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墜天の章
第四十三話 岐阜城の戦い 大手道
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大手道となる七曲道。その登りきった位置に、武藤砦がそびえている。
最も大軍が進みやすい道であるが故に、敵の主力が来ることが予想できていた。
上がってきているのは福島正則、細川忠興、加藤嘉明らだ。これだけでも一万を越す軍勢であり、七曲道がかつてないほどに人で埋め尽くされていた。
「さて、これは大軍だな」
櫓に上った木造長政は、口ひげを撫でながらつぶやく。
「敵は大勢、こちらは千も満たぬ兵のみ。これを防ぎきるにはどうしたらよいものか」
「これは……死にますな」
長政の隣に立つのは、飯沼長実だ。顔が引き攣っている。
「親父は倅と違って臆病だな。昨日の戦働きは凄まじかったと聞いているぞ」
「長資は……今でも思う。わしが代わってやっていればとな」
「敵は取らんのか?」
「池田の軍勢は来ていないようだからな、はずれだ」
引き攣った口元は醜く歪み、牙を剥き出した獣のような表情に変わる。
「やはり父子だな」
長政は小さく笑い、そして眼下に迫る軍勢を見遣る。
「長政、ここで死ぬなよ。お主は最後まで殿に付き従うべき男だ」
「誰が死ぬか。ただまあ、殿はああ言っているが命を惜しんで凌げる場でもないな」
「いざとなればわしが後ろを押さえるさ」
「昨日は綱家殿にも逃がされてばかりだったな……長実、気にするな。ここは暴れさせてもらう!」
「おい」
言うや否や、滑るように櫓を降り立つ長政。
「さあ敵が来るぞ! お前らも逃げてばかりで飽きたろう、ここで存分に戦え!」
拳を掲げるとそれに呼応し、砦が鬨の声に満ちる。
長政は槍を取り、己の麾下の騎馬隊に指示を飛ばす。
◆
七曲道にほど近い百曲道の中腹にて、秀則らは京極高知らの軍を迎え討っていた。
秀則らの手勢は五百ほどであり、対する京極隊は四千。
ただ、道幅が狭いので大軍の利は生かしづらく、互いに先頭の兵を削りながら戦いを続けている。
「砦が無い事が仇になったな」
隣で戦闘の行方を見る和田信盛が歯軋りする。
信盛の言う通り、犠牲はほぼ同じ。そうなれば先に擦り潰されるのはこちらだ。
砦があれば敵の行く手を阻む壁ができる。鉄砲や矢で一方的に削る時間も作れた。
しかしこの百曲道には砦はない。建築できるだけの広さがないのだ。精々柵や大楯を並べておいた程度で、とっくに突破されていた。
「せめて、もう少し兵があれば……」
「泣き言を並べても何もならないぞ信盛、どの道あの四千を相手するならこちらは全軍が必要になる。ここだけ厚くはできないさ」
「分かっている、分かっているが……」
互いに二百は減らしている。時間の問題だ。
ふう、と秀則は息を吐く。
そして槍を脇に抱え、馬腹を蹴った。
「秀則殿!?」
「ここで勝つなら、示すしかないだろう!」
呼び止めようと叫ぶ信盛を置き去りにして、味方を掻き分けながら突き進んでいく。
◆
武藤砦から矢を射かける。
配下の中でも名人達であり、的確に射抜いていた。
「鉄砲の戦も随分と長くやってるが、やはり矢の方が良いのう」
鉄砲は鎧を撃ち抜く威力があるし、弾丸は目にも留まらぬ速さ。そして何よりも遣い手を選ばず訓練期間が短くとも使いものになる。
派手に音が鳴るので威嚇にもなり、今の戦場の主役と言っていい。
しかし、長政からすれば好みではなかった。高価で数が揃えられない事、弾込めに時間が掛かり過ぎる事、そして何よりも「武芸」と言えぬ代物だからだ。
それに対して弓は習熟に時間が掛かるものの、古来より培われてきた武芸の道。己の配下に関して言えば、鉄砲よりも弓術を鍛えていた。
鉄砲よりも素早く連射もできるし、音も立たない。弦が空気を打つ音のみが響くだけだ。
槍を掲げて正面に向け、砦の門を開かせる。
「第二射! 放てえ!」
「者ども、行くぞ!」
射手に合わせて騎馬隊を引き連れ駆け出した。
頭上を矢が奔っていく。
