芋虫(完結)

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「……」

 全てが終わり。水津が離れると私は触られたくなくて布団の中に潜り込む。

「また、来るよ」

 水津の大きな手が、隠れきれなかった私の足首をそっと撫でた。

「っ……!」

 快楽の余韻に火がつきそうで、私は怖くなって足を引っ込めた。
 そろそろ潮時だとわかってる。
 水津と進藤が蝶のつがいのように抱きしめ合い。口づけをしてきた場面が頭に浮かぶ。
 水津は進藤の事が好きで、私はその身代わりだ。わかってる。

「っ、そこに、私のバックあるでしょ?」

「この、古いやつ?」

「そう、その中に、合鍵があるの。あげるわ。だから、今日みたいに外で待つのだけはやめて、要らなくなったら返してね。それも面倒なら捨てていいから」

 気がつけば、私はとても馬鹿な事を口に出していた。
 こんな事をしても惨めになるだけなのに、たった一度だけ優しく抱かれただけなのに。私は彼に手を伸ばしそうになっていた。

「……、こんなの渡していいの?俺が何か盗むかもしれないよ」

 戸惑う水津は、断る言葉を探している。

「貴方は私の物なんて盗まないわ。必要ないならそのままにしておいて」

 鍵は私の鞄の中に入ったままで、水津も二度とこの部屋に来ないだろう。

「人の物や恋人は盗んだことなんてないけどね」

 水津は、きっと苦笑いしているような気がした。
 抱かれた気怠さがこんなにも心地よい物なんて知らなかった。
 重たくなっていく体。思考は薄れて言わなくてもいい事を口に出してしまいそうになる。普段なら絶対に言わないような言葉を。

「アンタは人から何か盗んだ事あるの?」

 続く水津の言葉にも、はぐらかせばいいのに素直に答えていた。

「奪われた事はあっても、盗んだことなんてないわ」

「そう……本当に?」

 探るような声、答えないといけないのに、頭が働かない。裏切られるのが怖いから、私はもう誰も愛さない。そう決めた。

「……」

 想いなんて消えてしまったのに、裏切られた苦しみだけが私の心に根を張っている。
 私はずっと地べたを這う芋虫のままだ。考えないで眠ってしまおう。水津は勝手に帰ってくれるだろうから。

「……?」

 何かを水津が問いかけている。返事をしないといけないのに……。

「……」

 鈍った思考で、出た言葉はどんな物なのだろう。自分でもよくわからない。水津を探そうにも目を開ける事ができない。
 身体が鉛のように重たい。私はいつまでも地面を這う醜い芋虫だ。

 瞼の奥に映るのは、過去の苦しかった記憶。

『彩那は大切な妹でしょ?なんでその幸せを願えないの』

 煩いよ。母さん。腸が煮えくり返るような想いを抑えてまで私は祝えない。そこまで心は綺麗じゃない。

 ねぇ、もし逆の立場だったら同じことを彩那に言った?

『お前はこの家の人間じゃない。二度と顔を出すな』

 わかったよ。父さん。私も貴方達なんて必要ない。金輪際関わるつもりもない。
 楽しい事はすぐに忘れても、辛いことや悲しいことは忘れられない。
 もう、誰も信じたくない。心はあの日から少しずつ凍りついている。

『浮気してたんでしょ?男好き、被害者面するな』

 私は何も悪くない。それなのに、みんな……。
 そうか、やっぱり、私が悪いのか。はじめから誰も信じなければ良かった。愛さなければ良かった。

『無様だったよな。アイツ、地面に這いつくばって、犬のように呼吸を荒くさせて、笑うの我慢するの大変だったよ。なあ、柴多?』

 コピー室から聞こえた。元婚約者とその親友の笑い声。
 親切そうな顔をして、その仮面の下では嘲笑っているのを私は知っている。
 高いところを蝶のように飛んで、私を罵倒して好きなだけ笑えばいい。私はそっちには行かない。
 裏切られるくらいなら、人を嘲笑うくらいなら、地面を這うままでいい。
 私に残ってるのはあの時、必死に食らいついた仕事だけだ。
 ねえ、だから、私から仕事を取り上げないで欲しい。都合のいいことだとわかっているけれど。
 過去の記憶に苛まれながら、私はいつのまにか眠りについていた。
 目が覚めると、水津と共に部屋の合鍵も消えていた。
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