魔王の残影 ~信長の孫 織田秀信物語~

古道 庵

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墜天の章

第三十話 天秤

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年が明け、慶長五年を迎えた。

年賀の行事を大阪城にて行ったが、どうにも場の空気が悪かった。
まず、五大老の内前田利長と上杉景勝が欠けていたこと。五奉行も蟄居により地位を失った石田三成と、浅野長政も任を解かれており、秀吉が構想した合議制は既に崩壊したことを物語っていた。

何よりも、徳川家康はその影響力を見せつけるかのようであり、家康に阿る大名が数知れず、主君であるはずの豊臣秀頼よりも目立っている始末だった。

当然、同じ五大老の立場である毛利輝元、宇喜多秀家らは面白くない様子で、こちらはこちらで秀頼の下に集まり、まるで派閥同士の睨み合いの様相を呈していた。


秀頼……拾とは、奥の間で会い、話をした。やはり気苦労が重なっているようで、少しばかり体調も悪いようだ。
しかし、俺と会うと嬉しそうに笑うもので、かつての己を思い出してしまう。



「おう、織田の小倅」

帰路に就く前に、呼び止められた。

「福島殿、それに池田殿」

そこに居たのは、福島正則と池田照政だった。

「久しいな、秀信殿。岐阜の統治は順調か?」
「まだまだ私如きでは、美濃の地を治めるには力不足を感じていますよ」
「殊勝な事だ。聞けば随分と大らかに治めてるそうじゃないか。わしが居た頃とは、また変わっていそうだな」

そう笑いながら、照政は俺の肩を叩いた。

「ほう? そうなのか」
「お前なあ……清州城と岐阜城は目と鼻の先だろうが」
「わしは別に他国の事なんざ興味ないからのう」

顎の髭を撫でながら正則は面倒そうにぼやく。

「また大戦がしたいのう」
「はあ、この戦馬鹿めが」
「男に生まれたのだから、戦うのが常じゃろうが」

二人の気さくな様子に、余程気心が知れているのが分かる。

「して、織田の。お主まだ娶っておらんのか」
「はあ。幾つか縁談はあったのですが」

正直、それにかまけてもいられないので曖昧な返事を通したままだ。

「それはいかん。男は嫁御があって一人前、内助があってこそ戦働きもより一層というものよ」
「まあ焦っても仕方ないとは思うがな。正室もまだでは、やはり家も選ばねばならんし」
「いいや、急ぐべきだ。子をこさえねば家も途絶える。どれ、わしが世話してやろうか」

俺を覗き込むように見る正則に、思わず身構えてしまう。

「ありがたい話ではございますが……わた」
「内府殿の孫娘にな、年頃の姫がおる。どうじゃ? 悪くなかろう」
「はあ……」
「そこの照政も、継室に内府殿の娘を迎えておる。わしの倅も、内府殿の姪娘を正室に迎えたしのう」

言葉を遮られて押し通される。
話を聞くに、徳川家康との縁戚関係をそれぞれに結んでいるということか。

豊臣の家臣内で、許可なく婚姻関係を結ぶこと、徒党を組むことはご法度とされている。
しかし秀吉が亡くなり、三成が失脚した今となっては咎める者も居ないのが実状だった。

「暫し、お時間をいただきたい。家内の者でも幾つか待たせている話がありますので」
「そうか。どうせ近くなのだ、時々顔を見せに来い」
「清州城と言えば、お主の出発の城でもあるしな。その時は三人で飲もうじゃないか」

……清州、か。確かにそうだ。秀吉に担がれた場所があそこだ。

「では、行くか照政」
「ああ。……っと」

応えた照政だが、こちらに近づき顔を寄せる。

「悪い事は言わん、徳川殿につけ。もう既に各地の大名を取り込んでおるし、あの御方は……いずれ天下を取る気だ。敵と見た相手には容赦は無い。一族郎党根絶やしに遭いたくなくば、従うことだ」

不穏な言葉を囁き、肩に手を置いてから離れる。

「じゃあの、織田の小倅よ。その気になったらいつでも来いよ」
「またな、秀信殿」
「はい」

去っていく二人を見送り、供を連れ立って大阪を出る。





「殿、わしからも申し上げます。どうにも不穏な空気が流れておりまする」

俺の乗る駕籠に身を寄せてきたのは、綱家だ。

「不穏、か。上杉殿の件か?」
「はい。今、築城や将兵の訓練を盛んに行っております。それを理由に、謀反の嫌疑をかけるおつもりだと」

会津に転封された上杉景勝は、奥州への備えとして大規模な軍事力の増強を行っているらしい。
家康の治める関東、未だ反豊臣の色がある奥州に挟まれた地だ。
百二十万石という膨大な石高ではあるものの、会津自体にそれほどの国力はない。奥州仕置の際に取った周辺の支城を含めた領地だ。

上杉は武に優れた一門である事は、先代の上杉謙信の頃より知られている。軍事力の強化というのは、在地の反乱勢力を抑えるのと、未だ野心の強い伊達家や最上家に睨みを利かせるためと頷ける話でもある。

しかし、家康にとっては面白くない話だろう。
豊かな関東の地を取りにくるのではないかと思うのも、分かる。
――とは言え、それらはすべてが方便だ。

「狙いは五大老の弱体化……と言ったところか」
「既に前田家は力を失いましたからな。残る上杉、毛利、宇喜多をそれぞれに。更には奉行衆の力も削ぐ動きをしております」
「徹底的だな。あの翁の肚が知れん」

最終的な目標は、己以外の大名を下に据えるという事か。

――そして、豊臣に成り代わる。

秀吉のやった事と、道筋は違えど似ていた。

「今や諸大名の中でも、徳川派、それに福島殿や池田殿のような武断派に流れております」
「それでも、豊臣の威光はまだ健在だろう」
「それが……少数派だなどと楽観できない程でございます」
「綱家はどう思う」
「は……縁談の話があるのでしたら、お受けになるが宜しいかと」
「お前がそう言うのだから、余程の事態だな」

綱家には間者を使って情報収集を頼んでいる。各国の情勢を知るのも、大名として大切な事だ。
そして、今や風向きが徳川に向いてきていると、そう伝えているのだ。

「今の姿勢を変えるつもりはないが、縁故もあった方が良いのかな」
「それも世渡りの術ですので」
「分かった。考えておく」

とは言え、気乗りはしなかった。
そもそも誰かに仕えるという感覚が、好きではない。これは秀吉の頃からも思っていたことだ。

許されるのならば、静かに美濃の地を治めて一生を終える。それが理想だった。



『それだけしか望まぬのか』

……そうだ。それだけが、望みだ。

頭に響く重苦しい声に、心の中で答えた。
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