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水津は私が止めるのも聞かずに物を買って行った。金銭感覚が心配になるくらいの散財に言葉を失った。
「あのね、本当にそんなに買わなくていいよの。お願いだから……」
『こんなおばさんにお金なんか使わないで、自分のために使ってよ』
私の言いかけた言葉に水津は被せるように「俺が使いたいから使ってるんですけどね」と言ってにっこりと笑った。
「……!」
イケメンの笑顔の破壊力は凄まじく、一瞬だけ自分の心臓が止まってしまうような気がした。
私がその笑顔に見惚れている間に、水津は緑色のクッションを買い物カゴの中に入れて会計を済ませてしまった。
「たくさん買えましたね」
聞かん坊の水津は、買い物にようやく満足したようで両手に大量の荷物をぶら下げてご機嫌そうだ。
私は止めるのを途中から諦めてしまった。
好きな色は?と聞かれて「緑色」と素直に答えてしまったから、水津の緑狩りが始まった。
目に鮮やかな……、痛い、突き刺すような緑色のルームウェアを手に取った瞬間は大慌てで止めた。
昆虫先生にはなりたくなかった。
「行きましょう」
ほぼ、私の物を買い終えて、水津は当然のように私の手を握った。
見るからに歳の差のある二人が手を繋ぐなんて、痛々しい気がして私は慌てて手を振り解こうとする。
しかし、それは解けなかった。
「水津くん、手を繋がないで」
「何故ですか?」
私の手を握る水津の手の力が強くなる。絶対に離すつもりなんてないと言わんばかりに。
「だって見られたら……」
「見られたら、何かあるんですか?」
「こんなおばさんと一緒に出歩くなんて、どう思われるか」
私と一緒にいることが水津にとっての恥にならないか、それだけが心配で「離してほしい」と訴える。
しかし、水津はそんなのどこ吹く風だ。
「そんな事、言わせておけばいいよ。行こう」
水津に私の手を離す気配はない。
これじゃあ、まるで、水津が私に骨抜きにされた情けない男に見えてしまう。
こんなのおかしい。どうしても手を離したい私はあることを思いついた。
「あ、少しお化粧直しに行ってもいい?」
「どうぞ」
水津の手はすんなりと解けた。私はそれに安堵して急いでお手洗いに向かった。
お手洗いから出ると水津は手ぶらで待っていた。どうやら荷物は置いてきたようだ。
車に入るなり、水津は先程買ったカーキのクッションを渡してきた。
「このクッション置いて」
言われるままにクッションを背もたれのところに置いて、ようやく違和感に気がついた。
初めて彼の車に乗った時に置いてあったピンク色のクッションが無くなっていたのだ。
「あ、あの、いいの?」
あのクッションは進藤の物ではないのだろうか、それを押しやって私の物を置くなんて、よくないことなのではないだろうか。
「大丈夫。だから置いて」
水津は私の言いたいことを察したのか苦笑いした。
もしかしたら、進藤とうまく行ってないのかもしれない。
確かに彼女の嫉妬深さは、どれだけ好きでも、一緒にいると少し疲れてしまうのかもしれない。
「う、うん」
「あと、これ」
水津は、少しだけ頬を赤らめて私に一本の花を差し出した。緑色の薔薇だ。
緑色の薔薇は珍しくて、見るのは久しぶりだ。もちろん、贈られるのは初めてだ。
ドキリと胸の奥が熱くなるような気がした。年増の女が柄にもなくときめくなんて痛すぎする。
冷めた目で私は自分自身を見ているのに、それなのに目頭がなぜか熱くなる。
「あ、ありがとう」
手が震えそうになるのを抑えて、薔薇を受け取ると水津が「受け取ってくれてよかった」と呟くのが聞こえた。
「新しく買った花瓶に飾ってね。枯れたらまた贈るから。好きでしょう?緑色」
「う、うん。ありがとう」
部屋にある匂いのない花をどこに置こうか、私はぼんやりとそんなことを考えていた。
