座して見よ、我が慈悲の極星を

末野みのり

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第十話 白花の勇者(2)

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 王宮の議会場の議長席へゼファーは腰を下ろした。
 その左手側にはクロードが座り、右手側には王の親族が腰を下ろしていた。一番に、皇太女たる姪セシリア、そして続いて王の二人の姉が座る。
 王の姉を、クレイミナス女公爵ベラ、そして聖堂騎士団師団長テミスと言う。

「こうして家族みなが集まるのもいつぶりかしら」
「陛下の戴冠ぶりでしょうね。この子は昔から軍都の方が居心地がよかったようですから」
「ご無沙汰しております」

 おっとりそうな美女と、真面目そうな美女からの苦言に、素知らぬ顔でゼファーは形式ばった挨拶を返した。
 姉と言うものに頭が上がらぬのは王も同じようで、クロードはひっそりと共感で微笑みを溢した。

「陛下が私たちをも呼んだということは、今回のこのことは、一回限りではない余程の事態か」
「おそらくは。場合によってはテミス姉上の結界術師隊を動かして頂くことになります」

 王より一回り年上のテミスは、凛々しい美貌の女傑であった、青春時代から聖堂騎士団に属したその武勇と魔術は確かなもので、王族でありながらその一生を神へと捧げた、信心深い教徒でもある。

「あら、戦いのことでしたか。ならば私の出番はなさそうね」
「ベラ姉上には、セシリアの後見人となって頂きたく思います」

 テミスよりももう一回り近く年上のベラは、見た目通りの温和な貴婦人で、王と並ぶと母子にも見えた。
 ベラはほとんど少女と言っていい頃に老齢のクレイミナス公爵に嫁ぎ、夫が亡くなってからは爵位を継いで、今は息子や娘たちと穏やかに暮らしている。

「……死を、覚悟するほどの?」
「アレストの使い手がいて、ようやく立ち向かえるほどの戦いになるかと」
「ユーノヴェルト辺境伯か。セシリアからおおよそは聞いている」

 テミスの視線が、刺すようのクロードに向いた。女傑の視線に一礼を返す。

「まあまあ、詳しい話は後にしましょう。会議とならば長くなるもの、同じ話を人を変えて何度もする羽目になっては、ただただ疲れるだけですからね」
「……ええ、そうですね。私はともかく、姉上までもこのような場に引っ張りだしたのだ。醜態を見せるなよ、ゼファー坊や」

 テミスの冷たく揶揄する呼び方を、ゼファーは気にもとめていないようだった。笑いを堪えることが出来なかったのはクロードである。

「クロード」
「いえ、失礼を。僕も、姉には弱いもので」
「そうだな、気の強い姉を持つと弟が苦労する」
「頼もしい、とお間違いなのでは?」

 クロードの微笑みながらの言葉に、冗談混じりの返答をしたゼファーに、女性三人の表情が、驚きに変わる。

「あら、あらあら……」
「……ずいぶんと、ユーノヴェルト辺境伯には気を許しているようだな」
「クロード様。どのような魔法を使われたのです?」

 年齢違いの三人の美女の視線を一気に浴びて、クロードは眉を下げて笑い、王に視線で助けを求めた。王の胸中など、クロードには答えようのないことであった。
 王はクロードの視線を受けて、少しの逡巡の後、口を開いた。

「ユーノヴェルト辺境伯は、癒炎剣アレストを抜くのに二年掛けた、その忠信への応え……というだけではその答えとして不足ですか」
「貴公は、二年もの間アレストの炎に灼かれた、ということか!?」
「はい。陛下とのお約束でしたので」

