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10章 元自衛官、獣人の国でやり直す
百七十話
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ツアル皇国に抜け出すのを夕方くらいに計算して、ヤクモたちは町を出た。
国境を越えてしまえば大部隊を動員出来ないだろうと言う考えと、夜間になってしまうと人間メインのメンバーが夜目の利く獣人を相手にするのは難しいと考えたからである。
何度かプリドゥエンとヤクモで夜間でもどうにか出来ないかと話し合ったものの、その運用が二人に限られてしまうので最終手段として秘められた。
「ツアル皇国ってどんな場所なんですかね?」
「自身を省みれば分かりやすい国であろう」
「よく分からないですね」
「礼節や義を重んじる国ではあるが、気風はそこまで硬くは無い。昨日の貴殿と同じだ」
「あはは……」
マーガレットとヤクモは思い出してしまう。
必要が有ったからとはいえ、相手と真っ向に言い合って斬りかかられている。
「身分や地位、役職に応じた気質を持った御仁が多い。それと、仁義や礼を大事にする。湯や食事でそこまでする貴殿と同じように」
「ね~、何の話?」
「な、なんでもないよ。何でも無いって!」
周囲を警戒していたはずのトウカも暇をもてあましたのか、話を聞いていたようで混ざろうとする。
必要が有ったからとは言え、まるで”善意でそうした”かのように言われるのを当人に聞かれるのは恥ずかしいらしい。
恥も外聞も関係なしにトウカを話から遠ざけようとするヤクモをみて、別の意味で苦笑するマーガレット。
「しかし、宜しいのですかな? 少数とはいえ護衛までつけて、そのうえで送り出してくれるなどと」
「なあに、万が一の事があってはなりませぬでな。それに、そこな小僧が一緒だと話がややこしくなる」
「悪かったナ」
「まあ、暫くは機を見て力をつけまする。我輩も気が急いていた故、色々と見失っていた事があった」
エカシはトウカが生きていた事で気が動転してしまい、ヤクモが地図を挟んで小難しい話を長々としなければ文字通りの自殺行為に足を突っ込みかねなかったのだ。
準備もせずに急ごしらえでの発揮、方々に散っている人員の終結、物資の輸送、そもそもの作戦等々。
正当な後継者であるという主張以外に何も旗を持たない時点でダメなのである。
ヤクモは懇々と諭し、何とか「準備をして時期を見定める」ということで話を収めた。
勿論、その妥結の為に色々と案を出し、実行にも移させている。
自分の主張を通すために相手を曲げなければならないのだ。
勝ちすぎては良くないと、ヤクモも幾らか負けなければならなかった。
商人を喩えで持ち出したので、そこらは直ぐに話が進んだ。
「しかし、あのようなやり方に意味だろうか?」
「根回し、下準備は必要だからなあ。敵を寝返らせたり、中立や傍観を決め込んでる連中を見方に出来るだけでも意味がある。それに、世論や民衆の支持を主張に集めるってのは混乱を減らすと言う意味もあるし……なんにせよ、血の気の多い連中以外にも働きかけないと」
「ふむ、そういった事が必要だと言うのなら、そうしよう」
ヤクモは少しばかり懸念を覚える。
魔物とばかり戦っているツアル皇国も似たような思考をしているのかもしれないと。
でなければ、もう少しは”小ざかしさ”を学んでるはずだと考えたのだ。
「しっかし、運び込まれた時には死に体だったとは思えぬわ。もう己の足で歩けるとは」
「まあ、回復力には自身があるんで。それに、手当てをしてくれた仲間も居るし、ちょっと怪我したくらいで寝てられないし」
「アレをちょっとした怪我って言えちゃうアタリ、大分キてるよね」
マスクウェルにそんな事を言われ、ヤクモはデコピンを放つ。
彼女はそれを辛うじて回避すると、逃げるようにワンちゃんの上でマーガレットにしがみついた。
「暴力! 暴力反対!」
「あぁ、そっか。その頭脳がアホになったら困るよな……。悪かった」
「その謝罪は傷つくなあ!!!」
「それはともかく」
「ともかく!?」
「後どれくらいでつきそうですかね?」
「なに、もう直ぐだ」
左右を森林に挟まれた道を突き進んでいく。
ツアル皇国へと繋がる関所の内の一つで、主要な道ではないものの予備の交易路としても舗装されている。
所々舗装に使い掛けたであろう素材や道具などが転がっており、それがあまり進んでないのか、それとも整備の途中なのかはヤクモにも判別がつかなかった。
左右が森林で挟まれていること、それがヤクモの中では常に警鐘を響かせる。
見通しの立たない事、予測不可能な事、分からないという事が怖いのだ。
プリドゥエンも予備役ながらも、毎年の訓練から警戒をしてはいるがそれでも包囲されている事実は拭えなかった。
遠く、人間の想像よりもはるか遠くから見張られている。
空から、あるいは遠くの山間から。
事実として彼らは常に見張られていた。
獣としての能力は、道具を利用したものを超えており、二人の緊張を煽るには十分であった。
だから逆に、関所が見えたときには二人とも幾らか肩の荷が降りたように感じた。
「久々の門だナ。ツアル皇国は今どうなってるのやら」
「なに、冬の間は魔物の動きは大人しい。暫くは腰を落ち着けることも出来るだろうよ」
「だと良いがナ」
「……マーガレット、見張りは距離を詰めたりしてないよな?」
「どう? ……うん、有難う。ワンちゃんが言うには、大丈夫みたいです。ただ、風の向きが良くないから、あんまり信じないで欲しいそうです」
「そりゃ……良くないな。うん、良くない。プリドゥエン、空中警戒は?」
「熱源でも観測しておりますが、夜間ということもあるのであまり信じるのも良くないかと。今は冬季で、変温動物というのも居ります。体温で検知出来ない相手が地上から追って来る可能性も御座います」
「──そうか。それを忘れてたな。う~ん……」
幾らかワザとらしい悩み方。
しかし、それを気にするものは誰もいない。
「どうかしたのかしら?」
「……匂いも空中監視も逃れられると思ったら、急いだほうが良いかもしれない。そもそも、二日も休んでたんだ。良くない、嫌な気がする」
「キミの言う”嫌な気がする”って、予感というより確信めいたものじゃないかしら」
「口にしてるって事は、たぶん……言葉に出来ない何かしらの要素が有るんだと思う。エカシさん、すこし歩調を速めても大丈夫かな」
「あぁ、そうしよう」
警戒重視の鈍行から、速度重視の歩調へと切り替える。
風向きの都合上どうしてもワンちゃんを後方に立たせる事に意味が無いと判断し、パーティーの中で防御力と致命回避能力の高いプリドゥエンを最後尾に配置する。
陣形や役割をヤクモは適宜指示し直し、少しでも安全面と最悪の場合でもメンバーが致命的な状況にならないように能力や素養を苦慮しつつ配置していく。
しかし、幸いな事にヤクモの動悸を催すような懸念は起きなかった。
関が見え、エカシが手続きを始めるまでは。
エカシの話が長引きそうになり、他の兵士らしき獣人が「話をしている間、待機室にてお待ちくだされ」と案内される。
その中でも、ヤクモは警戒の気を抜けなかった。
「やっと一息吐けますね」
「──……、」
「ヤ……ダイチ様?」
「え? あ、うん。早く何の気負いも無しに寝たいなあ。ここ最近、酒も抜いてるし。深酒をして、思い切り眠りたいなと。美味しいものを沢山食べて、ぐっすり寝て……」
「暫く療養して、体調を万全なものとしましょう。疲弊、毒、失血……懸念材料は色々と御座いますから」
「そういうのも忘れて、美味しいものがまず食べたいかなあ。美味しい酒、美味しい食事、ちゃんとした睡眠に勝る休息は無し! そっ……」
「そ?」
「そうしたら、やっと一息吐けるかなと」
ヤクモは、なんとか仮面を使い分けた。
キャラクターからキャラクターへ、周囲への負担の少ない役割を演じる事に必死になる。
そもそもが、旗頭に立つ事をしてこなかった。
だからこそ、負担が大きい。
マーガレットが暇を見つけてお茶を全員分作り始める。
テレサもそれを手伝い、ゾルとトウカは武器を蛍光しながら雑談をし始める。
マスクウェルは以前渡された腕に装着するデバイスを弄り始める。
周囲を見て、ヤクモは自分に出来る事を探す。
それは場を見て、出来ている空白を埋めるように。
