今更復縁とか言われても邪魔なんですけど?

桃瀬ももな

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『カフェ・マッスル・パラダイス』の営業終了後。

私はレジ締めをしながら、奇妙な胸騒ぎを覚えていた。

「……何かしら、この空気の重さは」

店内の気圧が下がっているような気がする。

まるで、巨大な台風が接近しているような――。

コンコン。

裏口のドアが、控えめにノックされた。

「はい、どうぞ」

「……お疲れ様です、店主殿」

入ってきたのは、レオナルド様だった。

しかし、今日の彼は何かが違った。

いつもの泥だらけの訓練着でも、ラフな私服でもなく、なぜか「正装」の騎士団服をビシッと着込んでいる。

胸には勲章がジャラジャラと輝き、髪もオールバックに撫で付けられている(少し整髪料のつけすぎでテカっているが)。

そして何より、顔色が赤い。

茹で上がったタコのように赤い。

「あら、レオナルド様。今日は夜会でもありましたの?」

「い、いや。……ない」

彼はロボットのような動きで店に入り、直立不動の姿勢をとった。

「その……今日は、貴女に……大事な、話があって参った」

「大事な話?」

私は手を止めた。

(隣国バルバロスが攻めてきた? それとも、セドリック殿下がまた何かやらかした?)

緊張が走る。

「はい、承ります。座ってください」

「いや、立ったままでいい。……座ると、大臀筋の緊張が解けて、決心が鈍りそうだから」

「はぁ……」

レオナルド様は深呼吸をした。

スゥーーーーーッ、ハァーーーーーッ。

その肺活量が凄まじく、店内の酸素濃度が一瞬で下がった気がする。

「ウィルヘルミナ嬢」

「はい」

「俺は……貴女と出会って、変わった」

彼は真っ直ぐに私を見つめた。

その碧眼は真剣そのもので、私の心臓を射抜くような強さがある。

「以前の俺は、ただ剣を振り、国を守ることだけが生き甲斐の、つまらない男だった。筋肉は鎧でしかなく、食事は燃料でしかなかった」

「……はい」

「だが、貴女が教えてくれた。食事の喜びを。パンケーキの甘さを。そして……誰かと笑い合う温かさを」

レオナルド様が一歩、近づいてくる。

カツッ。

軍靴の音が響く。

「俺は、貴女がいない生活など、もう考えられない。……貴女の淹れるプロテインがなければ、俺の筋肉は枯渇してしまうだろう」

(……これって、もしや)

私の心拍数が跳ね上がる。

プロポーズ?

これは、プロポーズの予兆(プレリュード)ですか!?

期待で胸が張り裂けそうだ。

しかし、レオナルド様は緊張のあまり、限界に達しているようだった。

額からは滝のような汗が流れ、こめかみの血管がドクンドクンと脈打っている。

「だから……俺は……!」

彼は意を決したように、さらに一歩踏み出した。

そして、私の背後にある壁に手をつき、私をその腕の中に閉じ込める体勢――いわゆる『壁ドン』をした。

ドンッ!!!!

メリメリメリッ……バキィッ!