 テミスの問いかけに、クロードは変わらず穏やかな声で頷いた。驚愕した顔をしていたテミスの厳しげな美貌が、王とよく似た剣呑な笑みを作る。

「は、見た目によらぬ傑物だな。ユリウスといい、ロベルトといい、ずいぶんとこの国の才能を独り占めするではないか」
「……それもまた、天命故のことかもしれません」

 ゼファーがその言葉を言い終わるか終わらないか。
 がやがやと騒がしく貴族たちが議会場に入ってきた。クロードはその胸元を見る。
 彼らが身につける家紋を模した装飾品を眺め見ながら、その顔と職務、家名を記憶と照らし合わせる。
 そのほとんどが、公爵、あるいは侯爵。職務は大臣及び副大臣のもの。
 各々が席につこうとする中、いくつか無遠慮な視線が投げかけられ、その中の一つがクロードに嘲笑を投げつけた。

「ああ、王の『御稚児』か」

 クロードは曖昧に微笑んだ。それを皮肉も理解できぬと勘違いしたか、その言葉を聞いた周囲の貴族にもクロードを侮り馬鹿にする空気が流れた。
 この男か。
 クロードは納得した。かつてゼファーに王の資質として禁足地の平定を迫り、そして間諜としてラウドとユーゴを軍都に送り込んだ、ユリウス曰く『クソ野郎』。
 その家紋には覚えがあった。デルウッド侯爵家。巨大な鉱山と製鉄所を領地に持つ、潤沢な資産を持つ大貴族である。鋼鉄と魔法石、両方の鉱山を持つデルウッド侯爵が、だからこそ王に対しても大きな顔をしているのは明確だった。

「王族皆様方お揃いで。今夜は姫君とパーティーですかな?」

 デルウッド侯爵が可笑しそうに声を上げる。セシリアは眉を寄せた。王は深く溜息をついて、侯爵の丸く肥えた顔に視線を向けた。

「……多弁に更に磨きをかけたようだな」
「ああ、陛下。軍都でのバカンスをお楽しみのようで。それほど『具合のよい』御稚児ならば、お貸しいただきましょうかね?」

 王の眉が不機嫌そうに上がる。国務副大臣でもあるデルウッド侯爵に、媚びへつらうように周りの貴族たちも笑った。クロードはそれら全てを無視して微笑んだ。

「デルウッド侯爵閣下、お初にお目にかかります。ユーノヴェルト辺境伯クロードと申します。よければお名前を覚えて頂ければと」
「はは、その上賢いときた。よいペットをお持ちですなぁ」

 クロードは微笑みのまま表情を変えなかった。
 なるほどこれは手に余る。潤沢な資源を傘に好き放題。武力で排すのは簡単だが、王が直々にそれを為せば、人心は王から離れる。それを分かっていて、気ままに振る舞っている。

「挨拶はそこまでよかろう。本題へと移る」

 この侯爵のペースに飲まれては出来る話も出来ぬとばかりに、王は急くように話を断ち切って、場の空気を正した。
 だが、相変わらず侯爵はニヤニヤとした笑みでいる。鈍感な人だな。クロードはなんの感情もなく、そう思った。この男さえ制せば、風向きも多いに変わるだろうということも念頭に置いて。

「魔竜の封印が解ける。救世主がくる前にな」

 王はよく通る声で言った。
 場に緊張感が走った。のも、束の間。

「はっはっは、陛下、何を言うのかと思えば!ありえません、魔竜と救世主は表裏一体ですぞ! 学のない平民の子どもでも知っていることです」

 王の言葉を笑い飛ばしたのは、デルウッド侯爵であった。それを皮切りに、他の貴族たちも追従するように乾いた笑みを浮かべる。

「それが思い違いだとしたら?この二年の調査による根拠はある。今からそれを……」
「そのような妄言は不要です!ああ、陛下。怖くなったのですか?」
「何?」

 クロードは、腰のアレストに手をかけた。この男は、臣下として越えてはいけない一線を、越えようとしている。その一線を越えたなら、クロードには王の剣として、やるべきことがある。

「禁足地に行くのが怖くなったのでしょう。そのような虚言を申されなくとも、無理にとは申しません」
「話をまともに聞く気はなさそうだな」
「子どもでもわかる嘘をお言いになる方のお話を、どう真面目にお伺いすれば?武勇だけとは存じておりましたが……ハハ」