薔薇の甘やかな香りは鼻腔と私の心を溶かすようだった。
水津と過ごした週末はとても穏やかで、心地よい時間だった。
日曜日の夜、送られてアパート着くと帰ろうとした水津を呼び止める。
「あの、花瓶にお花を生けてもいい?」
「もちろん」
私は急いで彼から贈られた花瓶に薔薇を生けた。
冬の海の色の花瓶は、それだけでも魅入ってしまうくらいに綺麗だ。生けられた薔薇はいつか枯れてしまうけれど、嫌であえて飾らなかった儚さすら、今なら受け入れられそうな気がした。
「……綺麗」
「気に入ってくれた?」
「うん、ありがとう」
花瓶を見ていると、透き通るような冬の海を思い出す。行きたかったな。あの時は連れて行ってもらえなかったけれど。
いや、一人で行きたかったわけじゃなくて、私は二人で行きたかったのだ。
「……、海に行きたい」
不意に溢れた言葉は、私の叶えられなかった望みだ。
「じゃあ、今度連れて行ってあげるよ」
水津は嫌がる様子もなくそう言った。しかし、この時期に海に行くなんて命知らずもいいところだ。
「冬なのに?」
「夏の方が楽しいかもしれないけど、行きたいって言ってくれたから、一緒に行きたい」
水津はあまり気にした様子もなくそう言ってくれた。
彼の大きな手が顔に触れた。じっと見つめる目は、とても優しくて私は感情を持て余す。もやもやした気持ちは答えが出ない。
過去を思い出して悲しいのか、連れて行ってくれると言われて嬉しいのか、それとも、いつか離れるとわかっていて寂しいと感じているのか。
「ありがとう。楽しみにしているわ」
答えの出ない気持ちに、私は目を逸らした。
わかってしまうと、きっと、自分が苦しくなる気がするから。
「じゃあ、また」
水津の唇が頬に触れそうになって、私は顔を背けた。
何か言いたげな水津に「楽しかった。ありがとう」とお礼を言うと照れ臭そうな顔をして笑った。
その笑顔が信じられないくらいに幼く見えて、胸の奥がじんわりと温かくなるような気がした。
日曜日の夜は、不思議とよく眠れた。
「あのね、本当にそんなに買わなくていいよの。お願いだから……」
『こんなおばさんにお金なんか使わないで、自分のために使ってよ』
私の言いかけた言葉に水津は被せるように「俺が使いたいから使ってるんですけどね」と言ってにっこりと笑った。
「……!」
イケメンの笑顔の破壊力は凄まじく、一瞬だけ自分の心臓が止まってしまうような気がした。
私がその笑顔に見惚れている間に、水津は緑色のクッションを買い物カゴの中に入れて会計を済ませてしまった。
「たくさん買えましたね」
聞かん坊の水津は、買い物にようやく満足したようで両手に大量の荷物をぶら下げてご機嫌そうだ。
私は止めるのを途中から諦めてしまった。
好きな色は?と聞かれて「緑色」と素直に答えてしまったから、水津の緑狩りが始まった。
目に鮮やかな……、痛い、突き刺すような緑色のルームウェアを手に取った瞬間は大慌てで止めた。
昆虫先生にはなりたくなかった。
「行きましょう」
ほぼ、私の物を買い終えて、水津は当然のように私の手を握った。
見るからに歳の差のある二人が手を繋ぐなんて、痛々しい気がして私は慌てて手を振り解こうとする。
しかし、それは解けなかった。
「水津くん、手を繋がないで」
「何故ですか?」
私の手を握る水津の手の力が強くなる。絶対に離すつもりなんてないと言わんばかりに。
「だって見られたら……」
「見られたら、何かあるんですか?」
「こんなおばさんと一緒に出歩くなんて、どう思われるか」
私と一緒にいることが水津にとっての恥にならないか、それだけが心配で「離してほしい」と訴える。
しかし、水津はそんなのどこ吹く風だ。
「そんな事、言わせておけばいいよ。行こう」
水津に私の手を離す気配はない。
これじゃあ、まるで、水津が私に骨抜きにされた情けない男に見えてしまう。
こんなのおかしい。どうしても手を離したい私はあることを思いついた。
