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10章 元自衛官、獣人の国でやり直す

百六十九話

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 翌日、朝食と手当てなどを受けたヤクモの所へエカシが改めてやってきた。
 その場には護衛のようにワンちゃんが居て、手当て担当のマーガレットも居る。

「……貴殿に、お頼み申す」
「ヤだよ」
「まだ何も──!」
「ゾルにも言ったんだけど、お前ら商売って知ってます? 相手が大事にしてるものほど同じものでも価値は高くなる。俺にとって、トウカは大事な仲間なんだ。それを売り渡せって、冗談じゃない」

 トウカは早朝に部屋へと戻っていった。
 ヤクモが気を利かせて早起きし、彼女を帰らせることで騒動を避けようとしたのだ。
 そして、エカシがなぜここに居るのかも既に読み取っている。
 本人がダメなら周囲の人物を。
 その中で繋がりが深いだろう相手を落とそうと、エカシはやってきたのだ。

「てかさ、なに? あんたは確かに忠義の士かもしれないけど、そのために彼女を犠牲にしてる時点で何もかもが間違ってる。ただ自分が居合わせることが出来なくて、全てが終わってしまったことを後悔して、それっぽい理由をくっつけて自分を慰めようとしてるんだ。もしトウカが受けたら、もう今のように気楽な人生は歩めない。国のために生き、国の為に行動し、国の為に誰かと結ばれ、国の為に死んでいく。自分の言動全てに値札をつけて、状況と場合に応じて変動する価格の中で高い金額でそれらを叩きつけ、安い時点で仕入れることを常に強いられるようになる。……そもそも、記憶が無くてほぼ別人で、ついぞこの間まで厨房で料理を配って、生徒が学業に勤しんでいる間に後輩や下を使って部屋を清掃したり整えたりしてたような子に、なに押し付けようとしてるんだ。頭沸いてるんじゃないのか?」
「──……、」

 エカシは、スラリと刀を抜く。
 精巧なもので、角度をつけることでその遠近感を誤魔化す。
 
「貴殿は、我輩の自己満足の為にそう言っていると、そういうのか?」
「少なくとも、お前のどこにトウカ自身を顧みる気持ちがあった? 良いか。トウカが選択したのなら、残るにしてもついてくるにしても、それを受け入れて色々考えなきゃいけない。それが皆が認めて、信頼してくれて、担がれてる俺の責任だ。けど、今のままじゃトウカが不幸にしかならない。そんなもの、たとえ国を取り返して万事上手くいったとしても、彼女が救われない。そんなの、受け入れられない」
「国は如何するのだ」
「神輿担がなきゃ取り返せないし、取り返すつもりが無いのなら、勝手にそのまま統治されてろ」

 ヤクモの言葉がエカシに刀を振るわせた。
 ドン! というすさまじい踏み込みで、ヤクモへと肉薄していく。
 ワンちゃんは立ちはだかろうとしたが、それをヤクモは片手で制した。
 そして──。

「ヌ、ゥ!?」
「なあ、下手な覚悟でお話してねえんだよこっちは。あんたにも譲れないものがあるように、俺にも譲れないものがある。国も、両親も、昔の彼女も知った事か。俺は……寒い秋空の中、空腹で震えてる中お湯や温かい食事を与えてもらった恩義もある。どれくらい返せてるか分からないけど、おやっさんが居ない今は……俺が、彼女を守らなきゃいけないんだよ!」

 切りかかったエカシの刀を、ヤクモは握り締めていた。
 滑った刃の分だけ手が切れ、血が溢れて刃を滴り落ちていく。
 人間が見切ったこと、片手で踏み込みや勢いすら止められた事、その上で傷つくと分かりながらも防いだこと。
 それら全てがエカシには信じられなかった。
 寝床から身体を起こしただけの、身動きが取れないはずなのにだ。

 ヤクモはエカシが止まったのを見てから、刃を手放す。
 そして間にワンちゃんが入り、うなり声を深く上げて目の前の男へとあげた。
 それは威嚇であり、最後通達のようなものである。
 次に何か敵対行動をすれば、もう立ち止まる理由はないと。

