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第10話 祝福の花嫁の館改革 3
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翌日、何やら騒がしい音にクリストフが寝ぼけ眼で一階へ降りてみると、ローゼン公爵家の使用人らしき男達が大きなテーブルを運び込んでいた。
一階にある三つの大きな部屋のうち、勉強部屋とは反対側にある一室が作業をする使用人達で賑わっている。他にも、燭台やら花瓶やらテーブルクロスやらが手早く設置され、あっという間にそこは数人が問題なく食事を取ることができるような部屋として整えられた。
この部屋が今後食事の間として利用されることになるようだ。食欲を刺激する香りと共に山盛りのパンやらスープやらが次々と運ばれてきて、今までと比べると格段に贅沢な朝食となりそうな気配である。
クリストフは大喜びで手伝おうと手を伸ばしたが使用人達に断られ、うろうろと周りをうろついて今度はローゼン公爵に叱られてしまった。
「邪魔です。この館の主らしく堂々としていてください」
ローゼン公爵はクリストフを無理やりテーブルの奥の大きな椅子に座らせると今度は嫌な笑みを浮かべて使用人に指示を出した。
「大層お好きなようでしたのでご用意いたしました」
緑色の山がクリストフに近づいてくる。とんでもない量のサラダが乗った皿だ。
クリストフはローゼン公爵を睨みつけた。ローゼン公爵は涼しげな顔でクリストフの近くの自席につき、朝食のメニューについてローゼン公爵の侍従であるアルベルトの姉イルザから説明を受けている。これから毎日この男と顔を突き合わせ、この嫌味を耳にするのかと思うとクリストフはうんざりした。
朝食の席で、ローゼン公爵は昨夜話題に出たクリストフの侍従について今日選定するつもりだと切り出した。
「いらないよ」
クリストフは頑なに拒否をした。お腹いっぱい食べられるのは有り難いことだが、生活の全てを貴族のようにするつもりはない。着替えも、入浴も、靴磨きも自分でできる。自分のことは自分でやるのだ。貴族には理解できないのだろう。自信満々にローゼン公爵に伝えたがこの堅物も頑固である。
「そうは参りません」
ローゼン公爵は侍従だけでなく護衛もつけると言い出した。
確かに王太子であるレオンハルトも第二王子であるエアハルトも常に侍従と護衛を伴っている。クリストフにも侍従や護衛が手配されていたらしいが、おそらくは例のベルモント公爵が手を回したのか、配属される者が決まらないまま話が立ち消えになっていたとのことだ。
ローゼン公爵は主張する。ただでさえ王族は暗殺の危険に晒されていると。
そして、クリストフの立場が第三王子というだけでなく、祝福の花嫁であるローゼン公爵の花婿にもなった今、さらに神殿との結びつきが強化されることとなり結果いらぬ政争の具にされる可能性があるのだと。つまりそれは命の危険が増えることに繋がっているのだと。
命の危険。
クリストフは内心鼻で笑った。王都は国王陛下のお膝元、まだ治安が良い場所だ。そこを離れれば、野盗、スリ、人買い、ごろつき等々。市井の平民達は常に様々な危険と隣合わせなのだ。もちろん街や街道を警護してくれる私兵を持つ貴族もいるが、基本的に自分の身は自分で守らなければならない。
クリストフもそうしてきた。幼いころは物取りや奴隷商に狙われたこともある。だが、そんな奴等は人目につかない所で酷い目に合わせてやった。軽い火炙りに始まり、森の奥で首から下を生き埋めにしてやったり、風でとんでもない場所に飛ばしてやったり、茨で雁字搦めにしてやったり。
護衛の騎士とやらがどれぐらい強いのかは知らないが、生っちょろい貴族の守りなどクリストフには不要だ。ローゼン公爵はクリストフが魔法を使えることを知らないし、所詮は安全に生きてきたお貴族様だからつまらない心配をするのだろう。
クリストフは侍従も護衛も拒否し続けたが、ローゼン公爵は引かなかった。朝食が全く進まない。
