戦国転生・内政英雄譚 ― 豊臣秀長の息子として天下を創る

丸三(まるぞう)

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第二章 動きだす歯車

第37話 退いてなお

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天正10年(1582年)6月4日~5日 近江・長浜 竹若



長浜城から退避することを決めた、昨日の夜。
私と祖父は、悪巧みの相談をしていた。


「お祖父様」

祖父は私の目をじっと見た。
その眼差しには、試すような光と、どこか愉しむ気配が混じっている。
「……なんだ」

「大吉寺へ退くだけなら、それほど兵は要りません」

祖父の眉がわずかに動いた。
「ほう?」

「山中は道幅も狭く、大量の兵は動かせません」
「柵を立てれば、寺へ近づくことも容易ではないでしょう」

私は続ける。
「兵は半数でも足ります」
「残りは……使えます」

「どう使う?」

一呼吸置き、私は言った。
「城に残すのものは、形だけにします」
「武具、兵糧、金銀。持てるだけ持ち出します」

祖父の目が細くなった。
「どこに持ち出すつもりだ?」

「竹生島」
即答した。
「詣でのために用意した船があります。商人の船も使えます」
「湖上ならば目も届きにくい」
「島に分けて置けば、一度に奪われることもありません」

祖父は腕を組み、低く唸った。
「……城を奪われても、腹は痛まぬというわけか」

「はい」
「明智方が長浜を押さえても、得るものがなければ長居はしないでしょう」
「城を取られても、長浜は死にません」

しばし沈黙。
やがて祖父の口元が緩んだ。
「面白い」

そして静かに続けた。
「兵を使って、朝までに積めるだけ積む」
「精鋭を分け、竹生島へ運ぶ」
「夜半に動く」

私は深く頷いた。
「あと、信頼できる者を30ほど、城下に残したいのです」
「商人に紛れさせ、伊勢屋の下で動きを探らせます」
「夜ごと大吉寺へ報せさせます」
「京とのやり取りも絶やしません」

「退くが、負けはせぬか」
「それでこそ、羽柴の子よ」
そう言って祖父は小さく笑った。


それからすぐ、城内の蔵が静かに開かれた。
米、干飯、塩魚、矢束、火縄、丸薬。
箱に詰められた金銀。

灯を極力落とし、足音を殺しながら、船へと積み込まれていく。
湖面は月を映し、音もなく揺れていた。

やがて空が白み始めたころ、船は竹生島へ向けて滑り出した。
長浜城は、何事もなかったかのように佇んでいたが、その中身は、半ば空となっていた。


一方、伊勢屋宗右衛門は使番と対面していた。
「商いはそのまま」
「城下で得られた情報を書き留め、夜ごと山へ」
「京との文も続けること」

宗右衛門は深く頭を下げた。
「心得ております」

そして、長浜の町は朝を迎え、大吉寺へ向かう一行が城を出て行った。


城を退避した翌日(6月5日)
太陽が真上に上がってきた時刻。

本堂の一室に、ねね様と母、女衆が座っていた。

「……城は」
ねね様が小さく問う。

母は首を横に振った。 
「まだ、分かりません」
 それ以上は言わない。
 落ちたかもしれないという言葉は、誰も口にしなかった。

そのとき、山門の外が騒がしくなった。
商人風の男が一人、駆け上がってくる。

「伊勢屋の手代でございます」
「長浜城に……明智方が入りました」
「旗印は阿閉貞征」

磯野が、直ちに近くの兵に命じる。
「山門の下、狭道に柵と逆茂木を立てよ」
「全兵、持ち場につけ」

手代は続けた。
「番頭の宗右衛門より伝言でごいざいます」
「筑前守様、秀長様に、長浜の状況をお知らせになられるべき」
「文は伊勢屋にお任せくださいませ」

その言葉に、私は気づいた。
秀吉と父は、まだ長浜の状況を知らない。
情報収集に気を取られていたが、こちらのことを父に伝えなければ。

私はすぐに小堀を呼んだ。
「文を書きます。父上へ」
「ねね様にも、伯父上に文を書くよう伝えてください」
机に紙を置く。
父が知りたいのは、一つだけだ。

家族が無事であること。
長浜を退き、山寺にいること。

ふと思いつき、最後にある一言を添えた。
父の勇気になればよいと思った。

短く記すと、小堀が裏書きを加えた。

文を手代に渡し、その手を握って思いを伝える。
「播磨、羽柴の陣へ。よろしく頼む」

「命に代えましても」
手代は懐に収め、山を下りていった。

本堂に立つと木々の間から陽の光に輝く水面が見える。
湖の向こうで、天下が動き始めている。


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