「あ、あぁ……ヤクモ様。そんな、また無茶をして──」
「──ごめん」

 そして、そんな行いをした男は、自身よりも弱いはずの一人の女の子に態度を崩して本気で謝っている。
 エカシは刀についた血を、懐に収めていた布で拭い、収めた。

「……どうしてもと申すか」
「てか、ゾルもそうだけど、急き過ぎだろ。記憶が回復しないわけでもないし、思い出した後でどう転ぶかなんて自分にも分からない。というか、ゾルとも話をしてみろよ。あいつ、オヤジさんと袂を分かってる上にトウカのことを大事にしてるわけだし、そういった話くらいしときなって。それでトウカがそうしていって言うのなら、それを送り出すし、なんなら手伝っても良い」
「手伝う?」
「仲間なんだ。送り出して心配するよりは一緒に居るほうがまだ心配もないし。それに……流浪一向だしなあ。というか、何があったのか説明位してくれよ。おたくにも正義があるのかもしれないけど、自分からしてみりゃ相手の都合を考えないという点ではゾルのオヤジとなんら変わらないわけだし」

 エカシは暫く唸る。
 身内の出来事を部外者に話して良いのか、そもそも同胞ではない相手に言って良いものかと。
 己の刀を止めたということを含めると、今は不調でも回復した時に助けになるだろうと考える。
 間に立っている白虎の存在もあり、それは”奪還戦”という想定を考えると大きな助けになるだろうと。
 
 そして、彼は諦めるように語りだすのだが、それをヤクモは気にかけた様子は無い。
 当たり前だ、この世界の人間は”かつての人類に対して従いやすい”という、作られた生き物なのだから。

 語られたのはツアル皇国への大規模な援軍を差し向けた時の話であった。
 ツアル皇国へと前代未聞な大規模な魔物による侵略が行われた時の事である。
 国許を離れている間に、分家で有るゾルの父親が造反をおこし両親を殺害。
 それを人間への融和ではなく同胞を売り渡していた事として反感をあおる事で成功にしてしまった。
 その話を聞いたときには既に遅く、ツアル皇国での争いが終わって引き返した時には当時はまだ精強であった彼の部隊が出迎え、抑え付けられてしまった。
 その後、彼らやその家族、付き従うものは追放に近い形で今の場所へと追いやられ、ツアル皇国への助勢という形で使い潰されていたのだという。
 
「なんでゾルのオヤジが両親を殺すんだ?」
「ユニオン国がまだ共和国ではなかった時代に片目と両親を殺められて降ります故。人間との融和、国のためとは言え”格下”とした相手から学ぶという事が認められなかったのでしょう。ツアル皇国と断絶しておりませぬのは、認めているからといったところでしょうな」

 ツアル皇国との相互自助の関係はどうやら長い関係らしいとヤクモは踏んだ。
 つまり、人間を憎む前に共に闘ったことがあり、人間であっても理解の有るツアル皇国だけは憎みきれなかったということだろうと。
 
 数秒だけヤクモは考え込んで、それから脳裏に一人の人物を思い描く。
 だが、その”パロディによる彼の行動の肯定”は、トウカを思い描くと直ぐに霧散した。

「しかし、残念でございまする」
「ん~?」
「ツアル皇国でも名を馳せし、ヤクモ殿の助力を得られませぬとは」
「ぶふふっ……。な、なに。どゆこと?」
「ツアル皇国の学徒らが帰省された際に大分噂しておりましてな。それに、そこな子女がヤクモと呼ばれていたので、思い出しましてな」
「や、その……えっと。そういうのは、忘れてもらえれば……」

 ヤクモは、苦々しくそう言うだけであった。
 他人から見れば輝かしい功績や目を見張るような活躍ばかりが喧伝され、その裏にあった物が無くなっているからだ。
 どんな思いでそうしたのか、なぜそうしたのか。
 彼個人の”願い”は、何一つ満たされなかった努力の残骸が、他人には凄い凄いと言われる。
 だからこそ、嫌がる。
 それから、徐々に意気消沈していった。

「ふむ、何故だ?」
「自分は、守りたい物も守れず、得たい物を得られなかったから。それに、喧伝される話ってのは尾ひれ背びれがつくもので、その半分も……何もしてないです」
「ふむ、そうか? まあ、そう言うのなら……」