「……あ」

乾いた破壊音が響いた。

私の顔の横、レオナルド様の手が触れた壁板に、見事な亀裂が入り、さらに貫通して大穴が空いた。

「……」

「……」

沈黙。

舞い散る木屑と漆喰の粉。

レオナルド様の手は、壁の向こう側(外)の冷たい夜風に触れている。

「……レオナルド様」

私は冷静に指摘した。

「壁が、お亡くなりになりましたわ」

「し、しまったァァァッ!!」

レオナルド様が悲鳴を上げて飛び退いた。

「す、すまない! 部下のセドリック……いや殿下が、『ここぞという時は、壁ドンをして男らしさを見せろ!』と助言してくれたのだが……力加減を間違えた!」

「殿下の入れ知恵ですか……。あの方の助言を信じるなんて、うかつでしたね」

「あ、穴が……! 大事な店の壁に……!」

レオナルド様はパニックに陥り、オロオロと穴を見つめている。

「弁償する! 今すぐ修理業者を……いや、俺が直す! 板と釘を持ってきてくれ!」

「落ち着いてください。壁なんて後でどうにでもなります(ガロンさんが直せます)」

私は彼の手を取った。

「それより、お話の続きを」

「え?」

「大事な話があるのでしょう? 壁を破壊してまで伝えたかったことが」

「あ、ああ……そうだった」

レオナルド様はハッとして、再び私に向き直った。

顔はまだ赤いが、その瞳には再び決意の炎が宿る。

「……聞いてくれ、ミーナ」

「はい」

「俺は……俺は……っ!」

彼は拳を握りしめた。

緊張がピークに達し、彼の口が回らなくなる。

「俺は、貴女のことが……す、すき……き、きん……」

「きん?」

「きんにく……じゃなくて! きん……」

彼は噛んだ。

盛大に噛んだ。

「俺と……け、けっこ……けっこう……血行を良くしてくれ!!」

「……はい?」

私は首を傾げた。

「血行を良くする? マッサージのご依頼でしょうか?」

「ちがうッ! そうじゃなくて!」

レオナルド様は頭を抱えた。

「ああもう、なんでこんなに口が回らないんだ! 舌の筋肉(ぜっきん)が硬直している!」

「リラックスしてください。深呼吸です」

「すー、はー、すー、はー」

彼は再び深呼吸をし、カッと目を見開いた。

「いいか、よく聞け! 俺は貴女を……俺の人生のパートナーにしたい!」

おお!

やっと言えた!

「俺の横で、ずっと笑っていてほしい! そして……俺のこの身体(きんにく)を、死ぬまで管理してほしいんだ!」

これは、紛れもないプロポーズだ。

「人生のパートナー」に「死ぬまでの管理」。

これ以上ない愛の言葉だ。

私の胸がキュンと鳴る。

「レオナルド様……」

答えようとした、その時。

彼は緊張のあまり、余計な一言を付け加えてしまった。

「つまり……俺と一緒に、最強の『パンプアップ・ライフ』を送ろう!!」

「……ぱんぷあっぷ?」

思考が停止した。

パンプアップ・ライフ。

直訳すると「筋肉膨張生活」。

それは結婚生活の比喩なのか、それとも文字通りの意味なのか。

私の筋肉脳が、高速で回転を始める。

(パートナー……管理……パンプアップ……)

(……はっ! まさか!)

私は一つの結論に達した。

「レオナルド様……。それって……」

私は恐る恐る尋ねた。

「新しい『トレーニング・メソッド』のご提案ですか?」

「へ?」

レオナルド様がキョトンとした。

「私を専属トレーナーとして雇いたい、ということでしょうか? 『死ぬまで管理』というのは、食事とワークアウトのメニュー作成のことで……」

「い、いや、そういう意味も含んではいるが……もっとこう、情緒的な意味で……」

「喜んでお受けします!!」

私は食い気味に答えた。

「私、常々思っていたんです! 貴方の上腕三頭筋は素晴らしいですが、もう少しカット(切れ)を出せば、彫刻を超えて神話になれると!」

「え? あ、うん?」

「パンプアップ・ライフ! 素敵な響きです! 二人三脚で、貴方の筋肉を至高の領域へと導きましょう!」

私は彼の手をガシッと握り返した。

「契約成立ですね! まずは明日の朝から、特別メニューを組みますわ!」

「……」

レオナルド様はポカンと口を開けていた。

そして、ガックリと肩を落とした。

「……伝わって、ない……?」

「え? 何がですか?」

「いや……なんでもない」

彼は遠い目をした。

「まあ……ずっと一緒にいられるなら、入り口はトレーナーでも構わんか……」

「レオナルド様?」

「ありがとう、ミーナ。……よろしく頼む」

彼は力なく笑った。

こうして、彼の決死のプロポーズは、見事に(私の筋肉脳のせいで)すれ違ってしまった。

壁には穴が空き、関係性は「恋人」ではなく「専属トレーナーと選手」へ。

しかし、私にとっては最高に嬉しい申し出だった。

「さあ、そうと決まれば祝杯です! 新作のプロテインで乾杯しましょう!」

「……ああ。ヤケ酒ならぬ、ヤケプロテインといこうか」

レオナルド様は苦笑しながらも、私の手作りプロテインを受け取ってくれた。

この時の私はまだ気づいていなかった。

この「すれ違い」が、後にリリィ様たちを巻き込んだ、壮大な「プロポーズやり直し大作戦」へと発展することを。

そして、壁の穴から冷たい風が吹き込む中、私たちは奇妙な絆(と筋肉)を深め合ったのだった。
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