前妻を愛し続ける王子と後妻~婚約破棄はさせません~

岡暁舟

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 黄金の王子と讃えられた第一王子ファンデルワールスの婚約者、公爵令嬢エリーナがその晩死んだ。

「どうして、こんなことに……」

 それは病気だった。仕方のないこと……でも、ファンデルワールスはなかなか割り切ることができなかった。

「これはひょっとして、僕のせいだろうか……僕が、優柔不断で……彼女を婚約者に選んでしまったことが間違いだったのか……」

 エリーナは死んでも美しかった。どうして、死んでいると言えたのか。誰もが疑問を抱くほどに。そんなエリーナの亡骸を、ファンデルワールスは一晩抱え続けた。

「君はまだ生きている……永遠に僕のことを好きでいてくれる……そう約束したのに……」

 ファンデルワールスは現実を受け入れることができなかった。


「あれは、立ち直るまで相当時間がかかりそうですな……」

「まあ、仕方がないでしょう。若気の至りってやつですかな……」

 ファンデルワールス……というよりも、王家の体裁を心配すると見せかけて、ただ単に野次馬根性で駆けつけてくる年老いた死に損ないの貴族たちが、二人を遠くから取り囲んでいる。


「皇帝陛下は間もなく御出でになるのですかな???」

「せめてもの弔意を……ああ、やはり王家の一大事とあらば、真っ先に駆け付けるのが我らの務めですからな!」


「ええ、そうですとも。ああ、久しぶりに皇帝陛下に謁見できると思いましてな……ああ、十年ぶりですかな。冥土の土産になりそうですわい……!!!」

 年老いた貴族たちは性懲りもなく歓談している……誰もファンデルワールスのことなんて心配していなかったのだ。本当のクズ……そう思う者は他にもいたようだ。


「皇帝陛下が間もなくいらっしゃいます……」

 ある者が告げた。すると、その場に居合わせた老々の貴族どもはみな、一列に並んだ。ファンデルワールスは当然気にしなかった。必要もないのだ。

 皇帝陛下が部屋に入って来ると、貴族どもは一同に頭を下げる……時折その表情を伺う者もいた。ファンデルワールスの元に駆けよって、静かに声をかけた。

「辛いな……」

 皇帝陛下もまた、ファンデルワールスと同じ心持ちだった。貴族の頂点にして国家の偉大なる統治者は、どうやら人間の心を忘れていなかったのだ。

「だが一つ言えることは……それは決してお前の責任ではないということだ……」

 そう言って、ファンデルワールスの肩を優しく叩いた。

「陛下……ありがとうございます」

 ファンデルワールスは形式上の礼を述べた。

「それにしても……お前が愛したエリーナは……不気味なくらいに美しい女だな……」

 皇帝陛下は言った。

「美しい……彼女は身も心も全て美しいのです。それは、僕にとって全てでした……」

 ファンデルワールスは顔を上げた。その視線の先には父親がいた。

「お前が第一王子ファンデルワールスである以上、これは仕方のない問題な。しかしながら……お前を第一王子にしてしまったのは、他でもないこの私の責任だ……」

「陛下……何をおっしゃいますか……」

 陛下の視線の先には一人の息子がいた。

「僕がここまで強くなれたのは、他でもなく陛下の力添えがあったからこそ……こうして人として、一人の女を好きになることができたのも……陛下が私をここまで育ててくださったからなのです……」

「そうかそうか……すまなかったな……」

 落胆する皇帝陛下とファンデルワールスをよそめに、参列した貴族どもは今後のことを考えていた。正当な婚約者を失った第一王子ファンデルワールスは、次の婚約者を探すことになる。本来であれば。世継ぎがないというのは、それはそれは大問題なのだ。

「場合によっては私の娘を……」

 なんて画策する輩がウジ虫のように湧いて来るのは、ある意味当然の帰結だった。そして、そのウジ虫どもの相手をしないといけないと言うのも、ファンデルワールスが第一王子として果たさなければならない義務だった。