 エカシは黙る。
 先ほどと打って変わり、学園を出て来た事などを踏まえて、あまりこの話題はしないほうが良いのだろうと察したからだ。
 深くため息を吐き、顔を覆う。

「……あまり、受け入れたくは無いのだが。記憶が無く、ご両親との事を覚えていないとなると、貴殿の言うとおり無理に押し通したところで意味は無いであろうな……」
「影武者だとか、そういう追及をされた場合に避けられないし、将来的に支持を失ったり、あるいは漬け込まれかねない事を考えれば……今は、時期尚早かと。ただ……」
「ただ?」
「──いや、なんでもないです。ただ、そういうのを無視して、相手を引き下げる事で勝ちにいく事はできるかもしれないですが──。エカシさん、ぶっちゃけた話トウカを担いだとして、希望的観測や楽観視を抜いて、勝算はあるんですか?」
「この町全てが味方で、あとは私兵を除けば……トウカ様が全てを覚えておられれば味方につけられる兵士や衛士連中くらいか。──少々待たれよ」

 エカシはそう言って一度退去する。
 退去したエカシが少しばかり遠のくのを待ってから、ヤクモは崩れ落ちるように寝床へと上半身を倒れさせた。

「ヤクモ様!?」
「あ~、いや……。ちょっと、その──」
「まさか、ご無理をされたのでは」
「そう、じゃないんだ。なんで、今までこんな事が出来たのか分からない位、キツいんだ」

 そういいながら、彼は胸を押さえる。
 それは別に毒や体調不良の類ではない。
 自衛官状態を演じられないのに、無理をしてその残骸で演じたが為の疲弊だ。

「気迫が、凄いなあ。話をしてるだけで手に汗ビッショリ」
「そんな方に喧嘩を売るなんて、無謀ですよ」
「それでも、言ったことは……嘘偽り無い気持ちなんだ。正しいとしても、間違いじゃないとしても……待ってるのは戦いじゃない、造反や内乱になる。その途中でも、その後でも……常に敵の一派や残党に狙われる羽目になる。嫌なんだ、ここで妥協なんかしたら……徹底しなきゃ、後で絶対後悔する」
「……ミラノ様との事、気にしてるんですね」
「気にしない、訳が無い。正しくあろうとしても、間違えないように気をつけても……伝えなきゃ、理解してもらえないんだ」

 その言葉に、手への手当てを終えたマーガレットがそのままヤクモの頭を撫でた。
 彼は、それをそのままに受け入れている。

「大丈夫ですよ。ミラノ様だって、いつかは分かってくれます。ずっと、頑張ってきたんですから」
「だと、いいけど」

 ヤクモはそのまま、暫く目蓋を閉ざす。
 その後、エカシが戻ってきてから勢力分布図や様々な要素、国内における町や村などを含めた要素を頭に叩き込む。
 それは決して”参戦”への意図は無い。
 ただ、トウカが共に居る限りは覚えておかねば足元を掬われかねないと、必死になって覚えようとする。
 そして、もし面倒ごとに巻き込まれた際を……”最悪な事態”を想定して。


 ── ☆ ──

「ふーっ……。分かった」
「分かってもらえたのなら、助かるかな」
「いや、貴殿が言葉を尽くしてくれなければ、過ちを犯す所であった。ただ、そうなると早い内に国を出られたほうが良い。この町にも最近ウチの住民ではない獣人が空から陸から近寄っている。囲まれれば、面倒な事になる」
「なら、深夜に出ていく方が良いですかね」
「……その方が良いだろうな。なにせ出入りが限られた町だ。監視するにしてもやりやすい」

 ヤクモの部屋から、そんなやり取りが聞こえてくる。
 扉を開けかけたトウカは、そっと扉を閉ざした。

「邪魔しちゃ悪いよね」

 真面目そうな話をしていて、その内容を彼女は理解できない。
 何故そんな事を大事に、深刻そうに話し合っていたのかが分からなかったからだ。
 ただ、エカシへと言葉を重ね上げ、先日の主張を撤回させたことだけは彼女にも伝わった。
 それは決して短い時間ではなく、一度様子を見に来ると言った時間を過ぎている。
 つまり、トウカとは入れ違いにテレサやゾルもその場を後にした所であった。
 
 彼女は、ならばどうしようかと考えた。
 使用人が存在するこの場所では部屋の清掃や整頓などは出来ないし、そもそもマーガレットにそのお鉢を奪われている。
 だからと言って多少眠くて幾らか疲労が残っていても、二度寝や惰眠を貪る気にはなっていなかった。
 ならば何ができるかというと、彼女は闘うことしかないと考えた。
 厨房や部屋の清掃に管理などといった”戦場”から離れてしまい、結果として彼女の獣人としての闘争心が彼女を修練場へと追いやった。
 
