柱を運ぶ。

「ガロンさん! 瓦礫を運ぶペースが落ちてますわよ! 上腕二頭筋が泣いてます!」

「は、はいッ! すんません姐さん!」

ガロンさんが必死に瓦礫の山と格闘する。

そのたびに盛り上がる三角筋。

浮き出る前腕の血管。

(はぁ……なんて美しい光景なのかしら)

私はうっとりとため息をついた。

槌を振るう音。

木材を切る音。

そして、男たちの荒い息遣い。

これこそが、私が求めていたBGMだ。

王宮での退屈なクラシック音楽や、王子の下手くそな詩の朗読とは比べ物にならない。

「姐さん、ちょっといいかい」

棟梁が汗を拭いながらやってきた。

その前腕の太さに、私は思わず見惚れる。

「なんでしょう、棟梁」

「このカウンターの高さだが、普通の店より高すぎねぇか? これじゃあ客が座りにくいぞ」

「いいえ、それでいいのです」

私は即答した。

「当店のメインターゲットは、平均身長180センチ以上の『デカい男たち』ですから」

「……随分と偏った商売だな」

「それに、一般のお客様(女性)には、高い椅子に座っていただくことで、立って働く店員(マッチョ)と目線の高さが合うようになります。上目遣いで筋肉を見上げる構図も捨てがたいですが、水平アングルで大胸筋を拝むのもまた一興ですので」

「……お嬢ちゃん、あんた、本当に変わってるな」

棟梁は呆れたように笑った。

「だがまあ、金払いと『差し入れ』が良いのは気に入った。お前ら、休憩だ! お嬢ちゃんからの差し入れだぞ!」

「うおおお!」

男たちが歓声を上げる。

私が用意させた差し入れ。

それは、大量の「茹で鶏のササミ」と「ブロッコリー」、そして「ゆで卵」の山だった。

「なんだこりゃ? 酒のツマミか?」

「いいえ、筋肉のツマミです」

私は微笑んだ。

「作業で傷ついた筋繊維を修復するには、タンパク質が不可欠。さあ、遠慮なく召し上がれ」

「よ、よくわからねぇが、腹が減ってるからありがてぇ!」

男たちは豪快にササミにかぶりついた。

その咀嚼する顎の筋肉(咬筋)すらも、私にとっては芸術作品だ。

「うむ……悪くない」

私は手元のメモ帳に、次々とアイデアを書き込んでいく。

店の名前は『マッスル・パラダイス』。

メニューは、高タンパク低脂質の肉料理が中心。

そして店員は、厳選されたマッチョのみ。

制服は……そうね、伸縮性のある素材で、できれば半袖。

いや、ノースリーブにしよう。

上腕三頭筋を隠すなんて、国家的な損失だもの。

「ふふふ……見えてきたわ」

廃墟だった空間が、徐々に私の理想郷へと変わっていく。

その様子を眺めながら、私は確信した。

この店は、絶対に流行る。

少なくとも、私にとっては天国だ。

「あとは……」

私はメモ帳の最後の行に、大きく書き込んだ。

『最重要課題:接客ができるメインスタッフ(顔が良くて筋肉もすごい人)の確保』

大工さんたちは素晴らしいが、あくまで裏方だ。

お客様を迎えるには、華のある「看板筋肉」が必要だ。

「どこかに落ちてないかしら……絶世の筋肉美青年」

私は窓の外、赤熊通りの往来を見つめた。

まさかその数日後、その願いが物理的に「落ちてくる」形で叶うとは、この時の私はまだ知る由もなかったのである。
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