 エリーナが亡くなってから一カ月の間、輩どもにとっては休戦協定が結ばれる。だが、その後はすぐに戦いが始まる。血生臭く、誰が何のために人間世界を統治するのか、本当にその価値があるのか分からないレベルだった。


***********************************************


 エリーナが亡くなってちょうど一週間を迎えた。ファンデルワールスは敢えて学院に戻ることを決めた。別に多少さぼったとしても、王子は常にその学年の名誉主席卒業となるわけで問題はない。ただ、ファンデルワールスは王家の中でも極めて優秀な成績を治め、名誉という肩書は不要なくらいだった。

 渦中の第一王子が学院に戻ってくる……その噂を聞きつけた令嬢たちは、新たな噂話で盛り上がっていた。それは当然、次期婚約者が誰になるか、ということだった。エリーナとの出会いはやはり学院内だった。公爵令嬢とは言っても、旧家の出身ではなくて成り上がりだった。だからこそ、中央の貴族社会ではあまり良い印象を抱かれなかった。ファンデルワールスが彼女を見かけたのは、学院の内部にある湖のほとりだった。ちょうど人生を終えようとしている(実はただ単に水辺を観察しているだけだった、と後から分かった)少女の姿に、いてもたってもいられず、そのまま大急ぎで駆け寄った。

「早まるな!!!」

 ファンデルワールスは叫んだ。エリーナは何が起きたのか当然分からなかった。よく見れば、誰もが知っている第一王子ファンデルワールス……そんな彼が、訳もなく自分目がけて突進してくるのだから。

「わっわっわわわわわわっ!!!!!!」

 エリーナは本当に湖に落ちてしまった。ファンデルワールスはすかさず飛び込んで、エリーナを救出した。

「どうしてこんなことを……」

 息絶え絶えに、ファンデルワールスは尋ねた。

「それは……涙を見られないように……」

 エリーナはそう言った。

「涙???どういうことだ???」

「いいえ、なんでもありません。ただ、無性に涙が出てきてしまうので……ここ最近……」

 涙が出てくる……ファンデルワールスはイマイチ分からなかった。ただ、なんとなく辛いのだろうと察した。だから、ぎゅっと抱きしめることにした。これは、いつも皇帝陛下にやってもらっていた、一種の安心を得る手段だった。

「ななななっ……なにをされているのですか!!!???」

 ファンデルワールスは冷静だった。

「何を悩んでいるのか……いや、そんなことはどうでもいい。きっと、僕には理解できない問題なのだろうから。さあ、もう物騒なことはしないでくれよ。ああ、焦った焦った……」

 真顔でこんなことができる男っていうのも、相当なレアキャラだろう。まあ、そんな彼の姿を見たら恋に落ちるのはある意味必然なのかもしれない。

「好きですうううっ!!!!!」

 エリーナは三日後、ファンデルワールスの前に現れて告白した。周りは当然ざわついた。ただでさえ存在感がない、それでいてよく見ると美しい女性……妬みの対象になるのは当然だった。


「ねえ、あなたって、ファンデルワールス様のなんなの???」

 エリーナに罵声を浴びせる令嬢は多かったが、その下世話な令嬢とは一味違って……いや、結局のところエリーナを生涯追い詰めることとなる最高位公爵令嬢のカーチャ……彼女はエリーナと顔を合わせるたび、このような質問を頻繁に投げかけた。

 エリーナは幼く恋を知らなかった。だからこそ、人間のように純粋な気持ちを告白してしまった……それがどのような結末に収束するのか、そんなことは考えてもいなかったのだ。

「あのおおおっ…………」

 そして、彼女は極度の人見知りだった。社交界に顔を出すことはほとんどなく(というよりも、そもそも旧家の出身でないため、招待されることがほとんどない)、令嬢たちとどのように接するのか、その心得もほとんどなかったのだ。

「ねえ、そんなことも分からないのに、ファンデルワールス様を好きになるって……それもはしたなく公衆の面前で告白だなんて、一体どんな頭をしているのかしら…………」

 最高位公爵……皇帝陛下の親戚にあたる連中の中で最も最高位に位置する公爵の令嬢として、それはつまり、ファンデルワールスを含めた王家の男たちと婚約するために英才教育を施されたということになるが、全く持って気に食わなかったのだろう。まあ、当然かもしれない。

