魔王の残影 ~信長の孫 織田秀信物語~

古道 庵

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墜天の章

第四十五話 岐阜城の戦い 上格子門攻防戦

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天守から見る岐阜城は、どこも硝煙に包まれていた。
戦の匂いだ。

「権現山砦、および瑞龍寺山砦、陥落しました。松田重太夫殿、柏原彦右衛門殿討死。川瀬左馬助殿は逃げ延びているとのことです」
「百曲道を抜かれました。和田信盛殿討死、織田秀則殿は撤退し上格子門に」
「同じく七曲道、武藤砦も陥落。木造長政殿、飯沼長資殿は撤退し同じく上格子門にて応戦中」
「水手口も突破されました。武藤助十郎殿討死。斎藤元忠殿、斎藤徳元殿の行方は不明。現在、百々綱家殿が裏手門を固めております」

次々と上がってくる報告は、惨憺たるものだった。
伝令が口を開く度に臓腑を締め付けられるような気持ちになる。

既に岐阜城各所に配されていた砦は全て陥落していた。残るはこの本丸のみ。
今、長政と長資、秀則が居る上格子門あげこうしもんが抜かれれば。それか綱家が守る裏手門が抜かれれば、この本丸に敵が殺到する事になる。

まだ陽は中天にも差し掛からない。
このまま攻められれば夜まで耐える事は厳しく、更に耐えたとしても攻撃は止まないだろう。

「万事休す、か……」
「殿!!」
弱音を吐いた時、正守が俺を呼ぶ声が聞こえた。
同じく天守から様子を伺っていたのだが、何やら焦っているようだ。

「あれを!」
そうして指差す先、長良川の南西の方角。

「ようやくか……」
柔らかな灯火が胸に落ちたような、ほんの少しの安堵感を得た。
それは人の群れ。蟻のような小さな影だが、それが百、千と数を増していく。間違いなく、大垣城から出てきた石田方の援軍だろう。

「皆に知らせよ! あの援軍が到着すればこの岐阜城は落ちん! あともう少し……二刻でいい、耐えよと!」

正守が頷き、素早く去っていく。
視線を再び戻すと、長良川を挟んだ手前側に兵が展開するのが見えた。
旗は……よく見えないものの、この岐阜城に寄せ手として加わっていない黒田隊と藤堂隊などだろう。
つまり、足止めとして待機していたのだ。

「だがそれがどうした、万を超える軍勢が来れば押し切れるはずだ。頼むぞ……」
欄干を強く握り、視線を落とす。
上格子門では、既に激しい戦いが始まっていた。





「聞いたか長政殿!」
「おう! ようやっと援軍が来たか!」

壁を乗り越えてこようとする敵を突き倒しながら、長実に応える。

「皆の衆! あと数刻耐え抜けばこの地獄は終わる! さあ、最後の一滴まで力を絞り出せ!」
また一人敵を突き倒した長政は槍を掲げ、味方を鼓舞する。

「この……!」
秀則も顔を歪ませながら太刀を振るい斬り捨てる。
先の戦いで貫かれた腿が痛むようだ。

「秀則殿! 無理はするな!」
「なんの、ここで無理をしなくてどうする!」
「まったく……」
そうは言いながらも、長実は小さく笑みを浮かべる。

「長資よ、織田の若武者を護ってくれ……!」
呟き、守り手の指揮を続ける。


一ノ門を乗り越える敵が増えてきており、乱戦の様相を呈し始めていた。
敵と組み打ちになって斜面を転がり落ちていく者も出ている。

城壁で待ち構える者達も、少しずつ数を減らしていた。

その時、一つの銃声が鳴り響き、同時に長政が転がり落ちる。
「長政殿!」
「ぬ……弾が掠めただけだ……」

面を上げた長政の右頬が真っ赤に染まっていた。一部の皮膚が欠けているようにも見える。
秀則も苦しそうに太刀を振るっている。動きが、鈍くなってきていた。

「長政殿、秀則殿! 我が手勢で押さえるゆえ、二ノ門に!」
「しかし長実、ここを抜かれれば二ノ門が最後の……」
「だからこそだ。味方がいると使えん武器がある! 退け!」
「ぐ……分かった!」

手勢をまとめて退いていく二人を見送り、己の配下に槍を構えさせる。

「お前たちはここに置いていく。だが、その命は決して無駄にはせん。必ず、活かす。恨み言は冥土で聞くぞ!」
そうして数人の肩を叩いて長実も二ノ門を潜った。

「門を閉じろ!」
鉄の扉の裏に控えていた兵たちが門扉を押していき、閂が掛けられた。
中に残してきた兵はどれほどだろうか。彼らの奮戦があるからこそ、退く時間を作ってもらえた。