まるで隼の群れのようだ。
そして眼前の敵に吸い込まれ、前衛を打倒していく。
「突撃い!」
長政は先頭で槍を振るい、一人を突いて吹っ飛ばす。
後続も次々に到達し敵の歩兵の槍を恐れずに突っ込んだ。
そして次なる矢の雨。
本来なら同士討ちを恐れて撃てないものだが、長政は射続けるように指示していた。
狙い澄まされた嚆矢は、的確に長政ら騎馬隊の進路上の敵を射抜いていく。
これこそ武芸、これこそが弓矢の真骨頂。
円弧を描いて飛来する矢は、直線状の味方に射線が遮られない。
そして弓の名手達は曲射の心得がある。己の射程の範囲であれば、どこにでも矢を落とせるだけの腕があるのだ。
「我こそ織田家筆頭家老・木造長政なり! 首が欲しくば取りに来い! ただし、己が命を落とすものと知れ!」
名乗りを上げて敵を蹴り破り、突き倒す。
止まらない矢の雨と突貫する騎馬隊。
予想外の攻撃だったのだろう、敵の前線は明らかに恐慌状態に陥っていた。
慄いて数名が退がり始めてからは、まるでさざ波が広がるように恐れが伝播していくのを、長政は感じていた。
◆
「この……!」
突いた槍が引き抜けず、手放した。
そして腰の太刀を抜く。
――いいさ、どうせ刀の方が得意だ。
馬上で太刀を振るいながら斬り込む秀則に、味方も勢いづいていた。
これまで押され気味だったのが、押し返し始めたのだ。
横凪ぎに振るった太刀が、的確に首を捉えて飛ばす。
手綱を握らずとも、脚だけで馬を操る事はできた。
「大将を先に行かせて何とする! 者ども、進め!」
後ろから信盛の檄が聞こえた。
馬上から見る戦場は、敵で埋め尽くされていた。
思わず息を呑んでしまう。
どこまでもどこまでも、敵の群れが続いている。これを倒さなければならないのか。
昨日の大板橋での戦いで初めての合戦を経験したが、稽古とは全然違っていた。
火縄銃に弓、真剣と真槍、そのどれもが、容易く人の命を奪える。
昨日初めて槍で突き殺した、あの時の感触が指から離れない。
一人の人間の命を奪うという、その行為の恐ろしさに。
だがそれ以上に、敵はこちらの兵や将を殺している。
「長資……!」
心が戦場の恐怖で折れそうになる度に、長資の死に様を思い出していた。
怒りと憎悪で頭を満たす。それでようやく、震える指に力が入った。
馬首を巡らせ、敵の槍を躱しながら太刀を振るう。
剣を振る時だけは、冷静になれた。よく敵が見えている。
敵の右肩に、鎧の隙間があった。そこに刃を入れるよう伸ばし、下に抜く。
それでけで容易く斬れた。敵は槍を取り落とし、腕を押さえて退がる。
槍が、来る。
しかし見えていた。馬に一歩引くように伝え、斬り下げた太刀を引き上げて槍の柄を斬り裂く。
そして次の敵。
無限とも思える程の攻撃の波。間断なく続く激流。いつまで続く。いつまで耐えればいい。
太刀を振るう度に腕が重くなっていく。
穂先を躱しても、柄が当たる。それだけでも打撃の衝撃がある。
終わりは、まだか。
「――!」
そんな泣き事が頭に浮かんだ時、馬が棹立ちになって、倒れた。
「すまない」
馬に槍が何本も突き刺さっていた。この城に来て騎乗を覚えて、初めて与えられた馬だった。
守りきれなかった。
立ち上がり、迫ってくる槍を回避する。幸い、太刀は握りしめたままだった。
しかし呼吸が整わない。
半円を描くように敵に囲まれている。視界が揺れる。来る。
槍、躱す。それと同時に太刀を振るう。反射であり、そして全力だ。
胴鎧ごと横凪ぎに断ち斬る。
「我こそは当主織田三郎秀信が弟、織田秀則! さあ、この首簡単には取らせんぞ!」
肚から名乗りを吼えた。
敵方はたじろいで間隙が生まれた。
しかしそれも一瞬。すぐに突きかかる者が現れる。
槍を跳ね上げるようにして斬り上げ、体当たりして突き飛ばす。
次の槍、見えている。今度は振り上げた太刀を叩きつけるようにして振り下げた。柄がを両断する。
驚いた表情の敵兵の喉に切っ先を突き刺して引き抜く。
左の腿に衝撃。
見れば横から貫かれていた。
雄叫びを上げながら太刀を一閃。突き刺していた敵の首を飛ばす。
