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夫、成悟の愛しき憂い
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奏汰君は、俺より百華の生い立ちや苦労をよく知るひとのひとりだ。
俺より長い間、百華を愛し、守ってきた男だともいえる。
「ああ。あれは弟です」
あっさりと種明かしをする百華の言葉を信じるものは、実際の奏汰君を見た同僚たちだけだ。彼ら、彼女らの流した噂(?)の尾びれしか知らぬものたちは懐疑的な音を漏らす。
そういうとこやぞ。
百華という真実より、一種の偶像として百華を仕立てあげ、あれこれと詮索して楽しみたいのだ。
これが一等腹立たしく、俺が問答無用で忌み嫌うものの正体だ。
とはいえ、奏汰君が目を引くのは本当だから同僚の反応が理解できないわけでもない。百華と奏汰君が並ぶと、ぱっと見のインパクトが強すぎる。ふたりをよく見れば、切れ長の目やすっと通った鼻筋がよく似ていて、血縁者だと明白だけど、あまりの華やかさに目がくらんで誤解を招く。
「でも、モカって呼んでなかった?」
「あの子、昔っからなんです。お姉ちゃんだなんて呼ばれたことなくて」
「百華さんの荷物持ってたし」
「私がカフェで買い物したからかな」
たぶん、百華は詳細を覚えていないのだと思う。
ふたりでおばあちゃんのお土産に茶葉を選んで、百華は迎えにきてくれた弟のためにコーヒーの一杯ぐらい追加で買ったにちがいない。で、百華が飲み物とお土産の紙袋を下げて、奏汰君が百華のお泊りバッグを持って店を後にしたと。
流れとしては自然だ。
俺がいたら、土産袋も俺が持った。
「じゃ、百華さんの大切なひとって他にいるってことだよね?」
はい。もう全員の耳がダンボ。
僕でーす☆つって挙手しようかと思ったけれど、また冗談だって笑われたら、いよいよネタで定着しそうな気がしてならない。
「もちろんです」
芸能人の婚約発表会よろしく百華が左手の指輪をみせて、こちらをチラリとみた。
よく言った!
偉いぞ、百華。
当たり前でしょといわんばかりに胸を張っているのもいい。
百華が堂々と宣言したほうが効果があるってもんだ。
「世界一素敵な旦那様です」
続いた百華の発言は、俺が日々「俺の奥さん世界一」と言っているからこその戯れだ。
俺の「しゃーねーなぁ」というぼやき染みた顔をみて、百華の顔つきが柔らかく変化した。
えー! とか、うそーっ、みたいな歓声は巻き起こらなかった。あれだけ百華のプライベートに興味を示しておきながらだ。
全員ばっかじゃねーの。
どうせ百華の私的な顔つきにどぎまぎしたんだろ。
「かわええことは知ってんだけどなぁ」
俺がいても家だけにしとけって、あとで言って聞かせないとな。
「え。佐藤さんまで」
「あ?」
奥村さんに目を細められて、俺は心の声が洩れていたらしいことを知る。
「佐藤くん、出番よ!」
なんのだよ。
「うちの奥さんこそ世界一です。対戦よろしくお願いします! って」
うんうん、って。
敵対心だか対抗心だか知らないけれど、まだ残ってたのか。
「張り合う相手じゃないっすよ」
ざわつき始めた百華の周囲を横目に、俺は俺で同僚たちに嘲笑を向ける。
同僚たちがみな「たはーっ」てなったところを見ると、敵対心とは違ったらしい。
「百華さん既婚者だったのおおっ!」
「いつどこで誰と⁉」
あっちはあっちで今更な疑問が飛び交っている。
杉浦さんでさえ驚きを隠せない様子だ。いち早く納得したっぽい感じはさすが年の功……だなんて本人には言ったらしばかれちまうな。とにかく、「子どもは?」といったセンシティブ兼セクハラ紛いの質問は斬り捨ててくれるのはありがたい。
話しが盛り上がれば盛り上がるほど勢いづくのは女性陣だ。
平井たちは戦意喪失気味に苦笑しているのが、正直いい気味だ。
それにしても、本日の主役を肴にするの、いい加減止めませんかね。
さっさと飲み食いして帰りましょや。
「俺ぁもう早く奥さんと帰りたい」
「奥さんとこ帰りたいですって!」
「家に帰りたいじゃないところが佐藤さん!」