 デルウッド侯爵は、その樽のように丸い体を揺らして笑った。クロードは、アレストを強く握りこんだ。

「武勇だけが取り柄だというのに、その武勇まで腑抜けになってしまうとは。一体我々はあなたに何を期待すればよろしいのですか、陛下?」
「……口を慎め」

 その、凍えるほど低く冷たい声が、未だ十七の少年のものだと、誰が思っただろうか。
 そうして、椅子を蹴り倒してテーブルの上を駆けたクロードが、アレストを抜いて、男の首筋に剣を押し当てるまでほんの一瞬。
 それまで、曖昧な笑みばかり浮かべていたクロードの変貌に、誰もが反応出来なかった。ゼファーですら、である。

「ぶっぶぶっ無礼な!王の寵愛を受けただけの田舎者が!」
「よせ、ユーノヴェルト辺境伯!!」

 テミスが声を荒げて、その美しい指先から魔術を放つ。高位の拘束結界術。それを見て、クロードは安心した。
 万が一、自分がアレストの炎をコントロールしきれずとも、この女傑が守るべきものをしかと守ってくれるだろうと。
 だからクロードは、躊躇わなかった。アレストの破壊の炎を、テミスの結界術にぶつける。『騎士の退魔法』をも乗せた炎は、クロードを拘束しようとする結界術を突き破り、それはまるでクロードの翼のように燃え上がった。

「テミス王姉殿下。クレイミナス女公爵閣下とセシリア皇太女殿下をお連れになってご退場を。これより少々……荒っぽいことになりますので」
「いいえ」

 クロードの提案を、セシリアは毅然と拒否した。

「会議はまだ終わっておりません。私には……見届ける責任があります」
「姫、やめさせてください!!このような…っ」
「デルウッド侯爵閣下」

 セシリアに助けを求めようとする侯爵に、クロードは静かに話しかけた。

「陛下のお話を、三度も遮られましたね。それも国の命運に関わるお話を、陛下自ら根拠と証明なされようとした時まで」
「そっそのような荒唐無稽な話、聞くだけ無駄というものだ!!」
「お忙しいのなら、侯爵がなさった下衆の勘ぐりのご挨拶も、省かれた方がよかったのではありませんか?」

 クロードにとって、自分が侮られることはともかく、王がそのようなうつつを抜かしていると思われるのは我慢ならなかった。
 だが、それについてクロードはそれ以上追及しないことにした。私情での怒りをぶつければ、この行為の正当性は薄れる。

「この国難を前に、王の言葉を戯言と断じて笑いものにするなど、国賊と同様でしょう」
「国賊だと!!この……っ田舎貴族ごときが……ッ!」
「ええ、ユーノヴェルト辺境伯家は、たかだか魔竜の番を任されただけの、代々武勇だけが取り柄の一族です。ーー…だからこそ、王の剣として、害ある舌を切り捨てる役を負うのは、至極当然のこと」

 クロードは剣を傾けて、侯爵の首に当てた。背の炎が、形を変えて侯爵の頬に熱風を吹きかける。
 ようやくその炎が子供騙しの幻覚でないことに気づいたのだろう侯爵の顔に、どっと冷や汗が溢れ出る。

「へっ陛下!議場においてこのような蛮行を許していいのですか!!」
「……王への無礼が、蛮行でないとでも?」

 ゼファーの言葉に、男は悲壮な顔をした。王は、それほど冷たく言ったわけではない。ただただ会議の続きとばかりに、冷静で落ち着いた声で、告げた。

「このユーノヴェルト辺境伯は、全身を灼いてまで私の期待に応えた忠臣でな。この男にすら許さぬ非礼を、貴様などに許した覚えはないのだが」
「ひっ……」

 アレストの破壊の炎が、揺れる。

「あなたも、せめてアレストの炎に灼かれでもすれば、許されるかもしれませんよ」

 クロードは殊更に優しく微笑んでみせた。それこそ年頃の乙女がうっとりするほどの甘さで。ゼファーは小さく笑った。恐ろしく美しい業火が、クロードの目の奥に灯っていたので。