皆が休んでいるからこそ、自分が警戒しなければという様子で。
ただし、その動きは警戒者というよりも、窓を開けて暖炉の熱気から逃れようとするかのように。
「はい、皆様。お疲れ様でした。あと少しです、これでお身体を温めてください」
「オ、ありがてえ。……クァーッ!!! ウメェ!」
「マーちゃんのお茶、本当に美味しいね~。今度教えて?」
「はい」
和気藹々としたやり取り、危機感から足を抜き出したような感覚。
平和や日常へと回帰しつつある現状に、ヤクモは不安を感じる。
それは不幸が当たり前で、報われないのも恵まれないのも当たり前で、艱難辛苦こそが人生だと思っている男の勘だった。
何も起きない、停滞、変化の無い時こそが”至上”と認識しているからこそ、泥沼から抜け出るという事を信じられなかった。
それは、ミラノに召喚された時からもそうであった。
学園に到着して助かったと思ってからの橋ごと吹き飛ばされた時。
休みだと思って安心していたら、マリーと英霊殺しとの戦いに巻き込まれた時。
親善大使の真似事で緊張しつつもチヤホヤされたり、主人と下僕という役割から脱した事からの解放感を味わっている中での国を巻き添えにした洗脳事件。
ユニオン共和国を痛めつけて何とかなったと思いながらも、ミラノが浚われた時。
傭兵としてのスタートを切って、少しばかり順調なスタートを切ったと思った矢先でトウカを守れなかった時。
順調だと思えたからこそ、余計に疑る。
エカシが中々戻ってこないのも、彼の警戒を強める理由となった。
「ご主人様」
「ん? どうした?」
「先ほどからウロウロと室内を歩かれてますが、何かありましたか?」
「あぁ、いや。身体の調子を少し確認してたんだ。関節や痛みとか、これからも歩けるかどうかをね。ワンちゃんに乗らなきゃいけなくなるし、その判断をしておきたかったから」
「なるほど。無理だけはなさらないようにお願いします。私も、この身体は一つしかありませんから」
「……あぁ、そうするよ」
ヤクモは椅子に腰掛ける。
それから、少しばかりマーガレットを助ける際にとっさに使った銃のことを思い出した。
ここ暫く触っていなかった銃が、咄嗟とはいえ良くも当てられたなと。
ストレージから出してみたが、いつもよりもその銃を彼は重く感じた。
整備をする気も起きず、直ぐにしまうとガチガチに封じた剣の鞘を大事そうに撫でた。
「失礼」
一人の獣人が部屋に入ってくる。
幾らか和気藹々とした皆を置き、ヤクモが対応する。
「エカシは?」
「話し合いはもう終わる頃かと。故に、一刻も早くと思い」
「そっか。それじゃあ、移動しようか」
「あ、はい」
全員を纏め、束の間の休息を終える。
ただ、ヤクモは──抱えていた不安を、漏らした。
「やっぱり、なにか上手く行き過ぎてる気がするんだよなあ」
「何か見落としがあると?」
「あるいは、安心できる材料を構築できてないんだ」
「もう国境にたどり着いて、後は越えるだけという段階でですか?」
「そもそも、エカシが同行してるんだから、話をつけてる間に俺達が越境した方が安全面では確実じゃないか? なんでわざわざ待機させて話がつくまで待たなきゃいけないんだ?」
「それは……」
嫌な沈黙が降りる。
ここに居る連中はマーガレットとマスクウェルを除けば全員が傭兵で、旅券や通行許可のようなものは必要とされない。
そもそもテレサという存在がその保障をしている形にもなるので、閉門ギリギリを狙ってやって来てもなんとでも都合つけられる。
「……まあ、考えすぎかもしれないけど」
「だと良いのですけどね」
そんな事を言いながら歩くのだが、先ほどと違う道を歩かされている事に気がつく。
ヤクモからしてみれば不安を煽る行動でしかなく、直ぐに問い質してしまう。
「あの、さっきと道が違くないですかね?」
「別道から反対側へと通す事で、見られる可能性を減らすと。それに、門は既に閉ざしましたので」
「……門を閉ざしても傍に小さな扉あった気がするんですがね」
「──……、」
「……──」
沈黙されてしまい、唾を飲む音が足音にまぎれた。
考えすぎであって欲しいと、そう思うヤクモを裏切るのはアッサリとしたものであった。
建物を出るかというときになって、ワンちゃんの低いうなり声が響く。
「……マーガレット?」
「沢山の、匂いがするそうです。人……それも、大勢」
「チィッ」
分かりやすい舌打ちと、咄嗟に近くに居たヤクモを掴もうとする案内役。
幾らかダボついた和服のような格好をしており、装備らしい装備は剣のみという格好から適切な判断だったかもしれない。
だが、その彼の傍に居たのがテレサだったのが間違いである。
ロケット頭突きのようにその低い身体を活かした突進は、容易く鳩尾にその固い頭をめり込ませる。
相手を押し倒したテレサは、即座に滑らかな動作で相手をうつ伏せに転がすと何かを呟きながら相手の首筋へと触れる。
二つ指で振れられた獣人はそのままコテンと眠りにつく。
それから、各々が備える。
何かしら、望ましくないことが起きているのだろうと悟って。
「道を引き返そう。あえて相手の望む方向に突っ込んでやる必要は無いしな」
「そのように。では、先陣を切らせて頂きます」
「頼んだ」
道を引き返し、自分達が入ってきた場所へと引き返していく。
誰が敵で、誰が味方なのかわからない中を突き進むのは、一行にとって難しい話だった。
全員が敵という事では無く、一部の獣人が敵対的でしかないので見かける端から全員をなぎ倒すわけにもいかないからだ。
走る中、心臓が何度も大きく鼓動し苦しみを覚えるヤクモ。
それが不安的中への焦燥感から来るものなのか、呼吸を乱れさせ足を縺れさせる毒の影響なのか。
それでも、左をテレサ、右をトウカに挟まれたままに彼女達の助けによって足を止めずに突き進むことが出来た。
だが、それが終わったのは建物を出た所でだった。
追っ手に後ろを追われ、踏み止まる訳にも行かない。
「先に行けヤ!」
「ワンちゃん、行けるよね?」
「ガウ!」
「──外に出よう」
二人の意志を踏み躙れるほどの状態じゃないことをかみ締め、ヤクモの指示で残りの人員は外へと飛び出す。
そこに居たのは、多くの獣人たちと囚われのエカシであった。
「エカ──」
「──……、」
テレサが飛び出そうとして、ヤクモはそれを遮った。
人数差が酷く、人質をとられている上に間合いも開けている。
その上左右が森林で挟まれている事で潜在的な脅威がどれほどあるのか分からず、自殺行為だと。
「さて、参ったな。結構本気だったんだな……」
「……どうするの? あの門くらいなら、簡単に壊せるけど」
「だとしても、そうなったら殿が必要になるだろ? けど、そうなると──」
「ダメよ。キミが踏み止まれば~ってのは、絶対ダメ」
「なら、地理情報も無い中での撤退戦なんて、はぐれたらおしまいだぞ。それに……フレアも焚けないし」
どうしよう。
どうしようどうしようどうしようどうしようと、ヤクモの頭の中では様々な”逃げ”を考え出す。
目の前の状況に対する逃避は、優先順位と価値に応じた順番によって導き出されていく。
非戦闘員に近いマーガレットとマスクウェルの安全が最優先とされ、ゾルやトウカ、テレサなどの戦闘可能な人物が次点になる。
最下層に自分を入れて、被害が一番少なく済みそうなのはと考える。
その結果、彼は自ら前に踏み出た。
「ちょ──」
「お~い、俺たちを付け回して何のつもりだ? 追い剥ぎか、それとも復讐? なんにしても、金なんて持って無いぞ~」
それは時間稼ぎでもあり、緊張感を少しでも和らげるためのものだった。
ただし、誰よりも前に出て、先に狙われやすいようにと立ちはだかる。
頭の中には皹の入った自衛隊の日常と、無愛想な軍人のイメージを。
声は雪と森林に吸い込まれて消えていく。
ただ、自分に意識が集中しただろう事を恐怖と怯えで認識しながらも、傍に居る皆へと伝える。
「──相手が突撃してきた場合、門を破ってツアル皇国に逃げる。テレサが門を破壊、俺がその無効に居る相手を魔法で何とかする。その後、交戦は最小限に、逸れた場合は首都をそれぞれ目指して行動」
「門の破壊ね、分かったわ」
「それと……敵の最優先目標が自分であったのなら、その手助けをするのは禁止。自分が門を越えられなかった場合、追撃が無い場合にのみ捜索と合流を許可する」
「それは──」