 等身大の、最早刃の部分すらない大きな棍棒を彼女は睨む。
 生半可な武器では彼女の膂力に追いつかずに壊れてしまい、かといって素手での戦いだと相手を一人にしか絞れない。
 そこで彼女が選んだのは大きな武器で幅広く敵を吹き飛ばす、という武器だった。
 それは、英霊ファムと同じようなスタイルである。

「よぉい、しょっと!!!」

 六十Kgを越す、ただひたすらに溶解した鉄をとりあえず鋳造しただけのそれは、人間には取り扱うことすらばかげている代物だった。
 しかし、トウカや獣人にかかれば片腕で持ち上げ、振るう程度はワケのないものである。
 重量物が質量を伴った風を撒き散らしながら振るわれる。
 それを見ている連中は、誰一人として近づかない。
 ただ、一人を除いては。

「ヨウ」
「あ、ゾルくん。おはよう?」
「あぁ、おはようダナ。朝から訓練カ?」
「うん。前に負けちゃったし、ヤ……ダイちゃんの役に立つなら、私にはこれしかないからね」
「学園ジャ、給仕してたんだってナ」
「あとは学生さんたちの生活してるお部屋を、授業中にお掃除したり。そういう人たちの面倒を見てたんだよ。あとは厨房のお掃除とかね~」
「──楽しかった、カ?」
「ん~、おやっさんが居たから楽しかったよ。それに、ダイちゃんが来てからはダイちゃんがよく来て、それからマーちゃんやミーちゃん、アーちゃんとか知り合いも少し増えて……。魔法使いの人のこととか、少しだけ分かって……。うん、楽しかった」
「そうカ」

 そのままゾルは、少しばかり沈黙する。
 何を言うべきか迷いながら、けれども昨夜の光景を思い出して。

「オレも、一緒に訓練して良いカ?」
「え、けどゾルくん──」
「等級とか関係ネェよ。それに、昔は……沢山なかされたケド、今はどれくらい差を埋められたのか気になってナ」

 そういうと、ゾルは背中に負っていた斬馬刀を下ろす。
 トウカの鉄の塊よりは軽いが、それでも人間にとっては馬鹿でかい重量物を。
 自重で庭の地面に突き刺さり、そのまま倒れないまで地面に深く先端が埋まる。
 その傍らで、ゾルは手を保護するための指だしグローブを手につける。

「それに、どれくらい差があるのか気になるしナ」
「うん、分かった」
 
 ゾルはそういって、トウカの訓練を間近で見る。
 そして自分との差が、見えない所で大きい事を理解する。
 ゾルは鍛えに鍛えて、筋肉という形で目に見える形で成果となっている。
 しかし、対するトウカは見た目にまるで反映されていない。
 どこにでもいる、それこそ人間の女の子のような柔らかさと丸みしかなく、外面には”強者”には見えない。
 
「テュ……トウカは、強い見たいだナ」
「あ~、じゃないかな。おやっさんと一緒に昔も傭兵やってたけど、色々教わったからね~」
「そのおやっさんとやらは、強いのカ?」
「ゾルくんと同じ五等級だったかなあ。あ、四等級に上がってくれ~って言われてた気がするけど、嫌がってたっけ」
「トウカは?」
「私も昔は五だったよ? おやっさんと一緒に仕事をするからさ~、それで勝手に上がってくんだよね~」

 トウカとしては「依頼受けてないんだけどな~」と言うものだろうが、上級者と一緒に困難な依頼をこなして”生きて戻ってくる”と言うだけでもおかしいのだ。
 それと供に、実は裏でおやっさんが報告だの何だのと世話を焼いていたのだが、彼女はそういうことが理解できていなかった。
 
「五、カ」
「うん。けど、昔の話だけどね~。連絡してなかったし、死んだと思われてたみたい」
「ハハ、抜けてるナ」
「いや~、そういうものだよ? というか、お仕事のほうが大変だったし……」

 トウカは、遠い昔の記憶を掘り返す。
 そこには見習いで、今よりも酷い失敗と失態を繰り返していた彼女が出てくる。
 皿を割る、料理をひっくり返す、厨房の火を落としてしまう。
 部屋の清掃や整理で破損や破壊をして余計に散らかすなどと、力の制御や理解が足りていなかった。
 
「……お金、返しそびれちゃったなあ」
「ア?」
「ううん、何でもないよ。それよりさ、ゾルくんって強いんだよね?」
「モチのロンよ。この国じゃオレサマ以上のヤツぁ居ないと──」
「じゃじゃ、手合わせしようよ」
「ナニ!?」
「素振りとかだけだとさ、やっぱり退屈なんだよね~。それに、ダイちゃんは沢山闘ったみたいだけど、私はず~っと……闘いがなかったからさ~。そろそろ暇、すぎるんだよね?」