「や、やめ、やめさせてください、陛下!陛下!」
「あなたが真にこの国に尽くすお方であれば、私もこれ以上会議を中断する理由もないのですが」

 クロードは務めて静かに言った。私、と慣れぬ大人びた一人称まで用いて、務めて平静に。だが、取り巻く破壊の炎の勢いはより増した。
 紅蓮の破壊の炎が、クロードの頬を掠める。恐れはなかった。今この炎は、クロードが敬愛するゼファーの尊厳を守る為の炎だ。

「それ以上はよせ、クロード。これほどの仕置きをしておいて分からぬ愚鈍はここにはおるまい」
「御意に」

 ゼファーの言葉に、クロードは周囲が拍子抜けするほどあっさりと剣を引いた。ぱちん、音を立てて剣を収めれば、紅蓮の炎は派手に四散して霧散した。
 その炎に議場の視線が集まる最中、クロードは水音を聞いて、そちらに目を向けた。
 デルウッド侯爵が失禁したのだ。

「失礼、僕の靴で議場を汚しました。清掃をお呼びします」

 いつもの眉を下げる笑い方で言ったクロードに、ゼファーはいよいよ可笑しくなって、くく、と喉で笑った。

「デルウッド侯も体調が優れぬようだ。一時休息としよう」





「こえーよ」
「すいません」

 開口一番言ったシアンに、クロードは反射的に謝った。ロベルトの代わりに弓騎士隊を率いて王の護衛についたシアンは、議場での経緯も一通りその場で見ていたのだった。

「先ほどは冷静ではありませんでした」
「冷静じゃなかったで出る瞬発力じゃねえんだよな。やる気だったろ最初から」
「まあ……それが一番効果的かと思いましたので」
「忠犬で狂犬、一番こえぇやつなんだよな」

 二人のやりとりに、王はくくと喉で笑っている。会議場のすぐ近くの客室に、王とその親族、そしてクロードとシアンは場所を移していた。
 先ほど結界術を破られたテミスが溜息をついた。

「あのような手段に出るとは、本当に見た目によらぬ」
「申し訳ありません。どう転んでも、いまの僕であれば年少故の短慮と、陛下も始末がつけやすいかと思いましたので」
「そこまで考えていたのであれば、まあよかろう。ベラ姉上とセシリアに対する気遣いもあったことだしな」

 本当に呆れた顔をしたテミスだが、それでもその表情には小さな信頼の芽があった。
 その隣に座るベラが、不安げな顔でゼファーを見上げていた。

「それにしても……本当なのですか、ゼファー。魔竜の封印が、救世主を待たずに解けるというのは」
「ええ。二年、ユリウスもかなり調査して対策を取ったようですが、救世主の召喚の年までは引き延ばせぬ、との判断です」

 それはクロードにとっても初めて聞く話であった。確かにユリウスは常に忙しくどこかへと飛び回っていた。

「叔父上。もし事が起こったのなら……最前線に赴かれるのですか」
「ああ。二千年、使い手が現れなかったアレストを、クロードが抜いたというのも、天命故のことかもしれぬのでな」
「千年に一度の天才魔術師と、『騎士の退魔法』の技術を百年分進めた弓騎士が、お前の側にある、ということもか」
「ええ」

 ゼファーが少しも迷わず頷いたことに、テミスは思案する素振りを見せた。そうしてしばらくして頷き、椅子から立ち上がる。

「そういうことならば、聖堂騎士団にも共有する。いくらか兵も送れるだろう」
「まだ根拠をお見せしていませんが」
「いらん。我が弟が、少しでも曖昧なことがあれば自分の内に留める性格だということなど、知り尽くしている。確信がないからその時期まではっきり言わぬということならば、今この時の可能性さえあるのだろう」

