夕顔は朝露に濡れて微笑む

毛蟹

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試し行為

「あぁ、来たんだ」
「はい」
 私は曖昧な返事をして、ダイニングの下座の席に座る。時計の時間は12時ちょうどだった。
 奏介は何か言いたげにフンと鼻で笑いながら、コップに入っていた水を全て飲み干す。
 飲みすぎではないだろうか。
「あの、何杯目ですか?」
 仕事のせいで気になってしまいつい、窘めるような口調になってしまう。初日にこれをして彼に本格的に嫌われてしまったが、止められずにはいられなかった。
 この状態を見ている。真人も香織もなぜ止めないのだろう。命に関わる事なのに。

 もしかして、それを狙っているのだろうか?

 そんな事を考えて私はすぐにやめた。なんて疑い深くなっているのだろう。

「ここに救助の船が来るのはいつだ?」
 それに答えることもせず、奏介は私に質問をしてくる。会話をするつもりなのだろうか。しかも、答えはわかりきっているものだ。
「また、嵐の影響で今日中には無理だそうです」
「ああ、そう」
 私の返事に奏介は自暴自棄気味にまたコップに水を注ぐ。なぜ、この人はわかってくれないのだろう。摂生しなければ島から出るよりも先に心不全で死ぬ可能性だってあるのに。
「ふん、どうせ透析ができない僕はここで死ぬんだ。」
「やめてください!」
 再びコップに口をつける奏介を思わず叱責してしまう。それからすぐに自分の対応の不味さに気が付く。
「なんだと?お前はいいな。健康で。僕は透析しないと生きていけないのに。好きなフルーツも食べられないんだぞ!」
 奏介は激昂して私に怒鳴りつけてくる。この手のタイプの人間は、怒らせるとさらに暴飲暴食に繋がる。
 とにかく水分を控えさせなくてはいけない。しかし、見たところ顔は分かりやすく浮腫んではいない。
 もしかしたら、ここ以外では水分を摂っていないのかもしれない。そんな事をぼんやりと考えてしまう。

「そ、奏介さん。やめてください。鳴海さんは関係ないじゃないですか」
 香織は奏介の勢いに怯えながらも、言葉につまりながら加勢するように私を庇う。
「なんで僕だけが、たくさんの我慢をしなくちゃいない」
「奏介くん。やめるんだ。恥ずかしくないのか?」
 真人は、苦々しい様子で奏介を止める。
「真人くんに僕の気持ちなんてわかりはしないよ。可愛い恋人がいて。健康で。腎臓が移植されない限り僕はずっと不幸だ」
「奏介くん。少し落ち着くんだ。君の態度は場の空気を乱す」
 それが、真人の本音なのだろう。奏介はそれを言われて少しだけ傷付いたように顔を歪めた。
 麗美が殺された直後とは違い真人は落ち着きを取り戻していた。
「正論ばかりやめろ」
 奏介は苦しげに胸元を押さえて、逃げ場を失い追い、詰められたネズミのように真人を睨み付ける。
 最初は私が彼らの共通の敵だったのに、今では空気を乱す奏介が排除される立場になっていて。嫌な気分だ。
「やめて。鳴海さんは貴女の事を心配して言っているのよ」
 香織が奏介を落ち着けさせようと声をかける。しかし、彼は目を見開き反射的に立ち上がる。
「もういい!部屋に戻る!」
 奏介は自分に分がないとわかったのか、ダイニングから出ていった。その後ろ姿はどこか悲しげだった。
「あ、奏介さん」
 私が引き留めようと立ち上がると、真人が立ち上り手を下げて座るよう。

「鳴海さん。気にしなくていいですよ」

 その声音は呆れ果てた物で、彼らは既に奏介の事を見放しているのがわかった。
 奏介がもしも、この島で死んだとしても『自業自得だ』と彼らは言い切りそうな気がした。
 私が最初からどことなく感じていた強い絆は脆くすでに崩れ去っているようだった。