「悪いけど、女が多いんだ。またあの……酷い光景を繰り返したくない。それに、人間も多い事だし、肉奴隷になったらとか考えたら死んでも死に切れない」
ヤクモの脳裏に、二つ目のトラウマが刻み込まれていた。
女性にどう接してよいか分からないという揺らぎの上に、男が蹂躙する光景が上書きされてしまっている。
虐めや暴力などといったものは体験も経験もしていたが、それ以上のものに遭遇してしまい、未だに乗り越えられていない。
そして──それで皆が助かるのならばと、自分が死ねばその死にも意味が出来るだろうという全力のマイナス思考も働いていた。
テレサは何とかその言葉を覆そうとしたが、女性が数名居るという事実が彼女を押しとどめた。
ヤクモの言葉からどんなことが起きうるのか考えてしまい、それに自分だけでなく他の子をその憂き目にあわせられないと考える。
「……私は今、正論を吐いているキミが少し嫌いになったわ」
「指示を出す人なんて、憎まれ役しか出来ないしな。それに……皆の先頭に立って、皆の上に立ってるんだ。その尻拭いはプリドゥエンに任せる。もともと当て所無い傭兵の放浪旅だったんだ。ただ、マーガレットだけは……」
「ええ、国に帰す。約束する」
「それじゃあ、今の話を皆に」
テレサが下がり、警戒をしながら身構える皆に話をする。
ゾルとトウカが建物から出てきて合流し、その作戦を聞いて新たな行動指針を受け取る。
その時になって、ヤクモは自分の動悸が静まっているのを認識した。
衰弱し、弱体化したからこそ無理が出来ず、その結果として”仲間”と供に行動している。
自分が御旗になるとは願っても居なかったが、それでも僅かに自衛隊での日々を思い出して俯く。
「自棄になったか、ヤキが回ったか……」
ポツリと漏らした言葉は、誰にも聞かれずに消えていく。
ただ、ざわめきが獣人たちの中から大きくなり、総大将のご登場かな? とヤクモは認識した。
「貴様らァ、どこに行く!」
「勿論、ツアル皇国へ。傭兵としてこちらへと流れてきたが、人間であることが中々に居心地の悪い結果を生んでいる。生活も侭ならないのだから、侭なる方へと流れるのはそう不自然な事じゃないと思うが」
── ☆ ──
ゾルは、目の前でヤクモが己の父親と言い合っているのを聞いていた。
その言葉に含まれる侮蔑、格下に接するような態度、そして言いがかりにも近い言葉を全て耳にして。
「聞けば、なにやらこの男が不穏な事をたくらんでるようだナ?」
「さて、何の事か」
「前王の娘を担ごうとしたと、そう聞いていル。つまり、コレは国に対する反逆でアル! しかもその男の傍に人間が居る。これだから人間は信用なら無い。どこの国の者かは知らンが、国を滅茶苦茶にしてまた金儲けでもしようと企んでいるのだろう?」
「馬鹿馬鹿しい。たとえそれが事実だったとしても、ツアル皇国に逃げようとしていたのだから、その話を蹴ったとも言えるじゃないか」
目の前でのやり取りを聞いているうちに、ヤクモの伝えた作戦がジワリとゾルの中に浸透していった。
それは、つい先日まで闘技場で勝ちと価値を積み重ね、最後の最後には己に勝った男が皆の尻を護るという、犬死を連想させるようなものであった。
闘技場での勝敗には横槍を入れられ、さらにはそんな男を殺そうとしている。
そんな父親の所業に、ゾルは既にグツグツと煮えたぎっている。
そして、出立前にヤクモとした話を思い出す。
それは、この国で殺された愚王とされている二人の娘、トウカの居場所を取り戻せないかと言う話である。
ヤクモはエカシの話を蹴り、トウカを担ぎ上げて国を取り戻す戦いをするという話を先送りにしたと聞いた。
しかし、それは──トウカが居なければ出来ないのかと、ゾルは考えてしまった。
だが、ヤクモは当初困惑していた。
なぜなら、ゾルがそれに加担した場合、待っているのは親殺しをするしか無くなるからだ。
喩え殺さなかったとしても、正しさのために親を裏切ったと民衆には言われるだろうと、そう言って。
ゾルにとって父親は既に落ちた愚物ではあるが、だからと言って親としても落ちぶれた人物だったかと言われれば、そうではないと認識している。
ただ少しばかり人間に対して憎しみが勝り、ただ少しばかり人間との融和を唱える前王の事が気に入らず、ただ少しばかり誇りよりも己を優先しただけの──。
どこにでも居る、親に違いは無かったのだから。
今も人数で圧殺をしないのは、単に自分がこちらに居るからだろうとゾルは理解していた。
万が一自分に負傷でもさせたのなら、疑わしい人物を父親は殺すだろうということも想像して。
「ゾル! 息子よ! 何故そちらに居る! さあ、こっちに来イ!」
あぁ、来たなと。
ゾルは時間が無い事を理解した。
一歩、二歩と父親の方へと向かって歩いていく。
その途中でヤクモとすれ違いかけて、それから彼の顔を見る。
表情を見てから、ガシガシと頭を搔くと彼は大きくため息を吐く。
「トウカ、一緒に来てくれネェか?」
「出来ないよ」
「──頼ム」
ゾルはトウカに近寄り、その腕を掴む。
トウカは抵抗したが、少しするとその抵抗をやめる。
ゾルが吐き出した言葉が、彼女への抵抗を奪ったからだ。
二人で歩いていく最中、トウカは武器を「お願い」と言ってヤクモへと預けた。
鈍重な得物が、ドスリと先端から地面へと突き刺さる。
それを「……分かった」とヤクモは受け入れた。
嘲笑、侮蔑、愉悦の声が己の父親の笑みから周囲の獣人たちへと伝播していくのを見て、ゾルは心底不愉快であった。
だが、それ以上に──今は、己の事が許せなかった。
人間にもマシなヤツは居ると認識しながらも、それを父親と向き合って伝える事をしなかったと。
「なるほど、その女がソウか。……遠目に見た時は、人間にしか見えないナ。それほど人間に汚染されたカ」
「傭兵なら、どこにでも行くサ。なら、場所に応じて獣人である事が足を引っ張る事だってアンだロ」
トウカを逃げないようにと、拘束しているゾルは怒りを抑えながら声を発する。
だが、彼の父親は既に浮かれていて気がつかない。
森林には伏せた連中が既にヤクモたちを狙っている。
息子であるゾルが安全な場所にまで来てしまえば、後はどうでも良かったのだから。
「デ、どうするんダ? オヤジ」
「決まっているだろウ? 闘技場を汚し、混乱させ、さらにはお前を傷つけた人間を生かしておくワケがナイ」
「で、このオンナは?」
「連中の仲間なのだロウ? なら同じダ。気に入ったのなら好きにしても良いガ、お前にはもっと相応しい相手が居る」
ギリと、ゾルは歯をかみ締めた。
それは、こんな近くに居ても己が殺めた相手の一族の香りすら理解できない事に。
さらには、一度は戦奴にされた相手に、再び奴隷にでもしてしまえと言う発言。
ゾルは、その時点で親よりも己の固執した一人の女を優先する事にした。
ゾルの拳が父親の顔面にめり込み、肥え太った巨体を吹き飛ばす。
周囲の取り巻きを巻き添えにしながら倒れた父親は、朦朧としつつも呆然と、己の息子が憤怒の形相をしながらとった行動を信じられずに居た。
そして、その表情を見て、ゾルは決意が揺らぎそうになる。
親として愛していないわけではない、嫌いなわけではない。
だが、それでは奴隷を自ら生み出し、細々と縮小していく国を守れやしない。
いずれ国を継ぐのだと、その責任を理解していた。
だからこそ、最悪な事になろうともゾルは父親を切り捨てなければならなかった。
それ以前に、再びトウカを──テュカを。
幼馴染を、失う事を受け入れられなくて。
「ダイちゃん!」
「任せろ!」
トウカは、ゾルが耳打ちしたとおりに動く。
ゾルが父親を殴り飛ばし、虚をついてエカシを救出する。
数歩距離をとったトウカは、拘束され縛られているエカシを両手で持ち上げる。
「それじゃ~、いっくよ~!!!!」
「むぐ~っ!!!?」
「そ~、れ~!!!!」
トウカは、エカシを思い切り放り投げる。
放物線を描くように、幾らか真っ直ぐに飛ばされるエカシ。
「受け取れぇ!」
それとほぼ同時に、ヤクモはトウカの武器を放り投げる。
チートと肉体改造で変化した身体は、トウカの持つ重く大きな武器を軽々と放り投げる。
エカシと武器がギリギリですれ違い、お互いに持ち物を交換する。