 そう言ってトウカはゆっくりと、ゾルのほうを向く。
 その瞬間、ゾルは試合の前にヤクモに言われた言葉を思い出した。

 ── お前、バトルジャンキー≪戦闘狂い≫かよ ──

『いやいやいやいや。オマエさんのそばにもっとスゲーバトルジャンキーいますケド、キョーダイ!?』

 ゾルは内心であせりつつ、既に様々な毛が逆立っていた。
 大昔の上下関係が染み付いたまま、目の前の彼女に本能的に勝てないと悟ってしまっていたのだ。

「それじゃ、一発で負けないで……ねっ?」
「オイオイオイオイ、死ぬわオレぇ!?」

 ゾルは退屈していたはずだった、王子になったが為に本気で闘ってくれる相手には欠く有様だった。
 だからツアル皇国にしょっちゅう出かけ、自分の腕試しと成長の為に闘い続けたが──。
 最後の最後、おでこに柄による打撃を貰い地面に倒れ付してから「勝てるカ!」と喚いた。
 
「あれぇ~、おかしいな~。ゾルくん、もうちょっと強いと思ったんだけど」

 そしてトドメをさしていくトウカ。
 ゾルは身体を起こすと、「コレをミロ!」と腕を出す。
 そこでは未だに毛が逆立ち、恐怖を覚えていることを示していた。

「むむむ、昔の上下関係が染み付いちマッテるんだヨ!」
「上下関係?」
「トウカも、そうなんじゃネェの? 自分よりも上の相手には恐れ、従い、認める。獣人ッテのは、そういうもんだロ」
「ん~、よく分かんない。獣人としてそうだったとしてもさ、私としてそうかどうかってのは別じゃないかな?」

 若干消化不良気味なトウカではあったが、それでも短時間の間にゾルの繰り出した技や闘い方をその場で吟味する。
 それはまるで料理を食べて、味から味付けや調理法を逆算で導き出すのに近いやり方であった。
 
「というか、ゾルくん激弱だね」
「ひでぇナ!?」
「だって、力押ししかしないんだもん。ちょっと騙しとか入ってた気はするけど、下手だから力づくで潰せちゃうし」
「ぐ、ぬぬ……」
「それに、弱いんだったら弱いなりに頭使わなきゃダメだよ」

 そういってトウカはゾルの額にでこぴんをする。
 コツリと骨と骨がぶつかるような硬い音がし、それからゾルは少しばかり考える。
 
「──なるほど。ソレが足りないヤツってモンか」
「守りたい物が有る時とか、状況とかで闘い方って考えなきゃだよね? 私は……ちょ~っと、それを忘れてたからダイちゃんが自分のせいだ~って責めてるんだけど」
「……何があったのか、聞いても良いカ?」
「ん~? お仕事で頑張ってたら結構二人で早い内に等級が上がったんだよね。それを、ダイちゃんが人間だから何かズルしたんじゃないか~って、だったら脅せば美味しいとか言ってた気がする。それで一人が調子に乗ったらダイちゃんが怒って痛い目に合わせたら、お仕事の先で──色々有って、ダイちゃんが倒れてる間に襲ってきたんだよね。殺せ~って。で、プリちゃんと二人で頑張ったんだけど、負けちゃった」
「負けたのに、よく無事だったナ」
「目を覚まして、お薬でちょっと変だったダイちゃんがキレちゃって、それで助かった……の、かな? 私、その時あんまり目が醒めてなかったから」

 トウカのその言葉に、ゾルは口内でひっそりと歯軋りをした。
 自分の気に入った飼い犬が、自分のかつて守りたかった相手に手を出した。
 その事実と、人間だという事実に少しばかり目を曇らせ、杯を酌み交わした相手を殺された事で全てを見失っていた事に腹を立てたのだ。
 身内を殺されたと憤慨した裏では、自分が守りたかった相手を人間であるその男は守ろうとしていた。
 自分の弱さ、自分のバカさ、そして王子になっただけで何も変わらない事に苛立つ。
 そして、その先という意味で父親を想像する。
 胡坐をかき、停滞を選び、肥え太るだけで何もしない男。
 自分が、その男の息子であるということも。