「あ、少しお化粧直しに行ってもいい?」
「どうぞ」
水津の手はすんなりと解けた。私はそれに安堵して急いでお手洗いに向かった。
お手洗いから出ると水津は手ぶらで待っていた。どうやら荷物は置いてきたようだ。
車に入るなり、水津は先程買ったカーキのクッションを渡してきた。
「このクッション置いて」
言われるままにクッションを背もたれのところに置いて、ようやく違和感に気がついた。
初めて彼の車に乗った時に置いてあったピンク色のクッションが無くなっていたのだ。
「あ、あの、いいの?」
あのクッションは進藤の物ではないのだろうか、それを押しやって私の物を置くなんて、よくないことなのではないだろうか。
「大丈夫。だから置いて」
水津は私の言いたいことを察したのか苦笑いした。
もしかしたら、進藤とうまく行ってないのかもしれない。
確かに彼女の嫉妬深さは、どれだけ好きでも、一緒にいると少し疲れてしまうのかもしれない。
「う、うん」
「あと、これ」
水津は、少しだけ頬を赤らめて私に一本の花を差し出した。緑色の薔薇だ。
緑色の薔薇は珍しくて、見るのは久しぶりだ。もちろん、贈られるのは初めてだ。
ドキリと胸の奥が熱くなるような気がした。年増の女が柄にもなくときめくなんて痛すぎする。
冷めた目で私は自分自身を見ているのに、それなのに目頭がなぜか熱くなる。
「あ、ありがとう」
手が震えそうになるのを抑えて、薔薇を受け取ると水津が「受け取ってくれてよかった」と呟くのが聞こえた。
「新しく買った花瓶に飾ってね。枯れたらまた贈るから。好きでしょう?緑色」
「う、うん。ありがとう」
部屋にある匂いのない花をどこに置こうか、私はぼんやりとそんなことを考えていた。
薔薇の甘やかな香りは鼻腔と私の心を溶かすようだった。
水津と過ごした週末はとても穏やかで、心地よい時間だった。
日曜日の夜、送られてアパート着くと帰ろうとした水津を呼び止める。
「あの、花瓶にお花を生けてもいい?」
「もちろん」
私は急いで彼から贈られた花瓶に薔薇を生けた。
冬の海の色の花瓶は、それだけでも魅入ってしまうくらいに綺麗だ。生けられた薔薇はいつか枯れてしまうけれど、嫌であえて飾らなかった儚さすら、今なら受け入れられそうな気がした。
「……綺麗」
「気に入ってくれた?」
「うん、ありがとう」
花瓶を見ていると、透き通るような冬の海を思い出す。行きたかったな。あの時は連れて行ってもらえなかったけれど。
いや、一人で行きたかったわけじゃなくて、私は二人で行きたかったのだ。
「……、海に行きたい」
不意に溢れた言葉は、私の叶えられなかった望みだ。
「じゃあ、今度連れて行ってあげるよ」
水津は嫌がる様子もなくそう言った。しかし、この時期に海に行くなんて命知らずもいいところだ。
「冬なのに?」
「夏の方が楽しいかもしれないけど、行きたいって言ってくれたから、一緒に行きたい」
水津はあまり気にした様子もなくそう言ってくれた。
彼の大きな手が顔に触れた。じっと見つめる目は、とても優しくて私は感情を持て余す。もやもやした気持ちは答えが出ない。
過去を思い出して悲しいのか、連れて行ってくれると言われて嬉しいのか、それとも、いつか離れるとわかっていて寂しいと感じているのか。
「ありがとう。楽しみにしているわ」
答えの出ない気持ちに、私は目を逸らした。
わかってしまうと、きっと、自分が苦しくなる気がするから。
「じゃあ、また」
水津の唇が頬に触れそうになって、私は顔を背けた。
何か言いたげな水津に「楽しかった。ありがとう」とお礼を言うと照れ臭そうな顔をして笑った。
その笑顔が信じられないくらいに幼く見えて、胸の奥がじんわりと温かくなるような気がした。
日曜日の夜は、不思議とよく眠れた。
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