年下王子と口うるさい花嫁

いとう壱

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第5話 第三王子、花婿となる

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 神殿内の一室は重苦しい雰囲気に包まれていた。

 このアルムウェルテン王国を統べる国王ゴッドハルト。その王妃であるエリザベート。そして神殿の最高位に就いている大神官と、王都の神官たちをまとめている神官長。

 権威ある立場の者たちが黙り込んでいるさまは、クリストフにとっては見ているだけでも息が詰まるものだ。

 王太子レオンハルトはさすがにそんな場に慣れているのか、ゆったりと腕を組みくつろいでいるようにすら見える。彼の妻である王太子妃マリアベルは静かに視線を落としたままだ。第二王子エアハルトはこの場の空気を気にもせず、クリストフの隣でのんびりと部屋の天井を眺めていた。

 部屋の中央に置かれた長方形の分厚いテーブルの末席には、祝福の花嫁として選ばれたローゼン公爵とその娘アレクシアが座っており、さらに宰相であるハーパライネン公爵も白い髭をのんびりと撫でながらこの一団に加わっていた。

 クリストフはちらとローゼン公爵に視線を向けた。見るからに青褪あおざめたその顔は、いつも居丈高な彼とは全く別人だ。

 その様子に先程の騒動が思い出され、クリストフはこみ上げてきた笑いを必死で抑え込んだ。口元に手を当てて肩を揺らしていると、ローゼン公爵の娘であるアレクシアから鋭い視線が飛んでくる。

 祝福の花嫁選定の儀は無事終了した。待望の花嫁は神託通り女神により選ばれ、花嫁を保護することもできた。だが……。

 クリストフはあの瞬間を思い出した。




 女神像から放たれた一筋の光がローゼン公爵の胸の辺りに当たっている。ローゼン公爵は後ろを振り返ったり、光を避けようと「失礼」などと言いながら座席から立ち上がり左右に動いてみたりしている。だが、女神像が発する光の筋はローゼン公爵が動けばローゼン公爵と共に動いている。

 ローゼン公爵は思い切って儀式の間の端まで歩いてみたが、やはり光の筋はついてくる。初めて見た狼狽えるローゼン公爵の姿は滑稽だった。神官長に「席へお戻りください」などと子どものように注意までされていた。おまけに「何かの間違いでは」と口走る始末だ。これはクリストフでも失言だと分かった。


「女神様の御神託を間違いだと!?」


 激昂げきこうした大神官を国王がなだめ、呆然とするローゼン公爵はさらに「儀式をやり直しては…」と、とんでもないことを口にして「お父様!」と娘に窘められている。

 あまりにおかしくてクリストフは吹き出してしまった。あのローゼン公爵の失態が愉快でたまらなかった。咳払いしたのは背後に控える近衛騎士の男だ。どうせ王太子派だろうとクリストフは思った。

「茶番ですな」と口にしたそこのベルモントだかベリモントだかモリモントだかいう髭男を注意すべきだろう。不満気に唇を突き出していると「いけないよ」と異母兄の第二王子エアハルトに小声で注意されてしまった。だが、見上げた彼の口元も笑いをこらえて歪んでいる。

 ふと、ローゼン公爵の困惑した視線がクリストフに向けられた。クリストフはそれを受けて肩を竦めて見せた。母とは違って『聖女』でも『巫女』でもない自分は何もできない。

 やがて光の筋は細くなりその輝きを増した。そのままローゼン公爵の身体に吸い込まれるかのように光は消えてしまった。自身の手の甲を見て言葉を失っているローゼン公爵に娘が寄り添い、王妃が近衛に指示をして二人を儀式の間から連れ出した。

 そして国王が「大義であった」などと解散を告げる言葉を述べ、祝福の花嫁誕生の儀とやらは終わりを迎えたのだが。




「これではまるで葬式だ!」


 王太子レオンハルトは耐えかねたのか声を上げた。右手を上げて頭を振る。


「陛下。私は『聖女』殿のお子とは違います。館で花を愛でているほど暇ではありません」


 また始まった。

 クリストフはレオンハルトを睨みつけた。この男は自分を毛嫌いしており、ことあるごとに貶める。しかもクリストフの母のことまでも。『聖女』との言葉には平民である母を嘲る意味が含まれているのだ。この男はいつもそうだ。


「本日も『金の獅子近衛騎士団』の皆と鍛錬をしたあとは、東方イヒリーシュ国への街道整備を目的とした会合があります」


 これみよがしに胸を張ってみせるレオンハルトの礼服には王家の紋章と並んで獅子を大きくかたどった紋章があった。この異母兄に引き合わされた当初は大層立派な男だとクリストフは思ったが、今ではその自己顕示欲の強さに辟易している。