「手前らァ、よく聞け!!! ここに居るオンナはナァ、前王の忘れ形見である正当な後継者のテュカだ! それと、俺のオヤジは……己の考えが相容れないからと、前王を私的に殺め、それを偽り、騙し、王の座を掠めた反逆者である事が分かっタ! オレは現王の息子とシテ、次にこの国を担う予定だったオトコとして、この事実を見逃す事は出来ネェ! だから、今!!! 前王の名誉を回復し、この国の未来を掴むために。力付くでもオヤジには退いて貰う!!!」
あぁ、ヤッチマッタナと、ゾルは後戻りできない事を冷えた内心で自覚した。
困惑、混乱、そして統率された意識が散っていくのを理解する。
それをみてからトウカの背中を叩くと、「行くゾ」と突っ込んでいった。
「もし手前ラに誇りが有るナラ、退け! そうじゃないのならオレが直々にぶっ殺してヤル!」
「──ゾルくん」
トウカの声が聞こえたが、それですら今ではゾルの背中を後押しする燃料にしかならない。
そんなゾルの背中に、さらに怒声が重なる。
「──前王の娘であるテュカに救われた恩義と、現王の息子であるゾルザルに良くして貰った恩がある。俺達は個人として、二人に加勢する!」
ヤクモは、場に乗っかる形で突破を図る。
ゾルとトウカを救出せねばならず、その二人を見捨てて逃れる事ができないからだ。
その声を聞いて、プリドゥエンは一声尋ねる。
「宜しいのですかな? これは、内乱に手を貸す事になりますが」
「ゾルに、やられたな。もうトウカが生存してる事は割れた。なら、殲滅するか、勝ち残るしかない……」
ヤクモの中では、ゾルがまさか親殺しめいた方向で話を進めるとは思って居なかったのだ。
喩えそうであったとしても、まさかトウカの身分をバラすとも思って居なかった。
つまり、ゾルの一存によって巻き込まれた形になる。
「あいつめ、何がトウカの代わりに国を取り戻すだ……」
幾らかの信頼の中につけられた僅かな傷。
だが、最早それを公開する暇もない。
開放されたエカシは、己の武器を抜くと関所に残された自分の息がかかっている連中を全て呼び出す。
「姫をお救いしろ! ご両親の後を追わせてはならん!!!」
こんなの、馬鹿げているとヤクモははき捨てた。
だが、既にプリドゥエンをはじめとした全員が戦闘体勢に入っている。
「みんな、出撃るぞ!!!」
マスクウェルを咥え、空中へと放り投げて己の背に乗せるワンちゃん。
そして、彼らは混乱が未だに収まらない集団の中へと突っ込んでいく。
しかし、これは自殺めいた戦いではなかった。
中には、今王へ愛想尽かしている獣人や、前王を知っている獣人が居たからだ。
裏切り、息子主導の反逆宣言、前王の娘の存命などと、集団としての立ち直りは難しいと判断された。
ゾルの父親は、側近に脇を抱えられながら、戦場から遠く連れ出されていく。
「待て! 息子が、まだ──。何故だ、何故なんだゾルザルぁーーーーー!!!!!」
父親の叫びが木霊する中、ゾルは歯軋りをした。
最早どうしようもないのだと、殴り飛ばした同胞を見ながら思う。
その最中、「よっ、と!!!」等と、場違いな掛け声を出しながら接近する人物が居る。
「よう、キョーダイ……」
「──今は話をしてる場合じゃないぞ。お前らが突出しすぎてるからな。退くにしても追撃するにしても都合が悪い」
「だとしても、この場に居る分は殴り飛ばさなキャならネェだろ」
「頭を冷やせ。喩え俺達が傍に居ても、この分厚い壁と混乱を抜けて親父さんに追いつくのは難しい。それよりも、程々に痛めつけて退却させたほうが良い」
「敵が減らネェだろ」
「今、自分らはここで全滅するつもりはないと言ってるんだ。この手勢のみで、最悪親父さんとその仲間の居る場所まで攻めあがるのか?」
鞘に収められたままの剣でヤクモは応戦する。
もともと攻めよりも反撃や防御、回避に気質的にも優れている彼には、自分が動くよりも相手に動いてもらう方が楽だった。
ゾルは呼吸を幾らか抑えながら、狭まった視野を回復させて周囲を見る。
帳が迫りかけ、これからは特定の獣人以外の視界が狭まる時間帯がやって来ている。
傍に居る男を含め、幾らか人間も居るので夜間戦闘は避けた方が良い。
それだけでなく、ヤクモが傍に居るからと気を抜いたが、それでも自分とトウカが若干孤立しかけているのを理解した。
「魔法ハ?」
「使っても良いけど、俺は落ちるぞ?」
「……なら、下がるしかないナ」
ゾルはそう決めると、目の前の相手の胸倉を掴むと、ヤクモの方へと大きく放り投げた。
垂直に飛ばされた獣人は敵を巻き込み、ヤクモの前に道を作り上げる。
「トウカを連れて来ル」
「分かった。それじゃあ、待ってるぞ」
そう行ってヤクモはスルリと道へと抜け出していく。
その途中で攻撃が飛び交うが、それらを何とか対処しながらエカシやプリドゥエンなどと言った仲間の場所へと戻る。
ゾルはそれを見てから、トウカへと近づく。
既に彼女は、半ば狂戦士状態になりかけていた。
「もっと、もっと! もっと!!!」
「トウカ、戻るゾ」
「ええ~? まだまだ暴れ足りないよ~……」
「だとしても、キョーダイたちが下がれネェんダ」
「む~……しょうがないなあ」
その言葉を吐いてから、彼女はゾルへと思い切り武器を振るう。
ゾルはそれを交わすようにして攻撃をすり抜け、彼女が晒す背後へと回りこむとそちらを庇う。
大きな得物が振るわれた先には、誰一人として立ってはいられない。
その質量と威力の前には防御も叶わない。
回避をするしかなく、哀れな一部の獣人たちは高く高く舞い上げられて木々へと突っ込んでいった。
「じゃ、戻ろう?」
「ダナ」
ゾルとトウカが戻ってきたのを確認してから、ヤクモは仲間を少しずつ下げる。
それは相手に暇を与えながら、混乱から平静さを幾らか取り戻させるためのものであった。
既に大将は戦場から連れ出されてしまっている。
その中に反逆を宣言したとはいえ息子が相手に居り、どうして良いかも分からないからだ。
手出しが出来ない上に、相手は距離を置いてくれている。
ならば、噛み付いてこないのであれば手を引けば良いと連中は判断する。
中には武器を捨てて手を上げて合流してくる者も居たが、半数以上の獣人は負傷者を回収するとその場を脱した。
「テュカ様、ご無事であらせられますか!」
「私は大丈夫だよ?」
返り血を幾らか浴びているエカシはトウカを案じて駆け出す。
彼の指揮下に有った獣人たちは、回収されなかった獣人やトウカを支持すると宣言して降参した獣人たちの対応をしている。
退散した相手を前に、ゾルは少しばかり落ち着く。
「……終わったカ」
「まさか。これが始まりだ。全滅するか、倒すかまで続く」
ヤクモは、既に去った敵対者達の方角を見る。
それまでは空白とも、旅路とも言えた道や地形が彼の頭の中では地図から戦略図や作戦図へと書き換えられている最中であった。
「ゾル、この際はっきりさせておく」
「ナンダ」
「俺は前に告げた見返りを再度要求する。ただし、それはコレを終えた後で履行してもらいたい。それを、報酬として貰い受ける」
「それ、だけで良いのか?」
「ふざけるな。獣人同士の争いに、人間が関わってる時点でお前らは既に大損こいてるんだぞ。お前らの戦争を手伝いはしても、それが個人間のものであると認識させないと……人間の力を借りて変革が達成したと、記されちゃいけない」
トウカを見捨てられない、けれども獣人の国に人間の影を落としてはいけない。
たとえゾルの手によって交代が発生しても、それが人間の助力を得てと言われてしまえば、国内からも国外からも良い影響を齎さない。
自分が、自分達がどこに居れば良いのかを彼は考え込む。
「エカシさん、できるだけ早く町に戻ろう。ここじゃ良い的だ」
「しかし、こう負傷者が多いと荷車も足りぬが」
「なら自分が診る。重傷者から優先して回復して、軽症者は自分の足で、あるいはお互いに面倒を見させながら歩かせる。それよりも、エカシさんは先に戻って防衛準備と声明発表の用意を」
「なるはど、あいわかった」
エカシが去り、それからヤクモは顔を深く覆った。
それからズリリと、目蓋や顔の肉皮などをズリながら手を下ろしていく。
名前ごと英雄を葬ったつもりで居た、傭兵として……ダイチとして新しい自分を始めるつもりで居た。
もう頑張らずに、もう守れないのなら前に出ずに、テキトーに生きようと思った。
だが、それは叶わなかった。
ボロボロの自衛官の自分と言う仮面を、英雄を再び持ち込まねばならない。
そんな状況を前に、彼は漏らす。
「まあ、何とかなるさ」