「あなた……どういう領分なの???」

 エリーナにとって最強の敵であるカーチャを目の前にすると、ファンデルワールスも公衆の面前で批判することは出来なかった。実を言うと、カーチャの主張には一理あって、最高位貴族に対する告白や正式な婚約の交わしについては、公衆の面前で行うことを禁止されているのだ。だから、エリーナの行為はこの貴族世界ではタブーなのだ。もちろん、そんなことを彼女が知る由などなかったのだが。

 貴族として……それは、下世話な意味ではなくて、真の骨のある貴族として、厳格に伝統やルールを守るカーチャの思想から大きく外れるエリーナの出現……それはある意味、世界の脅威だった。そんな脅威を取り除くため、結果としてカーチャはエリーナの敵であり続ける必然性が生じたのだ。

 その結果エリーナが……いや、この議論を結論づけるのはまだ時期尚早だろう。



「きゃあああっ……ファンデルワールス様が戻ってきましたわああっ!!!」

 ファンデルワールスが学院に戻ってきた……それは大ニュースだった。令嬢たちはこぞって彼の元に駆けよった。欲望をむき出しにして……下手すれば、このままめでたくゴールイン、などと考える輩が多かったのだろう。

 学院のルール……いや、貴族社会のルールとして、やはり高位貴族に公衆の面前で囲い込むなんていうのは、やはりご法度なのだ。だがしかし、そんなルールは既に形骸化している。どうでもいいんだ。自分が一番になれば。彼女たちの目論見として、やはりファンデルワールスは一人の立派な男であるという考えが根底に流れている。婚約者を失った王子を自らの身体で慰めればそれで勝利……安易に考えているのだ。いや、正確に言えば、彼女たちの親の影響が強いだろう。令嬢たちの身体とはつまり、こうした貴族に弄んでもらう一種のパーツであると、よく考えられるそうで。まあ、結果としてけばけばしい女たちが完成するのだろう。

「ねえ、ファンデルワールス様???婚約者を失って、悲しくないですか???よかったら今夜私と……」

「ちょっとお待ちなさい……私だって……」

 こんな感じで言い寄って来る女は多い……まあ、既成事実を作ってしまえばいいのだから。考えることはみんな一緒……と誰もが思っていた。同級生の貴族からしてみたら、これはこれで羨みの対象なのだ。第一王子の肩書ともなれば、次期皇帝に最も近い立ち位置であり、それはもう最強なのだから。


「おいおい、あそこで変なオーラを出している女は誰だ???」

 貴族たちはとある女を指差した。制服ではなくて上下ともに黒服……正装である男の到着を待っているようだった。その男が到着しても、微動だにせずただ、その場所で待っていた。表情を一切変えることなく、決して許しがあるまで見せることもなく……まりでアリを数える子供だった。

 ファンデルワールスは当然、その女の出で立ちから察した。そして、形式上の礼を告げるため、野次馬どもを必死にかき分けて、その女のところに向かった。ファンデルワールスが目の前にやって来たことを悟り、女はそっと顔を上げた。

「やはり……君だったか……」

 ファンデルワールスが語りかけて、女はようやく口を開いた。

「この度は……誠にもって残念です……」

「ああ、そう言ってくれたのは陛下……だから君が二番目だね、カーチャ……」

 カーチャはようやく、身体全体を直立させた。そして、ファンデルワールスをしっかりと見た。


「なに、あの女……形だけじゃない……」

「ああ、ああ云うのを時代遅れって言うのね……」

「でも、どうしてあんな女に目を向けるのかしら……ひょっとして、ファンデルワールス様が次に目を付けるのは……!!!!!」

 令嬢たちに緊張が走った。遠くから彼女たちがプルプルと震え、慌てているのに気が付いた。カーチャはなにも考えていなかった。ただファンデルワールスを見ているだけ。ファンデルワールスは迷った……これ以上なんて声をかければいいのか。カーチャが心の奥底で余裕そうに胡坐をかいているような気がして……想像を絶する学院生活の再開となったのだ。
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