探偵尾賀叉反『鉄仮面党の黙示録』

安田 景壹

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第一章 二〇二〇年 ナユタ 夏

第1章  2

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 うだるような暑さと、照りつける陽光の下でも、ストリートは活気を失っていなかった。
 むしろ逆だ。若者達は口々に暑い暑いと言いながらも、平然と通りを闊歩していく。この街で夏を迎えるのはこれで三度目になるが、繁華街の賑わいは年を追うごとに増しているように思える。考えてみれば当たり前の事だ。街は日に日に拡大を続け、人もまたこの街に移ってくる。新たな人間を受け入れて街はより活発化し、より複雑になっていく。
 ――関東最大の都市、ナユタ市。
 その新市街にある風戸区ウインドストリートを、尾賀おが叉反さそりは一人歩いていた。
大勢の人が行き交う中で、叉反の周りだけは少し広い。


 人込みの中を歩くのはこの仕事の常だが、いつも他人以上に気を遣う。腰から生えた蠍の尾があるためだ。尾の先には針があり、それが不用意に他人に触れないよう、道を行く時は尻尾を丸めるようにして歩かなければならない。
だいたいは、このように周囲の人間のほうが尻尾を気にして、自然と叉反と距離を置くものの、たまに意図せず尾が人にぶつかってしまって、トラブルになり掛けた事が何度かある。
 そういう場合、たとえ過失がなくても、たいていはこちらが不利だ。犬や猫の尻尾ならいざ知らず、毒虫の尻尾が触れて気分のいい人間はまずいない。相手は叉反を叱責する。そういう危険な物を何故見せびらかして歩くのか、と。


 尻尾のある人間の気持ちは、同じく尻尾を持つ者にしかわからない。風呂に入れば尻尾も洗う。毒針にも適切な配慮をしている。尻尾がぶつかって怪我をした人間もいない。だが、煩わしい罵りは止まない。住人の大半がフュージョナーであるナユタでさえ、尻尾周りのトラブルは起こりうる。
おかげで、仕事でもなければこんな人込みに来る事はない。
白い壁が眩しいカフェを見つけ、叉反は足をそちらに向ける。ストリートの真ん中に設置されたベンチでは若者が談笑し、ビジネスマンがひと休みしている。誰も叉反には目もくれない。
 カフェの入り口はストリートから小さな階段を下りたところにあった。


 店外にパラソル付きのテーブル席が三つ設けられている。店の中には入らず、叉反は一番奥のテーブルまで進み、椅子を引いた。
尻尾付きの人間でも楽に座れる、背もたれのない丸椅子だ。
 すでにテーブルには先客がいた。男性。四十過ぎくらい。浅黒い肌。大柄の体にアロハシャツ、鋭角なデザインのサングラス、麦わら帽子を被り、イチゴのシロップがたっぷり掛かったかき氷のラージサイズを食べている。
「……人を待ってるんだがな」
 氷を咀嚼しながら、男が言った。
「俺も待っている」
 言いながら、叉反は灰皿を引き寄せ、ハイライトのケースから一本取り出すと、男に銘柄が見えるようにケースを置いた。


 店員がやって来た。火をつける前に言った。
「キリマンジャロとチョコレートパフェを」
「かしこまりました。コーヒーから先にお持ちしてよろしいですか?」
「いや、すまないが二つとも一緒に持ってきてくれ。時間はかかって構わないから」
「かしこまりました。二つともご一緒に、ですね」
「頼むよ」
 店員がテーブルから去ると、男が向き直った。上目遣いに、こちらを値踏みするように見ている。その口が動いた。


「なるほど。あんたが社長の代理人か」
「そうだ」
 叉反は答えて、煙草に火をつける。
 全て符丁だ。席に着く前のやり取り、持ってきた煙草の銘柄、注文の仕方まで。フュージョナーが多いこの街でも蠍の尾を生やした人間はそうは見ないが、互いに相手がわかるように、念のために講じた手立てだった。
高山たかやま喜一よしかずさん、で間違いないな?」
「そういうあんたが、探偵の尾賀叉反か?」
 叉反は頷いた。
「俺も一本もらおう」

