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二話 冷えた夜、動き出す朝
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その日の晩餐。
ディートリッヒは友人たちと食べてくると使用人に告げて、ディナーには現れなかった。
正直、会いたくなかったので助かったと思ったのに──
「イリス」
食事中にディートリッヒが帰ってきたのだ。
「よかった。デザートはまだのようだね」
いつもより明るい口調。
……酔ってる?
「君の好きなチーズタルトを買ってきたんだ。一緒に食べよう!」
思わず顔が引きつりそうになる。
チーズタルトが好きなのはエレノアで、私じゃない。
「それに合う紅茶も準備したよ」
口を挟む間もなく、ディートリッヒは慣れた手つきで紅茶を用意する。
「ほら、いい香りだよ」
満面の笑みで勧められたが、飲む気にはなれず、私は黙り込んだ。
「イリス?」
不安そうにこちらを見てくる。
「どうした?具合が悪いのか?」
心配する声……。
どうして……そんなに演技が上手いの。
私のこと、好きじゃないのに。
本当に心配しているような、その顔が苦しい。
「誰か、医者を──」
「……平気」
「平気じゃないだろう。顔色が悪い」
「ディートリッヒ」
「どうした?」
「……」
言いたいのに、言葉が詰まる。
結婚式、なんでキャンセルしたの?
エレノアのこと、好きなの?
私たち別れよう。
どうして……何一つ、出てこないの?
「私のこと、好き?」
やっと出たのは、そんな言葉だった。
「もちろん好きさ。当たり前だろ」
「……どこが好き?」
「どこって……」
少し考えてから、指を折っていく。
「真面目で、一途で、優しくて、俺のことを一番に考えてくれて、それから……かわいいところかな」
照れたように笑う。
「改めて言うと、恥ずかしいな。イリスはどうなんだ?まあ、聞かなくてもわかってるけど」
『イリスは俺を愛しているから問題ない』
大切にされない愛は、いつか静かに燃え尽きる。
人の気持ちには限りがあるんだよ。
「ディ──」
「失礼します」
使用人がノックと共にドアを開けた。
通常では考えられない無作法さだ。
「エレノア様から急ぎの手紙が届きました」
「エレノアから?!」
ディートリッヒは咎めることもなく、すぐに手紙を受け取った。
またエレノア……。
「すまない、イリス。今すぐ返事をしないと、彼女が不安になる」
そう言って、もうこちらを見ない。
「具合が悪いなら、使用人を呼ぶんだぞ。じゃあ、おやすみ」
彼はそのまま部屋を出ていった。
その横顔は、どこか弾んで見えた。
具合の悪い婚約者を放ってまで、返事がしたい手紙なのね。
胸の奥に、薄氷が張っていく。
翌朝。
ディートリッヒは急用ができたと言い残し、早朝に領地へ向かったと、使用人から聞かされた。
きっと、エレノア絡みの『急用』だろう。
私は窓の外を見つめ、そっと息を吐く。
──たとえ別れるとしても、放り出せないものがある。
ヴァルデンベルク領の鉱山。
あれは、私が一から手掛けたものだ。
採掘計画も、安全管理も、現場の信頼も。
そう、私がきちんと引き継がなければ、領地の民が困る。
──これは、彼のためじゃない、と自分に言い聞かせるように……私は決めた。
領地へ行こう。
ディートリッヒは友人たちと食べてくると使用人に告げて、ディナーには現れなかった。
正直、会いたくなかったので助かったと思ったのに──
「イリス」
食事中にディートリッヒが帰ってきたのだ。
「よかった。デザートはまだのようだね」
いつもより明るい口調。
……酔ってる?
「君の好きなチーズタルトを買ってきたんだ。一緒に食べよう!」
思わず顔が引きつりそうになる。
チーズタルトが好きなのはエレノアで、私じゃない。
「それに合う紅茶も準備したよ」
口を挟む間もなく、ディートリッヒは慣れた手つきで紅茶を用意する。
「ほら、いい香りだよ」
満面の笑みで勧められたが、飲む気にはなれず、私は黙り込んだ。
「イリス?」
不安そうにこちらを見てくる。
「どうした?具合が悪いのか?」
心配する声……。
どうして……そんなに演技が上手いの。
私のこと、好きじゃないのに。
本当に心配しているような、その顔が苦しい。
「誰か、医者を──」
「……平気」
「平気じゃないだろう。顔色が悪い」
「ディートリッヒ」
「どうした?」
「……」
言いたいのに、言葉が詰まる。
結婚式、なんでキャンセルしたの?
エレノアのこと、好きなの?
私たち別れよう。
どうして……何一つ、出てこないの?
「私のこと、好き?」
やっと出たのは、そんな言葉だった。
「もちろん好きさ。当たり前だろ」
「……どこが好き?」
「どこって……」
少し考えてから、指を折っていく。
「真面目で、一途で、優しくて、俺のことを一番に考えてくれて、それから……かわいいところかな」
照れたように笑う。
「改めて言うと、恥ずかしいな。イリスはどうなんだ?まあ、聞かなくてもわかってるけど」
『イリスは俺を愛しているから問題ない』
大切にされない愛は、いつか静かに燃え尽きる。
人の気持ちには限りがあるんだよ。
「ディ──」
「失礼します」
使用人がノックと共にドアを開けた。
通常では考えられない無作法さだ。
「エレノア様から急ぎの手紙が届きました」
「エレノアから?!」
ディートリッヒは咎めることもなく、すぐに手紙を受け取った。
またエレノア……。
「すまない、イリス。今すぐ返事をしないと、彼女が不安になる」
そう言って、もうこちらを見ない。
「具合が悪いなら、使用人を呼ぶんだぞ。じゃあ、おやすみ」
彼はそのまま部屋を出ていった。
その横顔は、どこか弾んで見えた。
具合の悪い婚約者を放ってまで、返事がしたい手紙なのね。
胸の奥に、薄氷が張っていく。
翌朝。
ディートリッヒは急用ができたと言い残し、早朝に領地へ向かったと、使用人から聞かされた。
きっと、エレノア絡みの『急用』だろう。
私は窓の外を見つめ、そっと息を吐く。
──たとえ別れるとしても、放り出せないものがある。
ヴァルデンベルク領の鉱山。
あれは、私が一から手掛けたものだ。
採掘計画も、安全管理も、現場の信頼も。
そう、私がきちんと引き継がなければ、領地の民が困る。
──これは、彼のためじゃない、と自分に言い聞かせるように……私は決めた。
領地へ行こう。
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