 テミスは姉と姪の頬にキスを落として、一時の別れを告げる。そして、クロードに視線を移した。

「ユーノヴェルト辺境伯。これに着いていくのは少々骨が折れるだろうが、貴公にしか出来ぬことでもある。後背の憂いなく送り出すつもり故、よろしく頼む」
「身命を賭して、お応え致します」
「よろしい」

 ふ、と険しい顔で笑って、テミスは部屋を辞した。

「では、私たちはしかと最後までお話をお伺いしましょうか。戦いに向かわれる方が命を賭けるのならば、私たちは一人でも多くを生かし、生き残る責任がありますからね」
「はい」

 ベラの言葉に、セシリアも強く頷いた。
 戦う力を持たぬもの故の覚悟を、クロードは眩しく思って目を細めた。

「陛下。議会が再開するまで、少々離席しても?一応は……あちらにも、フォローが必要かと」
「ああ……恨まれようが今さら構わぬのだが、考えがあるのなら任せる。……しかしお前という男は…ふ…っ、くく」
「はい…?」
「そんな胆力はない、と言っていたのは誰だったか」

 クロードは、本当にあの時は議場でアレストを振るうつもりなどなかったのだ。ただ、アレストの炎で守れるものがあるのなら、出し惜しみするつもりもなかっただけで。

「……お前自身がアレストのようなものだな」
「は……」

 慈悲の白光と、破壊の紅蓮。その二つを指して言ったのだろうその言葉に、クロードはどう反応していいかわからず、視線を落として一礼すると、部屋の外へと飛び出た。





  医務室に横になったデルウッド侯爵は、恥辱に震えていた。あのような醜態を晒す羽目になった若造を恨めしく思い、だがあの美しい炎の恐ろしさに恐慌して、身も凍る思いと怒りの熱の両方に苛まれていた。

「デルウッド侯爵」
「ギッぁっ」

 だというのに、当の本人が目の前に現れるのだから、震えているどころではなくなった。ドッと脂汗が溢れ、喉はカラカラになって、まともな言葉を出すことも出来ない。

「先ほどは失礼をいたしました。どこかお体は痛めておりませんか?」

 だと言うのに、クロードが穏やかに微笑むのだから、デルウッド侯爵の頭はぐちゃぐちゃになった。この少年を、恐れていいのか、侮っていいのか、わからない。

「元々お腰を痛めてらっしゃるとお伺いしましたので、お悪くされていないかと思いまして」
「な…っなんとも、なんともない!!帰ってくれ、帰っ……っ」
「体に痛みがあると、気鬱に悩まされるものですからね。思いのほか、強い言葉を口にしてしまうことも多いでしょう」

 デルウッド侯爵の言葉を聞いているのか聞いていないのか、クロードは話し続けた。
 だが、寄り添う言葉に、デルウッド侯爵の頭の中の混乱は、いよいよ頂点に達した。

「そ、そうなのだ!痛みが酷くてな、多少の不快が酷く気に障るようになってな!!」
「であれば、お力になれるかと。アレストのもう一つの炎が、治癒のものなのはご存知かと思いますが……」
「ヒッ……」
「ご心配なく、白の炎は、誰も傷つけはしませんので」

 にこり、とクロードは微笑んで、アレストをゆっくり、ほんのその刃の光を見えるぐらいに、抜いた。
 途端、白い炎が吹き出す。ヒ、とデルウッド侯爵の喉が引きつった。
 だが、クロードの言葉通り、白い癒炎はデルウッド侯爵の痛みに寄り添うだけだった。長年悩まされていた腰痛が、たちまち癒えていくのを、デルウッド侯爵は確かに感じた。
 少年の秀麗な顔が、白光に照らされている。何事かを考え込むような顔が、絵画の憂いを帯びた天使のようだった。
 そうだ、彼は天使なのか。
 デルウッド侯爵は、混迷の果てに天啓を得た。完全に恐怖と安心の落差で精神状態がおかしくなっているだけなのだが、正気に戻るには、アレストの力は絶大すぎたし、その炎は美しすぎた。

