芋虫(完結)

55

　私は気になって仕方なかった事が全て理解できた。
　柴多は、前に見たことがあると話していた。それは、とても、小さなヒントで、気がつけるわけないのはわかっているけれど、もっと警戒するべきだった。
　全てに説明がつくのだ、最初から私に対して敵意を剥き出しにしていたのも。
　憎い私に近付いて酷く抱いたのも、優しくしたのも、進藤から守ってくれたのも、『水津自身』が私を破滅に導きたかったからだ。
　彼は私になんの感情も持っていない。ただ、立ち直れないくらいに私を壊したいから『大切』にしたのだろう。

「その、何もされていないよな？前に変な噂流をされただろう？」

　柴多はとても心配そうに私を気にかける。
　噂話程度では私に言わない方がいいと思ったのだろう。
　彼は心配で私の様子を時々見に来ていたんだ。

「前に、水津が澤田との事を聞きたがっていて、一緒に食事をした事があったんだ。その時からずっと気になっていた」

　この様子だと柴多は水津と私との関係に気がついていない。
　柴多が気が付いていないということは、水津と私の関係は誰にも知られていないということだ。

　まだ、大丈夫だ。

　私はそう自分に言い聞かせた。誰にも気がつかれていないなら、何もなかったことに出来る。
　水津がどうやって私を破滅に導くのか想像も出来ないが、分かっていれば自衛が出来る。傷付かないで全てを終わらせてやる。


「何もされていないわ。彼はいい部下よ。大丈夫」

　私は柴多を安心させるように嘘の微笑みを浮かべた。言えるわけがない。
　すでに身体の関係を持っている事なんて、それを言ったら余計に彼を心配させるたけだ。
　本社で活躍するはずの彼の迷惑にはなりたくなかった。

「それならいいんだ。まあ、身内だからって澤田に協力するわけがないよな。取り越し苦労だったな」

　柴多は苦笑いを浮かべてホッとするように胸を撫で下ろした。

「大丈夫。何があっても乗り越えられるよ。心配しなくていいから。困ったら相談に乗ってくれるんでしょ？それに、頼れる部下の柏木くんがいるから安心して」

　私がにっこりと元気付けるように笑うと、柴多は目を反らし俯いた。

「そうだよな。柏木くんがいれば安心か、もう、一人じゃないから大丈夫だな。ちゃんと信用できる人がいてよかった」

　柴多は嬉しそうに微笑んだ。

「プレゼントありがとう。大切にするよ。あと、何もなくても連絡してくれ」

「わかったわ」

　私達の関係は今後も続くだろう。会えなくてもたぶん友達でずっといられる気がする。

「なあ、食事しようか、冷めちまったけど」

「そうね」

　柴多が苦笑い混じりにそう言ったので、なんだかおかしかった。さっきまでのやり取りが嘘みたいに思えたから。
　今は、水津のことを考えるのはやめて柴多と一緒にいる時間を楽しもう。そう自分に言い聞かせる。
　急いで帰ったところで何もできないのはわかってる。
私達は冷めた食事に手をつけ始めた。

「じゃあまたな」

「ええ、また」

　食事を済ませてお開きになると、なんとなく私達は「また」という言葉を掛け合った。そして、握手をして駅で別れた。

　柴多と離れて、私は気合いを入れるように自分の両頬を叩いた。もう、何も言わずに見て見ぬ振りはできない。

「アパートに帰ろう」

　恐らくそこに水津が居るから。
　私はアパートに向かいながら水津がなぜあんな事をしたのか考えていた。
　きっと、澤田からいいように話を聞かされてそれを信じたんだ。そして、復讐して欲しいと頼まれた。
だから初対面の時から私の事が嫌いだったんだ。
　もしかしたら、社長の親族の彼は私の部署に行きたいと希望を出したのかもしれない。
　私を傷つけて壊して、二度と立ち上がれないようにするつもりでいたんだ。
　酷く抱いたのもきっと私の尊厳を傷つけるためで、優しくしたのも、傷つけるためだ。
　これが、澤田の復讐なのだろう。
　どうせ、澤田から私に彩那との結婚を邪魔されたと聞かされたのだろう。水津はそれを鵜呑みにしたのだ。

「あぁ、そうか。やっぱり」

　水津は進藤の事を本当に好きじゃなかった。彼女に近付いたのも私に嫉妬させる為だった。
　好きでもない女にあんな思わせぶりな態度をとれるのなら、嫌いな私ですら酷くも優しくも抱けるような気がした。
　大丈夫、まだ間に合う。私はそう言い聞かせる。今すぐに手を引けばこれ以上は傷付かずに済む。
　もともと、何かされると分かっていた相手に、傷付くなんておかしな話だけれど。
　長い間、彼と居心地のいい時間を過ごしていたせいで、親しくなれたと思っていたんだ。
　本当に馬鹿だ、なんでいつか裏切られるってわかっていたのに信じかけていたんだろう。

　信じなくて良かった。早く彼を切らないと。

　一方的に傷つけられる立場なんてもううんざりだ。もう、仕事以外では会わない。それを言うだけでこの関係は終わる。
　私たちの事は誰にも知られていないのだから。その後に、何をされるかなんて考えるのも嫌だけれど。もしかしたら、破滅が待ってるかもしれない。
　だったら彼の前から私が退場すればいい。逃げるのは癪だが仕事を続ける事よりも、アイツの顔色を伺い続ける生活の方が嫌だ。
　うんざりだ。もう、何もかも。