運良く敵が槍を握りながら仰向けに倒れたので槍が引き抜かれるが、その時に凄まじい激痛が頭に響いた。
だが敵の攻撃は容赦がない。次なる刺突が迫り、大袖を押し付けるようにして何とか躱す。
太刀を振り上げるが、微かに敵の鎧を斬りつけるのみ。
立ち上がろうとするが左脚に力が入らない。
転がるようにして退避する。
息も、切れていた。
倒せたのは片手で数えるほど。この程度で終わるのか。
敵がにじり寄ってくる。太刀を水平に構えて迎える。だが、多勢に無勢だろう。
死の覚悟を決めた時、横から数騎が割り込んできた。
包囲していた敵の輪を散らす。
「秀則殿! ここは俺が引き受けます!」
騎馬隊の中央に居た信盛が近づいてくる。
「脚をやられたか、それでは動けまい。さあ、この馬に乗って!」
と自分は下り、俺を担いで馬に乗せる。
「待て、信盛。僕はまだ」
「秀則殿は充分に役目を果たされた。見よ、この味方の士気を」
言われて周囲を見遣ると、味方の兵が鬨を上げながら駆けて下りてきていた。
「皆秀則殿の奮闘に心を奮い立たされた。ここからは、我らの出番だ!」
信盛が大槍を振るって前に出て行く。
「まずは後方で傷の手当てを! それから戻ってきてくだされ!」
「分かった。必ず、戻る」
「その頃には敵はもう居なくなっているでしょうがな」
「……すまぬ」
兵と共に駆け出す信盛の背を見て声を掛けるが、いつの間にか近くに居た左近が馬の尻を叩いて走らせた。
◆
「武士とは、かくもあるべきだな」
福島正則は、散々に追い散らされてくる先鋒を眺めながら豪快に笑っていた。
「あれが木造長政か。杉浦重勝といい、わし好みの勇将を抱えているな、織田の」
僅かな騎兵にこれ程追い返されるとは思ってもみなかったものだ。それも、砦を守る大将自らが討って出るとは。
前線の兵からすれば、鬼か何かに見えているのかもしれない。
幾度か戦場で見えた事のある猛将どもは、身の丈が六尺にも八尺にも見えたものだ。
「だがこのままではいかんな。 重賢、兵をまとめて迎え討て」
「はっ」
大橋重賢であれば問題なく崩れた前線を立て直し、あの程度すぐに撃退できるだろう。
「この戦、そう難しいものではないが、思ったより犠牲が出るのう」
「敵の士気がずっと高いですね。早々に降伏してくれれば良いものを。織田の青二才め」
「まあ、指揮や配置は青さがあるが、照政の存在を考えての事だろう。恐らく全ての道が塞がれておるし、搦め手も封じようと配しているはずだ。素通りできている隊はおらぬだろう。分散配置は愚かもしれぬが、援軍を待つための時間稼ぎとしては頷ける」
「……殿、あの若造を気に入っておられているので?」
「できれば配下に欲しい。それも、家臣団諸共だ。久方ぶりよ、敵の勇猛さに心打たれるのは」
近くに寄った小姓と話す正則は、凶暴な笑みを浮かべる。
「だがまあ、哀しいものだな。援軍は来れまい」
「はい。黒田殿、藤堂殿らが大垣への備えになっておりますからな」
頷く小姓から視線を戻し、砦へと退いていく敵の騎馬隊を見遣る。
これ以上進めば死ぬ。それも見定められる眼があるという事だ。
「ようし、敵の勢いも削がれた! 砦を踏み潰せ!」
正則は太鼓を打ち鳴らさせ、福島隊は再び前に進み始めた。
◆
「長政!」
「ああ、すまぬな」
敵に埋め尽くされ旗を立てられる武藤砦を一瞥し、長実らの隊に収容されて山道を登る。
「あれは……」
長実が指差す方向を見ると、数騎の騎兵に守られるようにして駆ける秀則の姿があった。
「秀則殿!」
「長政、それに長実……」
様子を見るに酷く疲弊しているようだ。声に覇気が無い。
長政は馬を寄せて並走する。
「すまぬ、百曲道を守れなかった」
「なんの、我らも砦を落とされた。しかし、まだ負けてはおらぬ」
「信盛は僕を守るために馬を譲った。恐らくは……」
「きっとまだ生きておるさ。それよりも秀則殿、気を強く持て。将がその様ではいかんぞ」
そうして襟首を掴んで背筋を立たせた。
「まだ兵は居る。そして本丸は無事だ。ここで防ぎきる」
目の前には見慣れた一ノ門が現れた。
本丸に至る、寸前の場所だ。
