芋虫(完結)

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 私が挨拶を終えると少しだけしんみりとした空気を漂わせながら仕事を始めた。
 質問をかわしていると、いつのまにか仕事が終わっていた。
 帰り支度をしていると柏木が声をかけてきた。

「あの、凛子さん。送別会どこがいいですか?」

 私の送別会を柏木がメインでやってくれるようだ。歓迎会と送別会はしてもしなくてもいい。と、会社の方針ではなっている。
 私の部署はとりあえずやるようにはしているけれど、参加は強制ではないがそれなりに人は集まっていた。

「狭い個室の居酒屋以外なら」

 私は過去の思い出に苦笑いして柏木に要望を伝える。

「そんなところに何人も人なんて入りませんよ」

「そんなに人なんて来ないわよ」

 私が精々来ても2、3人くらいだろうと見立てて言うと、柏木は一気に呆れた表情になった。

「それなりに来ますよ。凛子さん好かれてますから」
「どうかしらね。もう会わない上司の送別会なんて誰も来たくないと思うわ」
「……本当にネガティブですね。仲良くなるまで知らなかったですよ」

 柏木はそんな私の自嘲に取り合うことなく呆れ顔だ。表に出さなかったから気がつかれないのは仕方ないとは思うけれど。


「柏木くんが猫かぶりなんて私も知らなかったわよ」

 私がブスッとした顔で応戦すると、柏木はクククと笑った。

「僕、凛子さんと仲良くなりたくてずっと無理してたんですよ。寒くなるし鍋料理のお店で、駅の近くにしますか」

 柏木はさりげなく場所を提案してくれたので、それでお願いすることにした。

「それでお願いします」
「ちゃんと場所も決めたいし、このまま食事に行きませんか?」

 柏木はにっこりと笑っている。送別会の場を決めるという名目で私を食事に誘いたかったのだろう。

「ええ、もちろん」

 愚痴を聞かされそうだけれど、私はそれに付き合うのもいいかなと考えた。
 一人で過ごす夜は寂しいし、柏木の話を聞くのは好きだった。
 毎晩、薬を飲まないと私は眠れなくなっていた。
食事もあまり喉を通らなくて、薬を飲むためだけに食べているような状況だ。
 誰かと一緒にいないと食べることすら忘れてしまいそうになるのだ。
 今日は食べ忘れる事はなさそうだ。私は少しだけ安堵した。

「ねぇ、聞いてます~?凛子さん!」

 しかし、私は柏木が飲み始めた30分後に後悔していた。
 柏木はすでに酔いが回り始めていた。それから私にとにかく絡み続けた。

「僕、本当は主任なんてしたくないんですよ。凛子さん居なくなったら」

 子供が駄々をこねるみたいにそれをずっと繰り返し話していた。

「水津が!水津が!僕の事バカにして、アイツ、マジで海に沈めてやる……!」

 柏木はストレスがたまっているご様子で、うわ言のようにその名前を呼びながら物騒な事を言い出す。
 せめて、私が辞めるまでは血みどろの争いはやめて欲しいなと思った。

 本当に水津は何がしたいんだろう。自分の上司なんかを虐めて、私が嫌いだからその延長線上でやっているのだろう。
 少しだけ、私が辞めるときに水津に何かされそうな気がして不安になった。
 両手で自分の体を抱きしめると、以前よりも幾分か細くなっていた。

「凛子さん。本当にすみませんでした」

 次の日、柏木は私に土下座せんばかりの勢いで謝ってきた。
 あの後、眠り始めた柏木を引きずって彼の家に連れて帰ったのだ。

「大変だったわよ」

「本当に次はしませんから」

 柏木のすがるような瞳に私はそれ以上の文句は言えなかった。

「お酒飲むのはいいけど程ほどにね。もういい大人なんだから」

 酔った勢いで水津に迫った私が言える立場ではないが、思わず注意してしまう。

「はい。また、誘ってもいいですか」

「いいわよ。その、飲むのはいいけど、絡まれるのは嫌かな」

 柏木は私の反応に安堵して微笑んだ。しょうがないないなと私は思った。
 きっと、お互いにそんな事を思いながら友達として付き合っていくのだろう。そんな気がした。
 そして、最後の出勤と送別会をする今日を迎えた。
 柏木がメインの主任として働いてもらうことになったが、予想通り問題はなかった。

『不安だけど、なんとかやっていけそう』

 と、言った柏木に私はとても安心した。時々、彼の愚痴に付き合う為に飲みに行ったりしていたが、完全に馴れたらそれはなくなるだろう。仕事の関係がなくなっても、ずっと友達でいられる気がした。
 非通知の着信は相変わらず続き柏木には相談しなかった。
 自分で決着をつけないといけないと思っていた。このまま終わらせるのはなんだか嫌だった。
 そして、水津は不気味なくらい静かだった。拍子抜けするくらい静かで態度も信じられないくらい普通だ。それが、いつ爆発するかわからない火山のようにみえてとても怖かった。
 最後に何かするつもりなのだろう。私は気を抜かないように覚悟した。

 何が起こっても何をされても大丈夫。そう言い聞かせて私は家を出た。ずっと返せずにいた物があった。

 仕事の最終日に一番早く職場に行くと、水津のデスクに返しそびれた彼の部屋の鍵を入れた。
 いつでも来てもいい。と、渡されていたのだ。もう、二度と会わないのだから持っている必要はない。
 鍵を返し終わるとようやく何かが終わったような気がした。長年の胸のつかえが取れたようなそんな気分だ。やっと私は前を向けそうな気がした。

 しばらくすると他の社員が出社してきた。柏木はとても寂しそうに「おはようございます」と挨拶をして自分のデスクに向かった。
 水津もその後に出社した。お互い目線を合わせることなく挨拶を交わした。
 気がつかれない程度にこっそりと様子を伺うと、デスクの座り引き出しを開けて部屋の鍵を見つけたようだ。
 それを見た水津は瞬間バッと勢い良く私の方を見た。その瞳は不気味で、ぽっかりと穴が開いた虚空のようだった。
 その瞳を見た時。彼はまだ私に何かする気でいるのを悟った。きっと、プライドを傷つけた私の存在が許せないのだろう。
 ただ彼が怖かった。
 最終日ということもあって、なんのトラブルもなく淡々と仕事は終わった。
 私が明日から会社に来ないなんて嘘みたいだ。

 柏木はとても寂しそうな視線を何度も私に向けて、水津は不気味なくらい静かで。
 嫌でも感じる水津の視線は私の背中を何度も恐怖で粟立たせた。
 仕事さえ終われば。もう、水津とは会わなくていい。
 いつ噴火するかわからないような恐怖と今日でお別れできるのだ。しかし、私の見込みは甘かった。

 送別会の待合せ場所は、駅の銀時計の前だ。そこで待つ同僚達の中には、そう、水津が居たのだ。
 嘘でしょう。なぜこんなところにいるのよ!?
 居ても立っても居られずに、参加者の点呼を取る柏木の腕を掴み自分の方に引き寄せた。

『ねぇ、なんで水津くん来てるの!?』

 小声で柏木に聞くと面倒くさそうな顔をした。

『そりゃ、送別会なんだから来るでしょ』

『いや、まぁ、そうなんだけど。なんで嫌いな私の送別会なんかに来るのよ』

『来ないわけには行かないでしょ。彼は……』

 柏木はそう言いかけて苦笑いした。

『凛子さんにお世話になってるんだから』

 無事に送別会から帰して貰えない気がしていた。最後の最後で水津は私に何かする気らしい。
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