魔王の残影 ~信長の孫 織田秀信物語~

古道 庵

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墜天の章

第二十九話 同じ孤独を知る者

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石田三成の言の通り、秀頼殿下の居る大阪城へと参内する事になった。
何故か恩賞という形で、金が下賜されると。

言ってしまえば、俺を豊臣に繋ぎ留めるための方便だろう。

大阪城は、やはり秀吉の趣味が色濃く出ている城だ。
壮大な天守に、見る者を圧倒する程に広大な城郭。

贅を凝らした庭、邸内に入れば、黄金の襖に、高名な絵師に描かせた傑作の襖絵や屏風絵がこれでもかと並び立つ。
香が薫りが鼻孔を突く。淀君の居る場所はいつもこの香だ。

「織田殿」
「これは、徳川殿」

女中に連れられ広間に向かう途中、徳川家康と会った。

「少し見ぬ間に、随分と派手になったな」
「皆様に言われます。私はこのような色合いが好きだったようです」

今日は朱色の着物に、南蛮の白い花が描かれた若草色の袴を履いてた。今日は控えろと散々言われたものの、押し通して来たのだ。

「いや、信長公に随分と似てきた……というより、若かりし頃にそっくりだ。顔立ちも、倅殿らよりずっと似ている」
「私はお祖父様に会った事がないので分かりませぬが、旧知の仲である徳川殿にそう言われるのは、とても嬉しく思います」

『ここにおるだろうに』
亡霊の声が頭に響く。

「今となっては、織田がここまで小さくなってしまった事が悔やまれる。わしは織田のためであればどこまでも働いたというに」
信雄のぶかつ叔父にお味方いただいた事、御礼を申し上げます」
「その話はいい。わしは、豊臣の臣だ」
「失礼をいたしました」

小牧・長久手の戦いでは、信雄叔父と徳川とで組んで豊臣に反旗を翻していた。戦況では優勢に進めており、あのまま攻められていたら今の豊臣は無かったと言われるほどだ。
しかし、結果的に信雄叔父が恐れを為して勝手に秀吉と講和を結んだことで終結。これには徳川方も辛酸を舐めさせられただろう。

「お主には期待している。やはり信長公の跡を継ぐならば、信忠殿とわしも思っておったからな。その倅たるお主がこうして立派になられたのは、わしも嬉しい」

そう言って肩に手を置かれる。齢六十を目前とする男の手は、肥えていながらも枯れ枝のように節くれだっていた。
しかし、異様な程に力が込められている。

「秀頼殿下とわし、そしてお主がおれば、天下は安泰となる。これからも頼むぞ。今日の恩賞も、少し色を付けさせてもらった」
「はい……ありがたき事と存じます。こちらこそ、これからもよろしくお願い申し上げます」
「うむ、では奥へ参られよ。わしは一つ用を済ませてから参る」
「はい」

秀吉から聞いた言葉を残し、家康は去っていった。
既に髪も白くなっている老人だというのに、その言葉も、立ち振る舞いも、老いを感じさせないものだった。

秀吉のような虚無の瞳ではない。その逆で、見る者が目を逸らしたくなるような強い眼光を放っている。
だが、この人も、何か途轍もないものを潜ませている。
俺が幼い頃より会っている人物ではあったが、歳を重ねる程に、潜ませたものが身から溢れ出しているように見えた。


風が、肌を撫でる。同時に、寒さを感じ身震いを一つした。
うっすらと、汗をかいていた事に今更気づく。

秀吉とはまた違った緊張感や恐ろしさを、家康という老人から無意識に感じ取っていたのかもしれない。





謁見は、随分とあっさりとしたものだった。

俺の他にも数名の大名が呼ばれており、顔ぶれを見る限りは西国の大名が多いようだ。俺と同じような経緯かもしれない。

やはり、秀頼殿下は幼く、隣には淀君が控えていた。
こうして見ると、淀君はまだ若いように思える。秀吉とは三十は差があったのではないだろうか。
血を辿れば母がお市の方で、その先は俺と同じ曽祖父に行き着く。その意味では、秀頼殿下は織田の血縁である。

殿下は……こうして相対すると、豪奢な着物に飾られた童でしかなく、内裏に置かれた飾り人形のような印象を受けてしまっていた。

――きっと、俺も昔にこのように見られていたのだろうな。

強張った表情を隠せず、しきりに母の方へと視線を向けている。不安なのだろう。

だが、それぞれの大名に一声かける時は、目を逸らさずにしっかりとした声だ。きっと練習を重ねたのだろう。
恩賞の下賜を示す証文を受け取り、場は解散となった。



「織田中納言殿、こちらへ」

呼び止めたのは淀君だ。そして、周囲を女中に囲まれる。

「石田殿より、言伝を預かっております。殿下とお話になってください」

言葉は丁寧なものの、有無を言わさぬ圧力を感じられた。短く返事をし、連れられて奥の間へと向かう。

「兼ねてより、殿下は貴殿とお話がしたかったのですよ」
「それは、恐悦至極にござります」
「貴殿の身の上の話は、しております。秀吉様から聞いた話も」
「左様でございますか……」