寝起きの空腹に苛立ったクリストフと頑固なローゼン公爵の二人は押し問答の末、結果クリストフが毎日サラダの山を半分は食べるという条件で、侍従はつけない、護衛だけはつけるという話に収まった。ローゼン公爵はクリストフの護衛について、すでに目当ての者を決めているらしく、少し時間がかかるので、その間は近衛兵をつける予定だと言っていた。
食後に、片付けに動く使用人達を眺めていると、エレナが苦しそうに腹に手を当てていることに気が付いた。クリストフが心配して調子を尋ねると「朝食の量が多すぎて」との答えが返ってきた。ローゼン公爵の指示で、エレナの食生活も改善されたようだ。
クリストフはエレナの以前の食事の量についてこっそりイルザに説明し、少し減らしてもらうように頼んだ。イルザは、今はすでに追いやられている王宮のメイドや侍女、使用人達のやり方に一瞬眉根を寄せたが、すぐに静かな表情に戻すと、エレナの様子を見て食事の量を調節すると約束してくれた。エレナの想い人の姉が優しい女性のようで、クリストフは少しほっとしたのだった。
さて、今日も館の改装は続くらしい。
ローゼン公爵の部屋のベッドは当座の既製品に交換され、机やら本棚やらが運ばれてきた。また、クリストフの部屋に服や靴が何種類も用意された。
「こんなにいらないよ」
クリストフは断った。せっかく広々と使っていた部屋の一角が衣装棚に占拠されてしまったのだ。使いもしない服など邪魔でしかない。
「夜会やお茶会へご参加されることもあるでしょう」
ローゼン公爵はクリストフの言うことを全く聞いてくれなかった。クリストフには豪華な服はどれも同じに見える。どこに何を着ていくべきなのか、説明は受けたがいちいち着替えたくもない。お気に入りの一着があれば充分だ。あの礼服があればいい。花嫁が選ばれた儀式の際に着ていた礼服。あれは気に入っている。
「お気に召しましたか」
ローゼン公爵はそれだけ言うと、用があるとばかりに王宮へ行ってしまった。ついて行こうとするアルベルトを引き止めて、例の礼服はどうしたのか尋ねてみた。
「昨日の汚れを落としていますよ」
アルベルトは答えた。そのアルベルトが去った後、エレナがそっとクリストフに教えてくれた。
「あれは、ローゼン公爵がご用意してくれたものだそうです」
クリストフは驚いた。どうやって母の好きな花を調べたのだろう。国王に聞いたのだろうか。エレナは目を細めて去っていく二人の姿を見つめた。
「冷血公爵様というのは、噂ばかりだったのですね」
今日もエレナが身につけているワンピースはローゼン公爵が用意したものだという。クリストフにはローゼン公爵という男がよく分からなくなった。
お昼ごろ、ローゼン公爵は見知らぬ男を連れて戻ってきた。
男はシモーナ商会の営業を担当するウーゴだと名乗った。王宮やローゼン公爵家へ出入りしている商会だという。取り扱っているものは、生活に必要な日用品全般や書籍、工具などなど。最近は、日用品としての魔道具の開発を考えているとのことだ。
魔道具は魔力がないと扱えないため、研究用品や高価な武器、貴族ための高価な商品があるぐらいで、アルムウェルテン王国ではあまり普及していなかった。日用品として開発されたものはほとんどない。あまり利益が見込めないとされているためだ。だがシモーナ商会の行商担当が海の向こうの国で平民にも普及している状況を目にしたらしく、やり方によっては多大な利益が見込めると開発に乗り出すつもりらしい。
「公爵閣下にはいつもご贔屓にしていただいておりまして」
揉み手をして近寄ってきた男はクリストフに耳打ちした。
「ご安心ください。夜の指南書も取り扱っております。男性同士であっても快楽を得る方法はたくさんございますよ」
とんでもない内容にクリストフは声を上げた。
「そんなものいらないよ!」
ウーゴは「おやおや」と肩を竦めたが、その顔はにやにやとした笑みを浮かべたままだった。ローゼン公爵が怪訝な顔でクリストフとウーゴを見た。