 レオンハルトが国を守るとの志を同じくする騎士たちを集めて作ったのが『金の獅子近衛騎士団』という一団なのだが、その紋章がこの金の獅子で、それがどうやらレオンハルトをモチーフとしているらしい。王家の紋章にある獅子の部分を真似たものだろうとクリストフは推測した。呆れた傲慢さだ。先祖代々の紋章すら自分のためにあるとでも考えていそうなほどではないか。

 さらにクリストフがうんざりしたのは、レオンハルトが偉そうに自分がどんな重要な仕事をしているのか語りたがるところだ。

 王太子などと偉ぶっているが、娼館で娼婦に自慢話をしている平民の男とまったく変わらない。クリストフに言わせれば、ローゼン公爵を含めレオンハルトを次の国王にと考えている王太子派はどうかしている。ところが警護のためにしている近衛兵は何とも誇らしげな顔をしているではないか。せっかくの愉快な気分が台無しである。クリストフはむくれた。


「祝福の花嫁は選ばれ、無事ここにいる。それで良いではありませんか。さっさと花婿を決めてしまいましょう」


 王妃の手の平の上で扇子がぴしゃりと音を立てて閉じられた。


「軽々しい発言は控えなさい。王太子よ」


 実の息子であっても、レオンハルトを見るその目は厳しい。


「貴方も学んだはずです。花嫁は女神様が我々に与えて下さったお恵み。花嫁の望まぬ者を花婿にすることはできません。さっさと決めるなどというものではないのです」


 レオンハルトは母の苦言も聞き流し、軽く肩を上げてみせた。神官長がおもむろに立ち上がり、国王へ向けて礼を取る。国王はそれを受けて発言を認め、頷いた。

 クリストフがローゼン公爵から聞いた話では、神殿と王家は位を同じくすると王国法で定められているものの、実情はそうではないらしい。まつりごとを行い、国の舵取りをしている王家の方が立場が上だと貴族たちには認識されているとのことだ。大神官はそれを不服としているらしいが、髭をひと撫でしただけでおくびにも出さない。


「恐れながら、まずは花嫁様の御印みしるしを確認したく」

「うむ」


 国王の視線を受けてなお、黙り込んでいるローゼン公爵の腕に娘であるアレクシアがそっと触れた。我を取り戻したのかローゼン公爵は一礼すると、左手をゆっくりとテーブルの上へと置いた。

 微かに震えているその手の甲には、幸いの女神の象徴が焼印のようにくっきりと浮き出ている。角度によっては煌めいて見えるその印はさすがに場の一同の目を引き、クリストフも神官長と共にその印に見入った。


「確かに……」


 神官長は目を閉じ一礼すると再び腰を下ろした。




「それで? どんな女がいいんだ?」


 一同が再び沈黙に落ちようとしていた時、またしてもレオンハルトが軽々しく言葉を投げかけた。王妃の眉間に皺が一筋刻まれる。クリストフはそれを見て、母が自分を怒った時どのような顔をしていたのか思い出そうとしたができなかった。


「お前が選ばなければならん。なにしろ王族直系の未婚の女は今はいないからな」


 問いかけられたローゼン公爵は薄い唇を引き締め、黙って視線を返すのみだ。神官長が戸惑いの視線を上げた。


「じょ、女性が花婿として選ばれたことは過去に例がありません。花婿とは我が国ではすなわち男性のことを指しておりますし……」


 大神官が頷いた。


「そのとおりですな。祝福の花嫁様につきましては神託もありますからもちろん異例中の異例となりますが、花婿様につきましても、婚姻及び家門法の例外規定を適用すべきでしょう。幸いの女神様のお言葉を記した『幸いの書』にも、神託の扱いに悩んだときは、よほど人の道に外れていない限り自国の取り決めにのっとって良いと書いてあります」