「ここで信盛らを待とう。いいな」
「……ああ」
秀則は頷き、視線を前に戻す。
眼に多少力が戻ったようだ。
「絶対に守り通す」
決意を呟き、門を潜った。
最も大軍が進みやすい道であるが故に、敵の主力が来ることが予想できていた。
上がってきているのは福島正則、細川忠興、加藤嘉明らだ。これだけでも一万を越す軍勢であり、七曲道がかつてないほどに人で埋め尽くされていた。
「さて、これは大軍だな」
櫓に上った木造長政は、口ひげを撫でながらつぶやく。
「敵は大勢、こちらは千も満たぬ兵のみ。これを防ぎきるにはどうしたらよいものか」
「これは……死にますな」
長政の隣に立つのは、飯沼長実だ。顔が引き攣っている。
「親父は倅と違って臆病だな。昨日の戦働きは凄まじかったと聞いているぞ」
「長資は……今でも思う。わしが代わってやっていればとな」
「敵は取らんのか?」
「池田の軍勢は来ていないようだからな、はずれだ」
引き攣った口元は醜く歪み、牙を剥き出した獣のような表情に変わる。
「やはり父子だな」
長政は小さく笑い、そして眼下に迫る軍勢を見遣る。
「長政、ここで死ぬなよ。お主は最後まで殿に付き従うべき男だ」
「誰が死ぬか。ただまあ、殿はああ言っているが命を惜しんで凌げる場でもないな」
「いざとなればわしが後ろを押さえるさ」
「昨日は綱家殿にも逃がされてばかりだったな……長実、気にするな。ここは暴れさせてもらう!」
「おい」
言うや否や、滑るように櫓を降り立つ長政。
「さあ敵が来るぞ! お前らも逃げてばかりで飽きたろう、ここで存分に戦え!」
拳を掲げるとそれに呼応し、砦が鬨の声に満ちる。
長政は槍を取り、己の麾下の騎馬隊に指示を飛ばす。
◆
七曲道にほど近い百曲道の中腹にて、秀則らは京極高知らの軍を迎え討っていた。
秀則らの手勢は五百ほどであり、対する京極隊は四千。
ただ、道幅が狭いので大軍の利は生かしづらく、互いに先頭の兵を削りながら戦いを続けている。
「砦が無い事が仇になったな」
隣で戦闘の行方を見る和田信盛が歯軋りする。
信盛の言う通り、犠牲はほぼ同じ。そうなれば先に擦り潰されるのはこちらだ。
砦があれば敵の行く手を阻む壁ができる。鉄砲や矢で一方的に削る時間も作れた。
しかしこの百曲道には砦はない。建築できるだけの広さがないのだ。精々柵や大楯を並べておいた程度で、とっくに突破されていた。
「せめて、もう少し兵があれば……」
「泣き言を並べても何もならないぞ信盛、どの道あの四千を相手するならこちらは全軍が必要になる。ここだけ厚くはできないさ」
「分かっている、分かっているが……」
互いに二百は減らしている。時間の問題だ。
ふう、と秀則は息を吐く。
そして槍を脇に抱え、馬腹を蹴った。
「秀則殿!?」
「ここで勝つなら、示すしかないだろう!」
呼び止めようと叫ぶ信盛を置き去りにして、味方を掻き分けながら突き進んでいく。
◆
武藤砦から矢を射かける。
配下の中でも名人達であり、的確に射抜いていた。
「鉄砲の戦も随分と長くやってるが、やはり矢の方が良いのう」
鉄砲は鎧を撃ち抜く威力があるし、弾丸は目にも留まらぬ速さ。そして何よりも遣い手を選ばず訓練期間が短くとも使いものになる。
派手に音が鳴るので威嚇にもなり、今の戦場の主役と言っていい。
しかし、長政からすれば好みではなかった。高価で数が揃えられない事、弾込めに時間が掛かり過ぎる事、そして何よりも「武芸」と言えぬ代物だからだ。
それに対して弓は習熟に時間が掛かるものの、古来より培われてきた武芸の道。己の配下に関して言えば、鉄砲よりも弓術を鍛えていた。
鉄砲よりも素早く連射もできるし、音も立たない。弦が空気を打つ音のみが響くだけだ。
槍を掲げて正面に向け、砦の門を開かせる。
「第二射! 放てえ!」
「者ども、行くぞ!」
射手に合わせて騎馬隊を引き連れ駆け出した。
頭上を矢が奔っていく。
まるで隼の群れのようだ。
そして眼前の敵に吸い込まれ、前衛を打倒していく。
「突撃い!」
長政は先頭で槍を振るい、一人を突いて吹っ飛ばす。
後続も次々に到達し敵の歩兵の槍を恐れずに突っ込んだ。