「けど、ゾルくん凄いね」
「ア?」
「王子なのに、傭兵までやってるし。色々やったり見てきたんだよね? 凄いな~」
「凄かネェよ」
「ううん、私が凄いと思った事は凄い事なのです。それをゾルくんは否定できないよ?」
「ウ……。なんか、キョーダイみてぇなコトをいうのナ」
「あはは、ここ暫く一緒だったからね~。しょっちゅう言い負かされたし、言いくるめられたもん。少しくらいは頭が良くなるよ。なったかな? なったと思う」

 自問自答するトウカを前にして、ゾルは逆立つ毛を押さえ込もうとしながら恐怖と戦う。

「……もう一度、頼めるカ?」
「ん? い~よ」

 久しぶりに会った幼馴染を理解するために、少しでも認められるために。
 
 その後、ゾルは何度も何度もトウカと手合わせを繰り返す。
 しかし、実質力任せ速さ任せの真っ向勝負のゾルは、小手先の技や技術を幾らか学んでいるトウカには接戦は出来ても勝利が出来ない。
 十度手合わせをして、十の手法で打ち負かされるゾル。
 それでも、彼にとっては必要な時間であった。
 過去から、現在へと至る為の。


 ~ ☆ ~

 事態が常に大きくなり続けている。
 そんな事柄を前にして、自信だけじゃなく自身までもが揺さぶられているのを感じた。
 
「いつでも出立できるように用意して、荷物の大多数は俺がストレージに入れておく」
「それだと、皆が困りませんか?」
「荷物に積めるものは保存の利くものをメインに据えて、できるだけ機能性と有用性を下げずに荷重を下げたい」

 プリドゥエンにそういってから、携帯電話に文字を打ち込む。
 誰が信じられるか、あるいはどこまで安心できるか分からないからだ、と。

「それと、自分とプリドゥエンはフレアの運用を視野に入れる」
「逸れた時の為ですかな?」
「悪いけど、自分の事でも精一杯だから、固まるよりは散ったほうが安全な場合もある。それと、空いた荷物のスペースにはそれぞれ幾らか貨幣を入れておいて、個人での生存に必要な資金も用意しておく」
「……そこまで悪い状態を視野に入れますか」
「入れておきたいんだ」

 そう言ってから、胸がズキリと痛む。
 コレで大丈夫だろうか、これでも幾らか安全牌を振れているだろうか。
 違う、そうじゃない。
 皆が求めている”ヤクモ”という人物を演じるに足る事を出来ているだろうかと、心配になる。
 英雄という役割を、自衛官という役割を、頼れる人物を、多くの出来事を打開できる人物を。

「──……、」

 もし、全ての出来事で関わることを否定していたら、もっと上手くやっていけたのじゃないだろうか。
 勝手に張り切って自衛官らしさを出したり、知識をひけらかして魔法に関してダメだししたり。
 偉そうな顔をしてアルバートたちの教官をしたりせずに。
 本当に、ただの盆暗としてミラノに尻を蹴られるだけの毎日。
 英雄でもなく、自衛官でもない自分。
 何も背負わず、ただ自由で……。

「どうかしましたか?」
「あぁ、いや──」

 今更、そんなことを言い出しても仕方が無い。
 マリーを見殺しにして、そもそもミラノやアリア、アルバートやグリムを見捨てて。
 クラインをそのまま毒で死なせ、ヘラを洗脳されたままにして──。
 
「ちょっと、トイレに行って来るよ」
「肩をお貸ししましょうか?」
「いや、大丈夫」

 激しい行動は出来ないけれども、自力で色々出来るくらいには回復している。
 寝床を抜け出すと、一人でゆっくりとトイレへと向かう。
 ヴィスコンティから遠く離れたこちらでは、トイレの様式も大きく違う。
 良い身分だからか、手洗いの前に鏡まである。
 
 用を足して、手を洗う。
 そして鏡を見ると、そこに居る人物が認識できない。
 違う、認識したくないんだ。
 睨みつけるように鏡を見ると、そこには”自分”しかいない。

 あれ、おかしいな。
 今は……”ダイチ”を演じているはずなのに。
 陰気臭い、疲れた顔をした男しか見えない。
 生気を失い、誰からみても”頼れる人”には、到底見えない。

「……──」

 ……自衛官の顔は、出来ない。
 護る者を持たず、その相手に裏切られ、その上自分が護れないと言う裏切りを働いてしまった。
 そんな男が、国防に携わる立派な男の顔を出来るわけが無い。
 そうなると、今の自分に出来るのは様々な作品のキャラクターの要素を引っ張り出す、オタクの顔しかない。
 状況に合わせて、沢山の見知った作品を引用するという顔を。
 