淀君は襖の前で足を止め、こちらを振り返る。

「私が居ては気も許せぬでしょう。しばし、秀頼と二人で話しなさい」
「殿下とお二人で、ですか」
「ええ。できれば、そのように堅くならずに接して欲しいと、私は思っております。あの子が抱えている孤独を真に理解できるのは、秀信殿だけだと思っていますので」

口調が、柔らかくなっていた。
小さく微笑みでこちらを見るのは、子を慈しむ母の顔だ。

「……分かりました。私如きでよろしければ」
「頼みましたよ」

そうして淀君は襖の向こうに声を掛け、静かに開くと、向こうの畳の間には先ほどと同じ服装のままの秀頼殿下が座っていた。

「失礼仕ります」
「うむ……」

秀頼の前で頭を下げて座ると、後ろの襖が閉じる音が聞こえた。

やはり、幼いなと思う。あどけなさが残る面持ちは童のそれだ。今は六つだったはずだ。
不安そうに目を泳がせているものの、数瞬目が合い、こちらを見ていることも分かった。

「私に、何か聞きたいことがありますのでしょうか」
「うむ……そなたは、僅か三歳で家督を継いだと聞いておる。だからぼ……私も気になって……」
「家督を継いだと申しましても、形だけのものです。結局は後見となった叔父らに取り上げられました」
「それでも、織田はそなたであろう?」
「はい。ただ、担がれていただけで、ようやく当主らしく動けるようになったのは、ごく最近の話です」
「そうか……」

秀頼が呟くとそれきり、無言の時間が流れる。
しきりに膝を動かし忙しない様子で、しかし、何も口に出さずに居た。

俺も、さてどうしたものかと思案を始める。

「……話がしたいと思ったのは、私には、母以外に信じられる者がおらんからだ」

その言葉に、胸を掬われたような気分になった。
俺と、同じ。

母以外に頼れない、信じられない。
且つての己と目の前の童が、重なる。

「そなたは私とよく似た生い立ちと聞いて……だから、ちゃんと話したいと思ったからだ」
「……殿下、宜しければ、私の話をしても?」
「頼む」

意を決して俺に打ち明けてくれた目の前の童に、応えなくてどうする。
そんな気持ちになり、清州にて秀吉に抱え上げられた時の事から、記憶を手繰り寄せながら語り始めた。

母との別れ、清州、そして信孝叔父の死、放浪を重ね――聚楽第の日々。

語る中、秀頼は頷きながら黙して話を聞いてくれていた。

忠政、秀則との出会い、そして岐阜へ。
ひとまずはこの辺りまでだろうと、話を締め括った。

「思い出せる限りの話では、以上となります」
「ありがとう……そうか、兄と呼べる存在と、弟ができたのだな」
「はい。こればかりは、父君に感謝しております」

御守りを焼かれた事、憎しみを持ち続けていた事は伏せている。
だが、秀吉から話を聞いていたのでは俺の事がどう伝わっているか分かったものではない。

「羨ましいな」

ぽつりと呟く秀頼に、淀君の言った「孤独」の意味がよく理解できた。

秀頼が求めているのは、歳の近い信用できる相手なのだろう。
大阪城には家臣の子息や子女が多く居るはずだ。それでも、距離があるのは己の経験からも頷ける。

話していて思う。六歳の喋り方ではない。
それは俺もそうだった。同い年の子どもたちも、秀則も、俺からすると年代が大きく下かと思う程に噛み合わなかったのだ。

「殿下は、苦悩されているのですね」
「そのような事は……いや、うん……」
「私も、お気持ちを少しばかり察する事ができます。そこで一つ、ご提案が……」

次々と訪れる、私欲に塗れた大人たち。
無邪気で、なんの悩みも持たない同年代の子ども。
誰を頼ればいいのか分からず、ひたすらに耐えた孤独の時。

縋るように母を見る目は、俺が母上からもらった御守りを握りしめるのと同じなのではないか、と。

俺にとって、俺が俺らしく振る舞う事ができた初めての相手。
無邪気に笑った忠政が頭に浮かぶ。

「……二人だけで会う時、その時は互いの立場から離れてみませんか」
「立場を」
「はい。私の事は秀信とお呼びになってください。ただの秀信と」
「で、では……私の事は、じゅうと呼んで欲しい。秀頼の名は、まだ馴れなくて……」
「分かりました。それでは拾、互いに似た者同士、きっと助ける事もできると思う。俺にはそれほど力はないが――それでも、頼って欲しい」

すると、秀頼の顔に笑みが浮かぶ。

「うん! お願いする。秀信、たまに大阪に来てくれ」
「ああ、俺で良ければ」

忠政も、こんな気持ちだったのだろうか。
どうにもぎこちなくて気恥ずかしいが、それでも、目の前の童が嬉しそうにしているのを見ると間違いではなかったと思えた。

それからは、拾の話を聞く側に回った。
どんな事をしてきたのか、どう思っていたのか。
今まで誰にも打ち明けられなかった言葉が、溢れ出しているようだ。

同情でも憐れみでもない。
ただ、同じ孤独を分かち合う事ができる。

きっとそれが、俺たちが持つ望みなのだろう。
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