だから誰も奏介を止めなかったのか。
 与一が奏介の腎臓移植のお金を出すことを嫌がったのは、きっとそれなのだろう。皆、奏介を見放している。
「でも、」
「彼は言っても聞きません。だから誰も意見しなかった。本人は見放される事に全く気が付いていない」
「そう……ですか」
 しかし、彼はもしかしたら、私達を試すためにあえて水分を摂っているのかもしれない。そんな気がした。
 あの、嫌な物言いも全て。不満や甘えから出ているのかもしれない。しかし、だからといって私は彼に寄り添える気がしなかった。

「すみませんでした。あんな身内の醜いやり取りをしてしまって」
 香織は申し訳なさそうに私に謝る。しかし、彼女は何一つ悪いことなどしていない。
「いえ」
「でも、実際にその通りなんですよ。私達は結婚したくて、祖父を説得していたの。だけど、死んでほしいなんて思っていません。麗美さんもそうです」
 香織は目に一杯の涙を溜めて、両手で顔を覆った。
「香織さん」
「っつ……。うっ。私、もっと麗美さんと話したかった。お祖父様と話したかった。こんな形でお別れなんて」
 そう、みんな同じだ。どれだけ分かり合えなくても。殺したいなんて思うことなんてない。きっと、みんなそうだ。

「お食事の用意が出来ました。どうなさいましたか?」
 朔也は食事をカートに入れて持ってくると、泣いていた香織を見て驚く。
「いえ、なんでもありません。ありがとう」

「あの、ひとつ提案があるんですけど」

 今ならいいだろう。きっとみんな聞いてくれる。

「奏介さんも後から声をかけますが、船が来るまではみんな一ヶ所に集まって寝起きをしませんか?」

 それは、お互いを監視する方法だ。少なくともこれで目の前で行動を起こすことは出来ないだろう。
 あの警察官が話していた通りにするのが一番無難だ。

「複数いれば安心だと思うんです。誰かに何かあったとしても」
「なるほど。だけど」
 真人は私の意見に賛同するように頷くが、含みのある言い方をする。
「だけど?」
「俺達は断るよ」
「え?」
 なぜ、彼はこれを断るのだろう。恐らく一番安全がこの方法だと思うのだが。私が信用できないのか?
「別に君を信用してないわけじゃない。ただ、これ以上痛くない腹を探られたくないんだ」
「……」
 確かにその通りなのかもしれない。お互いに知られたくない事を、苛立ち混じりに暴露しあう可能性は高い。
 特にヘソを曲げた奏介はそれを嬉々としてやりそうだ。
「俺は香織と一緒に居るよ。彼女なら信用できるし、出来れば二人でいたい」
 真人は決意に満ちた表情を私に向ける。何か思うところがあるのかもしれない。それ以上は言えなかった。
「はい。わかりました」
「奏介くんと朔也と三人で過ごしてくれ。君はどうする?」
 真人は微笑を浮かべ、ダイニングのドアをちょうど開けた朔也に声をかけた。いつの間に彼はそこにいたのだろうか。
「僕は構いません。あの、奏介様が怒りながら出ていきましたが何かありましたか?」
 朔也は予想通り私の意見に賛同してくれた。そこから話を聞いていたのか、入るに入れなかったようだ。
 あとは、奏介に声をかけなくてはいけない。
「私、後から奏介さんに声をかけてきますね」
「無駄になるかもしれないけど頑張って」
 真人は困ったように微笑む。
「はい」
「朔也は後から、香織の部屋に何か食べられるものを持ってきてくれ。助けが来るまではそこから出るつもりはない。あと、パンは持ってこなくていい」
 なぜ、パンは必要ないのだろう?真人の言葉は私の胸に引っ掛る。
「承知しました」
 朔也は特に驚いた様子もなく返事をした。
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