閒冥草祇(まくらのそうし) ~月穹の四将の物語~

伽葉 ナツキ

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1章 出会い、そして運命は動く

5話 僕は闘う、大切な人たちのために

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 地球は回り、夜は過ぎ、朝は訪れる。
 
 和樹の母も、いつも通りに『占いの館』に出勤する。
 昨日はテレビの生中継も入ったから、興味を持ったカップルが訪れるだろう。
 
「和樹ぃ~、今夜の歌番組も録画セットしてね!」

 そう言い残し、母は定刻より三十分早く家を出た。
 ひとり残された和樹は、ハムエッグトーストとワカメスープを胃に収めつつ、居間を眺めた。

 灯油ストーブ、座卓、ソファー。
 テレビに、レコーダーに、キャビネット。
 カレンダーに、壁時計。
 神棚に、母の推しの縫いぐるみに、『金のなる木』の鉢植え。
 隣の和室には、仏壇と父の遺影。

 昨日の朝と変わらぬ情景がある。
 けれど――

 振り向き、短い廊下の左側を眺めた。
 昨夜、幽霊の父と対面した浴室がある――。

  
  *
  
 
  *

 
「ホントに……父さんなのかい!?」
 目の前の父の頬に右手を伸ばす。
 
 自分と酷似した顔、意外と筋肉が付いている胸元。
 写真のままの、大学生の父がいる。

 だが――伸ばした指先は、父には届かなかった。
 いや、父の頬にめり込んだ。
 氷のような冷たさにたじろぎ、思わず手を引っ込める。


「ああ、落ち着いてくれ」
 父の手が、和樹の膝に触れた。
「父さんは、いわゆる『三途の川』の中にいる。現世と霊界を結ぶ川だ。二つの世界の水が交わる場所でしか、お前に触れられないんだ……」

「でも、声は聞こえるし……見えるし」
「湯気のおかげだ。『三途の川』の水を引き入れた浴槽だから、どうにか」

 それでお湯が溢れたのかと納得しつつ、右手を湯の中に沈めた。

「触れても……いい?」
 右手の指先で、父の二の腕に触れる。
 筋肉の弾力もあり……求めて止まなかった父との触れ合いが叶った。

「父さんなんだね? 登山中の事故で死んじゃった神無代かみむしろ裕樹ひろきさん……だよね?」

 すると――湯の中で、父は和樹の手を握った。
 ひと回り大きな手の感触に、涙腺が震える。

「お前と母さんには、本当に申し訳ない。苦労させてしまって……」
「会えて……話ができて……嬉しいよ、父さん……」
 
 涙がとめどなく溢れる。
 和樹は、父の命日にも泣いたことがなかった。
 
 物心ついた時から、「母さんを守る」との思いが芽生えていた。
 仏壇と向き合う母の後ろ姿が、あまりに小さく見えたから。
 

「でも、父さん。蓬莱さんが悪霊に狙われてるって……」

 昨日からの異変を思い出し、顔を引き締める。
 蓬莱さんの肩を掴んでいた不気味な手。
 上野のペットの幽霊。
 目の前の父の幽霊。
 冗談や幻覚で済ますことは、もはや不可能だ。

 父も、強い口調で話し出す。
 
「父さんにも、詳しい事情は分からない。上司の指示で、こうしてお前に頼んでいる」
「……あの世でも働いてるの?」

「霊界に来た人々の戸籍係みたいな仕事だ。給料は、次の転生場所や境遇を選べることかな。けれど、妙な指示が出た。『君の御子息に、彼女を狙う悪霊と闘うよう促して欲しい』と。蓬莱天音さんは、霊界にとっても重要な存在らしい」

「そんなバカな。僕に、ゲームの勇者の真似なんて無理だよ」

 さすがに呆れ、父を凝視する。
 母には霊感があるが、自分は違う。
 平凡な中学生に『悪霊と闘え』とはあんまりだ。


「和樹、父さんは明日の夜も来る。その時に、闘う方法を教える」

 そう言うと――父は、浴槽の中に沈んだ。
 止める間もなく、エレベーターで降下したように消えた。
 同時に、満ちていた花の香りも収まる。

 数秒のうちに、浴室は見慣れた情景に戻った。
 湯の量もいつもと変わらない。
 ウトウトして、父の夢を見たようにも思えるが……。
 

  *


  *
  

「どうしようか……」

 食器を片付けながら、昨夜の突飛な出来事を思い返す。
 漫画のように、『悪霊退散!』と叫べば解決するとは思えない。
 何より『蓬莱さんが運命の恋人だ』と言われても、まるで実感が湧かない。
 
 悩んでいると――シンクの脇に置いていたスマホにメッセージが届いた。

『午前11時。ケーキがあるから来て』

 発信者は、久住さんだ。
 両家は家族ぐるみの付き合いで、男手が必要な時は、父親のなおさんの手を借りている。

(クリスマスケーキかな。お招きを断っちゃ失礼だよね)

 顔をほころばせて返信し、時刻を確認する。
 二時間以内に、準備を済ませなければならない。
 
 

  *



 そして――指定の時間まで、あと三分。
 
 シックなグレーのセーターを着て、隣家のインターホンを押した。
 近くのスーパーのテナントで買った菓子箱を持参している。
 飼い猫のミゾレのために、サーモン味とマグロ味のパウチも買った。

 けっこうな出費だが、蓄えはある。
 たまに訪れる母の伯父が、そっと金一封を手渡してくれるのだ。
 それらは貯蓄し、必要な時に切り崩していた。

(岸松おじさん、使わせてもらいました)

 心の中で合掌していると、玄関ドアが開いた。

「ナシロくん、いらっしゃい!」

 ドアを開けた久住さんは、満面の笑顔だ。
 白いセーターに茶色のジャンパースカート、白と黒のボーダーのソックス姿で、制服姿よりも幼く見える。

「こんにちは。お父さんとお母さんは?」
「どっちもお仕事だよ。パーティーを楽しみなさいって言ってた」

「パーティー……」
「天音ちゃんと真澄ちゃんが来てるんだ。さあ、どうぞ」
 
 久住さんは、無邪気に居間を指し示す。
 居間の壁掛けテレビの横には、一メートルほどのクリスマスツリーが飾ってある。
 その下の小さなベッドで、ミゾレが寝転んでいる。

 向かいのソファーには、蓬莱さんと大沢さんが座っていた。
 大沢さんは朱色のセーターにオフホワイトのパンツ、蓬莱さんはデニムワンピだ。
 
 そして――その肩には、例の不気味な手が貼り付いている。
 しかも悪化しており、骨ばった腕が彼女の上半身を覆っていた。

「飲み物は何にする? 天音ちゃんも遠慮しないでね」
「そうそう、今日はカロリーのことは忘れよう!」
「うん、ありがとう」

 ローテーブルに広げられたザッハトルテに、クッキーに、カットフルーツ。
 女の子たちは軽やかな笑顔で、解放感にひたっている。
 

 この時――和樹は、覚悟を決めた。
 
 もう、見て見ぬふりはできない――。
 みんなに災いが降りかかる前に――と。
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