魔王の残影 ~信長の孫 織田秀信物語~

古道 庵

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墜天の章

第二十七話 七将襲撃事件

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慶長四年三月。

大きな事件が起き、たちまち噂が広がっていた。
それに伴い城内の主だった者たちを集め、緊急の評定を開いた。

まことの話なのだな?」
「はい、確かでございます。複数の手の者から同様の報告が挙がっております」
「そうか……」

綱家に問うと、神妙な面持ちで答えた。

「石田殿は、ご無事なのですね」
「ああ。今は居城の佐和山さわやま蟄居ちっきょされているようだ」

侍大将の一人、武藤むとう助十郎すけじゅうろうの問いにも同じように返答する。

事件の概要はこうだ。

「武断派」と称される大名七名が、大阪に居た石田三成を襲撃した。どのようなつもりかは分からないが、完全武装していた事からその本気の具合が窺える。

しかし、石田三成は襲撃を何らかの形で察知していたようで、逃れる事ができたらしい。
幾つかの伝手を頼って転々としたものの、武断派は執拗に追い続け、大阪から京の伏見まで追いすがったようだ。

武断派は伏見にて手勢で屋敷を取り囲み、身柄の引き渡しを要求したのだが、その時伏見に控えていた徳川家康と大谷吉継が間を取り持ち、石田三成の蟄居を条件に兵を引き上げさせたのだった。

「石田殿は九死に一生を得ましたな。わしは本能寺を思い出しましたぞ……」

長政の言葉に、確かにと頷く。お祖父様を討った謀反と似ていなくもない。

「しかし、なんでいきなりこんな事になったんだ?」
「以前から不穏であったのと、前田まえだ利家としいえ殿が亡くなられたのが大きいかと。かの御仁はどの大名とも面識があり、秀頼殿下の実質的な後見でもあられましたからな」
「そうか……そうなると五大老には」
「家督を継いだ利長としなが殿が引き継ぐようです」

秀則と綱家の会話を聞きながら、気になる事が幾つか出てきた。

「襲撃した七名についてはどうなっている?」
「特にこれといったお咎めはないようです。というのも、石田殿の執政に対する反感のようですし、徳川殿の差配も石田殿の非を重く見た形ですからな」
「そうか。襲撃した七名に、池田いけだ照政てるまさ殿と福島ふくしま正則まさのり殿の名前があったから、気になっていたんだ」
「武断派の中心になっているようですからな」

二人とも、心に残る御仁だ。
池田殿は俺が岐阜城に入る前の城主。闊達で朗らかな印象が強く、父を褒めてくれていた。
福島殿はまさしく武人。済州島で、俺に講和の裏を話してくれた。

ただの酒飲みの集まりだと思っていたものが、ここにきて一躍派閥として名乗りを上げた形となった。
属する大名たちはどれも織田、豊臣の下で名を馳せたつわものたちだ。

文治を旨とする石田殿とは、水と油のような関係となっている。

「とりあえずは、これで一件落着ではないのか?」
「秀則殿、それは違うと思う。この後の事が肝……という事ですよね」

秀則の楽観的な言に、長資ながすけが口を挟む。

「そうだ、長資。五奉行の筆頭であった石田殿が謹慎させられたという事は、今は誰が執り仕切っていると思う?」
「……徳川殿か」

綱家の問いに、一人名前が思い当たり呟いた。

「その通りです、殿。徳川殿が正式に伏見城に入られました。そして、今まで石田殿が差配していたものも手を付けております」
「これは……」

確かに、厄介な話だ。
徳川殿は豊臣の臣下であり、そして五大老の筆頭格。これだけならば、豊臣としてはなんの問題もない話だろう。

しかし、徳川殿は力が強過ぎる。
まず、所領の石高が二百五十万石と桁違いなのだ。
元の所領である三河・遠江のみならず関東一円を領有しており、これは秀頼殿下の所領の二百二十万石よりも多い。
臣下の大名でありながら、主君よりも豊かであるのだ。