なんだかんだで、いつも通りな会話が流れていく。ちょっとだけ誤解が挟まっている気もするけれど、それすらいつも通りの範疇だ。
「ねぇねぇ。ずっと聞きたかったんだけど、どうやったらいつまでも新婚みたいでいられるの?」
「さすがにネタでしょ」
「佐藤くん、実際どうなの?」
新婚みたいという定義がわからんというのが正直なところだ。結婚前はそれぞれ実家暮らしだった。夫婦の生活拠点に移って、特に大きな変化はない。
「どうもこうも、ありのままっすけどね」
ネタでないことは確か。
うそでしょみたいな顔をされるのは心外だ。
「佐藤んとこ、毎朝いってらっしゃいのチューとかしてそうだもんな」
同僚の言葉に、奥村さんが期待を込めた目を向けて「キャー」と頬に手を当てる。
するでしょ。おはようも、いってきますも、ただいまも、おやすみだって。
「えっ。みんなしないの? 嘘でしょ」
いじられるのがちょっとムカついたからマウントを取りかえすことにした。
先輩が「もう何年もキスしていない」という旨を告白しはじめて度肝を抜かれる。年単位レベルでキスをしないなんて考えられない。それはもう離婚問題じゃないのかとさえ思う。
俺よりあとに結婚した同僚でさえ、あいさつ代わりにキスをしないと言う。
夫婦って色々なんだね。関係ないけど。
「いやマジ、どのタイミングでするかね」
「目があったらするでしょ」
「目があったら!」
「ってことは『いってきます』だけじゃないってことじゃん」
当たり前でしょうがという俺以外の既婚者は口をあんぐり開けるか、目を逸らせ、未婚者はまたしても「たはーっ」を繰り出した。
「佐藤さん、ネタじゃないんですよね?」
「真面目に話してる」
「毎日ちゅっちゅこしてるってことっすか」
「してますね」
「夜の営みなくても10回はする?」
「余裕で」
本当は知らん。数えたことない。けど、たぶんそれぐらいはすると思う。俺から5回、百華から5回で、簡単に10回に到達する。
奥村さんがじーっと俺の唇を見ている……気がする。
「近い近いっ」
気のせいでなかった。
あまりに凝視しすぎて近寄ってしまったっぽい。
俺は全身で拒否を示す。奥村さんに触れるわけにはいかず、己を遠ざけるしかしようがなかった。
「あっ、ごごごごめんなさい!」
奥村さんがハッとして元の位置に戻った。
不意に奥村さんとは反対の方向から視線を感じる。百華だ。真顔で見ている。俺と目があっても真顔を崩さない。髪を払って挑発的に視線を外した。
俺より長い間、百華を愛し、守ってきた男だともいえる。
「ああ。あれは弟です」
あっさりと種明かしをする百華の言葉を信じるものは、実際の奏汰君を見た同僚たちだけだ。彼ら、彼女らの流した噂(?)の尾びれしか知らぬものたちは懐疑的な音を漏らす。
そういうとこやぞ。
百華という真実より、一種の偶像として百華を仕立てあげ、あれこれと詮索して楽しみたいのだ。
これが一等腹立たしく、俺が問答無用で忌み嫌うものの正体だ。
とはいえ、奏汰君が目を引くのは本当だから同僚の反応が理解できないわけでもない。百華と奏汰君が並ぶと、ぱっと見のインパクトが強すぎる。ふたりをよく見れば、切れ長の目やすっと通った鼻筋がよく似ていて、血縁者だと明白だけど、あまりの華やかさに目がくらんで誤解を招く。
「でも、モカって呼んでなかった?」
「あの子、昔っからなんです。お姉ちゃんだなんて呼ばれたことなくて」
「百華さんの荷物持ってたし」
「私がカフェで買い物したからかな」
たぶん、百華は詳細を覚えていないのだと思う。
ふたりでおばあちゃんのお土産に茶葉を選んで、百華は迎えにきてくれた弟のためにコーヒーの一杯ぐらい追加で買ったにちがいない。で、百華が飲み物とお土産の紙袋を下げて、奏汰君が百華のお泊りバッグを持って店を後にしたと。
流れとしては自然だ。
俺がいたら、土産袋も俺が持った。
「じゃ、百華さんの大切なひとって他にいるってことだよね?」
はい。もう全員の耳がダンボ。
僕でーす☆つって挙手しようかと思ったけれど、また冗談だって笑われたら、いよいよネタで定着しそうな気がしてならない。
「もちろんです」
芸能人の婚約発表会よろしく百華が左手の指輪をみせて、こちらをチラリとみた。
よく言った!