 叉反が返答するより早く、高山はハイライトを一本抜き取ると、ケースを投げて返した。
 下調べはしたし、電話で一度話もしたが、実際に会ってみて確信する。予想通りの、どこにでもいる不良中年だ。
 ――高山喜一。民間航空会社《ライアンエア》の元パイロット。見てくれからは想像もつかないが、小型機と中型輸送機の操縦免許を持つ。ライアンエアでは主に輸送を担当していたが、ひと月前に素行不良で解雇処分にされている。
 前々から社長との折り合いが悪かった高山は、会社を辞める際、意趣返しとして社長室からある物を持ち出した。誰にも知られていない社長の隠れた趣味を収めた、プライベートスナップ三十枚を。
 他人の弱みを握った人間が取る行動は、大別して二つ。
 ――全てを自分の胸に収めて、何事もなかったかのように振る舞うか。
 ――あるいは弱みを徹底的に利用して、相手からさらに奪い取るか。
 高山がどちらのタイプであるかは、言うまでもない。


「前置きはいらねえ。本題に入ろうじゃねえか」
 見てくれはごついが安物にも見える金のライターで火をつけ、高山は煙を吐き出した。
「で、社長はちゃんと言った通り用意したんだろうな? 現金で一千万をよ」
「いいや」
 即座に叉反は言った。高山の目に剣呑な光が見えた。
「……ああ?」
「西ヶ谷社長は今回の取引に応じないそうだ。だが事は穏便に済ませたい。素直に例の写真を返却するなら、今回の脅迫については通報しない、と」
「おいおい、何か勘違いしてんじゃねえか」
 苛立たしげに煙草を吹かし、高山は半笑いで言った。


「モノを握ってんのはこっちだぜ? そっちが選べる立場かよ。いいか、金さえ払えば写真は返してやるって言ってんだ。でなきゃ、どうなるかはわかるよな。あんな写真がばら撒かれたら、あのおっさんは今後、まともに外を歩けなくなっちまうぜ」
 叉反は無表情で相手を見返した。実際、言うべき事は限られている。
「こちらも、もう一度言おう。社長は取引に応じない。今なら穏便に済ませられる。写真を返却して終わりにしろ。それなら、あんたの今回の脅迫は警察には知られない」
「は、何が警察だ」
 高山の声が大きくなった。
「あんな変態野郎に何が出来る。あいつが出さねえってんなら、他のとこに持ってったっていいんだ。週刊誌でもどこにでもな。写真が世に出たら終わるのはあいつだ。一千万で今後の人生が買えるなら安いもんだろうが」
 叉反は黙って一服した。煙草を銜えたまま、じっと高山を見る。
「おい。何とか言ったらどうなんだ?」
「あんたの事を調べさせてもらったよ、高山さん」
 灰を落として、叉反は言った。


 それが可笑しかったのか、高山は鼻で笑う。
「ふん、何を調べたんだ? 電話番号か、SNSのアカウントか? それとも女の趣味か?」
「ずいぶん儲けてるみたいじゃないか。副業のインターネットビジネスで」
 途端に、高山の顔から笑いが消えた。
 叉反は懐からスマートフォンを取り出し、画像を表示して高山に見せる。隠語と暗号によってブツの値段と量を示した、高山と客とのメールを。
「今月は頭だけで三十万の売り上げだな。グループ相手の取引だと実入りも大きいだろう。栽培家グロワーへの草代はともかく、基本的にはあんたの個人経営だから上前もはねられない」
 草――大麻の隠語だ。


 高山の煙草の灰が長くなりつつあった。携帯を仕舞い、続ける。
「会社の輸送機で運輸をやる傍ら、契約した各地の〝農場〟から草を仕入れてナユタまで持ち帰る。個人経営も大変だ。ほとんどの事は自分でやらなくちゃならない。人任せにも出来ないしな。昼はパイロットで、夜は草の販売員。日によっては寝る暇もなかっただろう」
 高山がさっきまで口に運んでいたかき氷が、水になり始めている。カップを持つ手が小刻みに震えている。
「さっきも言った通り、社長は穏便に話を済ませたがっている。あんたが何も言わずに写真を返すなら、この件はそれで終わる」
「……脅そうって言うのか。今度は俺を」
「まさか」


 叉反は銜え煙草のまま笑って答える。
「お前と一緒にするな。副業については警察に伝えてある。まもなく迎えが来るだろうさ」
 直後、唸り声とともに飛んできたかき氷のカップを叉反は片手で払った。次いで投げつけられた椅子を受け止める。高山は案外素早かった。テーブルを蹴り倒し、植え込みを踏み散らかし、あっという間に壁をよじ登って、ストリートに出る。
「トビ!」
 上方に向かって叉反は叫んだ。すかさず植え込みの縁を踏み切りに、跳ねるように壁を蹴って登り、ストリートへと降り立つ。
「ふん。出番だな」