そんな大大名が、豊臣の中心たる伏見城に入り政権を掌握している。
見る者が見れば、乗っ取りにも思えるだろう。

「実質的に石田殿の失脚という事でこの一件は終えられてしまいました。となると」
「他の五大老が黙ってないな。元々徳川殿との折り合いが悪かったとも聞くし」
「左様でございます。元は五大老、五奉行での合議制を計っていたものが、徳川殿の一存となっては面目も立ちますまい」
「徳川殿は、これを狙ってやっているのかどうか、だな」

徳川家康は既に齢が六十も手前。秀吉とそれほど変わらない老体だ。
それなのに、こんな事ができるとは。
秀吉が高く買っていたのは武将としての力、所領の広大さによるものだと思っていたのだが、もしかしたら……

「東と西、か……」
「上杉殿だけは東におりますがな」
「そう言えば、上杉殿は会津に転封になっていたな」
「永く治めてきた越後を離れるのは名残惜しかったでしょうな。どうにも、ここにもきな臭い話が」
「ほう?」

綱家の話に、場の皆が耳をそばだてる。

「上杉殿の家老に、直江なおえ兼続かねつぐという御方がおられましてな。石田殿とは親しくしていたようで、この一件で徳川殿に噛みついたらしいです」
「悶着が起きたのか?」
「いえ、そこは上手く流されたようなのですが、対立が深まっているそうです」
「会津は、関東の徳川殿を睨んだ位置ですからな。元々反りが合わぬ者同士を隣り合わせたのは、亡き太閤殿下の采配の失敗かもしれませぬ」

綱家に続き、斎藤さいとう元忠もとただがそう締め括る。

「太閤殿下がお隠れになって、直ぐにこれとはな……」
「元々が覇を競い合っていた諸大名同士、そうは上手くいきますまい」
「せめて、秀頼殿下が十年早く産まれていれば……」
「皆の衆、そこらで止めておけ」

口々に不穏な言葉を口走るので、場を制した。

「とにかく、我ら織田家の指針は変わらぬ。所領を豊かにし、豊臣に仕え、秀頼殿下を支えるのだ。徳川殿も豊臣を想っての行動かもしれぬ。妙な詮索はよそう」
「はっ」
「御意に」
「では評定を続けよう」
「それでは、我が方で担当していた治水工事につきましてご報告を……」

杉浦すぎうら重勝しげかつが木曽川の治水の進捗についての話を始め、流れが変わった。

しかし、場の浮足立った雰囲気は未だに残っており、それは俺自身にも言える事だった。





「よう、忠政。遊びに来てやったぞ」
「本当に来たな、三法師」

森家の居城である金山かねやま城は、岐阜城と同じ山城で、やはり堅牢そうな城砦の様相だった。
本丸の中にある屋敷に通され、そこに忠政が居た。

「同じ美濃でも、こちらは随分と山深いな」
「岐阜城に比べたらな。どうだ? 酒でも飲むか?」
「ああ」

いつまでも酒が苦手だと断っているのも悪いので、今日は飲むことにした。
俺も二十歳になるわけで、ようやく酒毒の感覚にも慣れてきたところだ。

「それにしても随分と派手な着物だな」
「行く先々で言われるよ。変か?」
「いや、別に。お前が好きなものを見つけられたようで、俺は充分だ」
「それはそれで気持ち悪いな」
「あ?」

この野郎、と軽く小突かれ、酒を注いでやって飲ませる。
すると忠政も俺の盃に酒を注いだ。

「こうしてお前と飲める日が来るのを、ずっと待ってたんだよ」
「前にも言ってたもんな。そんなにいいのか?」
「ああ。なんというか、お前が大人になったんだと思える。会った頃は腰ほどの背しかなかった坊主がな」
「そう言う忠政は、髭が薄くて似合ってなかった」
「ふふん、今では立派なものだろう?」
「俺の中では忠政は変わらないよ」
「少しは俺を立てろよ。まったく……」