「長実、どう応戦するつもりだ」
「あれです」
と指差した先には、火薬を保管する煙硝蔵だった。そこから兵たちが持ってきた木箱には縄で縛られた黒い陶器の玉が転がっている。

「随分と溜め込んでいましてな。防衛であまり使うものではありませぬが、広場に押し込められた敵を一網打尽にできましょう」
「ふむ……」

焙烙玉は本来であれば寄せ手が城の中に投げ込んで使う事が多いのだが、火薬を炸裂させるため城内の建造物を焼いてしまう可能性があるものだ。
よって守り手が使う事はあまり無いのだが、長実の言う通り、この局面では効果的かもしれない。

「手の空いている者は運び出せ! 派手に敵を散らすぞ!」

そして城内から次々に玉が投げ出され、壁の向こうから炸裂音と敵の悲鳴が聞こえてくる。

「これで敵が恐れてくれれば……くっ」
「秀則殿、脚が痛むか。天守に戻り、殿のお傍におられよ」
「だが」
「ここは我々だけでいい。長政殿も一度手当てに戻られよ。その頬の傷、血だけでも止めねば」
「かたじけない、長実……暫し、任せる!」

あの長政がそう言って頭を下げたのだ。余程、傷が堪えているのだろう。
天守へと行く二人を見送り、そして長実も焙烙玉運びに加わった。

「さあ、どうせここでしか使い切れぬ代物だ! ありったけ敵に喰らわせてしまえ!」

壁外に響く炸裂音の数が増していき、敵の混乱の有り様が見えるようだ。





戻ってきた秀則は、全身が血まみれであり左脚を引き摺っていた。
すぐに手当がされたが、槍で貫かれたとの事で酷い傷だった。

「兄上、面目ない……」
「いいや、よくやった秀則。そしてよく生き残った」
「だが、僕のせいで信盛は……」

秀則と共に百曲道を守っていた和田信盛の戦死は、既に聞いていた。
その事を深く気に病んでいるのだろう。

「秀則殿、戦場では死にゆく者、生きる者で分かたれる。そして死んだ者は戻らぬ。いつまでも引き摺るな」
「長政様! 喋らないでください!」

同じく戻ってきた長政も右頬を撃ち抜かれており、口を閉じても数本の歯が見えているような有り様だ。それでも喋っているので、豪胆にも程がある。
手当をしている者が慌てて𠮟りつけ、慎重に傷口を当て布で巻いている。

「それにしてもすごい音だな」
「長実が、焙烙玉を使って凌いでいます」
「敵が退いているのが微かに見えたよ。その後は煙で何も見えなくなったが……」
「兄上、天守に行きたい」
「……分かった」

秀則の手当ても一通り済み、肩を貸しながら共に天守へと上がる。

長実が守る二ノ門は黒煙に包まれており、よく見えなかった。しかし武藤砦へと連なる道には、兵が大挙して並んでいるのがよく見える。
だが、動きが鈍いのは焙烙玉による足止めが上手くいっているからだろう。

水手口から繋がる裏手門は、綱家に守らせていた。しかし、じりじりと敵兵が迫っているのが分かる。
斜面に敵が流れていくのも見えた。恐らく、どこか入れる場所を探しているのだろう。

「あれが、増援か……少ない」

秀則が見つめる先、それは綱家が守る裏手門から遥か先だった。
長良川の向こう岸では、大垣城から来た援軍と徳川方の軍勢がぶつかっていた。

「数は、五千にも満たなそうだな」
「そんな程度で四万に近い軍を追い返せるとでも……?」
秀則が歯軋りして睨みつけている。
俺も、秀則と同じ感想を持っていた。それに動きを見るに、攻め気が薄いようにも見える。

「だがきっと、先遣の部隊のはずだ。本隊が正午を過ぎた頃にでも来るだろう」
「だといいけど……」
不安は拭えないのも分かる。だが、今は三成の事を信じる以外に道は無い。

「急いでくれよ」
交戦を始めた軍を見つめ、祈りを捧げる。
今は神でも仏でも我らが父でうすでもいい、一刻も早く、救援が間に合うように力を。



――その時、城が揺れた。
一度だけ、巨大な化け物にでも揺さぶられたかのように。

思わず尻もちを着き、欄干にしがみつく。
「大丈夫か、秀則!」
同じく倒れている秀則に声を掛けると、頷く。

「それより兄上、あれを!」

秀則が指差した先、そこには巨大な黒煙と炎が立ち上がっていた。
天守の高さにも及ぶような炎の渦。

「……煙硝蔵が……」

火薬類を保管していた石と鉄の蔵。それが爆炎を上げて轟々と燃え盛っている。

絶望が、胸の中を支配していった。
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