オタクとして、どこかのキャラクターを演じる事で。
別のアプローチで、周囲を守ろうと決めて。
国境を越えてしまえば大部隊を動員出来ないだろうと言う考えと、夜間になってしまうと人間メインのメンバーが夜目の利く獣人を相手にするのは難しいと考えたからである。
何度かプリドゥエンとヤクモで夜間でもどうにか出来ないかと話し合ったものの、その運用が二人に限られてしまうので最終手段として秘められた。
「ツアル皇国ってどんな場所なんですかね?」
「自身を省みれば分かりやすい国であろう」
「よく分からないですね」
「礼節や義を重んじる国ではあるが、気風はそこまで硬くは無い。昨日の貴殿と同じだ」
「あはは……」
マーガレットとヤクモは思い出してしまう。
必要が有ったからとはいえ、相手と真っ向に言い合って斬りかかられている。
「身分や地位、役職に応じた気質を持った御仁が多い。それと、仁義や礼を大事にする。湯や食事でそこまでする貴殿と同じように」
「ね~、何の話?」
「な、なんでもないよ。何でも無いって!」
周囲を警戒していたはずのトウカも暇をもてあましたのか、話を聞いていたようで混ざろうとする。
必要が有ったからとは言え、まるで”善意でそうした”かのように言われるのを当人に聞かれるのは恥ずかしいらしい。
恥も外聞も関係なしにトウカを話から遠ざけようとするヤクモをみて、別の意味で苦笑するマーガレット。
「しかし、宜しいのですかな? 少数とはいえ護衛までつけて、そのうえで送り出してくれるなどと」
「なあに、万が一の事があってはなりませぬでな。それに、そこな小僧が一緒だと話がややこしくなる」
「悪かったナ」
「まあ、暫くは機を見て力をつけまする。我輩も気が急いていた故、色々と見失っていた事があった」
エカシはトウカが生きていた事で気が動転してしまい、ヤクモが地図を挟んで小難しい話を長々としなければ文字通りの自殺行為に足を突っ込みかねなかったのだ。
準備もせずに急ごしらえでの発揮、方々に散っている人員の終結、物資の輸送、そもそもの作戦等々。
正当な後継者であるという主張以外に何も旗を持たない時点でダメなのである。
ヤクモは懇々と諭し、何とか「準備をして時期を見定める」ということで話を収めた。
勿論、その妥結の為に色々と案を出し、実行にも移させている。
自分の主張を通すために相手を曲げなければならないのだ。
勝ちすぎては良くないと、ヤクモも幾らか負けなければならなかった。
商人を喩えで持ち出したので、そこらは直ぐに話が進んだ。
「しかし、あのようなやり方に意味だろうか?」
「根回し、下準備は必要だからなあ。敵を寝返らせたり、中立や傍観を決め込んでる連中を見方に出来るだけでも意味がある。それに、世論や民衆の支持を主張に集めるってのは混乱を減らすと言う意味もあるし……なんにせよ、血の気の多い連中以外にも働きかけないと」
「ふむ、そういった事が必要だと言うのなら、そうしよう」
ヤクモは少しばかり懸念を覚える。
魔物とばかり戦っているツアル皇国も似たような思考をしているのかもしれないと。
でなければ、もう少しは”小ざかしさ”を学んでるはずだと考えたのだ。
「しっかし、運び込まれた時には死に体だったとは思えぬわ。もう己の足で歩けるとは」
「まあ、回復力には自身があるんで。それに、手当てをしてくれた仲間も居るし、ちょっと怪我したくらいで寝てられないし」
「アレをちょっとした怪我って言えちゃうアタリ、大分キてるよね」
マスクウェルにそんな事を言われ、ヤクモはデコピンを放つ。
彼女はそれを辛うじて回避すると、逃げるようにワンちゃんの上でマーガレットにしがみついた。
「暴力! 暴力反対!」
「あぁ、そっか。その頭脳がアホになったら困るよな……。悪かった」
「その謝罪は傷つくなあ!!!」
「それはともかく」
「ともかく!?」
「後どれくらいでつきそうですかね?」
「なに、もう直ぐだ」
左右を森林に挟まれた道を突き進んでいく。
ツアル皇国へと繋がる関所の内の一つで、主要な道ではないものの予備の交易路としても舗装されている。
所々舗装に使い掛けたであろう素材や道具などが転がっており、それがあまり進んでないのか、それとも整備の途中なのかはヤクモにも判別がつかなかった。
左右が森林で挟まれていること、それがヤクモの中では常に警鐘を響かせる。
見通しの立たない事、予測不可能な事、分からないという事が怖いのだ。
プリドゥエンも予備役ながらも、毎年の訓練から警戒をしてはいるがそれでも包囲されている事実は拭えなかった。
遠く、人間の想像よりもはるか遠くから見張られている。
空から、あるいは遠くの山間から。
事実として彼らは常に見張られていた。
獣としての能力は、道具を利用したものを超えており、二人の緊張を煽るには十分であった。
だから逆に、関所が見えたときには二人とも幾らか肩の荷が降りたように感じた。
「久々の門だナ。ツアル皇国は今どうなってるのやら」
「なに、冬の間は魔物の動きは大人しい。暫くは腰を落ち着けることも出来るだろうよ」
「だと良いがナ」
「……マーガレット、見張りは距離を詰めたりしてないよな?」
「どう? ……うん、有難う。ワンちゃんが言うには、大丈夫みたいです。ただ、風の向きが良くないから、あんまり信じないで欲しいそうです」
「そりゃ……良くないな。うん、良くない。プリドゥエン、空中警戒は?」
「熱源でも観測しておりますが、夜間ということもあるのであまり信じるのも良くないかと。今は冬季で、変温動物というのも居ります。体温で検知出来ない相手が地上から追って来る可能性も御座います」
「──そうか。それを忘れてたな。う~ん……」
幾らかワザとらしい悩み方。
しかし、それを気にするものは誰もいない。
「どうかしたのかしら?」
「……匂いも空中監視も逃れられると思ったら、急いだほうが良いかもしれない。そもそも、二日も休んでたんだ。良くない、嫌な気がする」
「キミの言う”嫌な気がする”って、予感というより確信めいたものじゃないかしら」
「口にしてるって事は、たぶん……言葉に出来ない何かしらの要素が有るんだと思う。エカシさん、すこし歩調を速めても大丈夫かな」
「あぁ、そうしよう」
警戒重視の鈍行から、速度重視の歩調へと切り替える。
風向きの都合上どうしてもワンちゃんを後方に立たせる事に意味が無いと判断し、パーティーの中で防御力と致命回避能力の高いプリドゥエンを最後尾に配置する。
陣形や役割をヤクモは適宜指示し直し、少しでも安全面と最悪の場合でもメンバーが致命的な状況にならないように能力や素養を苦慮しつつ配置していく。
しかし、幸いな事にヤクモの動悸を催すような懸念は起きなかった。
関が見え、エカシが手続きを始めるまでは。
エカシの話が長引きそうになり、他の兵士らしき獣人が「話をしている間、待機室にてお待ちくだされ」と案内される。
その中でも、ヤクモは警戒の気を抜けなかった。
「やっと一息吐けますね」
「──……、」
「ヤ……ダイチ様?」
「え? あ、うん。早く何の気負いも無しに寝たいなあ。ここ最近、酒も抜いてるし。深酒をして、思い切り眠りたいなと。美味しいものを沢山食べて、ぐっすり寝て……」
「暫く療養して、体調を万全なものとしましょう。疲弊、毒、失血……懸念材料は色々と御座いますから」
「そういうのも忘れて、美味しいものがまず食べたいかなあ。美味しい酒、美味しい食事、ちゃんとした睡眠に勝る休息は無し! そっ……」
「そ?」
「そうしたら、やっと一息吐けるかなと」
ヤクモは、なんとか仮面を使い分けた。
キャラクターからキャラクターへ、周囲への負担の少ない役割を演じる事に必死になる。
そもそもが、旗頭に立つ事をしてこなかった。
だからこそ、負担が大きい。
マーガレットが暇を見つけてお茶を全員分作り始める。
テレサもそれを手伝い、ゾルとトウカは武器を蛍光しながら雑談をし始める。
マスクウェルは以前渡された腕に装着するデバイスを弄り始める。
周囲を見て、ヤクモは自分に出来る事を探す。
それは場を見て、出来ている空白を埋めるように。
皆が休んでいるからこそ、自分が警戒しなければという様子で。
ただし、その動きは警戒者というよりも、窓を開けて暖炉の熱気から逃れようとするかのように。
「はい、皆様。お疲れ様でした。あと少しです、これでお身体を温めてください」
