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「お帰りなさい」
水津は予想通り私の部屋の中で待っていた。けれど、どこか面白くなさそうな表情をしている。
そういえば、柴多と同期会をした時も彼は不機嫌で、とても辛辣だった気がする。あの時は、優しく抱かれた。
それは、もし、私と柴多が付き合いでもしたら復讐が出来なくなると思ったからなのだろうか。
全て水津の思い通りに私は動かされていたんだ。冷静に話そうと思っていたのに、怒りで理性を失いそうだ。
口を中々開かない私を水津はじっと見ていた。
いつもだったら私の方が水津の顔色を窺うけど、全てを知った今はもうそんな必要はない。
「……あぁ、居たの?」
私が冷たく言うと、初めて出会ったときのように水津は眉間にシワを寄せた。
ほら、私の事を見下しているからそんな顔が出来るんだ。勝手に怒ればいい。気にくわなければあの時みたいに酷く抱くなり殴ればいいんだ。どれだけ痛め付けられても私は平気だ。
「ネクタイピンは誰にあげたの?」
水津の口から出た言葉は冷たく不機嫌さを隠す事もなかった。なぜかネクタイピンの所在が気になるようだ。
そんな事どうだっていいことじゃないか。
「なぜ、どうでもいい事を聞くの?関係ないじゃない」
私はいつもならちゃんと説明するけれど、それすらもせずに切り捨てた。
「……そうやって自覚なく誰かを誘惑するんだな」
水津は私を睨み付けながらボソリと呟くのが聞こえる。
私が誘惑……?何を言っているのだろう。
それをしたのは水津だ。綺麗な蝶は戯れるように近づいてくるのに、肩には留まることはない。残すのは毒々しい鱗粉だけだ。
水津は執着心を見せた進藤に破滅を残していった。
だけど、私は違う。そうなる前に切り捨てるやる。
「なにを言ってるの?それは貴方じゃない」
「は……?」
水津は怪訝そうな表情をして私を睨んだ。
なんでそんな顔をするの?訳がわからないわ。
「澤田の身内なんでしょう?復讐するために私と寝たんでしょう?」
水津は認めるようにその唇の両端はクイッと引き上げた。
彼は私を蔑んで嗤っている。きっと酷く私を抱いた夜もこんな顔で見下ろしていたのだろう。無様に這う姿を見て愉しくて仕方なかったんだ。
澤田にも私の姿を教えて二人で嘲笑っていだんだろう。
「……」
この沈黙は肯定だ。間違いない。出会った時から悪意を向けてくる彼の事が怖くて仕方なかった。だけど、理由がわかってしまえば前よりも怖くなかった。
傷つけられると分かっていれば、いくらでも身を構えられる。
「愉しかった?私を嘲笑って、傷付けたかったんでしょ?」
何も言わない彼に私は畳み掛けるように問いかけた。
「それは」
水津は踏みつけてもいい存在の私の勢い飲まれるように言い淀んだ。芋虫だって歯向かう事は出来るんだ。
少しでも水津も嫌な思いをすればいい。
どうせ、私の言葉じゃ彼の心には何の傷にもならない。なぜならなんとも思っていないから。私はこんなにも傷ついているのに。
「残念ね。私は傷付いてない。殴れば?そうすれば気が晴れるでしょう?」
「そんな事出来ない」
私が喧嘩を売るように嗤うと水津は目を伏せた。
それはそうだ、ここで私を殴ったら間違いなく彼が加害者になるのだから。
「ズタズタに傷付けたくて仕方なかったんじゃないの?私がいいって言ってるのに馬鹿ね」
クスクスと面白そうに笑うと水津はどんどん表情をなくしていく。泣きも喚きもしない私が面白くないようだ。
水津はもっと情けなくすがり付けばいいのに。と思っているのだろうか、絶対にこの男の前では泣くもんか。
この無表情が彼の私への気持ちなのだろう。
あの、楽しそうに笑う笑顔も、愛おしそうに私を見つめる顔も全て演技だった。
彼にとっては息をするような容易さで私を傷つける事ができるのだ。
「そうだよ」
水津はそれを認めた。その瞳はポッカリと穴が空いたように真っ暗で底が見えない。そこには私は映し出されていなかった。
もう、彼には私を瞳に映す必要すらないようだ。
