今更復縁とか言われても邪魔なんですけど?

桃瀬ももな

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「ふんふふ~ん♪ 明日のメニューは、大胸筋上部の追い込みからスタートして、午後は有酸素運動……」

翌日の『カフェ・マッスル・パラダイス』。

私はカウンターの中で、鼻歌交じりに羊皮紙にペンを走らせていた。

昨夜、レオナルド様と交わした「契約」。

それは私にとって、夢のようなプロジェクトの始まりだった。

あの素晴らしい肉体を、私が管理し、デザインし、至高の領域へと導く。

トレーナー冥利に尽きるというものだ。

「あら、ミーナ様。ずいぶんとご機嫌ですね」

出勤してきたリリィ様が、エプロンの紐を結びながら顔を覗き込んできた。

彼女の手には、既につまみ食い用のクッキーが握られている。

「ええ、最高にハッピーですわ。ついにレオナルド様との『パートナー契約』が成立したんですもの」

「えっ!?」

リリィ様が目を見開いた。

「け、契約って……まさか、昨日の夜、プロポーズされたんですか!?」

「プロポーズというか、オファーですね。『死ぬまで管理してくれ』と頼まれました」

「きゃーーーーっ!!♡」

リリィ様が黄色い悲鳴を上げ、クッキーを落とした。

「すごいです! おめでとうございます! 『死ぬまで管理』だなんて、なんて情熱的な求婚! やっぱりレオナルド様はやる時はやる男ですね!」

「ええ。とても熱意を感じました。壁を破壊するほどの気迫でしたから」

私は、ガロンさんがベニヤ板で応急処置をしている壁の大穴を指差した。

「壁ドン……いえ、壁破壊(クラッシュ)と共に、熱い想いを伝えてくれました」

「壁を破壊……? まあ、そこはレオナルド様らしいですけど」

リリィ様は頬を染めてうっとりとした。

「それで? ミーナ様はなんてお返事をしたんですか? 『はい、喜んでお受けします』って?」

「ええ、もちろん」

「わぁ……♡」

「『喜んで専属トレーナーになります! パンプアップ・ライフを送りましょう!』と答えました」

シーン……。

店内の時間が止まった。

リリィ様の笑顔が、氷漬けになったように固まる。

「……はい?」

「ですから、専属トレーナーです。彼も『パンプアップ・ライフを送ろう』と言ってくれましたし、利害は一致しています」

「……」

リリィ様は、信じられないものを見る目で私を見た。

その瞳の奥には、「この人、正気か?」という文字が浮かんでいる。

「ミーナ様……」

リリィ様が、私の肩をガシッと掴んだ。

「貴女……本物の『筋肉馬鹿(マッスル・ブレイン)』ですか?」

「え?」

「違うでしょう! そこは違うでしょう!」

リリィ様が激しく揺さぶり始めた。

「『死ぬまで管理してくれ』は、『食事や運動の管理』じゃなくて、『人生(ライフ)の管理』……つまり『結婚してくれ』って意味ですよ!」

「え……?」

「『パンプアップ・ライフ』だって、言葉のあやですよ! 『二人で愛を膨らませていこう』的な意味に決まってるじゃないですか!」

「はぁ!?」

私は素っ頓狂な声を上げた。

「まさか。だってレオナルド様ですよ? あの筋肉ダルマの彼が、そんな高度な比喩表現を?」

「使うわよ! 恋する男なら!」

その時。

カランカラン……。

「おはよう! 我が心のオアシスよ!」

朝の爽やかな日差しと共に、またしても暑苦しい男が現れた。

セドリック王子だ。

今日も無駄に胸元を開けたシャツを着て、颯爽と(筋肉痛で少し足を引きずりながら)入店してきた。

「やあリリィ、今日も君の咀嚼音は美しいね。……ん? どうしたんだ、朝から揉め事か?」

「あ、セドリック様! 聞いてくださいよ!」

リリィ様が王子に駆け寄る。

「ミーナ様ったら、レオナルド様のプロポーズを『トレーナー契約』だと勘違いして、受理しちゃったんです!」

「な、なんだと!?」

王子も驚愕した。

「レオナルド団長が、ついに決行したのか! 私が授けた『必殺・壁ドン作戦』を!」

「貴方の入れ知恵でしたか……」

私はジト目で王子を見た。

「おかげで壁に穴が空きましたよ。請求書、回しておきますね」

「壁などどうでもいい! 問題はそこじゃない!」

王子は私の前に詰め寄り、バンッ! とカウンターを叩いた。

「ウィルヘルミナ! 君は本当に元公爵令嬢か!? 察しが悪すぎるぞ!」

「察し?」

「団長はな、昨日のために何日も前から準備していたんだぞ! 『どんな服を着ればいいか』『どんな言葉なら伝わるか』……私に相談までしてきて!」

「えっ、そうだったんですか?」