 そうなりたかった、憧れたキャラクター達を……真似して。

「だよね、ジッサイ」

 そう言ってから、顔を叩く。
 すると意識しなくても自分の顔が見えるようになって、幾らか顔色が良くなったように見える。
 自衛官としてのポリシーを護らなくて良いのなら、沢山の仮面を付け替えることが出来る今の方が良い。
 
 自分を殺せ。自分を殺せ。自分を殺せ。自分を殺せ。自分を殺せ。自分を殺せ。自分を殺せ。
 他人が求めている役柄を、他人が求めている役割を、他人が必要としている人物を。
 演じろ。演じろ。演じろ。演じろ。演じろ。演じろ。演じろ。演じろ。

 パシャリと顔を一度洗って外に出る。
 すると、そこにはテレサが居る。
 
 ここで……、何を演じるか迷う。

「っと、テレジアか。奇遇だね」

 脳裏には、魔眼持ちの眼鏡キャラを少しばかり思い浮かべる。
 それから直ぐに、相手の反応をじっと見定める。
 反応に応じた、適したキャラを演じるために。

「……風呂上り?」
「ええ。さっきまでちょっとお外で牛さんと遊んでたの」
「は? なんで牛と?」
「ワンちゃんの運動ついでよ。イライラしてたみたいだし、マーちゃんだと一緒に遊んであげられないから。牛さんを追いかけて遊んでたの。そしたら雪と泥でグチョグチョになっちゃって」
「そりゃ……楽しかった?」
「勿論。こういうのは趣味じゃないんだけど、最近大変続きじゃない? だたら私もすこし気分転換がしたかったの」

 ──巻き込んだのは、俺のせいだ。
 俺が軽率な事をしていなければ。
 もっと……腕相撲とか、あるいは逆に恭しくへりくだって酒でも奢っていたらと、考えてしまう。
 そうしたら、彼女のお仕事は監視と報告だけですんだのに、今は護衛までする羽目になっている。

 しかし、今それを謝罪するのは”ヤクモ”ではなくなってしまう。
 謝罪したいのは”自分”でしかないから。

「程々にしろよ? 身体を冷やして風邪を引きました~ってのは結構洒落にならないからな」
「経験があるの?」
「冬の富士山、雪中行軍とか、冬の富士での市街地戦闘訓練。十一月の予備自訓練での富士」
「富士ばっかじゃない」
「基本、南米の気温が暖かい以外存在しない国暮らしだったもので」

 こんな会話で、大丈夫だろうか。
 馬鹿な話をする事で元気さをアピールして、バカっぽく振舞うことで事態を楽天的に見せる。
 何とかなる、大丈夫だと思わせなければいけない。
 こんな些細なやり取りでも、そういった下積みが必要なのだ。

「そういや、お風呂はどうだった? 出来ればここ暫く寝込んでたし、湯浴みすら出来なかったからさ」
「ヴィスコンティに比べたら質素だけど、薪で沸かすお風呂は初めてね」
「あぁ、そういうのか。じゃあ、熱々の湯船が楽しめるんだろうなあ」
「まだ万全じゃないんでしょ? 無理しないで、身体を綺麗にするだけにしておきなさいよ」
「くっそー! こう見えても風呂に入るときは出来るだけ身体を綺麗にして、温まれるのなら温まりたい派なんですよ?」
「そういうのは回復してから」

 こんな、ものかな。
 雑談もしたし、馬鹿も披露できた。
 その上で元気そうに振舞えたし、こういう時はツンツン頭の不幸学生の真似をするに限る。

「さて、あんまり歩き回るのも良くないし、部屋に戻るよ」
「ん、お大事にね」
「有難う。あぁ、そうだ。プリドゥエンから話がいくと思うけど、荷物の組み方と行動を聞いておいてよ」
「了解」

 色々考えているように見せかける事も、たぶん出来たはず。
 後は彼女が皆に「あの様子なら大丈夫そう」と触れ回ってくれれば良い。
 その相手が多ければ多いほど意味がある。
 顔色を伺うスキルを、デフォで鍛えてて良かった。
 『  』の兄じゃないけど、コールドリーディングとかいう能力が幾らか有って良かった。

「──……、」

 これで、テレサの中の”ヤクモ”という人物への期待は満たせたと思う。
 少し真面目で、少しバカで、色々考えてるようで、考えなしのような──。
 それでも、誰かを最優先にするという”キャラ”を。