「こいつ何?」
クリストフはウーゴを指差した。
「人を指差してはいけません」
相変わらずの返答にクリストフはむくれた。
「殿下のお部屋を見せていただいてもよろしいでしょうか」
「何で」
「必要なものがありますので」
ローゼン公爵はそれだけ言うと、勝手にクリストフの部屋に向かった。クリストフは慌ててローゼン公爵の後を追いかけた。開放的な作りになっているこの館には、プライバシーを守る鍵などというものがついた部屋はない。ローゼン公爵が勝手にドアを開けたので、クリストフはドアとローゼン公爵の間に立ちはだかった。
「やめろよ!俺の部屋だよ!」
ローゼン公爵はウーゴを振り返った。ウーゴはすぐさま分厚い本を取り出してクリストフに見せた。
「我が商会で取り扱う品のリストです。ま、ほんの一部ではございますが」
商品の絵や図面まで載っているそのリストには、クリストフが喉から手が出るほど欲しかった製作用の工具や、道具や部品を加工する際の固定などに使う治具の数々が並んでいた。海の向こうの国から取り寄せたという品々だった。
クリストフは食い入るようにリストを見始めた。魔道具に設置し、動力源となる魔力を補う魔石の種類も豊富だ。魔法陣試作のための魔法紙も取り扱っている。これは、紙面上で魔法陣を小規模で仮発動できる。効果を検証するのにもってこいのものだ。
廊下に座り込んでリストを見入っているクリストフを置いて、ローゼン公爵は勝手にクリストフの自室へ入った。続いてウーゴも部屋の中に入り、作業机の上に散らばった試作品や魔法陣を見て唸ったり、「なるほど」と頷いたりしている。
ローゼン公爵は昨夜のランプをウーゴに見せた。一商人の彼は平民だが商売根性逞しく、魔法や魔法陣の基礎について何と独学で学び、商売相手の貴族との話題に出ても問題ないほどには詳しい。
「いやはや、よくこんな使い古しの魔石でこれだけの明るさが出せましたな」
「魔石を新しいものにするとどうなる」
「この館全体がとんでもない眩しさになりますよ。目も開けられないでしょう。にしてもこの魔石は何やら……」
ウーゴは口髭を引っ張りながら魔石をじろじろと見た。それから魔石を取り出すと、周囲の部品に刻まれた魔法陣を見て眉をひそめた。
「なぜ水の魔法陣を」
「反射を利用するためであろう」
「正直申し上げてめちゃくちゃです。学院に通われた方がよろしいのでは」
「それはご年齢的にもお立場上としても難しい」
「それでは魔法・魔術研究所のファン・ハウゼン所長にご相談してみてはいかがでしょう」
「ふむ」
「公爵閣下も古代文字にはお詳しいことは存じ上げておりますが、魔道具へのご利用が目的であればそこは専門家に委ねた方がよろしいかと」
「すぐに商用には使えぬか」
「左様でございます。ただ、これはこれで興味がございます」
夢中でリストを見続けているクリストフをちらと見てウーゴは続けた。
「魔法陣を拝見しますと、どうやら魔石の力を増幅させようと試行錯誤されていらっしゃいます。魔力が少ない平民でも問題なく使用ができるようにされたいのかと」
「なるほど」
「殿下ご自身も……」
ウーゴは声を潜めた。
「王族ですが魔力がないとか……」
ローゼン公爵は静かにウーゴを一瞥した。ウーゴは咳払いをし、話を戻した。
「使用する魔石の量も少なくて済みます。素晴らしいことです」
「売値についてはどうだ」
「ある程度の需要が見込めますので、何とかなるかと。後程試算した詳細をご報告いたします。ただ、今のままでは量産できないので難しいですな。まず、魔法陣を詰め込み過ぎです。魔力の流れる回路も簡略化できるはず」
「魔法技術学を一から学んでいただかねばならんな」
「と言いますか、魔法学から、ですな」
二人の会話が途切れたところで、クリストフがリストの一部を指差した。
「こ、これ!」
ローゼン公爵はクリストフを見た。
「これ欲しいよ……」
ただでさえ下がっている眉尻をさらに下げてクリストフはローゼン公爵を見上げた。ローゼン公爵は左眉を持ち上げ、ウーゴの肩を叩いた。
