メランコリーアポカリプス【完】

なかあたま

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 あの日、僕は死に物狂いで逃げていた。
 両親が目の前で感染者に食い殺され、僕は左腕を負傷してしまった。
 血が垂れ、ジンジンと痛む腕を押さえながら田舎道を走る。いつもの通学路を抜け、ロージィ婆さんの家を抜け、森へ駆け込んでいた。

「なるべく、遠くへ……」

 感染者に怪我を負わされたら、待っているのは死だ。いや、死ぬならまだいい。そのままゾンビとなり、生きている人間を襲う羽目になる。
 そんなことになるなら、いっそ人がいない遠くの地へ行ってやる。
 一矢報いようと心に決め、木々の間を抜ける。
 不意に脳裏に両親が浮かび、視界が涙で歪んだ。食い殺される場面がフラッシュバックし、その場に蹲る。

「遠くへ、遠くへ────」

 熱を持ち始めた腕をぎゅうと握り、譫言のように呟く。頬を伝う涙が土へ落ち、色を変えた。

「おい」

 頭上から、低い声が降ってきた。見上げると、そこには青年が立っていた。赤毛の髪は短く、目元は寒気がするほど鋭かった。
 僕は腰を抜かし、後退りした。
 その手に、ライフル銃が握られていたからだ。

「……大丈夫か?」

 なんでこんなところに、と言いたげに眉を歪め、男が手を差し伸べてきた。僕は顔を俯かせ、腕を庇う。
 ────殺される。
 彼が動きを止めた。息を呑む音が聞こえ、心臓が縮まる。

「お前、その腕……」
「こ、殺すなら、せめて痛みを感じにくい部分を打ち抜いてください」

 命乞いしても、逃げても無駄だと知っていた僕は顔をあげ彼に懇願する。言葉の端々が震え、涙がボロボロと溢れた。グッと唇を噛み締め、肩で呼吸を繰り返す。
 赤毛の男は、銃を構えずに黙っていた。唇は動くことなく、しかし何か言いたげにしている。
 僕の背後へ視線を投げ、ポツリと呟いた。

「お前……いつ頃、傷を負った?」

 その言葉に目を見開く。彼は銃を背中に背負い、地面へ膝をついた。僕の視線と彼の視線が混じり合う。瞳はオリーブ色をしていて、美しかった。

「察するに、お前はこの森の奥にあるエンドロ区からきたんだろう? と、すれば走ってここまで来るのに、二十分以上はかかっているはずだ」

 真剣な眼差しに、小さく頷く。ふむ、と考えるような仕草をとった彼は、やがて静かに言葉を漏らす。

「通常、感染者はものの五分程度でゾンビへ変貌する。俺は多数の感染者を見てきたが、例外はなかった。だが、お前は────二十分も経過しているのに、変異していない……」

 まじまじと舐め回すように見た彼が、不意に僕の頬へ手を伸ばす。強張った体にカサついた指先が触れ、反射的に跳ねた。

「何故だ? 変異しているのは、腕だけだ……」

 指先は首、鎖骨を這い、左腕を撫でる。肉の感触を味わうように触られ、擽ったさに身を捩った。

「あぁ、すまない。いや、他の感染者とはまた違った肌触りでな……もしかしたらお前は、耐性があるのかもしれない」
「……耐性?」
「噛まれても、変異しない個体なのかもな」

 変異しない個体? ということはつまり、僕はゾンビにはならないということなのだろうか。
 肩から力が抜けた。ホッとしたのも束の間、嫌な予感が脳裏を駆ける。

「でも、可能性が微塵でも残っている以上、あなたに殺されるのでしょうか?」
「……いや、お前はまだ人間だ。俺は、人間は殺さない」

 彼は立ち上がり、僕を引っ張り上げる。震える体をなんとか奮い立たせ、足に力を込めた。

「ところで、なんでこんな場所にいるんだ?」

 瞬間、嫌な記憶がフラッシュバックし顔を俯かせる。
 血に濡れた両親、それを食い散らかすゾンビ。両親を尻目に逃げ出す僕。
 僕は、とても弱虫だった。

「家族が感染者に襲われて……僕も、それに巻き込まれました」
「そうか」
「……どうせゾンビになるなら、誰も犠牲にしないようにと、ここまで走ってきました」

 ポツリと呟いた僕の頭を、大きな手のひらが撫でる。見上げると、彼は慈しみを帯びた瞳でこちらを見ていた。無愛想だけど優しいその一面に、再び涙が溢れ出る。
 思わず、彼に抱きついた。

「うぅ……お母さん、お父さん……」

 声を押し殺し、泣いた。そんな僕を引き剥がすことなく、彼が背中に手を回した。慰めるように撫でる。
 彼が、ポツリと呟いた。

「……俺と一緒に来るか?」
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