偉いぞ、百華。
当たり前でしょといわんばかりに胸を張っているのもいい。
百華が堂々と宣言したほうが効果があるってもんだ。
「世界一素敵な旦那様です」
続いた百華の発言は、俺が日々「俺の奥さん世界一」と言っているからこその戯れだ。
俺の「しゃーねーなぁ」というぼやき染みた顔をみて、百華の顔つきが柔らかく変化した。
えー! とか、うそーっ、みたいな歓声は巻き起こらなかった。あれだけ百華のプライベートに興味を示しておきながらだ。
全員ばっかじゃねーの。
どうせ百華の私的な顔つきにどぎまぎしたんだろ。
「かわええことは知ってんだけどなぁ」
俺がいても家だけにしとけって、あとで言って聞かせないとな。
「え。佐藤さんまで」
「あ?」
奥村さんに目を細められて、俺は心の声が洩れていたらしいことを知る。
「佐藤くん、出番よ!」
なんのだよ。
「うちの奥さんこそ世界一です。対戦よろしくお願いします! って」
うんうん、って。
敵対心だか対抗心だか知らないけれど、まだ残ってたのか。
「張り合う相手じゃないっすよ」
ざわつき始めた百華の周囲を横目に、俺は俺で同僚たちに嘲笑を向ける。
同僚たちがみな「たはーっ」てなったところを見ると、敵対心とは違ったらしい。
「百華さん既婚者だったのおおっ!」
「いつどこで誰と⁉」
あっちはあっちで今更な疑問が飛び交っている。
杉浦さんでさえ驚きを隠せない様子だ。いち早く納得したっぽい感じはさすが年の功……だなんて本人には言ったらしばかれちまうな。とにかく、「子どもは?」といったセンシティブ兼セクハラ紛いの質問は斬り捨ててくれるのはありがたい。
話しが盛り上がれば盛り上がるほど勢いづくのは女性陣だ。
平井たちは戦意喪失気味に苦笑しているのが、正直いい気味だ。
それにしても、本日の主役を肴にするの、いい加減止めませんかね。
さっさと飲み食いして帰りましょや。
「俺ぁもう早く奥さんと帰りたい」
「奥さんとこ帰りたいですって!」
「家に帰りたいじゃないところが佐藤さん!」
なんだかんだで、いつも通りな会話が流れていく。ちょっとだけ誤解が挟まっている気もするけれど、それすらいつも通りの範疇だ。
「ねぇねぇ。ずっと聞きたかったんだけど、どうやったらいつまでも新婚みたいでいられるの?」
「さすがにネタでしょ」
「佐藤くん、実際どうなの?」
新婚みたいという定義がわからんというのが正直なところだ。結婚前はそれぞれ実家暮らしだった。夫婦の生活拠点に移って、特に大きな変化はない。
「どうもこうも、ありのままっすけどね」
ネタでないことは確か。
うそでしょみたいな顔をされるのは心外だ。
「佐藤んとこ、毎朝いってらっしゃいのチューとかしてそうだもんな」
同僚の言葉に、奥村さんが期待を込めた目を向けて「キャー」と頬に手を当てる。
するでしょ。おはようも、いってきますも、ただいまも、おやすみだって。
「えっ。みんなしないの? 嘘でしょ」
いじられるのがちょっとムカついたからマウントを取りかえすことにした。
先輩が「もう何年もキスしていない」という旨を告白しはじめて度肝を抜かれる。年単位レベルでキスをしないなんて考えられない。それはもう離婚問題じゃないのかとさえ思う。
俺よりあとに結婚した同僚でさえ、あいさつ代わりにキスをしないと言う。
夫婦って色々なんだね。関係ないけど。
「いやマジ、どのタイミングでするかね」
「目があったらするでしょ」
「目があったら!」
「ってことは『いってきます』だけじゃないってことじゃん」
当たり前でしょうがという俺以外の既婚者は口をあんぐり開けるか、目を逸らせ、未婚者はまたしても「たはーっ」を繰り出した。
「佐藤さん、ネタじゃないんですよね?」
「真面目に話してる」
「毎日ちゅっちゅこしてるってことっすか」
「してますね」
「夜の営みなくても10回はする?」
「余裕で」
本当は知らん。数えたことない。けど、たぶんそれぐらいはすると思う。俺から5回、百華から5回で、簡単に10回に到達する。
奥村さんがじーっと俺の唇を見ている……気がする。
「近い近いっ」
気のせいでなかった。
あまりに凝視しすぎて近寄ってしまったっぽい。
俺は全身で拒否を示す。奥村さんに触れるわけにはいかず、己を遠ざけるしかしようがなかった。
「あっ、ごごごごめんなさい!」
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