「全てご用意して差し上げろ。支払いはいつもの通りに」
ウーゴはにんまりとして手を揉んだ。
「いつもご贔屓にして頂きまして」
一階にある三つの大きな部屋のうち、勉強部屋とは反対側にある一室が作業をする使用人達で賑わっている。他にも、燭台やら花瓶やらテーブルクロスやらが手早く設置され、あっという間にそこは数人が問題なく食事を取ることができるような部屋として整えられた。
この部屋が今後食事の間として利用されることになるようだ。食欲を刺激する香りと共に山盛りのパンやらスープやらが次々と運ばれてきて、今までと比べると格段に贅沢な朝食となりそうな気配である。
クリストフは大喜びで手伝おうと手を伸ばしたが使用人達に断られ、うろうろと周りをうろついて今度はローゼン公爵に叱られてしまった。
「邪魔です。この館の主らしく堂々としていてください」
ローゼン公爵はクリストフを無理やりテーブルの奥の大きな椅子に座らせると今度は嫌な笑みを浮かべて使用人に指示を出した。
「大層お好きなようでしたのでご用意いたしました」
緑色の山がクリストフに近づいてくる。とんでもない量のサラダが乗った皿だ。
クリストフはローゼン公爵を睨みつけた。ローゼン公爵は涼しげな顔でクリストフの近くの自席につき、朝食のメニューについてローゼン公爵の侍従であるアルベルトの姉イルザから説明を受けている。これから毎日この男と顔を突き合わせ、この嫌味を耳にするのかと思うとクリストフはうんざりした。
朝食の席で、ローゼン公爵は昨夜話題に出たクリストフの侍従について今日選定するつもりだと切り出した。
「いらないよ」
クリストフは頑なに拒否をした。お腹いっぱい食べられるのは有り難いことだが、生活の全てを貴族のようにするつもりはない。着替えも、入浴も、靴磨きも自分でできる。自分のことは自分でやるのだ。貴族には理解できないのだろう。自信満々にローゼン公爵に伝えたがこの堅物も頑固である。
「そうは参りません」
ローゼン公爵は侍従だけでなく護衛もつけると言い出した。
確かに王太子であるレオンハルトも第二王子であるエアハルトも常に侍従と護衛を伴っている。クリストフにも侍従や護衛が手配されていたらしいが、おそらくは例のベルモント公爵が手を回したのか、配属される者が決まらないまま話が立ち消えになっていたとのことだ。
ローゼン公爵は主張する。ただでさえ王族は暗殺の危険に晒されていると。
そして、クリストフの立場が第三王子というだけでなく、祝福の花嫁であるローゼン公爵の花婿にもなった今、さらに神殿との結びつきが強化されることとなり結果いらぬ政争の具にされる可能性があるのだと。つまりそれは命の危険が増えることに繋がっているのだと。
命の危険。
クリストフは内心鼻で笑った。王都は国王陛下のお膝元、まだ治安が良い場所だ。そこを離れれば、野盗、スリ、人買い、ごろつき等々。市井の平民達は常に様々な危険と隣合わせなのだ。もちろん街や街道を警護してくれる私兵を持つ貴族もいるが、基本的に自分の身は自分で守らなければならない。
クリストフもそうしてきた。幼いころは物取りや奴隷商に狙われたこともある。だが、そんな奴等は人目につかない所で酷い目に合わせてやった。軽い火炙りに始まり、森の奥で首から下を生き埋めにしてやったり、風でとんでもない場所に飛ばしてやったり、茨で雁字搦めにしてやったり。
護衛の騎士とやらがどれぐらい強いのかは知らないが、生っちょろい貴族の守りなどクリストフには不要だ。ローゼン公爵はクリストフが魔法を使えることを知らないし、所詮は安全に生きてきたお貴族様だからつまらない心配をするのだろう。
クリストフは侍従も護衛も拒否し続けたが、ローゼン公爵は引かなかった。朝食が全く進まない。
寝起きの空腹に苛立ったクリストフと頑固なローゼン公爵の二人は押し問答の末、結果クリストフが毎日サラダの山を半分は食べるという条件で、侍従はつけない、護衛だけはつけるという話に収まった。ローゼン公爵はクリストフの護衛について、すでに目当ての者を決めているらしく、少し時間がかかるので、その間は近衛兵をつける予定だと言っていた。