 店のすぐ近くのベンチに座っていた癖っ毛の若者が、そんな事を呟きながら立ち上がった。その時には高山が道を猛進している。
「おい、おっさん。残念だが大人しく――」
「どけ、この野郎!」
 余裕ぶって道を遮った若者を、高山が容赦なく殴り飛ばす。どこかから悲鳴が上がった。若者を押しのけ、高山は人込みの中を突き進んでいく。
「く、この――っ!」
 間を置かず立ち上がった若者が高山のアロハシャツの襟首を掴んだ。荒々しく振るわれる高山の拳を寸でで躱し、右腕でその体に組み付く。だが、腕力は向こうのほうが上だ。あっさり振り払われ、再度拳が飛んだ。
「邪魔なんだよ、この鳥野郎が!」


 顔面に拳を受けた若者は、しかし今度は倒れなかった。くるりと回転しざま、お返しとばかりに右腕を振り、裏拳を高山の顔にヒットさせる。鳶のアシユビの硬い節が高山を怯ませるが、倒すには至らない。すかさず反撃のための腕が振り上がり、次の瞬間その腕を捻り上げられた高山は、苦悶の声を上げた。
「終わりだ。高山さん」
 掴んだ高山の腕をさらに捻り上げ、叉反は言った。
 呻き続けていた高山は、やがて諦めたのか、ふっと力を抜いて跪いた。
 拘束用のゴムバンドで高山の手を括る。裏稼業も今日限りだ。大麻取締法においては営利目的での大麻所持および譲渡は七年以下の懲役とされる。そう簡単には出てこられないだろう。


 意気消沈しているであろう高山の顔は、しかしどこか冷静だった。
 妙には思ったが、今日の〝取引〟も含めて、高山の件は前もって知り合いの刑事に伝えてある。じきにパトカーがやって来るだろう。あとは向こうに任せればいい。
「油断し過ぎだ、トビ」
 叉反は苦い口調で言った。
鳶手の若者――トビは顔しかめながら答える。
「反省してるよ。たく、中年のおっさんだって言うから」
「やり遂げるまで油断はするな。怪我するだけじゃない、対象を逃すかもしれないんだ」
 相手の弛緩した空気を感じ取って、思わず言葉に険が混じる。


「……悪かった。身に染みたよ、所長」
 殴られた箇所を押さえながら、トビは気まずそうに目を伏せた。
 やれやれ。先が思いやられる新人だ。そう思いながら、叉反はしかし、かつての記憶を思い出す。昔、自分がまだ見習いだった頃。自分の実力を高く見積もったせいで犯した、みっともない失敗を。
 ――指導はする。失敗を繰り返させないために。だが根気よく、だ。お互いのために。
「トビ、頼みがある。さっきのカフェに行ってきてくれ」
「後片付けでもして来いって?」
 こちらの顔は見ないようにしながら、トビが沈んだ声で答える。
「それもあるが、もう一つ」
 叉反は腕時計を見る。時間的には、そろそろだろう。
「パフェを貰ってきてくれ。キリマンジャロも一緒に」
 トビは何とも言えない顔で叉反を見返した。



 ウインドストリートで目的の写真を取り返し、警察で事情を説明してから、ライアンエアのビルへと向かった。依頼人である社長の西ヶ谷に写真を渡し、奪われた全てのプライベートスナップが揃っているかどうかを確かめてもらう。
 意外な事に高山は写真を全て持って来ていた。似たような脅迫の事例では、たいていの場合、奪った物を小出しに返す事で、長期間に渡り金銭をせしめるというのが脅迫する側の手口だ。高山はそうする気がなかったのだろうか。
「辞める前の話ですが、高山はひどく金に困っていたようです。今回の脅迫がもしうまくいっていたら、案外、どこかに高飛びでもするつもりだったのかもしれません」
 と、人には言えない趣味を持つ西ヶ谷社長は、思い出したように言った。
それから、これまでの経費と報酬について再度確認し、ネットを通して送金してもらい依頼は完了。


「わかっているとは思いますが、写真については……」
 ライアンエアを辞する際、西ヶ谷社長は念を押すように言った。
「もちろんです。こちらの信用にも関わる事ですから、どうかご心配なさらず」
 叉反がそう言ったにも関わらず、西ヶ谷社長はその後二度も念を押した。叉反は淡々と答え、社長が三度目を言い出さないうちに、トビとともに会社を出た。
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