「裏切るな……」

 ビシリと、目蓋を閉じればかつての罅割れた情景を思い出す。
 涙を零しながら、虐めを告白した日本に居た時の妹の事を。
 同性からやっかまれる妹に、何一つとして兄らしい事をしてやれなかった。
 ”兄”という存在への期待を、裏切ってしまったのだから。

 だから、裏切りたくない。
 それでも、なんで失敗したのだろうかと今でも思う。
 元自衛官としても、騎士の本分を果たそうとしただけなのに、ミラノに拒絶されたあの時を。
 なにか、足りなかったのかもしれない。
 英雄らしくなかったのか、あるいは……直前で妹に似たユリアを救ったのが足を引っ張ったのか。
 
 もっと頑張っていれば良かったのかも知れないと思うけれども、馬鹿な自分では答えが見つからない。
 
「あれ、ダイちゃん?」
「あれ、トウカ? 武器を……ゾル?」
「アー……」

 部屋に戻る途中、泥と幾ばくかの血に塗れたトウカとゾルと遭遇する。
 息を切らせているゾルと、幾らか呼気をあげながらも元気いっぱいなトウカ。
 どうやら手合わせしたのだろうと、状況証拠と二人の様子などから見出す。

「トウカは元気だなあ。少し分けて欲しいよ」
「ダイちゃんも身体を動かしたら元気になると思うよ? あれから、ずっと戦ってないし」
「あ~、今は毒が体に残ってるから勘弁……。というか、ゾルはもしかして──」
「言うナ、キョーダイ。今……色々な壁にぶち当たったバッカなんだヨ……」

 話題をそらす為とはいえ、ゾルに触れればそうやって話題が切れる事はなんとなく理解できていた。
 とはいえ、その為に疲弊と敗北に打ちひしがれている相手に触れるのは、気持ちの良い話ではない。
 今、何を言えば言いのだろうか……。

「あまり弾けないでくれると助かるな。いざという時、トウカを頼るかもしれないんだし。その時にヘロヘロだと困るし」
「じゃあ、お風呂に入って、沢山食べて休まないとだね」
「お、おう……」
「体の資本はよく動いて、よく食べて、よく寝る事だってオヤっさんも言ってたしね。……なんか、そんなことを言ってたら眠くなってきちゃったな、あふ……」
「と、とりあえず回復だけしておくから。ゾルも……お休み?」
「休んでられるかァ!!!!! 風呂、飯の後にも続けてやるサ!」
「お、おう。まあ、気張り過ぎないように、とだけ……」

 ……二人が去って行った事に、少しばかり安心している自分が居る。
 今は、他人の顔色ばかりが嫌に見えてくる。
 普段は……今までは、みて来なかったくせに。
 マリーとミラノの区別を、髪型と色でしかしなかったくせに。

 今となっては、メモ帳の中に書き写した皆のイラストだけが、二度と拝めない皆の顔になってしまった。
 部屋に戻り、再び軋む心臓を押さえる。

 お酒が飲みたい、そうじゃなければ誰か……。
 同期と、話がしたい。
 
 違う、そうじゃない。
 支払ってる労力に対して、見返りが無さ過ぎる。

 顔を擦り、憑き物を落とすように拭う。
 アルバートたちと知り合えて良かったとは思う、あの時間が当たり前のように……日常と化してくれれば良かった。
 それが一番の見返りだったのに、それが失われてしまった。
 
 安らげる時が来るのは、いつ?
 闘技場に出た努力すら、簡単に裏切られてしまった。
 もう、なにも叶わないんじゃ……。

「ふぅ──」

 ちがう、”ヤクモ”は──”英雄”はそんなことを考えたりしない。
 Heroes, need not question their action燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんやというじゃないか。
 まだだ、今はまだ”自分”に戻る時じゃない。
 ”ヤクモ”を、演じ続けなければ。
 その仮面を脱ぐのは、とりあえず今を脱してからだ。
 少なくとも”自分”じゃ無くなれば、自信も悩みも関係なくなる。

「さあ、演技≪ゲーム≫を続けよう」

 その一言で、オタクの仮面を深々と被りなおす。
 あとは状況に応じて、知っている作品を引っ張り出し続けるだけで良い。
 自衛官より情けなくて、見っとも無くても良い。
 目的さえ果たせるのなら、馬鹿げた演技をするのも悪くない。
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