「言わなくていい。わかってるから。ここには来ないで、顔も見たくない」
私はこれ以上話をしたら傷つく気がして彼が喋るのを禁じた。そして、言われる前に会うつもりがないことを伝えた。
これだけはどうしても水津に言われる前に言いたかった。
「っ……」
水津はグッと手を握りしめて、私に鋭い視線を向けるが怖くなかった。その瞳は明らかな怒りが燻っているようだ。
私にそんな事を言われて腹を立てているのだろう。
水津はきっと、私を蔑む言葉を吐き捨てる。
以前私にしたのと同じように。もう、無理して優しくする必要なんてないんだから。
「聞くつもりはないわ。言うだけ無駄よ。全部知ってるの、私がくだらない言い訳なんて信じるわけがないでしょう?」
私には水津の悪意を受けとる事を拒否出来る。もう無駄に傷付きたくない。疲れたのだ何もかも。
何も聞きたくないし、何も知りたくない、何も見たくない、もう、いっそのこと二度と目が覚めなければいいのに……。
「貴方が私を傷付けたくても、何を言ったって無駄」
だけど、私は水津の前では精一杯の虚勢を張った。弱味を少しでも見せたら食い殺されてしまうから。
それは、今まで生きてきて学習してきた事だから。
「3年よ、婚約破棄してから、忘れたいのに何で忘れさせてくれないの?」
もう、3年も経ったのに。忘れさせてくれない。何度も思い知らされるように夢の中で苦しみ抜いた事か。いつになったらこの責め苦が終わるのだろう?きっと死ぬまで私を苦しませ続ける気がするのだ。
澤田は私を苦しめたくせに水津という悪夢まで寄越してくれた。
これから先、私は夜になると水津の感触を思い出して寂しさで身震いするのだろう。
それくらい彼と過ごした日々は甘くて楽しかった。そう、心や身体に刻み込まれた事はそう簡単に忘れられないのだ。きっとこの悪夢を忘れられない。
私はもしかしたら水津を『好き』だった『かも』しれない。そう自分に言い訳する。
「貴方なんか嫌いよ。なんで寝たと思ってるの?仕事をとられると思ったからよ。私はこれが一番大切なの!でも、もうどうでもいい」
だけど、私はそれを悟らせないように水津と寝た一番の目的を自分に言い聞かせるように口に出した。
最初から仕事を奪われないように、この身体を水津に差し出したんだ。
でも、もうどうでもいい。どうせ、破滅に導かれるのなら自分が全て終わらせてやる。
元婚約者に、いや、水津に関わるものは全て捨て去りたい。
仕事なんか辞めてやる。
「凛子」
水津はハッと気が付いたように、私をその瞳にようやく映した。
それは、冷たく私を突き放すものだった。
『だから何?』
きっと彼はそう言いたいんだろう。自分を傷付ける言葉なんてわざわざ聞くものか。
「出ていって!二度と来ないで!」
私は水津を見ることはせず叫び声を上げた。
「待ってくれ!」
水津は怨み言一つ言いたかったようで、私の肩を物凄い力で掴んだ。
痛みに顔を歪めながらそれでも私は絶対に彼を見なかった。
きっと、私を蔑むように見下ろしている。目なんか合わせるものか、傷付きたくなんかない。
「待たない。聞きたくもない。私を傷付けるために近付いた事には変わりないんでしょ?何を言っても私には無駄よ」
私は声が震えないように気を付けながら低く吐き捨てるように、何もかもが無駄だと水津に言いきった。
「……」
水津は今も冷たく、私を虫けらを見るように視線を向けているのだろう。
でも、それで私の世界が破滅するわけがないのだ。
「部屋の鍵は捨ててくれて結構よ。貴方の触った物なんて持ちたくないもの。私の物も捨てて。返さなくていいから」
私はようやく全てを清算する言葉を水津に投げつけた。
「……」
部屋に長い沈黙が広がった。どれだけ時間が経ったんだろうか?時計を見ていないからわからないけれど、恐らくそんなに時間は過ぎていないと思う。
返事をしない水津の気味が悪かった。もしかしたら、言葉や暴力ではない別の形で私を傷付けるのかもしれない。
この沈黙ですら水津は私にどれだけの傷をつけようかと算段をしているはずだ。