そして次なる矢の雨。
本来なら同士討ちを恐れて撃てないものだが、長政は射続けるように指示していた。
狙い澄まされた嚆矢は、的確に長政ら騎馬隊の進路上の敵を射抜いていく。
これこそ武芸、これこそが弓矢の真骨頂。
円弧を描いて飛来する矢は、直線状の味方に射線が遮られない。
そして弓の名手達は曲射の心得がある。己の射程の範囲であれば、どこにでも矢を落とせるだけの腕があるのだ。
「我こそ織田家筆頭家老・木造長政なり! 首が欲しくば取りに来い! ただし、己が命を落とすものと知れ!」
名乗りを上げて敵を蹴り破り、突き倒す。
止まらない矢の雨と突貫する騎馬隊。
予想外の攻撃だったのだろう、敵の前線は明らかに恐慌状態に陥っていた。
慄いて数名が退がり始めてからは、まるでさざ波が広がるように恐れが伝播していくのを、長政は感じていた。
◆
「この……!」
突いた槍が引き抜けず、手放した。
そして腰の太刀を抜く。
――いいさ、どうせ刀の方が得意だ。
馬上で太刀を振るいながら斬り込む秀則に、味方も勢いづいていた。
これまで押され気味だったのが、押し返し始めたのだ。
横凪ぎに振るった太刀が、的確に首を捉えて飛ばす。
手綱を握らずとも、脚だけで馬を操る事はできた。
「大将を先に行かせて何とする! 者ども、進め!」
後ろから信盛の檄が聞こえた。
馬上から見る戦場は、敵で埋め尽くされていた。
思わず息を呑んでしまう。
どこまでもどこまでも、敵の群れが続いている。これを倒さなければならないのか。
昨日の大板橋での戦いで初めての合戦を経験したが、稽古とは全然違っていた。
火縄銃に弓、真剣と真槍、そのどれもが、容易く人の命を奪える。
昨日初めて槍で突き殺した、あの時の感触が指から離れない。
一人の人間の命を奪うという、その行為の恐ろしさに。
だがそれ以上に、敵はこちらの兵や将を殺している。
「長資……!」
心が戦場の恐怖で折れそうになる度に、長資の死に様を思い出していた。
怒りと憎悪で頭を満たす。それでようやく、震える指に力が入った。
馬首を巡らせ、敵の槍を躱しながら太刀を振るう。
剣を振る時だけは、冷静になれた。よく敵が見えている。
敵の右肩に、鎧の隙間があった。そこに刃を入れるよう伸ばし、下に抜く。
それでけで容易く斬れた。敵は槍を取り落とし、腕を押さえて退がる。
槍が、来る。
しかし見えていた。馬に一歩引くように伝え、斬り下げた太刀を引き上げて槍の柄を斬り裂く。
そして次の敵。
無限とも思える程の攻撃の波。間断なく続く激流。いつまで続く。いつまで耐えればいい。
太刀を振るう度に腕が重くなっていく。
穂先を躱しても、柄が当たる。それだけでも打撃の衝撃がある。
終わりは、まだか。
「――!」
そんな泣き事が頭に浮かんだ時、馬が棹立ちになって、倒れた。
「すまない」
馬に槍が何本も突き刺さっていた。この城に来て騎乗を覚えて、初めて与えられた馬だった。
守りきれなかった。
立ち上がり、迫ってくる槍を回避する。幸い、太刀は握りしめたままだった。
しかし呼吸が整わない。
半円を描くように敵に囲まれている。視界が揺れる。来る。
槍、躱す。それと同時に太刀を振るう。反射であり、そして全力だ。
胴鎧ごと横凪ぎに断ち斬る。
「我こそは当主織田三郎秀信が弟、織田秀則! さあ、この首簡単には取らせんぞ!」
肚から名乗りを吼えた。
敵方はたじろいで間隙が生まれた。
しかしそれも一瞬。すぐに突きかかる者が現れる。
槍を跳ね上げるようにして斬り上げ、体当たりして突き飛ばす。
次の槍、見えている。今度は振り上げた太刀を叩きつけるようにして振り下げた。柄がを両断する。
驚いた表情の敵兵の喉に切っ先を突き刺して引き抜く。
左の腿に衝撃。
見れば横から貫かれていた。
雄叫びを上げながら太刀を一閃。突き刺していた敵の首を飛ばす。
運良く敵が槍を握りながら仰向けに倒れたので槍が引き抜かれるが、その時に凄まじい激痛が頭に響いた。
だが敵の攻撃は容赦がない。次なる刺突が迫り、大袖を押し付けるようにして何とか躱す。