「オ、ありがてえ。……クァーッ!!! ウメェ!」
「マーちゃんのお茶、本当に美味しいね~。今度教えて?」
「はい」
和気藹々としたやり取り、危機感から足を抜き出したような感覚。
平和や日常へと回帰しつつある現状に、ヤクモは不安を感じる。
それは不幸が当たり前で、報われないのも恵まれないのも当たり前で、艱難辛苦こそが人生だと思っている男の勘だった。
何も起きない、停滞、変化の無い時こそが”至上”と認識しているからこそ、泥沼から抜け出るという事を信じられなかった。
それは、ミラノに召喚された時からもそうであった。
学園に到着して助かったと思ってからの橋ごと吹き飛ばされた時。
休みだと思って安心していたら、マリーと英霊殺しとの戦いに巻き込まれた時。
親善大使の真似事で緊張しつつもチヤホヤされたり、主人と下僕という役割から脱した事からの解放感を味わっている中での国を巻き添えにした洗脳事件。
ユニオン共和国を痛めつけて何とかなったと思いながらも、ミラノが浚われた時。
傭兵としてのスタートを切って、少しばかり順調なスタートを切ったと思った矢先でトウカを守れなかった時。
順調だと思えたからこそ、余計に疑る。
エカシが中々戻ってこないのも、彼の警戒を強める理由となった。
「ご主人様」
「ん? どうした?」
「先ほどからウロウロと室内を歩かれてますが、何かありましたか?」
「あぁ、いや。身体の調子を少し確認してたんだ。関節や痛みとか、これからも歩けるかどうかをね。ワンちゃんに乗らなきゃいけなくなるし、その判断をしておきたかったから」
「なるほど。無理だけはなさらないようにお願いします。私も、この身体は一つしかありませんから」
「……あぁ、そうするよ」
ヤクモは椅子に腰掛ける。
それから、少しばかりマーガレットを助ける際にとっさに使った銃のことを思い出した。
ここ暫く触っていなかった銃が、咄嗟とはいえ良くも当てられたなと。
ストレージから出してみたが、いつもよりもその銃を彼は重く感じた。
整備をする気も起きず、直ぐにしまうとガチガチに封じた剣の鞘を大事そうに撫でた。
「失礼」
一人の獣人が部屋に入ってくる。
幾らか和気藹々とした皆を置き、ヤクモが対応する。
「エカシは?」
「話し合いはもう終わる頃かと。故に、一刻も早くと思い」
「そっか。それじゃあ、移動しようか」
「あ、はい」
全員を纏め、束の間の休息を終える。
ただ、ヤクモは──抱えていた不安を、漏らした。
「やっぱり、なにか上手く行き過ぎてる気がするんだよなあ」
「何か見落としがあると?」
「あるいは、安心できる材料を構築できてないんだ」
「もう国境にたどり着いて、後は越えるだけという段階でですか?」
「そもそも、エカシが同行してるんだから、話をつけてる間に俺達が越境した方が安全面では確実じゃないか? なんでわざわざ待機させて話がつくまで待たなきゃいけないんだ?」
「それは……」
嫌な沈黙が降りる。
ここに居る連中はマーガレットとマスクウェルを除けば全員が傭兵で、旅券や通行許可のようなものは必要とされない。
そもそもテレサという存在がその保障をしている形にもなるので、閉門ギリギリを狙ってやって来てもなんとでも都合つけられる。
「……まあ、考えすぎかもしれないけど」
「だと良いのですけどね」
そんな事を言いながら歩くのだが、先ほどと違う道を歩かされている事に気がつく。
ヤクモからしてみれば不安を煽る行動でしかなく、直ぐに問い質してしまう。
「あの、さっきと道が違くないですかね?」
「別道から反対側へと通す事で、見られる可能性を減らすと。それに、門は既に閉ざしましたので」
「……門を閉ざしても傍に小さな扉あった気がするんですがね」
「──……、」
「……──」
沈黙されてしまい、唾を飲む音が足音にまぎれた。
考えすぎであって欲しいと、そう思うヤクモを裏切るのはアッサリとしたものであった。
建物を出るかというときになって、ワンちゃんの低いうなり声が響く。
「……マーガレット?」
「沢山の、匂いがするそうです。人……それも、大勢」
「チィッ」
分かりやすい舌打ちと、咄嗟に近くに居たヤクモを掴もうとする案内役。
幾らかダボついた和服のような格好をしており、装備らしい装備は剣のみという格好から適切な判断だったかもしれない。
だが、その彼の傍に居たのがテレサだったのが間違いである。
ロケット頭突きのようにその低い身体を活かした突進は、容易く鳩尾にその固い頭をめり込ませる。
相手を押し倒したテレサは、即座に滑らかな動作で相手をうつ伏せに転がすと何かを呟きながら相手の首筋へと触れる。
二つ指で振れられた獣人はそのままコテンと眠りにつく。
それから、各々が備える。
何かしら、望ましくないことが起きているのだろうと悟って。
「道を引き返そう。あえて相手の望む方向に突っ込んでやる必要は無いしな」
「そのように。では、先陣を切らせて頂きます」
「頼んだ」
道を引き返し、自分達が入ってきた場所へと引き返していく。
誰が敵で、誰が味方なのかわからない中を突き進むのは、一行にとって難しい話だった。
全員が敵という事では無く、一部の獣人が敵対的でしかないので見かける端から全員をなぎ倒すわけにもいかないからだ。
走る中、心臓が何度も大きく鼓動し苦しみを覚えるヤクモ。
それが不安的中への焦燥感から来るものなのか、呼吸を乱れさせ足を縺れさせる毒の影響なのか。
それでも、左をテレサ、右をトウカに挟まれたままに彼女達の助けによって足を止めずに突き進むことが出来た。
だが、それが終わったのは建物を出た所でだった。
追っ手に後ろを追われ、踏み止まる訳にも行かない。
「先に行けヤ!」
「ワンちゃん、行けるよね?」
「ガウ!」
「──外に出よう」
二人の意志を踏み躙れるほどの状態じゃないことをかみ締め、ヤクモの指示で残りの人員は外へと飛び出す。
そこに居たのは、多くの獣人たちと囚われのエカシであった。
「エカ──」
「──……、」
テレサが飛び出そうとして、ヤクモはそれを遮った。
人数差が酷く、人質をとられている上に間合いも開けている。
その上左右が森林で挟まれている事で潜在的な脅威がどれほどあるのか分からず、自殺行為だと。
「さて、参ったな。結構本気だったんだな……」
「……どうするの? あの門くらいなら、簡単に壊せるけど」
「だとしても、そうなったら殿が必要になるだろ? けど、そうなると──」
「ダメよ。キミが踏み止まれば~ってのは、絶対ダメ」
「なら、地理情報も無い中での撤退戦なんて、はぐれたらおしまいだぞ。それに……フレアも焚けないし」
どうしよう。
どうしようどうしようどうしようどうしようと、ヤクモの頭の中では様々な”逃げ”を考え出す。
目の前の状況に対する逃避は、優先順位と価値に応じた順番によって導き出されていく。
非戦闘員に近いマーガレットとマスクウェルの安全が最優先とされ、ゾルやトウカ、テレサなどの戦闘可能な人物が次点になる。
最下層に自分を入れて、被害が一番少なく済みそうなのはと考える。
その結果、彼は自ら前に踏み出た。
「ちょ──」
「お~い、俺たちを付け回して何のつもりだ? 追い剥ぎか、それとも復讐? なんにしても、金なんて持って無いぞ~」
それは時間稼ぎでもあり、緊張感を少しでも和らげるためのものだった。
ただし、誰よりも前に出て、先に狙われやすいようにと立ちはだかる。
頭の中には皹の入った自衛隊の日常と、無愛想な軍人のイメージを。
声は雪と森林に吸い込まれて消えていく。
ただ、自分に意識が集中しただろう事を恐怖と怯えで認識しながらも、傍に居る皆へと伝える。
「──相手が突撃してきた場合、門を破ってツアル皇国に逃げる。テレサが門を破壊、俺がその無効に居る相手を魔法で何とかする。その後、交戦は最小限に、逸れた場合は首都をそれぞれ目指して行動」
「門の破壊ね、分かったわ」
「それと……敵の最優先目標が自分であったのなら、その手助けをするのは禁止。自分が門を越えられなかった場合、追撃が無い場合にのみ捜索と合流を許可する」
「それは──」
「悪いけど、女が多いんだ。またあの……酷い光景を繰り返したくない。それに、人間も多い事だし、肉奴隷になったらとか考えたら死んでも死に切れない」
ヤクモの脳裏に、二つ目のトラウマが刻み込まれていた。