「ふん」


 王太子レオンハルトが鼻を鳴らした。何やら気に食わないことがあったようだ。


「そういえば、血は薄いがイェネストル家の三女がまだ婚約もしていなかったな」


 そして、レオンハルトは別の女性へと話題を変えた。


「わたくしと同学年のご令嬢です」


 ローゼン公爵の娘アレクシアが即座に答えた。


「だが、我がアルムウェルテン王家の象徴である黄金の炎が使えない」

「素晴らしい火の魔法を使われる優秀なご令嬢です」


 またアレクシアが答えた。


「やはり、『王家の炎』たる黄金の炎を操ることができねば王族とは言えまい」


 青い瞳がクリストフに向けられて、形の良い唇が弧を描きこちらを嘲笑う。この鼻につく男の丁寧に整えられた金髪をいつか全て燃やしてやる。クリストフは心に誓った。

 そこに、大きく扇子を打ち鳴らす音が響く。


「それでは、貴方がローゼン公爵をめとりますか。王太子よ」


 レオンハルトはすぐに大きなで笑い声を上げた。母親である王妃のひと睨みも効かないらしい。



「それは御免こうむりますよ。ローゼン公爵は男だ。お前も困るだろう? セドリック」


 まるで学友にでも呼びかけるような言葉に王妃が口の端を僅かに動かした。クリストフが今まで王宮内で盗み聞いた噂話では、ローゼン公爵はレオンハルトより十五ほどは年上のはずだ。いくら王族だと言ってもその態度はあまりに気安く、そして場違いだった。

 ローゼン公爵の娘アレクシアはまなじりを吊り上げた。先程の会話からもうかがえたが、彼女はこの王太子のことが気に食わないらしい。ローゼン公爵は王太子の教育係でもあったとのことだが、一体どう出るのか。

 クリストフがそっとローゼン公爵を見ると、ローゼン公爵は国王と王妃を見ていた。そして黙ってレオンハルトを見る両人を確認したあと、口を開いた。


「王太子殿下。ここは私的な場ではございません。そのような呼称はお控えください」

「お前は相変わらず真面目な男だな」


 レオンハルトは忠言に耳を傾けることなく小さく笑って椅子に背を預けた。クリストフの目から見ても反省の色は窺えない。その姿にローゼン公爵は言葉を続ける。


「この話し合いは神託を遂行する重要なもの。本日の儀式にそのお力を割いてくださった神殿の方々へ敬意を示されるべきです」

「これはこれは。ありがたいお言葉ですな」


 大神官はすぐさまそう答えた。さもローゼン公爵の言葉を真に受けるつもりはないという様子だ。


「何、私はいずれは正式にお前の主になる。主従の間柄に花婿だの花嫁だの余計なものを挟むわけにはいくまい」

「いずれはこの王国の全ての責任を負うお立場。それなりの威厳をお示しくださいますよう」

「いい加減にしなさい」


 王妃はついにくっきりと眉間に皺を刻み、ため息をついて息子をたしなめた。レオンハルトのこの傲慢さを見るにつけ、ローゼン公爵の教育は実を結ばなかったか、もしくはレオンハルト本人が教育しても無駄な男だったかどちらかだ。クリストフは内心レオンハルトを馬鹿にした。

 ローゼン公爵は大きく息を吸うと国王へ向き直った。


「陛下、よろしいでしょうか」


 国王は静かに頷いた。


「このような状況になってしまったからには、私も覚悟を決めてこの大役を果たしたく存じます」


 大神官は分厚いまぶたをちらと上げてローゼン公爵を見た。


「花婿様につきましては、確かに王太子殿下にお願いする訳には参りません。すでに素晴らしい王太子妃殿下がいらっしゃいますし、王太子妃殿下のご実家であるキルバストン侯爵家は国を支える素晴らしき忠臣。当家が割り込むような真似をすれば、その忠義を軽んじることにも繋がります」

「うむ」

「私が側室……」


 ローゼン公爵は戸惑ったように言葉を詰まらせ、しばしのあと続けた。


「私が、そ、側室として入ることは望ましくないでしょう」

「そなたが望む女性はいないのか」


 王妃の問いかけにローゼン公爵はうつむいた。


「特には」

「ふむ」


 王妃も神妙な顔をして視線を落とした。


「それでは、そなたの伴侶はこちらで選ぶことになるが良いか」

「御心遣いありがとうございます」


 ローゼン公爵は頭を下げた。王妃は頷き次にアレクシアを見た。


「構わぬか、ローゼン公爵令嬢」

「はい。父と父の伴侶となられる方をお支えいたします」

「うむ」


 少女の大人びた返答に王妃は満足げに目を細めた。国王は頷き大神官へと目をやった。大神官はそれを受け、神官長と視線を合わせてから一同を見渡し宣言した。


「では『幸いの書』に則り、婚姻及び家門の法の例外規定が適用されるものとし、第三王子クリストフ・ローナ・ランベール・アルムウェルテン殿下をローゼン公爵の花婿とします」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」


 突然の言葉に、クリストフは驚いて立ち上がった。





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