食後に、片付けに動く使用人達を眺めていると、エレナが苦しそうに腹に手を当てていることに気が付いた。クリストフが心配して調子を尋ねると「朝食の量が多すぎて」との答えが返ってきた。ローゼン公爵の指示で、エレナの食生活も改善されたようだ。
クリストフはエレナの以前の食事の量についてこっそりイルザに説明し、少し減らしてもらうように頼んだ。イルザは、今はすでに追いやられている王宮のメイドや侍女、使用人達のやり方に一瞬眉根を寄せたが、すぐに静かな表情に戻すと、エレナの様子を見て食事の量を調節すると約束してくれた。エレナの想い人の姉が優しい女性のようで、クリストフは少しほっとしたのだった。
さて、今日も館の改装は続くらしい。
ローゼン公爵の部屋のベッドは当座の既製品に交換され、机やら本棚やらが運ばれてきた。また、クリストフの部屋に服や靴が何種類も用意された。
「こんなにいらないよ」
クリストフは断った。せっかく広々と使っていた部屋の一角が衣装棚に占拠されてしまったのだ。使いもしない服など邪魔でしかない。
「夜会やお茶会へご参加されることもあるでしょう」
ローゼン公爵はクリストフの言うことを全く聞いてくれなかった。クリストフには豪華な服はどれも同じに見える。どこに何を着ていくべきなのか、説明は受けたがいちいち着替えたくもない。お気に入りの一着があれば充分だ。あの礼服があればいい。花嫁が選ばれた儀式の際に着ていた礼服。あれは気に入っている。
「お気に召しましたか」
ローゼン公爵はそれだけ言うと、用があるとばかりに王宮へ行ってしまった。ついて行こうとするアルベルトを引き止めて、例の礼服はどうしたのか尋ねてみた。
「昨日の汚れを落としていますよ」
アルベルトは答えた。そのアルベルトが去った後、エレナがそっとクリストフに教えてくれた。
「あれは、ローゼン公爵がご用意してくれたものだそうです」
クリストフは驚いた。どうやって母の好きな花を調べたのだろう。国王に聞いたのだろうか。エレナは目を細めて去っていく二人の姿を見つめた。
「冷血公爵様というのは、噂ばかりだったのですね」
今日もエレナが身につけているワンピースはローゼン公爵が用意したものだという。クリストフにはローゼン公爵という男がよく分からなくなった。
お昼ごろ、ローゼン公爵は見知らぬ男を連れて戻ってきた。
男はシモーナ商会の営業を担当するウーゴだと名乗った。王宮やローゼン公爵家へ出入りしている商会だという。取り扱っているものは、生活に必要な日用品全般や書籍、工具などなど。最近は、日用品としての魔道具の開発を考えているとのことだ。
魔道具は魔力がないと扱えないため、研究用品や高価な武器、貴族ための高価な商品があるぐらいで、アルムウェルテン王国ではあまり普及していなかった。日用品として開発されたものはほとんどない。あまり利益が見込めないとされているためだ。だがシモーナ商会の行商担当が海の向こうの国で平民にも普及している状況を目にしたらしく、やり方によっては多大な利益が見込めると開発に乗り出すつもりらしい。
「公爵閣下にはいつもご贔屓にしていただいておりまして」
揉み手をして近寄ってきた男はクリストフに耳打ちした。
「ご安心ください。夜の指南書も取り扱っております。男性同士であっても快楽を得る方法はたくさんございますよ」
とんでもない内容にクリストフは声を上げた。
「そんなものいらないよ!」
ウーゴは「おやおや」と肩を竦めたが、その顔はにやにやとした笑みを浮かべたままだった。ローゼン公爵が怪訝な顔でクリストフとウーゴを見た。
「こいつ何?」
クリストフはウーゴを指差した。
「人を指差してはいけません」
相変わらずの返答にクリストフはむくれた。
「殿下のお部屋を見せていただいてもよろしいでしょうか」
「何で」