太刀を振り上げるが、微かに敵の鎧を斬りつけるのみ。
立ち上がろうとするが左脚に力が入らない。
転がるようにして退避する。
息も、切れていた。
倒せたのは片手で数えるほど。この程度で終わるのか。
敵がにじり寄ってくる。太刀を水平に構えて迎える。だが、多勢に無勢だろう。
死の覚悟を決めた時、横から数騎が割り込んできた。
包囲していた敵の輪を散らす。
「秀則殿! ここは俺が引き受けます!」
騎馬隊の中央に居た信盛が近づいてくる。
「脚をやられたか、それでは動けまい。さあ、この馬に乗って!」
と自分は下り、俺を担いで馬に乗せる。
「待て、信盛。僕はまだ」
「秀則殿は充分に役目を果たされた。見よ、この味方の士気を」
言われて周囲を見遣ると、味方の兵が鬨を上げながら駆けて下りてきていた。
「皆秀則殿の奮闘に心を奮い立たされた。ここからは、我らの出番だ!」
信盛が大槍を振るって前に出て行く。
「まずは後方で傷の手当てを! それから戻ってきてくだされ!」
「分かった。必ず、戻る」
「その頃には敵はもう居なくなっているでしょうがな」
「……すまぬ」
兵と共に駆け出す信盛の背を見て声を掛けるが、いつの間にか近くに居た左近が馬の尻を叩いて走らせた。
◆
「武士とは、かくもあるべきだな」
福島正則は、散々に追い散らされてくる先鋒を眺めながら豪快に笑っていた。
「あれが木造長政か。杉浦重勝といい、わし好みの勇将を抱えているな、織田の」
僅かな騎兵にこれ程追い返されるとは思ってもみなかったものだ。それも、砦を守る大将自らが討って出るとは。
前線の兵からすれば、鬼か何かに見えているのかもしれない。
幾度か戦場で見えた事のある猛将どもは、身の丈が六尺にも八尺にも見えたものだ。
「だがこのままではいかんな。 重賢、兵をまとめて迎え討て」
「はっ」
大橋重賢であれば問題なく崩れた前線を立て直し、あの程度すぐに撃退できるだろう。
「この戦、そう難しいものではないが、思ったより犠牲が出るのう」
「敵の士気がずっと高いですね。早々に降伏してくれれば良いものを。織田の青二才め」
「まあ、指揮や配置は青さがあるが、照政の存在を考えての事だろう。恐らく全ての道が塞がれておるし、搦め手も封じようと配しているはずだ。素通りできている隊はおらぬだろう。分散配置は愚かもしれぬが、援軍を待つための時間稼ぎとしては頷ける」
「……殿、あの若造を気に入っておられているので?」
「できれば配下に欲しい。それも、家臣団諸共だ。久方ぶりよ、敵の勇猛さに心打たれるのは」
近くに寄った小姓と話す正則は、凶暴な笑みを浮かべる。
「だがまあ、哀しいものだな。援軍は来れまい」
「はい。黒田殿、藤堂殿らが大垣への備えになっておりますからな」
頷く小姓から視線を戻し、砦へと退いていく敵の騎馬隊を見遣る。
これ以上進めば死ぬ。それも見定められる眼があるという事だ。
「ようし、敵の勢いも削がれた! 砦を踏み潰せ!」
正則は太鼓を打ち鳴らさせ、福島隊は再び前に進み始めた。
◆
「長政!」
「ああ、すまぬな」
敵に埋め尽くされ旗を立てられる武藤砦を一瞥し、長実らの隊に収容されて山道を登る。
「あれは……」
長実が指差す方向を見ると、数騎の騎兵に守られるようにして駆ける秀則の姿があった。
「秀則殿!」
「長政、それに長実……」
様子を見るに酷く疲弊しているようだ。声に覇気が無い。
長政は馬を寄せて並走する。
「すまぬ、百曲道を守れなかった」
「なんの、我らも砦を落とされた。しかし、まだ負けてはおらぬ」
「信盛は僕を守るために馬を譲った。恐らくは……」
「きっとまだ生きておるさ。それよりも秀則殿、気を強く持て。将がその様ではいかんぞ」
そうして襟首を掴んで背筋を立たせた。
「まだ兵は居る。そして本丸は無事だ。ここで防ぎきる」
目の前には見慣れた一ノ門が現れた。
本丸に至る、寸前の場所だ。
「ここで信盛らを待とう。いいな」
「……ああ」
秀則は頷き、視線を前に戻す。
眼に多少力が戻ったようだ。
「絶対に守り通す」
決意を呟き、門を潜った。
