それが恋だっていうなら…××××

ハル*

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~小林side~


(なんか、あの頃みたいだな)

自分の体のことなのに、自分の体じゃないみたいでどこか持てあましている感覚がある。

母親にも言えずに、“ここまで”きてしまった。

義父との関係がよければ、相手は医師といえば医師なのだから相談に乗ってもらうことも考えたかもしれない。

けれど、一葉のことや義父が母親に向けている愛情の重さを考えてみれば、安易に相談にと考え至れない。

「……はあ」

盛大にため息をつき、瑞がタイムカードを代理で打刻をして、遅番への引き継ぎ事項についての話をしてくるのを待つ俺。

(こんなことになっても、自力じゃどうにも出来なかったくせに、過去と同じことを繰り返すつもりか…俺は)

テーブルに突っ伏して、その板面の冷たさになぜかホッとして。

(すこし熱があるのかもしれないな)

冷たさを求めている自分を知った時に、自身の体調をも知ることが多い。

ロッカーまでよろけながら歩き、バッグを漁って普段から携帯している体温計で熱を測る。

「37.2か」

微熱の範囲。とはいえ、平熱が比較的低めの俺は熱がある方に該当してしまう。

(メンタルもキてるなぁ……。瑞になんて説明したらいい? きっと、わかろうとしてくれるんだろうとしても…言いにくい)

初めての彼氏に対しての信用も信頼も、これまでの交友関係を振り返っても過去一の相手。

何より彼は、俺を理解しようといつも思ってくれていることを、まっすぐに伝えてくれる。

(なら、迷うなんて選択肢はないはずなのに)

わかってる。

「――わかってるのに、どこから話せばいいのか…わからない」

誰もいないロッカールームで、自分の呟きだけがやたら響いて聞こえる。

一葉とのことがあるよりも、過去むかしのこと。

心や体に負荷がかかり過ぎた時に自分がそういう状態に入ってしまう傾向があると気づいたのは、その状態になってからかなり後だろう。

義父以外の医師に、入院中、小さな図書室からの帰りの廊下で声をかけられたのが意識をした最初だったはず。

掛けられた声は、今でもすぐに思い出せるようなもの。

「ねえ、大丈夫かい? 悠有くん」

何に対してのものなのかわからなかったけど、入院中のいつもの笑顔で返したはずだ。

「平気だよ」

互いに主語のない会話。

あの頃の俺は、自分のことを“ボク”と呼んでいた。だから、気にしたことがなかったし、自分の何がおかしいとか気づけなかった。

「……平気なはずがないだろう? 辛いとか痛いとか、言わなきゃ助けられないよ? 悠有くんは素直に言ってもいいんだよ? ……ねえ、悠有くん。本当に大丈夫なのかい?」

普段やりとりのないその名前も知らない医師が何を指しているのかを理解できずに、首をかしげてからその場から去った。

「あら、悠有。自分で本を返しに行くって出て行ったっきり、なかなか帰ってこないから心配してたのよ?」

病室に戻ると母親がいて、心配していたと言ってるけれど、きっと今までそこで寝ちゃってたんだろうなって寝起きの顔で呟いていた。

「ごめんなさい」

「もうすぐで検温だって。ベッドに横になって、落ち着いたら検温しておこうね」

「うん」

ベッドに寝転がり、ボーッと天井を仰ぎながら、さっきの出来事を思い出して。

「夕食が終わったら、帰るわね」

「ん、わかった」

「……面会時間ギリギリまでいてあげたいんだけど、出来なくって…ごめんね。悠有」

目の下がうっすら黒ずんで疲れが取れない顔で申し訳なさそうに笑ってる母親に、俺はなんて返したっけ。

「平気だよ」

ああ、そうだ。

平気だよ。大丈夫だよ。って、同じ返し方ばっかりだっけな。

でも、その言葉を言えば、母親が心底ホッとした顔をして帰ったんだ。そうして、また夜の仕事に出かけていったはず。

母親がそうしているのが自分のせいなんだと理解していたから、駄々をこねると悲しませるとしか思えず。

かといって、もういいよなんて言葉も言えず。

その言葉を言えば母親が違う意味で悲しむか、自分がこの世から消えてもいいって思ってるのを認めてしまうようで、自分自身がその言葉を口に出来なかった。

生きるための日々を、ゼロにする言葉。

幼いながらに葛藤して、笑うことと、平気だ大丈夫だと言葉にすることで、踏ん張っていたんだ。

その時の自分について話を聞かされたのは、かなり後のこと。

自分が心身の健康を保とうとして、無意識でやっていること。そのことに気づけたのは、一葉との関係が徐々に自分の中でキャパオーバーだと感じだした頃。

アイツに振り回され受け入れるほかなく、両親に内緒の関係を続けていく中で現れ始めたソレ。

一葉との行為があった翌日、いつものように母親から食べたいものの話をされて、自分的には特に何もなく返した言葉。その中に小さな歪みがあった。

「悠有が自分のことを”ボク”って呼ぶの、久しぶりね? 気づいたら、大人っぽく自分のことを俺って呼ぶようになっちゃって。…なんだか久しぶりで、懐かしくって…嬉しくなったわ」