何をされるのかと想像すると背筋がゾクリとした。ジワジワと腹の底から広がっていくのは恐怖で、思い出したのは初めて抱かれた時の事だった。
もうしないと言われたが彼の正体を知った今ではそんなの嘘だとわかる。
「あ……」
私はあの時の事が鮮明に頭の中の映像で蘇る。
引き裂かれる激痛。踏みにじられ続けた私の尊厳。忘れたと思っていても身体や心に刻まれているのだ。
このまま彼に手酷く抱かれたら私は……。
……もう立ち上がれないだろう。
「さ、触らないで」
ふと、まだ水津が私の肩を掴んでいた事に気が付く。
また、押さえつけられ踏みつけにされながら私は蹂躙されきゃいけないのか。
遠慮なんか必要のない私に彼はもう手加減なんてしないだろう。
「離してよ!」
確かに私は澤田から安定した生活を奪ったかもしれない。
だけど、澤田と彩那も私から何もかも奪おうとしたじゃないか。
それでも、水津を信じた私が悪いんだ。傷つかないためには、誰も好きになってはいけなかった。
私の肩をいまだに力なく掴んでいる彼の手を力一杯振り払った。
私の頭は恐怖心で支配され、もう取り繕う余裕すらなかった。
「出ていって、お願いよ……!もう、うんざりなのよ」
恐慌状態の私の悲鳴じみた声に、水津の瞳は肉食獣のようにギラリと光った気がした。
また踏み躙られる。そう思った私は信じられないくらいの力で、水津の胸を押した。
不意打ちだったのか、彼の身体はグラリと揺らいだ。
逃げないと、早く逃げないといけない!この男から逃げ出さないと私は……!
私は追いたてられるように必死になってバスルームに逃げ込んだ。
鍵をかけて浴槽に蹲り頭を抱えて、水津が近づいてこないように祈り続けた。
しばらく待ったけれど、水津はバスルームには来なかった。
様子を見るようにそこから出るが、水津の姿は無くなっていた。部屋の中を怯えながら歩くけれど、その気配はなくなっていた。
水津がいなくなった事が分かると、私はその場に座り込んだ。
「終わった。全部終わった」
これから、自分はどうしたらいいのだろうか、どれだけ考えても答えは浮かばなかった。
水津は予想通り私の部屋の中で待っていた。けれど、どこか面白くなさそうな表情をしている。
そういえば、柴多と同期会をした時も彼は不機嫌で、とても辛辣だった気がする。あの時は、優しく抱かれた。
それは、もし、私と柴多が付き合いでもしたら復讐が出来なくなると思ったからなのだろうか。
全て水津の思い通りに私は動かされていたんだ。冷静に話そうと思っていたのに、怒りで理性を失いそうだ。
口を中々開かない私を水津はじっと見ていた。
いつもだったら私の方が水津の顔色を窺うけど、全てを知った今はもうそんな必要はない。
「……あぁ、居たの?」
私が冷たく言うと、初めて出会ったときのように水津は眉間にシワを寄せた。
ほら、私の事を見下しているからそんな顔が出来るんだ。勝手に怒ればいい。気にくわなければあの時みたいに酷く抱くなり殴ればいいんだ。どれだけ痛め付けられても私は平気だ。
「ネクタイピンは誰にあげたの?」
水津の口から出た言葉は冷たく不機嫌さを隠す事もなかった。なぜかネクタイピンの所在が気になるようだ。
そんな事どうだっていいことじゃないか。
「なぜ、どうでもいい事を聞くの?関係ないじゃない」
私はいつもならちゃんと説明するけれど、それすらもせずに切り捨てた。
「……そうやって自覚なく誰かを誘惑するんだな」
水津は私を睨み付けながらボソリと呟くのが聞こえる。
私が誘惑……?何を言っているのだろう。
それをしたのは水津だ。綺麗な蝶は戯れるように近づいてくるのに、肩には留まることはない。残すのは毒々しい鱗粉だけだ。
水津は執着心を見せた進藤に破滅を残していった。
だけど、私は違う。そうなる前に切り捨てるやる。
「なにを言ってるの?それは貴方じゃない」
「は……?」
水津は怪訝そうな表情をして私を睨んだ。
なんでそんな顔をするの?訳がわからないわ。
「澤田の身内なんでしょう?復讐するために私と寝たんでしょう?」
水津は認めるようにその唇の両端はクイッと引き上げた。