女性にどう接してよいか分からないという揺らぎの上に、男が蹂躙する光景が上書きされてしまっている。
虐めや暴力などといったものは体験も経験もしていたが、それ以上のものに遭遇してしまい、未だに乗り越えられていない。
そして──それで皆が助かるのならばと、自分が死ねばその死にも意味が出来るだろうという全力のマイナス思考も働いていた。
テレサは何とかその言葉を覆そうとしたが、女性が数名居るという事実が彼女を押しとどめた。
ヤクモの言葉からどんなことが起きうるのか考えてしまい、それに自分だけでなく他の子をその憂き目にあわせられないと考える。
「……私は今、正論を吐いているキミが少し嫌いになったわ」
「指示を出す人なんて、憎まれ役しか出来ないしな。それに……皆の先頭に立って、皆の上に立ってるんだ。その尻拭いはプリドゥエンに任せる。もともと当て所無い傭兵の放浪旅だったんだ。ただ、マーガレットだけは……」
「ええ、国に帰す。約束する」
「それじゃあ、今の話を皆に」
テレサが下がり、警戒をしながら身構える皆に話をする。
ゾルとトウカが建物から出てきて合流し、その作戦を聞いて新たな行動指針を受け取る。
その時になって、ヤクモは自分の動悸が静まっているのを認識した。
衰弱し、弱体化したからこそ無理が出来ず、その結果として”仲間”と供に行動している。
自分が御旗になるとは願っても居なかったが、それでも僅かに自衛隊での日々を思い出して俯く。
「自棄になったか、ヤキが回ったか……」
ポツリと漏らした言葉は、誰にも聞かれずに消えていく。
ただ、ざわめきが獣人たちの中から大きくなり、総大将のご登場かな? とヤクモは認識した。
「貴様らァ、どこに行く!」
「勿論、ツアル皇国へ。傭兵としてこちらへと流れてきたが、人間であることが中々に居心地の悪い結果を生んでいる。生活も侭ならないのだから、侭なる方へと流れるのはそう不自然な事じゃないと思うが」
── ☆ ──
ゾルは、目の前でヤクモが己の父親と言い合っているのを聞いていた。
その言葉に含まれる侮蔑、格下に接するような態度、そして言いがかりにも近い言葉を全て耳にして。
「聞けば、なにやらこの男が不穏な事をたくらんでるようだナ?」
「さて、何の事か」
「前王の娘を担ごうとしたと、そう聞いていル。つまり、コレは国に対する反逆でアル! しかもその男の傍に人間が居る。これだから人間は信用なら無い。どこの国の者かは知らンが、国を滅茶苦茶にしてまた金儲けでもしようと企んでいるのだろう?」
「馬鹿馬鹿しい。たとえそれが事実だったとしても、ツアル皇国に逃げようとしていたのだから、その話を蹴ったとも言えるじゃないか」
目の前でのやり取りを聞いているうちに、ヤクモの伝えた作戦がジワリとゾルの中に浸透していった。
それは、つい先日まで闘技場で勝ちと価値を積み重ね、最後の最後には己に勝った男が皆の尻を護るという、犬死を連想させるようなものであった。
闘技場での勝敗には横槍を入れられ、さらにはそんな男を殺そうとしている。
そんな父親の所業に、ゾルは既にグツグツと煮えたぎっている。
そして、出立前にヤクモとした話を思い出す。
それは、この国で殺された愚王とされている二人の娘、トウカの居場所を取り戻せないかと言う話である。
ヤクモはエカシの話を蹴り、トウカを担ぎ上げて国を取り戻す戦いをするという話を先送りにしたと聞いた。
しかし、それは──トウカが居なければ出来ないのかと、ゾルは考えてしまった。
だが、ヤクモは当初困惑していた。
なぜなら、ゾルがそれに加担した場合、待っているのは親殺しをするしか無くなるからだ。
喩え殺さなかったとしても、正しさのために親を裏切ったと民衆には言われるだろうと、そう言って。
ゾルにとって父親は既に落ちた愚物ではあるが、だからと言って親としても落ちぶれた人物だったかと言われれば、そうではないと認識している。
ただ少しばかり人間に対して憎しみが勝り、ただ少しばかり人間との融和を唱える前王の事が気に入らず、ただ少しばかり誇りよりも己を優先しただけの──。
どこにでも居る、親に違いは無かったのだから。
今も人数で圧殺をしないのは、単に自分がこちらに居るからだろうとゾルは理解していた。
万が一自分に負傷でもさせたのなら、疑わしい人物を父親は殺すだろうということも想像して。
「ゾル! 息子よ! 何故そちらに居る! さあ、こっちに来イ!」
あぁ、来たなと。
ゾルは時間が無い事を理解した。
一歩、二歩と父親の方へと向かって歩いていく。
その途中でヤクモとすれ違いかけて、それから彼の顔を見る。
表情を見てから、ガシガシと頭を搔くと彼は大きくため息を吐く。
「トウカ、一緒に来てくれネェか?」
「出来ないよ」
「──頼ム」
ゾルはトウカに近寄り、その腕を掴む。
トウカは抵抗したが、少しするとその抵抗をやめる。
ゾルが吐き出した言葉が、彼女への抵抗を奪ったからだ。
二人で歩いていく最中、トウカは武器を「お願い」と言ってヤクモへと預けた。
鈍重な得物が、ドスリと先端から地面へと突き刺さる。
それを「……分かった」とヤクモは受け入れた。
嘲笑、侮蔑、愉悦の声が己の父親の笑みから周囲の獣人たちへと伝播していくのを見て、ゾルは心底不愉快であった。
だが、それ以上に──今は、己の事が許せなかった。
人間にもマシなヤツは居ると認識しながらも、それを父親と向き合って伝える事をしなかったと。
「なるほど、その女がソウか。……遠目に見た時は、人間にしか見えないナ。それほど人間に汚染されたカ」
「傭兵なら、どこにでも行くサ。なら、場所に応じて獣人である事が足を引っ張る事だってアンだロ」
トウカを逃げないようにと、拘束しているゾルは怒りを抑えながら声を発する。
だが、彼の父親は既に浮かれていて気がつかない。
森林には伏せた連中が既にヤクモたちを狙っている。
息子であるゾルが安全な場所にまで来てしまえば、後はどうでも良かったのだから。
「デ、どうするんダ? オヤジ」
「決まっているだろウ? 闘技場を汚し、混乱させ、さらにはお前を傷つけた人間を生かしておくワケがナイ」
「で、このオンナは?」
「連中の仲間なのだロウ? なら同じダ。気に入ったのなら好きにしても良いガ、お前にはもっと相応しい相手が居る」
ギリと、ゾルは歯をかみ締めた。
それは、こんな近くに居ても己が殺めた相手の一族の香りすら理解できない事に。
さらには、一度は戦奴にされた相手に、再び奴隷にでもしてしまえと言う発言。
ゾルは、その時点で親よりも己の固執した一人の女を優先する事にした。
ゾルの拳が父親の顔面にめり込み、肥え太った巨体を吹き飛ばす。
周囲の取り巻きを巻き添えにしながら倒れた父親は、朦朧としつつも呆然と、己の息子が憤怒の形相をしながらとった行動を信じられずに居た。
そして、その表情を見て、ゾルは決意が揺らぎそうになる。
親として愛していないわけではない、嫌いなわけではない。
だが、それでは奴隷を自ら生み出し、細々と縮小していく国を守れやしない。
いずれ国を継ぐのだと、その責任を理解していた。
だからこそ、最悪な事になろうともゾルは父親を切り捨てなければならなかった。
それ以前に、再びトウカを──テュカを。
幼馴染を、失う事を受け入れられなくて。
「ダイちゃん!」
「任せろ!」
トウカは、ゾルが耳打ちしたとおりに動く。
ゾルが父親を殴り飛ばし、虚をついてエカシを救出する。
数歩距離をとったトウカは、拘束され縛られているエカシを両手で持ち上げる。
「それじゃ~、いっくよ~!!!!」
「むぐ~っ!!!?」
「そ~、れ~!!!!」
トウカは、エカシを思い切り放り投げる。
放物線を描くように、幾らか真っ直ぐに飛ばされるエカシ。
「受け取れぇ!」
それとほぼ同時に、ヤクモはトウカの武器を放り投げる。
チートと肉体改造で変化した身体は、トウカの持つ重く大きな武器を軽々と放り投げる。
エカシと武器がギリギリですれ違い、お互いに持ち物を交換する。
「手前らァ、よく聞け!!! ここに居るオンナはナァ、前王の忘れ形見である正当な後継者のテュカだ! それと、俺のオヤジは……己の考えが相容れないからと、前王を私的に殺め、それを偽り、騙し、王の座を掠めた反逆者である事が分かっタ! オレは現王の息子とシテ、次にこの国を担う予定だったオトコとして、この事実を見逃す事は出来ネェ! だから、今!!! 前王の名誉を回復し、この国の未来を掴むために。力付くでもオヤジには退いて貰う!!!」