母親にそう言われて、自分の話なのに記憶がどこかおぼろげで。

「そ……そう?」

曖昧に笑んで、ごまかした。

ごまかしながら、記憶がぼやける時間があることを認めるほかなくて。

なんか最近おかしいなとか、気づけば時が過ぎていたことが増えたり。気にしないようにしていたそれは、気にしないようにというよりも見ないふりをしていたんだろうと知ってしまった。

一枚のすりガラスを隔てて、自分を見ているような感覚になる時もあった。

実家で義父と一葉に愚痴のような捨て台詞を吐いた時が、まさにそれだった。

そうしていた理由=自己防衛本能ってやつだったんだって。

誰かに聞くことも頼ることも、そして甘えることすら出来なかった。遠慮なんて美徳でも何でもないのに。

心が壊れそうな時。素の自分が甘えられない時。小林悠有という器の中に、もうひとりの小林悠有がいる。

そうすることで、自分を守るために。

「ごめん。思ったより時間かかっちゃったけど……ん? どうかした?」

エプロンの紐を外しながらロッカールームに入ってきた瑞。困ったような顔つきで俺の顔を覗きこんでくる。

「あれ? もしかして熱出てきた?」

そして、テーブルに置きっぱなしにしてた体温計を目ざとく見つけて、俺のひたいに手をあててきた。

「んー…、病院、本当に行かなくていい? 何なら明日、休みにして体休める? 今ならまだ店長いるから話してくるけど」

気づかってくれているのがわかるけど、それでも現段階じゃそれを選ぶ勇気がない。

「いや、熱が下がれば大丈夫だと思う」

これは、今の自分が返せる精いっぱいの返事。

「……とりあえず、今日も俺んち泊まりね? 甲斐甲斐しく看病するから、覚悟してね?」

俺の気持ちを知ってか知らずにか、すこしふざけた口調で一人にしないよと伝えてくれる彼。

(あぁ……今、目の前にいるこの人のことを逃がしたら、きっとこんな自分のそばには誰もいなくなるんだろうな)

じわっと涙が浮かんでくる。

「……ん」

言葉にすると、声が震えるってわかってた。だから、一文字だけで返事をする。

「じゃ、荷物も俺が持つから。あ、体温計持たなきゃな。それと…」

イスに腰かけたままの俺の目の前で、瑞がパタパタと動いては帰り支度を整えてく。

(瑞には話さなきゃな)

説明しにくいそれを話すのは、勇気がいる。そして、何よりも現状を把握しきれていない中で話をしなきゃいけない。

病名があるようでないそれを、どう話せばいい?

後々、あの医師を見つけて相談をし、向き合い方だけを教わった。その時に言われたことを憶えている。

「ひとりで抱え込まない。君のお母さんに話せないとしても、誰か一人でいいから打ち明けるように。……そこまで信頼を寄せられる相手に出会うことが稀有なんだろうけど、手を取ってくれる誰かに出会えることを祈っているよ」

その状態を無理に無くそうとしないこと。認めることから、それに向き合うことが始まる。

(どこか壊れている現状の中で、それを認めなきゃいけなかったのは、あの頃の俺にはキツかったなぁ。壊れている自分も、自分の一部なんだって認めるってのが……一番キツかった)

今だって100パー認めているとか受け入れているわけじゃない。けど、そのままでいれば、前には進めなかった。

あの医師は、こうも言った。

「病院に入院して状態が収まるまでどうこうすることだって出来るし、悠有くんが躁鬱だとかいって投薬してコントロールすることだって出来るけど、それは根治治療って言わないと思ってるから」

と。

想像しただけで怖かった。最初に母親に自分のその状況に至った経緯を話さなきゃいけなくなることも、入院して隔離されるようなその状態の自分も、薬だけに頼らなきゃ自分を保てなくなるようなのも。

薬によって自分の感情すらコントロールするそれは、自分のことなのに他人の体に作りかえられそうな感覚にもなり。

そうなった自分を母親に見せたくなかった。そして、そんな自分で生きていくのは嫌だった。

小林悠有という人間でいたい。それだけの話。

「準備できたよ。……さ、帰ろう。車の中でさ、晩飯何にするかって話そうよ」

他愛ない話を振ってきながら、さりげなく肩を貸してくれる瑞に。

(話せるんだろうか。俺の予想では、今回のコレは……時間がスイッチになってる。でもそれを話してしまえば、働くことも難しくなるかもしれない)