彼は私を蔑んで嗤っている。きっと酷く私を抱いた夜もこんな顔で見下ろしていたのだろう。無様に這う姿を見て愉しくて仕方なかったんだ。
澤田にも私の姿を教えて二人で嘲笑っていだんだろう。
「……」
この沈黙は肯定だ。間違いない。出会った時から悪意を向けてくる彼の事が怖くて仕方なかった。だけど、理由がわかってしまえば前よりも怖くなかった。
傷つけられると分かっていれば、いくらでも身を構えられる。
「愉しかった?私を嘲笑って、傷付けたかったんでしょ?」
何も言わない彼に私は畳み掛けるように問いかけた。
「それは」
水津は踏みつけてもいい存在の私の勢い飲まれるように言い淀んだ。芋虫だって歯向かう事は出来るんだ。
少しでも水津も嫌な思いをすればいい。
どうせ、私の言葉じゃ彼の心には何の傷にもならない。なぜならなんとも思っていないから。私はこんなにも傷ついているのに。
「残念ね。私は傷付いてない。殴れば?そうすれば気が晴れるでしょう?」
「そんな事出来ない」
私が喧嘩を売るように嗤うと水津は目を伏せた。
それはそうだ、ここで私を殴ったら間違いなく彼が加害者になるのだから。
「ズタズタに傷付けたくて仕方なかったんじゃないの?私がいいって言ってるのに馬鹿ね」
クスクスと面白そうに笑うと水津はどんどん表情をなくしていく。泣きも喚きもしない私が面白くないようだ。
水津はもっと情けなくすがり付けばいいのに。と思っているのだろうか、絶対にこの男の前では泣くもんか。
この無表情が彼の私への気持ちなのだろう。
あの、楽しそうに笑う笑顔も、愛おしそうに私を見つめる顔も全て演技だった。
彼にとっては息をするような容易さで私を傷つける事ができるのだ。
「そうだよ」
水津はそれを認めた。その瞳はポッカリと穴が空いたように真っ暗で底が見えない。そこには私は映し出されていなかった。
もう、彼には私を瞳に映す必要すらないようだ。
「言わなくていい。わかってるから。ここには来ないで、顔も見たくない」
私はこれ以上話をしたら傷つく気がして彼が喋るのを禁じた。そして、言われる前に会うつもりがないことを伝えた。
これだけはどうしても水津に言われる前に言いたかった。
「っ……」
水津はグッと手を握りしめて、私に鋭い視線を向けるが怖くなかった。その瞳は明らかな怒りが燻っているようだ。
私にそんな事を言われて腹を立てているのだろう。
水津はきっと、私を蔑む言葉を吐き捨てる。
以前私にしたのと同じように。もう、無理して優しくする必要なんてないんだから。
「聞くつもりはないわ。言うだけ無駄よ。全部知ってるの、私がくだらない言い訳なんて信じるわけがないでしょう?」
私には水津の悪意を受けとる事を拒否出来る。もう無駄に傷付きたくない。疲れたのだ何もかも。
何も聞きたくないし、何も知りたくない、何も見たくない、もう、いっそのこと二度と目が覚めなければいいのに……。
「貴方が私を傷付けたくても、何を言ったって無駄」
だけど、私は水津の前では精一杯の虚勢を張った。弱味を少しでも見せたら食い殺されてしまうから。
それは、今まで生きてきて学習してきた事だから。
「3年よ、婚約破棄してから、忘れたいのに何で忘れさせてくれないの?」
もう、3年も経ったのに。忘れさせてくれない。何度も思い知らされるように夢の中で苦しみ抜いた事か。いつになったらこの責め苦が終わるのだろう?きっと死ぬまで私を苦しませ続ける気がするのだ。
澤田は私を苦しめたくせに水津という悪夢まで寄越してくれた。
これから先、私は夜になると水津の感触を思い出して寂しさで身震いするのだろう。
それくらい彼と過ごした日々は甘くて楽しかった。そう、心や身体に刻み込まれた事はそう簡単に忘れられないのだ。きっとこの悪夢を忘れられない。
私はもしかしたら水津を『好き』だった『かも』しれない。そう自分に言い訳する。
「貴方なんか嫌いよ。なんで寝たと思ってるの?仕事をとられると思ったからよ。私はこれが一番大切なの!でも、もうどうでもいい」
だけど、私はそれを悟らせないように水津と寝た一番の目的を自分に言い聞かせるように口に出した。