そうは言いつつも、酒を注ぐ時は嬉しそうだ。



「なあ、三法師。お前に言っとかねばならぬ事がある」
「なんだよ、改まって」

昔話や所領の話をしている内に、思っていたよりも飲んでいたようだ。
視界が俄かに揺れている。

「転封になったんだ。美濃を離れる事になる」
「……そうか。加増か?」
「ああ、十三万と七千五百石だ」
「俺と同じくらいだな」
「馬鹿言うな。七千五百石、俺の方が多い」

負けず嫌いな忠政らしい言い方だ。

「めでたいな。どこなんだ?」
「信濃、川中島だ。あそこはな、長可ながよし兄貴が居た地なんだ。ずっと談判していたんだが通らなくてな。だが、遂に認められた。徳川殿のお陰だな」
「徳川……」
「そんな顔をするな。言っておくが、あの御方はかなりの大物だぞ」
「俺も会った事はあるから分かるよ。立派な御仁だ」
「ったく、そういう言い方をする時のお前は可愛げがないぞ」
「結構」

どう言われようが気にはしない。散々その名ばかりを聞いているので飽いてすらいる。

「まあ聞け。七将の事件の後、俺は伏見に行ってたんだ」
「それは初耳だ。何のために?」
「京に用があったのもあるが、徳川殿に会うためでもあった。快く屋敷に上げてくれてな、随分と語り合ったよ」
「へえ……」
「信濃に行きたかったのはな、長可兄の遺恨を晴らすためだ。どうしても討たねばならぬ連中があそこに居る。だが、他国から攻め入ったとあらば戦になるだろう? さすがにそれは望まない。だから、どうしてもあの地に行きたかったんだよ」
「それで、談判か」
「おう。とは言え、太閤殿下も淀君も、それに石田殿も取り合ってはくれなかったがな。だが、ようやく徳川殿が聞き入れてくれた。奉行衆にも話を通してくれてな、来年には移れる段取りになっている」
「転封を餌に、徳川に降ったのか?」
「おい、言葉が過ぎるぞ三法師。どうした?」

言われて気づいた。自分が苛立っていた事に。

「……すまない。酔った」
「お前の言い分も分かるさ。だがな、冷静に状況を見てみろ。既に豊臣は割れているぞ」
「どうにか……できぬものかな」
「石田殿に、徳川殿の半分の器量でもあればどうにかできただろう。しかし、あれは頭が堅過ぎる。やはり太閤殿下の元で奉行として勤しんでいる方が性に合っていただろう」

忠政の言い草に、随分と棘があるように思える。

「忠政は、石田殿が嫌いなんだな」
「好いている者の方が少ないぐらいだろう。何かと口うるさく指図するし、こちらの言い分は一分すら通らない。結果的に正しい事を言っているのは分かる。だが、頭ごなしなのだ、あの人は」
「それもまあ、分かるな」

あの人は、理路整然としたものが好きなのだろう。だから詰めるような言い方をしてしまう。なまじ秀吉の直属だったせいで、石高以上の権力を持っていたのも良くなかった。
大名という立場で言えば、国力や所領が下の者にどうこう言われるのは面白くないはずだ。

「俺は徳川殿に着いていくぞ。話が分かる御人だ。お前もその内会ってきたらどうだ」
「考えておくよ。確かに、家内でもそういった声が出ているんだ。石田殿の蟄居も解かれていないし」
「だろう。賢しい者ほど動きは早い。いずれ派閥争いに発展しかねん状況だ。その時が来る前に、恩を売っておけよ」

忠政の言葉には答えず、盃の酒の残りを一息に飲み干す。

あんなに美味く感じていた酒の味が、何故か、今は苦く思えてしまった。
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