「必要なものがありますので」
ローゼン公爵はそれだけ言うと、勝手にクリストフの部屋に向かった。クリストフは慌ててローゼン公爵の後を追いかけた。開放的な作りになっているこの館には、プライバシーを守る鍵などというものがついた部屋はない。ローゼン公爵が勝手にドアを開けたので、クリストフはドアとローゼン公爵の間に立ちはだかった。
「やめろよ!俺の部屋だよ!」
ローゼン公爵はウーゴを振り返った。ウーゴはすぐさま分厚い本を取り出してクリストフに見せた。
「我が商会で取り扱う品のリストです。ま、ほんの一部ではございますが」
商品の絵や図面まで載っているそのリストには、クリストフが喉から手が出るほど欲しかった製作用の工具や、道具や部品を加工する際の固定などに使う治具の数々が並んでいた。海の向こうの国から取り寄せたという品々だった。
クリストフは食い入るようにリストを見始めた。魔道具に設置し、動力源となる魔力を補う魔石の種類も豊富だ。魔法陣試作のための魔法紙も取り扱っている。これは、紙面上で魔法陣を小規模で仮発動できる。効果を検証するのにもってこいのものだ。
廊下に座り込んでリストを見入っているクリストフを置いて、ローゼン公爵は勝手にクリストフの自室へ入った。続いてウーゴも部屋の中に入り、作業机の上に散らばった試作品や魔法陣を見て唸ったり、「なるほど」と頷いたりしている。
ローゼン公爵は昨夜のランプをウーゴに見せた。一商人の彼は平民だが商売根性逞しく、魔法や魔法陣の基礎について何と独学で学び、商売相手の貴族との話題に出ても問題ないほどには詳しい。
「いやはや、よくこんな使い古しの魔石でこれだけの明るさが出せましたな」
「魔石を新しいものにするとどうなる」
「この館全体がとんでもない眩しさになりますよ。目も開けられないでしょう。にしてもこの魔石は何やら……」
ウーゴは口髭を引っ張りながら魔石をじろじろと見た。それから魔石を取り出すと、周囲の部品に刻まれた魔法陣を見て眉をひそめた。
「なぜ水の魔法陣を」
「反射を利用するためであろう」
「正直申し上げてめちゃくちゃです。学院に通われた方がよろしいのでは」
「それはご年齢的にもお立場上としても難しい」
「それでは魔法・魔術研究所のファン・ハウゼン所長にご相談してみてはいかがでしょう」
「ふむ」
「公爵閣下も古代文字にはお詳しいことは存じ上げておりますが、魔道具へのご利用が目的であればそこは専門家に委ねた方がよろしいかと」
「すぐに商用には使えぬか」
「左様でございます。ただ、これはこれで興味がございます」
夢中でリストを見続けているクリストフをちらと見てウーゴは続けた。
「魔法陣を拝見しますと、どうやら魔石の力を増幅させようと試行錯誤されていらっしゃいます。魔力が少ない平民でも問題なく使用ができるようにされたいのかと」
「なるほど」
「殿下ご自身も……」
ウーゴは声を潜めた。
「王族ですが魔力がないとか……」
ローゼン公爵は静かにウーゴを一瞥した。ウーゴは咳払いをし、話を戻した。
「使用する魔石の量も少なくて済みます。素晴らしいことです」
「売値についてはどうだ」
「ある程度の需要が見込めますので、何とかなるかと。後程試算した詳細をご報告いたします。ただ、今のままでは量産できないので難しいですな。まず、魔法陣を詰め込み過ぎです。魔力の流れる回路も簡略化できるはず」
「魔法技術学を一から学んでいただかねばならんな」
「と言いますか、魔法学から、ですな」
二人の会話が途切れたところで、クリストフがリストの一部を指差した。
「こ、これ!」
ローゼン公爵はクリストフを見た。
「これ欲しいよ……」
ただでさえ下がっている眉尻をさらに下げてクリストフはローゼン公爵を見上げた。ローゼン公爵は左眉を持ち上げ、ウーゴの肩を叩いた。
「全てご用意して差し上げろ。支払いはいつもの通りに」
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