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新雪小太郎 物語 第三章
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第三章 古い喫茶店
駅前の喫茶店は、もう半分、時間から置いていかれていた。
色あせた看板。磨かれすぎて模様の消えたドアノブ。中に入ると、コーヒーと埃と、どこか懐かしい煙草の残り香が混じっていた。
七時ちょうど。
客はまばらで、カウンターに二人、奥のテーブルに一人。
小太郎は一番奥の席に座った。
呼び出した人物がどんな顔をしているのか、見当もつかない。スーツかもしれないし、全く違うかもしれない。
五分遅れで、その男は現れた。
年齢は四十代後半だろうか。
背は高くも低くもなく、特徴がない。だが、目だけが妙に澄んでいた。何かを測るような視線。
「新雪小太郎さん」
男は小声で言った。
小太郎は頷いた。
「……あなたは」
「名乗る必要はありません」
男はそう言って、向かいに座った。
店員にコーヒーを二つ頼む。その仕草が、やけに慣れている。
「あなた、最近、人を助けてますね」
「偶然です」
即答だった。
だが男は、否定も肯定もしなかった。
「雪の夜の老人。銀行のカード。地下鉄の女性」
一つずつ、淡々と並べる。
小太郎の背中に、冷たいものが走った。
「監視してるんですか」
「観測しているだけです」
男は言葉を選んだ。
コーヒーが運ばれてくる。湯気が二人の間に立ち上り、一瞬、男の表情を隠した。
「あなたは、助ける理由を説明できますか」
小太郎はカップを持ったまま、答えられなかった。
「正義感?」
「……違う」
「自己満足?」
「それも違う」
「では、なぜです」
沈黙が落ちた。
小太郎は、自分の内側を探った。だが、見つかるのは空白ばかりだった。
「……分かりません」
男は、初めて小さく笑った。
「そうでしょうね」
「どういう意味ですか」
「あなたは“選んで”やっているわけじゃない」
男はカップを置いた。
「あなたは、思い出しているだけです」
「何を」
「助けられた感覚を」
その言葉で、胸の奥がきしんだ。
小太郎の脳裏に、断片的な映像が浮かぶ。
——白い天井
——消毒の匂い
——小さな手が、誰かに握られていた感触
「……覚えていません」
「ええ。覚えていないでしょう」
男は静かに言った。
「あなたは、幼い頃、大きな事故に遭っています。公式記録には残っていませんが」
「待ってください」
小太郎は遮った。
「そんな話、聞いたことない」
「でしょうね。あなた自身が“外された”からです」
「外された?」
男は少しだけ身を乗り出した。
「助けられた人間の中には、その後、“助ける側”に回る者がいる。全員ではない。ごく一部です」
「宗教の勧誘ですか」
「違います」
男は即答した。
「もっと不格好で、もっと現実的な話です」
小太郎は、笑おうとした。
だが、喉が動かなかった。
「あなたが助けた老人、手袋を受け取ったでしょう」
「それが?」
「あの人、三年前に、全く同じ状況で“助けられた側”でした」
小太郎の指が、わずかに震えた。
「地下鉄の女性も?」
「ええ」
「銀行のカードは?」
「カードを落とした本人が、かつて――」
男はそこで言葉を切った。
「続きは、聞きたいですか」
小太郎は、しばらく黙っていた。
自分の人生が、静かに書き換えられていく音がした。
「……聞かせてください」
男は満足そうでもなく、勝ち誇るでもなく、ただ頷いた。
「では、次はあなたの番です」
「何の」
「助けられる番です」
店の外で、風が強く吹いた。
ガラスが小さく鳴った。
その瞬間、小太郎のスマートフォンが震えた。
知らない番号からの着信。
画面に表示された名前は、こうだった。
《未登録:雪の夜》
——やっぱり、なんて日だ。
駅前の喫茶店は、もう半分、時間から置いていかれていた。
色あせた看板。磨かれすぎて模様の消えたドアノブ。中に入ると、コーヒーと埃と、どこか懐かしい煙草の残り香が混じっていた。
七時ちょうど。
客はまばらで、カウンターに二人、奥のテーブルに一人。
小太郎は一番奥の席に座った。
呼び出した人物がどんな顔をしているのか、見当もつかない。スーツかもしれないし、全く違うかもしれない。
五分遅れで、その男は現れた。
年齢は四十代後半だろうか。
背は高くも低くもなく、特徴がない。だが、目だけが妙に澄んでいた。何かを測るような視線。
「新雪小太郎さん」
男は小声で言った。
小太郎は頷いた。
「……あなたは」
「名乗る必要はありません」
男はそう言って、向かいに座った。
店員にコーヒーを二つ頼む。その仕草が、やけに慣れている。
「あなた、最近、人を助けてますね」
「偶然です」
即答だった。
だが男は、否定も肯定もしなかった。
「雪の夜の老人。銀行のカード。地下鉄の女性」
一つずつ、淡々と並べる。
小太郎の背中に、冷たいものが走った。
「監視してるんですか」
「観測しているだけです」
男は言葉を選んだ。
コーヒーが運ばれてくる。湯気が二人の間に立ち上り、一瞬、男の表情を隠した。
「あなたは、助ける理由を説明できますか」
小太郎はカップを持ったまま、答えられなかった。
「正義感?」
「……違う」
「自己満足?」
「それも違う」
「では、なぜです」
沈黙が落ちた。
小太郎は、自分の内側を探った。だが、見つかるのは空白ばかりだった。
「……分かりません」
男は、初めて小さく笑った。
「そうでしょうね」
「どういう意味ですか」
「あなたは“選んで”やっているわけじゃない」
男はカップを置いた。
「あなたは、思い出しているだけです」
「何を」
「助けられた感覚を」
その言葉で、胸の奥がきしんだ。
小太郎の脳裏に、断片的な映像が浮かぶ。
——白い天井
——消毒の匂い
——小さな手が、誰かに握られていた感触
「……覚えていません」
「ええ。覚えていないでしょう」
男は静かに言った。
「あなたは、幼い頃、大きな事故に遭っています。公式記録には残っていませんが」
「待ってください」
小太郎は遮った。
「そんな話、聞いたことない」
「でしょうね。あなた自身が“外された”からです」
「外された?」
男は少しだけ身を乗り出した。
「助けられた人間の中には、その後、“助ける側”に回る者がいる。全員ではない。ごく一部です」
「宗教の勧誘ですか」
「違います」
男は即答した。
「もっと不格好で、もっと現実的な話です」
小太郎は、笑おうとした。
だが、喉が動かなかった。
「あなたが助けた老人、手袋を受け取ったでしょう」
「それが?」
「あの人、三年前に、全く同じ状況で“助けられた側”でした」
小太郎の指が、わずかに震えた。
「地下鉄の女性も?」
「ええ」
「銀行のカードは?」
「カードを落とした本人が、かつて――」
男はそこで言葉を切った。
「続きは、聞きたいですか」
小太郎は、しばらく黙っていた。
自分の人生が、静かに書き換えられていく音がした。
「……聞かせてください」
男は満足そうでもなく、勝ち誇るでもなく、ただ頷いた。
「では、次はあなたの番です」
「何の」
「助けられる番です」
店の外で、風が強く吹いた。
ガラスが小さく鳴った。
その瞬間、小太郎のスマートフォンが震えた。
知らない番号からの着信。
画面に表示された名前は、こうだった。
《未登録:雪の夜》
——やっぱり、なんて日だ。
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