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女城主として育てられた誾千代姫と統虎は激しく反目しあうが、父立花道雪の死で2人は強く結ばれた。
だが、立花道雪の死を好機と捉えた島津家は、九州制覇を目指して出陣する。大友宗麟は豊臣秀吉に出陣を願ったが、島津軍は5万の大軍で筑前へ向かった。
その島津軍5万に挑んだのが、高橋紹運率いる岩屋城736名である。岩屋城に籠る高橋軍は14日間も島津軍を翻弄し、最期は全員が壮絶な討ち死にを遂げた。命を賭けた時間稼ぎにより、秀吉軍は筑前に到着し、立花宗茂と立花城を救った。
島津軍は撤退したが、立花宗茂は5万の島津軍を追撃し、筑前国領主としての意地を果たした。豊臣秀吉は立花宗茂の武勇を讃え、“九州之一物”と呼び、多くの大名の前で激賞した。その後、豊臣秀吉は九州征伐・天下統一へと突き進んでいく。
その後の朝鮮征伐、関ヶ原の合戦で“立花宗茂”は己の仁義と意地の為に戦うこととなる。
母の下着 タンスと洗濯籠の秘密
MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。
颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。
物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。
しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。
センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。
これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。
どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。
信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~
佐倉伸哉
歴史・時代
その男は、幼名を“奇妙丸”という。人の名前につけるような単語ではないが、名付けた父親が父親だけに仕方がないと思われた。
父親の名前は、織田信長。その男の名は――織田信忠。
稀代の英邁を父に持ち、その父から『天下の儀も御与奪なさるべき旨』と認められた。しかし、彼は父と同じ日に命を落としてしまう。
明智勢が本能寺に殺到し、信忠は京から脱出する事も可能だった。それなのに、どうして彼はそれを選ばなかったのか? その決断の裏には、彼の辿って来た道が関係していた――。
◇この作品は『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n9394ie/)』でも同時掲載しています◇
本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~
bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。
戦国終わらず ~家康、夏の陣で討死~
川野遥
歴史・時代
長きに渡る戦国時代も大坂・夏の陣をもって終わりを告げる
…はずだった。
まさかの大逆転、豊臣勢が真田の活躍もありまさかの逆襲で徳川家康と秀忠を討ち果たし、大坂の陣の勝者に。果たして彼らは新たな秩序を作ることができるのか?
敗北した徳川勢も何とか巻き返しを図ろうとするが、徳川に臣従したはずの大名達が新たな野心を抱き始める。
文治系藩主は頼りなし?
暴れん坊藩主がまさかの活躍?
参考情報一切なし、全てゼロから切り開く戦国ifストーリーが始まる。
更新は週5~6予定です。
※ノベルアップ+とカクヨムにも掲載しています。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
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