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1月

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「向こうの端っこが空いてて、松井まついさんがちょうど更新時期って言うから、先月紹介キャンペーンで…商品券貰っちゃった」

「なんで俺には声掛けてくれへんの?そういうとこやで、自分なぁ!」

「あー、千早ちはやさんも引越し時期でした?すみません」

意図的にはぐらかす訳ではないのだが、知佳ちかは少しズレている。

「ちゃうけど……いや、もう空きはあれへんの⁉︎」

「2階の1LDKなら端が空くらしいですけど」

 ここは1階が単身向けの1LDK、2階は世帯数を減らして広めの間取りにしてあるのだ。

「…松井の上かいな…挨拶とかダルいな…」

「一度内見しましたけど広いですよ、紹介しましょうか」

「ええってもう……がめついなぁ…ちょい…こんな近くに住んで…なんかあったら…」

 千早はもう一度ベランダから乗り出して、棟の端までの距離を目測し不満げな顔で知佳へ問い質す。

「無いって。松井さんは無い。酔っても無い、」

「なんで言い切れんの…ちょい、チカちゃん…」


 知佳における松井への全幅の信頼は自分にとって都合が良いものだが、それはそれで悔しい。

 千早はベランダの掃き出し窓を閉めて、カウンターキッチンのシンク前に立つ彼女へと迫った。

「うわぁ」

彼女からはずんずん進撃してくる千早の姿が見えていた訳だが、手元には調理に使った包丁もあることだし、滅多な気は起こさないだろうとタカを括っていた。

 なので糾弾するでもなく怒りをぶつけるでもなく回り込んで後ろからそっと腰を抱かれ、衝撃と急激な体の火照りに襲われて戸惑ってしまった。

「チカちゃん…浮気はアカン…」

「いや…しませんって……離れて…」

千早の細く尖った顎が知佳の肩へ置かれればゾワっと背筋に電気が走る。
 
 骨を伝う低い声、喉仏の動きなども分かるので堪らない。

「あー…ええ匂いする…チカちゃん、チューしよ、」

「洗い物…済んでからでいいですか…」

 知佳が包丁の柄でカタンとシンクを打てば、千早はひょいと身を剥がして案外簡単にリビングへと逃げて行った。

「終わったら来てや、待ってるよ」

「はーい…」

 知佳はいつも千早が逐一許可を得てから行動に移すのを辞めてもらいたいと思っている。

 できるだけ自然にキスをして欲しいのに、わざわざYES・NOをこちらに託すので恥ずかしくって敵わないのだ。

 それなのにバックハグなどは強引にしたりするし、告白の時だって夜に乗り込んできたり答えを待たずにハグしたりする。

 二人はまだセックスはしていない、それもYES・NOで尋ねられる日が来るのかと思うと、知佳はデートの度に絶えずドキドキさせられて…正直身がもたないのだ。


 洗い物を終えて周囲の水気を拭き、千早がテレビに顔を向けている間に忍足で洗面所へ向かって素早く歯磨きの準備をした。

 今日の昼食は知佳お手製のお好み焼き、匂いの強い食材などは入れてないが、キスで不愉快になられては困るので念入りに磨く。

「(臭いとか…思われたくなーい……)」


 コップに水を張り1回2回…と口を濯いでぷはと顔を上げれば、鏡に映る自分の背後には不服そうな表情の千早が立っていた。

「ぎゃっ‼︎」

「なんやねんその反応…」

「あ、びっくり…いると思わないから…」

 人相の悪さに慣れたとはいえ、思いがけず接触すれば驚いてしまう…本当に申し訳ないが、脳と体の反射なので仕方がない。

 濡れた口元をタオルで拭き、リビングへ戻ろうとする知佳を千早は通せんぼした。

「何で黙って歯ぁ磨いてんのよ、寂しいやんか」

「いや、ソース臭いの嫌かなって…」

「ソースが臭いわけあるかいな。磨いてんな、確かめんで?」

 千早は洗面所の壁に知佳を追い込んで口付けをして、唇を付けたままクンクンと匂いを嗅いで離す。

「歯磨き粉の匂いしかせぇへんやん…もったいない」

「なにが…」


 知佳はササっと洗面所を出てリビングへ戻り、すぐ後を追いかけてきた男に腕を絡め取られて…カーペットの上で今度は正面から抱き締められた。

「やらかいなぁ…チカちゃん…」

「肉ついてるから…千早さんが細いんですよ」

「そういうことちゃうのよ…」

 とろんとした目で見慣れた部屋を眺め、その視界を覆うように千早の顔が迫ってきたのでそっと目を閉じ…知佳は姿勢だけ少し背伸びをして唇を合わせに行く。

 程よい緊張感と高揚感、湧き上がる興奮は勘付かれまいと千早は腰を引いて密着を避けた。

「はぁ…同じアパートやったら…出社時間とかも同じちゃうの?」

「いえ、私は開店準備があるので皆さんより早いです」

「でも生活圏も同じってことやんな、」

「そう…ですね、スーパーで会ったりします」

「チカちゃん…嫌や~」

偶然会って立ち話、想像するだけで羨ましくて妬ましい。

「気にし過ぎ、本当に…。あと松井さんは悪い人じゃないし、ただよく遊ぶ先輩ってだけ、」

 いい加減うんざりし腰に回された千早の腕を解き体を離せば、

「…いっつも、そうやってアイツのこと庇うやんか…やっぱり付き合うてたんやろ」

逃げた知佳の背中に、千早は消えては湧く疑念をついにぶつけた。

「はぁ?………はぁ、もー」

 繰り返し向けられる疑いの目に耐えかねて、知佳は

「……だったらなんなんじゃろー…」

と、投げやりに千早を挑発する。

「うわ、開き直りよった!男おんのに元カレ近所に住まわして…悪い女や、………え、ほんまに?」

「好きに想像して…私が違う言うても信じんじゃろ…勝手に疑っとればええわ。掃除するんで、ご自由に帰ってドーゾ、」

目を剥いた千早を尻目に所々強い故郷の訛りでそう吐き捨て、知佳は寝室へ籠もってしまった。

「おい、帰らへんぞ。出てくるまで待つからな。……あと怒った広島弁も可愛いかったぞ。ふん」


 千早も退く気は無い。

 寝室の扉の前に胡座あぐらをかいて座りスマートフォンをいじる。
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