最初から仕事を奪われないように、この身体を水津に差し出したんだ。
でも、もうどうでもいい。どうせ、破滅に導かれるのなら自分が全て終わらせてやる。
元婚約者に、いや、水津に関わるものは全て捨て去りたい。
仕事なんか辞めてやる。
「凛子」
水津はハッと気が付いたように、私をその瞳にようやく映した。
それは、冷たく私を突き放すものだった。
『だから何?』
きっと彼はそう言いたいんだろう。自分を傷付ける言葉なんてわざわざ聞くものか。
「出ていって!二度と来ないで!」
私は水津を見ることはせず叫び声を上げた。
「待ってくれ!」
水津は怨み言一つ言いたかったようで、私の肩を物凄い力で掴んだ。
痛みに顔を歪めながらそれでも私は絶対に彼を見なかった。
きっと、私を蔑むように見下ろしている。目なんか合わせるものか、傷付きたくなんかない。
「待たない。聞きたくもない。私を傷付けるために近付いた事には変わりないんでしょ?何を言っても私には無駄よ」
私は声が震えないように気を付けながら低く吐き捨てるように、何もかもが無駄だと水津に言いきった。
「……」
水津は今も冷たく、私を虫けらを見るように視線を向けているのだろう。
でも、それで私の世界が破滅するわけがないのだ。
「部屋の鍵は捨ててくれて結構よ。貴方の触った物なんて持ちたくないもの。私の物も捨てて。返さなくていいから」
私はようやく全てを清算する言葉を水津に投げつけた。
「……」
部屋に長い沈黙が広がった。どれだけ時間が経ったんだろうか?時計を見ていないからわからないけれど、恐らくそんなに時間は過ぎていないと思う。
返事をしない水津の気味が悪かった。もしかしたら、言葉や暴力ではない別の形で私を傷付けるのかもしれない。
この沈黙ですら水津は私にどれだけの傷をつけようかと算段をしているはずだ。
何をされるのかと想像すると背筋がゾクリとした。ジワジワと腹の底から広がっていくのは恐怖で、思い出したのは初めて抱かれた時の事だった。
もうしないと言われたが彼の正体を知った今ではそんなの嘘だとわかる。
「あ……」
私はあの時の事が鮮明に頭の中の映像で蘇る。
引き裂かれる激痛。踏みにじられ続けた私の尊厳。忘れたと思っていても身体や心に刻まれているのだ。
このまま彼に手酷く抱かれたら私は……。
……もう立ち上がれないだろう。
「さ、触らないで」
ふと、まだ水津が私の肩を掴んでいた事に気が付く。
また、押さえつけられ踏みつけにされながら私は蹂躙されきゃいけないのか。
遠慮なんか必要のない私に彼はもう手加減なんてしないだろう。
「離してよ!」
確かに私は澤田から安定した生活を奪ったかもしれない。
だけど、澤田と彩那も私から何もかも奪おうとしたじゃないか。
それでも、水津を信じた私が悪いんだ。傷つかないためには、誰も好きになってはいけなかった。
私の肩をいまだに力なく掴んでいる彼の手を力一杯振り払った。
私の頭は恐怖心で支配され、もう取り繕う余裕すらなかった。
「出ていって、お願いよ……!もう、うんざりなのよ」
恐慌状態の私の悲鳴じみた声に、水津の瞳は肉食獣のようにギラリと光った気がした。
また踏み躙られる。そう思った私は信じられないくらいの力で、水津の胸を押した。
不意打ちだったのか、彼の身体はグラリと揺らいだ。
逃げないと、早く逃げないといけない!この男から逃げ出さないと私は……!
私は追いたてられるように必死になってバスルームに逃げ込んだ。
鍵をかけて浴槽に蹲り頭を抱えて、水津が近づいてこないように祈り続けた。
しばらく待ったけれど、水津はバスルームには来なかった。
様子を見るようにそこから出るが、水津の姿は無くなっていた。部屋の中を怯えながら歩くけれど、その気配はなくなっていた。
水津がいなくなった事が分かると、私はその場に座り込んだ。
「終わった。全部終わった」
これから、自分はどうしたらいいのだろうか、どれだけ考えても答えは浮かばなかった。
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