今更復縁とか言われても邪魔なんですけど?

桃瀬ももな

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『カフェ・マッスル・パラダイス』のホールは、今夜、異様な熱気に包まれていた。

「乾杯(プロテイン)ッ!!」

「「「ナイスバルクッ!!!」」」

野太い声が轟き、シェイカーがぶつかり合う音が響く。

明日は、私ウィルヘルミナと、騎士団長レオナルド様の結婚式。

今夜は、その前夜祭――いわゆるバチェラー・パーティ(独身さよならパーティ)が開催されていた。

ただし、酒はない。

あるのは山盛りの鶏むね肉と、樽に入った特製プロテインのみだ。

「師匠! 飲みっぷりが甘いですよ! 今日は無礼講(チートデイ)です! あと一杯いきましょう!」

「う、うむ……セドリック、お前も随分と飲めるようになったな(プロテインを)」

宴の中心にいるのは、主役のレオナルド様と、すっかり「筋肉の弟子」と化したセドリック王子だ。

王子はシャツのボタンを全開にして(もはや閉める気がないらしい)、上機嫌でレオナルド様の肩を叩いている。

「見てください、この上腕二頭筋! 師匠の指導のおかげで、ついに『メロン』くらいの大きさになりましたよ!」

「……まだ『グレープフルーツ』程度だが、悪くない成長だ」

「はっはっは! 厳しいなぁ!」

男たちの暑苦しい友情。

それをカウンターの隅から眺めているのは、私とリリィ様だ。

「……すごい光景ですね」

リリィ様が、余興用のローストチキンをかじりながら呟く。

「ええ。王国の王子と騎士団長が、裸同然で筋肉を見せ合っているなんて……歴史書に書けない夜ね」

私は苦笑しながら、グラス(中身はハーブティー)を磨いた。

「でも、幸せそうです」

リリィ様が微笑む。

「セドリック様、昔よりずっと楽しそう。……ミーナ様もですよ?」

「私?」

「はい。以前のミーナ様は、完璧な令嬢を演じていて、どこかピリピリしていましたけど……今は、すごく自然体で綺麗です」

「……そうかしら」

私は頬に手を当てた。

確かに、今の私は無理をしていない。

好きなもの(筋肉)に囲まれ、好きな人(最高のマッチョ)の隣にいる。

これ以上の幸せはないだろう。

「さあ、私も負けてられません! 明日の披露宴で出される『ウェディング・ジャンボ・ステーキ』のために、胃袋のコンディションを整えておかないと!」

リリィ様は気合を入れてチキンを完食した。

頼もしい介添人だ。

          ◇

宴もたけなわ。

ふと、レオナルド様が席を立ち、裏口の方へ向かうのが見えた。

私はエプロンを外し、そっと後を追った。

外に出ると、夜風が火照った頬に心地よかった。

レオナルド様は、路地裏の壁に背中を預け、夜空を見上げていた。

「……抜け出しちゃっていいんですか? 主役なのに」

声をかけると、彼はビクッとして振り返った。

「ミーナ……」

彼は安堵したように息を吐いた。

「いや、セドリックの筋肉自慢が止まらなくてな。『僕の大腿四頭筋を見てくれ』とズボンを脱ごうとしたあたりで、限界を感じて逃げてきた」

「あの方、露出狂の気(ケ)がありますわね……。後で厳重注意しておきます」

私は彼の隣に並んだ。

肩が触れ合う距離。

彼の体温が伝わってくる。

「……緊張していますか?」

私が尋ねると、レオナルド様は正直に頷いた。

「ああ。……魔獣の大群を前にした時より、心拍数が上がっている」

彼は自分の大きな手を見つめた。

「明日、俺は貴女を妻にする。……本当に、俺でいいのかと、今更ながら自問してしまうんだ」

「まだそんなことを?」

「だってそうだろう。俺は不器用で、無骨で、甘党のただの筋肉ダルマだ。貴女のような聡明で美しい女性を、幸せにできる自信がない」

レオナルド様の弱気な発言。

マリッジブルーというやつだろうか。

私はため息をつき、彼の手を取った。

そして、そのゴツゴツした掌を、自分の頬に押し当てた。

「レオナルド様」

「っ……」

「貴方は、ご自分の価値を分かっていません」

私は彼を見上げた。

「貴方は不器用ですが、誰よりも誠実です。無骨ですが、誰よりも優しいです。甘党なところは……まあ、可愛いので許容範囲です」

「か、可愛い……」

「そして何より」

私は彼の胸板に手を当てた。

ドクン、ドクンと力強い鼓動が伝わってくる。

「貴方のこの筋肉は、貴方がどれだけ努力を積み重ねてきたかの証明です。私は、そんな貴方の『生き様(にくたい)』に惚れたのです」

「ミーナ……」

「幸せにできる自信がない? そんなの、私だって同じです。公爵家を勘当された、元悪役令嬢ですよ?」

私は悪戯っぽく笑った。

「でも、二人なら最強になれると思いませんか? 貴方のパワーと、私のマネジメント能力があれば」

「……ふっ、ははは!」

レオナルド様が吹き出した。

「そうだな。……貴女には敵わないな」

彼の瞳から迷いが消え、いつもの強い光が戻った。

「よし。……予行演習をしておこうか」

「予行演習?」

「ああ。明日の誓いの言葉だ。……神父の前で噛みそうだからな」

レオナルド様はコホンと咳払いをし、私の手を取り直した。

真剣な表情。

月明かりの下、彼は騎士の顔つきで口を開いた。

「私、レオナルド・バーンシュタインは、ウィルヘルミナ・フォン・ローゼンバーグを妻とし……」

「はい」

「健やかなる時も、病める時も……」

彼はそこで言葉を切り、ニヤリと笑った。

「……いや、違うな」

「え?」

「俺たちには、俺たちの誓いが必要だ」

彼は言い直した。

「増量期(バルクアップ)なる時も、減量期(ダイエット)なる時も」

「ふふっ……」

私は思わず笑ってしまった。

「プロテインが美味い時も、ささみばかりで辛い時も」

「はい」

「貴女の筋肉(健康)を愛し、敬い、慈しみ……」

彼は私の手を強く握りしめた。

「死が二人を分かつまで……いや、来世で筋肉が土に還るまで、共にトレーニング(人生)を歩むことを誓います」

なんて、筋肉質で、なんて愛おしい誓いだろう。

私の目頭が熱くなった。

「……はい、誓います」

私は涙を堪えて答えた。

「私も、貴方の筋肉(すべて)を愛し、管理し、支え続けることを誓います」

「ありがとう、ミーナ」

レオナルド様はゆっくりと顔を近づけてきた。

今度は壁ドンも、破壊音もない。

静かで、優しい口づけ。

プロテインの味はしなかった。

ただ、彼の唇の温かさと、深い愛情だけがそこにあった。

「……愛している」

「私もです」

唇を離すと、私たちはどちらからともなく笑い合った。

「さあ、戻りましょうか。主役がいないと、セドリック殿下が脱ぎ終わってしまいます」

「それは阻止せねばならんな。……俺の花嫁の目に毒だ」

レオナルド様は私の腰を抱き寄せ、エスコートしてくれた。

その腕の逞しさに、私は改めて確信した。

明日は、きっと最高の日になる。

たとえタキシードが弾け飛んでも、ウェディングケーキが肉でも、ハプニングだらけでも構わない。

この人と一緒なら、どんな困難(重量)も笑って持ち上げられる気がした。

いよいよ明日。

『マッスル・パラダイス』の歴史に残る、伝説の結婚式が開幕する。
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