キッカケを知ることが出来たのは、今朝。

そして、確信を持てたのは、ついさっき。

「ん」

(厄介だな。スイッチになるのが時間だなんて。…意識をしなきゃいいんじゃないと言われそうで、怖いな)

瑞はそんなことを言うわけがないと思いながらも、信じたいのに信じきれない自分もいる。瑞だけはと思うのに、恐怖感が勝ってしまうんだろうか。

(話して、拒まれたり信じてもらえなくて。瑞がいない未来を想像して。…想像の中だけの喪失感を、現実で味わいたくないって考えてしまう。…矛盾ばっかだ)

ふらつきながら、触れている瑞の体温にホッとする。

(失いたくない。瑞がいない未来なんて…嫌だ)

今まで受けてきた傷のすべてを忘れられたらいいのにと、心底思う。そうありたいと願う。

願うだけじゃ、願いは叶わないってことも知っているのに、願わずにはいられない。

(矛盾ばっかな俺と、瑞はいつまで一緒にいてくれるかな)

「ね、あのアイスの自販機で、食べられそうなのあったら買うけど?」

熱があるからかな、珍しいことを言ってきた彼に。

「ううん。いいよ、いらない。それよりも、少しでも早く瑞の部屋に行きたい」

ちょっとのワガママを返して、ぎこちなく笑う。

「……わかった。じゃあ、途中でスーパーに寄って、それからね」

「ん」

ゆっくりと走りだす車。窓から外を眺めて、ぼんやり流れていく景色を見送る。

「何にしようかな。何食べたい? なんなら食えそう?」

見慣れた景色を見送りながら、スープとか汁物っぽいのが食べたいなと考えて。

「何味でもいいから、スープっぽいのがいいな。それか、今朝食べたみたいな鍋とか」

とか返せば、くつくつと押し殺すように笑うのが聞こえる。

「なーに? 朝からしゃぶしゃぶやったの、思ったよりも気に入ってくれた? 鍋でもスープでもシチューでもいいよ? 作れる範囲内だ」

俺と一緒の時間が増えてから、瑞のレパートリーも増えた。その影響がいい方向に出てくれているわけで。

「じゃ……シチュー食べたい。出来れば、ご飯も」

「あ、そういえば悠有はご飯と一緒派だっけね。俺はトーストと一緒のがいいから、食パンも買うとして」

まるでひとり言のようにブツブツいいながら、これから行く買い出しの話をずっとしている彼を。

(ワガママを言える相手が出来るとか、思ってなかったのにな)

「…大好き」

囁くような声で、愛おしい気持ちを言葉にする。

「ん?」

そんな声にも気づかれそうになることが多いけれど、照れくさいからまた笑ってごまかす。

「さ。ちゃちゃっと買い物してくるから、ここで待ってて」

「ん」

一人になった車の中で、スマホで時間を確かめた。

気づけばもうすこしで6時になりそうだ。

(あの時間帯をやり過ごすか、その時間より早めに退勤を頼むか。店長に相談できるか、瑞に話をしてみようかな。それと、朝は…どうしよう)

思ったよりも時間に敏感になっていく自分に、あの時間がスイッチなんだと痛感せざるを得ない。

一日は24時間で、午前か午後って違いだけで同じ数字で時間は決まっている。

「4時53分、か」

今更ながら、悔いる。

偶然なんだとしても、一葉が来る直前に何気なく見てしまった時計。意識した時間。そして、一葉に引っ張られた瞬間にもう一度、目にしてしまった時間。

「体調のことと、俺が俺でいる時いない時の話をしなきゃ」

人を信じるって、難しい。

そして、怖い。

スマホを両手でギュッと握り、うつむきながら呟いた。

「――――お願い、瑞。“ボク”を信じて…」

自分が一番自分を追い込んでしまうことを知っていても、無意識で追い込んでしまっては、自分がほつれていく。

胸の奥が重たくて痛い。

恋心とはすこし違う、胸の痛み。

何から話そうか。どこから話そうか。どうすれば信じてもらえる? と思いめぐらす俺の心に、誰かが囁いた。

『本当に何の対価もなしに信じてもらえるような人間なの? 君は』

って。

その声は近くて遠くて、どこか冷えた声で。

ゴクッと唾を飲み、スマホを握る手に力がこもる。

ふ…を視線を感じて顔を上げると、瑞がスーパーのサッカー台で袋詰めをしているところで。

俺の方へとヒラヒラと小さく手を振り、口を二度動かすのが見えた。

まるで声が聞こえそうなそれは、「悠有」と俺を呼んでいるだけなんだってわかるのに、たったそれだけのことが嬉しくて。

「胸…苦しい」

スマホを握りしめたまま、その手を胸に押しあてて、俺はまたぎこちなく笑ってみせた。



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