「私の傲慢を、神がお咎めなさったのだな……」
「はい?」
「そして君を遣わせた。麗しき天の使いよ」
「……はい……?」

 さすがのクロードも動揺した。クロードの意図としては、強い恨みを持たれないように関係を構築できれば、という程度のことだったのだ。
 それがまさか信仰の話になるとは。ねっちょりとした手汗まみれの両手で空いた左手を掴まれて、クロードの顔が困惑に染まる。

「私はこれからどうすればいい!?私は財産と身分しか持たぬ!!妻も娘も私には辟易したとばかりに、顔を見せれば溜息ばかり!!どうしたらこの人生を取り戻せる!?」
「あの……ええと、ご家族のことにはあまりはっきりしたことは言えませぬが、同じ国に仕える者同士、民のため尽力出来ればと……」

 困惑の渦中ながら、クロードは模範的回答でどうにか凌ごうとした。デルウッド侯爵はその言葉をまるでありがたい予言のように頷いて喜色満面になる。

「ほかには何をすればいい!?」
「あの、僕はただの人間ですので、神託のように確かなことを言えるわけではないのですが……」
「いいや、それで良い!それで良いのだ、人の身で天の使命を負っておられるとは恐れ入る」

 キラキラと輝きさえ見える瞳で迫られて、クロードは表情を保つのに必死になった。怖い。ここまで妙な方向に正気を失った相手と相対するのはこの少年にとって初めてのことで、どうにか話を合わせるので精一杯であった。

「アレストを手にすることが天の使命……というならば、そう、かもしれません、ね……?これからの国難、至らないことも多いかと思いますので、ご指導、いただけれ…ば……」
「ああ!是非とも!頼りにしてくれ!!」
「は、い……それでは……」

 にこ、とぎこちなく笑ったクロードは、するりとデルウッド侯爵の両手から手を引き抜き、無様にならない程度の早足で医務室を辞した。
 廊下に出た途端、クロードはそこで待っていたシアンの顔を見て、安心して顔を崩して笑った。
 途端。

「ユーノヴェルト辺境伯!!」
「はい!!」
「よければこれを……」

 医務室から飛び出してきたデルウッド侯爵は、クロードに何かを握らせた。恐る恐る手を開くと、いくつかの魔法石が手の中にあった。

「!?あの…い、いただけません……」
「なに、先ほどの治療の礼です。ご必要なければ、換金するなり、あの道化の魔術師にくれてやってください!」
「は……はい……」

 気圧されて、クロードは頷いた。その様子に満足したのか、デルウッド侯爵は医務室へと戻って行った。
 その魔法石をただただ手の平の上に乗せたまま、クロードは困ってシアンに視線を向けた。思い切りシアンは引いていた。

「……坊ちゃん……こえーよ……何やったんだよ……」
「シアン殿……あの……僕ほんとうに、対したことはなにも……」
「いや坊ちゃんが怖い思いして来てんのかい」

 常にないクロードの様子に、シアンの声には呆れが乗った。経緯はわからないながら、悪いことにはなっていないだろうやり取りが、心配に至らなかった要因であった。

「つーか坊ちゃんが上手いこと口説き落としてくれたんなら助かるわ。まあ好きにさせとけ」
「根拠のない好意が一番怖くないですか……?」
「怖がってんのそこかよ」

 シアンはケラケラと笑い、クロードの背をバシバシと叩いた。
 これでいいのだろうか。クロードは一抹の不安を抱きつつ、議会場へと戻ることにした。
 その不安とは逆に、生涯クロードの信奉者となったデルウッド侯爵からの多大な援助を受けることになり、その度に悩みを抱える羽目になるのだが、それはまだ、今のクロードはわからぬことである。

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