「ああ! あの不器用な男が、顔を真っ赤にして『ミーナに想いを伝えたいんだ』と……! それなのに、トレーナー契約だと!?」

王子は呆れて天を仰いだ。

「団長が不憫すぎる……。今頃、寮の部屋で枕を濡らしているに違いない。『俺は……ジムの備品扱いなのか……』とな」

ズキッ。

胸が痛んだ。

王子の言葉が、鋭いナイフのように突き刺さる。

私は記憶を巻き戻した。

昨夜のレオナルド様の表情。

『……伝わって、ない……?』

あの時の、寂しげな、そして諦めたような苦笑い。

『まあ……ずっと一緒にいられるなら、入り口はトレーナーでも構わんか……』

(ああっ……!)

私は頭を抱えた。

「私……なんてことを……!」

「やっと気づきましたか!」

リリィ様が腰に手を当てて言った。

「あの方は、勇気を出して、貴女に人生を預けようとしたんです。それを『筋肉(パーツ)の管理』という業務委託にすり替えるなんて……!」

「プロテインの粉末を愛の言葉だと勘違いするようなものだぞ!」

王子も追撃する。

私はカウンターの中にうずくまった。

穴があったら入りたい。

なんなら、レオナルド様が開けた壁の穴に埋まりたい。

「どうしよう……。私、完全にやらかしました……」

レオナルド様は、私のことを好きだと言ってくれた。

私も、彼のことが好きだと言った(つもりだった)。

なのに、肝心なところで私の「筋肉フィルター」が作動して、ロマンチックな瞬間を台無しにしてしまったのだ。

「……まだ、間に合いますか?」

私はおずおずと顔を上げた。

リリィ様と王子が顔を見合わせる。

「当たり前だ!」

「今すぐ訂正してきなさい!」

二人は同時に叫んだ。

「でも、どうやって……? 『やっぱり結婚してください』って言い直すのですか? 今更?」

「普通に言っても、今の君たちじゃまたすれ違う可能性があるな」

王子は腕組みをして、真剣な顔になった。

「君たちは二人とも『筋肉脳(マッスル・ブレイン)』だ。言葉の定義が一般人とズレている」

「失礼な」

「事実だろう。だから、言葉だけじゃダメだ。……行動で示すんだ」

「行動?」

「ああ。君が彼を『トレーナー』としてではなく、『異性』として見ているということを、決定的なアクションで伝えるんだ」

王子はニヤリと笑った。

「私がいい作戦を考えてやろう。名付けて『逆・壁ドン&あーん作戦』だ!」

「却下します」

私は即答した。

「貴方の作戦はろくな結果になりません。壁が増えるだけです」

「なんだと!?」

「ミーナ様、私にいい案があります!」

リリィ様が手を挙げた。

「やっぱり『胃袋』ですよ! レオナルド様は甘いものが大好きです。最高に甘くて、愛が詰まったスイーツを作って、それを……」

「それを?」

「『これはトレーナーからの配給ではありません。愛する妻(よてい)からのプレゼントです』って言って渡すんです!」

「おお……」

それは悪くない。

悪くないが、少しパンチが弱い気がする。

私たちらしさ、というか、筋肉へのリスペクトが足りない。

私は考え込んだ。

レオナルド様が喜ぶこと。

私が彼に伝えたいこと。

そして、この誤解を解き、二人の関係を「契約」から「誓い」へと昇華させる方法。

(……そうだわ)

閃いた。

私の脳裏に、ある光景が浮かんだ。

それは、以前彼と言い合った冗談のような、でも本気の夢。

「……決めました」

私は立ち上がった。

「リリィ様、王子。ご協力感謝します。……私、最高の方法で彼に『逆プロポーズ』してきます」

「えっ、どんな方法で?」

「それは……秘密です」

私は不敵に微笑んだ。

「ただ、準備が必要です。……ガロンさん! ちょっと倉庫から『アレ』を出してきて!」

「アレって、まさか……あの巨大なやつか?」

「ええ。あと、王子」

「な、なんだ?」

「レオナルド様を、今夜この店に呼び出してください。『緊急事態だ』とでも言って」

「嘘をつけというのか?」

「いいえ。……私の心臓が爆発しそうな緊急事態ですので」

「……フッ、わかった」

王子はキザに笑い、マントを翻した。

「任せておけ。恋のキューピッド役など、この次期国王(候補)には朝飯前だ!」

王子は店を出て行った。

リリィ様も「私も手伝います!」と袖をまくり上げる。

さあ、舞台は整った。

待ってらっしゃい、レオナルド様。

貴方が開けた壁の穴よりも、もっと大きな風穴を、貴方の心に開けてみせますわ。

私の、全身全霊の筋肉愛(ラブ)を込めて!
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