5回目のコール

litalico

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9話

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その時会社の会議室では、会社の新しい人事を決定する会議の真最中だった。会議室は8畳くらいの狭い部屋に、細長いテーブルが四角を組むように並べられ、人数は10人程度だった。
社長と専務が数人と、それぞれの部署の部長が揃っていた。この会社の役職者が集まったやたらと男臭く、なんとも煙草臭い会議だったが、そんな中にも若干の緊張感は漂っていた。
その眠くなる様な緊張感に辟易しながらも、女人事部長である真知子は、彼女のその長く細く美しい足を組み、細長いテーブルの椅子に腰を掛け、資料に目を通して会議に参加していた。そして来年度の会社の人事の在り方を協議していたのだった。
協議と言ってもただある専務の独壇場だった。社長さえこのある専務の決定には逆らえないのだ。なぜならある専務は会長の息子で次期社長にすでに決まっている男だったのだ。そのある専務が資料を見ながら大きな声で言った。
「次に開発部の役職についてだが、リーダーに岡崎をそろそろ挙げておくべきだろう」
そんな専務の言葉を聞いた人事部長の真知子は、あの時の件で、岡崎の持つマネジメント能力を知っていた。
確かに彼は有能な人材だった。しかし彼に今、昇進軌道に乗り、会社経営に顔を出すようになられると真知子には厄介だったのだ。彼女は立ち上がり、他の部長の同意を求めるように周りを見回しながらある専務に反論した。
「彼は、開発のリーダーにはまだ早すぎます!」
「だから早めにあげて育てて行かないといかん。彼は有能な人材だ」
ある専務が言った。
「しかし・・・」数人の幹部が真知子に同意するかのように、顔をゆがめてある専務を見た。
「なぜだ、君達も彼の開発能力は知っているだろう?」
「プログラミングの能力だけで人はまとめていけません。彼にはリーダーシップがない!」真知子が再び怒る様に言った。
「だから早めに係長の職につけ、いずれ部長クラスの職につけるのだ。早く役職に就けて責任を持たせないと、他社から引き抜かれると困る。年齢などに意味はない。女性だからと言う、以前の役職者に対する女性蔑視てきな考え方を打ち破ってやったのも私だ」この専務にそのことを言われると彼女は何も言えなかった。
確かに彼女も自分が40歳で人事部長になったのには驚いていた。この専務の改革的意識があったからだったのだ。それとなによりも、去年この専務に食らいつき、反論した部長が今どうなっているか彼女は知っていた。(その部長は結局、網走支局に飛ばされたのだった)彼女はそれ以上の発言を控えた。
しかし、その時に、それならと彼女の中に激しい憎しみを超えた愛情に似たような想いが岡崎に対し芽生え始めていた。そうなのだ、今、岡崎に出世の軌道に乗られると自分にとって将来、厄介な障害物となることは明らかなのだ、真知子は思った。「岡崎」、あの男を自分の「女」でもってして手懐けておかなければ厄介なことになる。その時、彼女は心の中で秘かに決意したのだった。
 
当然、岡崎は真知子のそんな思いを知る由もなかった。しかし普段から彼は出世のような話には興味を示さない発言を繰り返していた。
そんなある日、いつもの昼休みだった。薫は休みだった。岡崎はその日、加藤と二人で食堂にいた。今日の二人の昼食はB定食、サンマの塩焼きと味噌汁、サラダに漬物。
「これで550円はないだろう・・・」加藤はよく彼に愚痴をこぼしていたがなんとなくその気持ちが理解できた。そしてよく加藤は言っていた。
「まったく、あの部長は俺をなんだと思ってるんだ」それは話題のないときの彼のお決まりのセリフだった。
「何があったのか知らんが、まあ、そう怒るな、飯がまずくなる」
まるで意に介さない口調でいつも岡崎は言ったが、しかしそんな部長批判の
セリフを堂々と言える加藤の立場が彼はいつも羨ましい、と言うよりもじつは、妬ましかった。
そんな彼のところに人事部長の真知子がゆらりといつの間にか近づいて来ていた。 
食堂の古く丸い時計が12時を大きく過ぎていた頃だった。
彼女は、最近、何かと岡崎の視界の中に現れて来るのだった。加藤の話によると、この女が次期本部長らしい。彼女は一流大学出身という事だが、男癖もかなり悪いらしい。薫と婚約したばかりの岡崎はあまり関わりたくはなかったのだが、その日、彼女が彼に声をかけてきたのだった。
「こんにちは」真知子が軽く笑みを浮かべ、岡崎を見下す様に言った。                                                                            
「こんにちは」岡崎は微妙に素っ気なく答えた。
「あなた、総務の薫ちゃんと婚約したらしいわね。おめでとう」少しとげのある声で彼女が言った。
「ありがとうございます」そう言って、食い終わった定食のトレーを手にもって立ち上がり、さっさとその場を立ち去ろうと振り向きかけた岡崎に向かって彼女が言った。
「あら、休憩所にいくのね。一緒に行かない?」
岡崎は立ち上がり、手に持った定食のトレーをかたづけると、何も言わずにしかたなく真知子に従った。しかたなく・・・。
休憩所に入ると、彼女は窓際の壁に寄りかかりながら岡崎をいたずらっぽく見つめたまま、彼女のふくよかな胸のポケットからタバコの箱を取り出すと、箱からメンソールのタバコを1本取り出した。そして右手で少し長めの黒い髪をかき上げると、箱から取り出したそのタバコを赤い紅を塗ったやや細めの唇に加え、彼をじっと見つめながら、ゆっくりと口に加えたそのタバコに火をつけた。
岡崎は素知らぬ顔で2~3人、輪になってタバコを吸いながら雑談をしている若い女子社員に、薫の面影を思い眺めていた。
突然、彼女がそんな彼の耳に彼女の柔らかな唇が触れる程に顔を寄せ、ひっそりとささやいてきた。彼は驚いてその日、初めて真知子の顔を見つめてしまった。
彼女は火のついた1本のタバコを軽く指にハサミながら真っ直ぐと岡崎を見つめていた。その時の真知子の美しさに彼は恐怖感すら覚えた。その時の彼女の女の全てをさらけ出したように無遠慮で押し付けがましいその美しさは、あまりにも破壊的で、その彼女の美しさが彼の中の男の奥底にある金銭やら、名誉、という社会的欲求を超えた本能を激しく刺激してきたのだった。そしてその彼の表情を見つめた真知子の瞳が、まるで獲物を狙う獣の目の様に輝いた。
「いいのよ」彼の気持ちを見透かしたように、獲物を狙う獣の様な目で、彼女はそう言った。
 岡崎は真知子のその瞳を見つめてしまっていた。その時、彼を見据えていた彼女のその瞳は、何かを誘い込もうとしているように、背筋が寒くなる程に美しいものだった。その時、岡崎は彼女のその裸体を想い、その裸体と交わる自分を想像してしまっていた。
けれども彼は、その時、次期本部長候補、真知子のその鋭く冷たく光る欲望的な瞳をうっとりと見つめてしまっていた自分自身に気が付ついていなかった。すると一瞬、薄いルージュを塗った口元に鋭く冷たい笑みを光らせ、
「考えておいてね・・・」そう言って、彼女はゆっくりと振り返り、彼から離れて行った。
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