恋の始め方がわからない

毛蟹葵葉

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終わりの気配

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終わりの気配

 会社での細々とした嫌がらせは無くなったものの、私の落ち度を探るような視線を感じる事がある。
 もしかしたら、気のせいかもしれない。
 でも、信木と仲違いしてから、身の回りに違和感を持つようになった。
 なぜかわからないけれど、何かがおかし気がするのだ。

 悪意を向けられることが怖かった。同じことはされなくても今度は別の何かをされそうな気がするのだ。

 姫川と出かけているのに、ぼんやりと会社のことを考えてしまい。不安になってしまう。

 約束通り私たちは水族館にいた。
 水槽の中を自由に泳ぐ魚達を見ていると、どちらが見せものになっているのかわからなくなる。
 水槽に手を乗せるとひんやりとして冷たい。
 私の目の前をクラゲがゆらゆらと通り過ぎるのが見えた。
 水中を漂っている姿は迷子のようだ。
 
「……」

「八王子さん。元気ないけど大丈夫?」

「何もないですよ」

 姫川に声をかけられて、慌てて笑顔を取り繕う。
 せっかく遊びに来ているのに、浮かない顔をするなんて失礼だ。

「本当に?」

「はい」

「何かあったら言ってよ」

「ありがとう」

 お礼を言いながら、彼には相談できないと思った。
 そもそも、信木との仲違いの原因は私がついた嘘にある。具体的な相談なんてしたら、巻き込んでしまいそうだ。

「頼りないかな。僕」

「そんなことないですよ」

 頼りないというよりも、幻滅されそうで言えない。

 姫川さんに嫌われるのが怖い。絶対に隠し通さないといけないわ。

「困ったことがあったら話くらい聞くから、力になれることがあったら力になるし」

 純粋な好意が嬉しい反面、少し煩わしく感じてしまう。
 それは、彼に心が惹かれてしまいそうで、怖いから。

「うん、ありがとう。本当に大丈夫だから。でも、困ったときは頼りにしてるね」

 キッパリと断ることはできなくて、曖昧な返事を返すと姫川が安堵した顔をした。

「写メ撮っていい?」

 気を遣ってなのか、話題を逸らしてくれて、私は「どうぞ」と返事をして水槽がよく見えるように避けた。
 姫川のスマホからパシャパシャとシャッター音が鳴るのが聞こえた。
 姫川は写メを撮り終えて満足したのか嬉しそうに笑った。
 その笑みは優しくて綺麗で、会社で見せるものとは全く違うものだった。
 
「……」

 私は言葉を発する事すら忘れて、その微笑みに見惚れてしまう。
 まるで、自分に向けられているかのような錯覚をしてしまいそうになる。

 姫川さんは、おしゃれ絵日記の写真を撮っているだけよ。

 そう言い聞かせて、心を落ち着かせる。

 彼の笑みは心臓に悪い。

 姫川は、私が一人でドキドキていることに全く気がついた様子もなく「行こうか」と声をかけてきた。

「うん」

 私が返事をすると突然手を握られた。

「っ!ひ、姫川さん」

 予想外のことすぎて、びっくりしてしまう。
 思わず名前を呼ぶと、イタズラが成功したことに満足したような顔をしている。

「何か変な事してる?混んでるし、はぐれたら帰れなくなるでしょう?」

 言っていることに一理あるが、だからといって手を握る必要はないと思う。
 別に子供でもないので、はぐれたとしても帰ることはできる。

「そ、そうですけど、はぐれても電車に乗って帰れば大丈夫ですから。帰り道は知ってます」

「そうだね。だけど、出先で離れ離れになるって心細くない?」

「そうかもしれません」

 そう返されるとその通りかもしれない。
 子供の頃、親と出先ではぐれた時、この世の終わりだと思うほどに不安で仕方なかった。

「だから、はぐれたくないんです」

 私の手を握る力が強くなって、泣きたくなった。
 痛かったからじゃない。社内にいる時の事を思い出してしまったからだ。
 親切にしてくれる人、優しい人、気を遣ってくれる人、私に好意的で味方になってくれる人はたくさんいる。けれど友達でも何でもないのだ。
 向けられたあからさまな悪意が怖かった。
 また、同じ事をされないかという不安。

 誰かと一緒にいても私はひとりぼっちなのだ。

 それが、親とはぐれた子供のような気分にどこか近かった。
 子供は、親が探し出してくれるけど、大人は自分で道を見つけるしかない。

 急に、姫川に縋りつきたい気分になった。

 だけど、そんな事できるわけもなく、私は「大丈夫よ」と明るく笑った。

「今は、手元に電話があるから便利よね。困った時はいつでも助けを呼べるから、はぐれても不安なんてないわ。だって、すぐに会えるんですもの」

 電話で助けを呼んだところで、誰も来てくれなかったら意味なんてない。

 同期の友達がいたら、もしかしたら、「何とかなる」糸口が見つかったかもしれない。

 けれど、もう今更だ。

 積極的に声をかけようとしなかった私が悪いのだ。

 口下手で無愛想だから。という、言い訳なんて通用しない。そうやって逃げてきた結果が今出ているのだ。

「麗さんが電話してくれたら、僕はすぐに駆けつけますよ」

 姫川の優しさが嬉しくて、手を強く握り返した。
 でも、きっと、彼はそんな事なんてしてくれない。

 今は泡沫の楽しい時間を今は堪能しよう。
 悲しい顔をしてしまったら、それがなくなった時に後悔してしまいそうだから。

「ありがとう」

 このままでは私は姫川を好きになってしまう。

 好きになってしまったら、どうしたらいいんだろう。
 顔も名前も覚えていないあの子の事を思い出す。

 拒絶されるのが怖い。

 無愛想で背が高くて可愛くない私に恋をする資格なんてないから。
 いつか、自分から彼にこの関係の終わりを告げないといけない。

「あっちに行こうか」

 姫川は、私が離れて行かないように引き寄せた。
 楽しい時間が過ぎ去るのはあっという間で、別れの時間がたまらなく寂しかった。

「またね。次は、最近部署が忙しくてまた声をかけるよ」

 次に繋がる約束をもらえて、私は安堵していた。
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