あぁ、ヤッチマッタナと、ゾルは後戻りできない事を冷えた内心で自覚した。
困惑、混乱、そして統率された意識が散っていくのを理解する。
それをみてからトウカの背中を叩くと、「行くゾ」と突っ込んでいった。
「もし手前ラに誇りが有るナラ、退け! そうじゃないのならオレが直々にぶっ殺してヤル!」
「──ゾルくん」
トウカの声が聞こえたが、それですら今ではゾルの背中を後押しする燃料にしかならない。
そんなゾルの背中に、さらに怒声が重なる。
「──前王の娘であるテュカに救われた恩義と、現王の息子であるゾルザルに良くして貰った恩がある。俺達は個人として、二人に加勢する!」
ヤクモは、場に乗っかる形で突破を図る。
ゾルとトウカを救出せねばならず、その二人を見捨てて逃れる事ができないからだ。
その声を聞いて、プリドゥエンは一声尋ねる。
「宜しいのですかな? これは、内乱に手を貸す事になりますが」
「ゾルに、やられたな。もうトウカが生存してる事は割れた。なら、殲滅するか、勝ち残るしかない……」
ヤクモの中では、ゾルがまさか親殺しめいた方向で話を進めるとは思って居なかったのだ。
喩えそうであったとしても、まさかトウカの身分をバラすとも思って居なかった。
つまり、ゾルの一存によって巻き込まれた形になる。
「あいつめ、何がトウカの代わりに国を取り戻すだ……」
幾らかの信頼の中につけられた僅かな傷。
だが、最早それを公開する暇もない。
開放されたエカシは、己の武器を抜くと関所に残された自分の息がかかっている連中を全て呼び出す。
「姫をお救いしろ! ご両親の後を追わせてはならん!!!」
こんなの、馬鹿げているとヤクモははき捨てた。
だが、既にプリドゥエンをはじめとした全員が戦闘体勢に入っている。
「みんな、出撃るぞ!!!」
マスクウェルを咥え、空中へと放り投げて己の背に乗せるワンちゃん。
そして、彼らは混乱が未だに収まらない集団の中へと突っ込んでいく。
しかし、これは自殺めいた戦いではなかった。
中には、今王へ愛想尽かしている獣人や、前王を知っている獣人が居たからだ。
裏切り、息子主導の反逆宣言、前王の娘の存命などと、集団としての立ち直りは難しいと判断された。
ゾルの父親は、側近に脇を抱えられながら、戦場から遠く連れ出されていく。
「待て! 息子が、まだ──。何故だ、何故なんだゾルザルぁーーーーー!!!!!」
父親の叫びが木霊する中、ゾルは歯軋りをした。
最早どうしようもないのだと、殴り飛ばした同胞を見ながら思う。
その最中、「よっ、と!!!」等と、場違いな掛け声を出しながら接近する人物が居る。
「よう、キョーダイ……」
「──今は話をしてる場合じゃないぞ。お前らが突出しすぎてるからな。退くにしても追撃するにしても都合が悪い」
「だとしても、この場に居る分は殴り飛ばさなキャならネェだろ」
「頭を冷やせ。喩え俺達が傍に居ても、この分厚い壁と混乱を抜けて親父さんに追いつくのは難しい。それよりも、程々に痛めつけて退却させたほうが良い」
「敵が減らネェだろ」
「今、自分らはここで全滅するつもりはないと言ってるんだ。この手勢のみで、最悪親父さんとその仲間の居る場所まで攻めあがるのか?」
鞘に収められたままの剣でヤクモは応戦する。
もともと攻めよりも反撃や防御、回避に気質的にも優れている彼には、自分が動くよりも相手に動いてもらう方が楽だった。
ゾルは呼吸を幾らか抑えながら、狭まった視野を回復させて周囲を見る。
帳が迫りかけ、これからは特定の獣人以外の視界が狭まる時間帯がやって来ている。
傍に居る男を含め、幾らか人間も居るので夜間戦闘は避けた方が良い。
それだけでなく、ヤクモが傍に居るからと気を抜いたが、それでも自分とトウカが若干孤立しかけているのを理解した。
「魔法ハ?」
「使っても良いけど、俺は落ちるぞ?」
「……なら、下がるしかないナ」
ゾルはそう決めると、目の前の相手の胸倉を掴むと、ヤクモの方へと大きく放り投げた。
垂直に飛ばされた獣人は敵を巻き込み、ヤクモの前に道を作り上げる。
「トウカを連れて来ル」
「分かった。それじゃあ、待ってるぞ」
そう行ってヤクモはスルリと道へと抜け出していく。
その途中で攻撃が飛び交うが、それらを何とか対処しながらエカシやプリドゥエンなどと言った仲間の場所へと戻る。
ゾルはそれを見てから、トウカへと近づく。
既に彼女は、半ば狂戦士状態になりかけていた。
「もっと、もっと! もっと!!!」
「トウカ、戻るゾ」
「ええ~? まだまだ暴れ足りないよ~……」
「だとしても、キョーダイたちが下がれネェんダ」
「む~……しょうがないなあ」
その言葉を吐いてから、彼女はゾルへと思い切り武器を振るう。
ゾルはそれを交わすようにして攻撃をすり抜け、彼女が晒す背後へと回りこむとそちらを庇う。
大きな得物が振るわれた先には、誰一人として立ってはいられない。
その質量と威力の前には防御も叶わない。
回避をするしかなく、哀れな一部の獣人たちは高く高く舞い上げられて木々へと突っ込んでいった。
「じゃ、戻ろう?」
「ダナ」
ゾルとトウカが戻ってきたのを確認してから、ヤクモは仲間を少しずつ下げる。
それは相手に暇を与えながら、混乱から平静さを幾らか取り戻させるためのものであった。
既に大将は戦場から連れ出されてしまっている。
その中に反逆を宣言したとはいえ息子が相手に居り、どうして良いかも分からないからだ。
手出しが出来ない上に、相手は距離を置いてくれている。
ならば、噛み付いてこないのであれば手を引けば良いと連中は判断する。
中には武器を捨てて手を上げて合流してくる者も居たが、半数以上の獣人は負傷者を回収するとその場を脱した。
「テュカ様、ご無事であらせられますか!」
「私は大丈夫だよ?」
返り血を幾らか浴びているエカシはトウカを案じて駆け出す。
彼の指揮下に有った獣人たちは、回収されなかった獣人やトウカを支持すると宣言して降参した獣人たちの対応をしている。
退散した相手を前に、ゾルは少しばかり落ち着く。
「……終わったカ」
「まさか。これが始まりだ。全滅するか、倒すかまで続く」
ヤクモは、既に去った敵対者達の方角を見る。
それまでは空白とも、旅路とも言えた道や地形が彼の頭の中では地図から戦略図や作戦図へと書き換えられている最中であった。
「ゾル、この際はっきりさせておく」
「ナンダ」
「俺は前に告げた見返りを再度要求する。ただし、それはコレを終えた後で履行してもらいたい。それを、報酬として貰い受ける」
「それ、だけで良いのか?」
「ふざけるな。獣人同士の争いに、人間が関わってる時点でお前らは既に大損こいてるんだぞ。お前らの戦争を手伝いはしても、それが個人間のものであると認識させないと……人間の力を借りて変革が達成したと、記されちゃいけない」
トウカを見捨てられない、けれども獣人の国に人間の影を落としてはいけない。
たとえゾルの手によって交代が発生しても、それが人間の助力を得てと言われてしまえば、国内からも国外からも良い影響を齎さない。
自分が、自分達がどこに居れば良いのかを彼は考え込む。
「エカシさん、できるだけ早く町に戻ろう。ここじゃ良い的だ」
「しかし、こう負傷者が多いと荷車も足りぬが」
「なら自分が診る。重傷者から優先して回復して、軽症者は自分の足で、あるいはお互いに面倒を見させながら歩かせる。それよりも、エカシさんは先に戻って防衛準備と声明発表の用意を」
「なるはど、あいわかった」
エカシが去り、それからヤクモは顔を深く覆った。
それからズリリと、目蓋や顔の肉皮などをズリながら手を下ろしていく。
名前ごと英雄を葬ったつもりで居た、傭兵として……ダイチとして新しい自分を始めるつもりで居た。
もう頑張らずに、もう守れないのなら前に出ずに、テキトーに生きようと思った。
だが、それは叶わなかった。
ボロボロの自衛官の自分と言う仮面を、英雄を再び持ち込まねばならない。
そんな状況を前に、彼は漏らす。
「まあ、何とかなるさ」
オタクとして、どこかのキャラクターを演じる事で。
別のアプローチで、周囲を守ろうと決めて。
応援ありがとうございます!
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