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◇
「イズ。今日、抱いていいか」
街へ向かおうと準備していたバーレントが、振り返らずにそう言った。いつも通りのルーティーンを眺めていた僕は「へ?」と素っ頓狂な声をあげて体を揺らせた。
「抱く……?」
「あぁ」
彼は歯切れが悪そうに返事をした。一向に振り返る気配がないバーレントの分厚い背中に、はくはくと口を開閉させた。
「それは、ハグ?」
「違う、キス以上のことをさせて欲しいんだ」
バーレントの耳は真っ赤に染まっている。その光景を見て僕まで全身に汗を滲ませた。同時に心臓が激しく脈を打つ。
黙りこくった僕を不審に思ったのか、バーレントが咳払いをした。何か言わねばと唇を舐め、俯く。
「ぼ、僕……ゾンビだけど、いいの?」
「……まだ、ゾンビにはなってないだろ」
沈黙が流れる。先に口火を切ったのはバーレントだ。
「ダメか?」
口の中がカラカラに乾き切っていた。無理に唾液を送り込み、息を吸い込む。
「僕で、良ければ……」
「お前がいいんだよ」
「じゃあ、今日は早めに帰る」。そう言い残し、バーレントは山小屋を出て行った。
僕は遠ざかる車の音と、残された静寂が支配する中、ぽかんとしていた。
「……えっ、えっ」
途端に、現実味が押し寄せる。顔に手を当て、ぐるぐると尻尾を追いかける犬のように歩き回った。
「ば、バーレントが、僕と……!?」
まるでウブな少女みたいに気分が舞い上がり、自分でも笑ってしまうほどであった。
「嘘、どうしよう。すごく緊張する。どうしよう」
まさか、バーレントはずっと僕と「そういう」関係になってもいいと思っていたのだろうか。
「僕ばっかりが好きだったわけじゃないんだ……」
その事実が嬉しくて、口元が緩む。
ふと、外を眺めた。
世界は混沌として逼迫しているのに、僕の心は春の訪れた草原のような穏やかさを孕ませている。
罪悪感を抱く。けれどバーレントとの営みを想像し、僕は鼻歌でも歌い出しそうな勢いでいつも通り、バスケットに洗濯物を放り込んだ。
外へ出ると、太陽が僕の目を焼く。まるで世界で起こっているパンデミックなんて、嘘っぱちのようだった。
小川へ向かい、洗濯を終え、物干し竿へ向かう。ベッドシーツをかけ終えた時点で、あることに気がついた。
────なんの音だろう。
聞こえたのは、車のエンジン音だ。だが、その音はバーレントが使っている車の音ではない。
僕は身を強張らせ、ベッドシーツの陰に身を隠す。
「……!」
見えたのは一台の車だ。見慣れないそれは、山小屋の前で停車する。運転席から、男が降りてきた。三十代半ばぐらいの男は、ライフルを手に持っていた。
────まずい、殺される。
僕は咄嗟に腕の変異した皮膚へ触れた。これを見られたら最後、僕は撃ち抜かれるだろう。
音を立てず遠くへ逃げようにも、鎖が邪魔で自由に動けない。
────どうしよう。
僕は先ほどとは違う意味で全身に汗をかいていた。男の足音が徐々に迫る。やがて、シーツに隠れた僕を見つけたのか、男が声をあげた。
「そこに、誰かいるのか?」
問われた僕は、もう逃げ道がないと思い、両手を上げた。
僕の状況を説明して命乞いすれば、助かる確率は上がるかもしれない。
震える喉から必死に声を絞り出す。
「……います」
おずおずと出てきた僕に、男は目をまん丸とさせていた。厳つい印象はないが、頬にある大きな傷が、彼がどんな環境で生き抜いてきたかを如実に僕へ伝えた。
男は咄嗟に銃を構えるわけでもなく、綻んだように笑った。その行動に、僕は拍子抜けする。
「おお、やっぱり住人がいたんだ。よかったよ」
やがて彼は僕の顔から視線を外し、首輪を凝視した。
「……君、誰かに監禁されているのか?」
曇った表情のまま、僕の腕を見る。次第に合点がいったらしく頷いた。
「君、感染者なんだね?」
男はなんでもないように、からりとしていた。僕はその発言に眉を顰める。
「……どうして感染者なのに平然としているんですか?」
男は銃も構えずに僕のほうへ歩み寄った。心臓が酷く痛む。温厚な顔をして油断させ、僕を処分するかもしれない。武器になるようなものはないかと周りを見渡したが、あいにくなりそうなものはなかった。
「察するに、君は腕だけが感染しているんだろう? 変異せず、完全体になれないままだと思われる」
男が僕の前に立ち、腕へ触れた。僕はゆっくりと頷く。
「……怖くないんですか?」
「怖くないよ。君みたいな人、珍しくないからね」
「え?」と返した僕を見つめ「その様子だと、やっぱり知らないんだね」と男が肩を竦めた。
「ゾンビに噛まれても変異しない個体が、それなりにいることが判明してね。そんな個体の細胞を取り、新たな特効薬が誕生したんだ。その特効薬は、君みたいな中途半端に感染した人間も治療できるし、噛まれたばかりの人間も助けることができる」
僕は何も言えないまま固まった。
「……そんな……嘘だ。街にはゾンビが溢れかえって、生存者は残されていなくて……政府も機能していないし、生き残りで組まれたグループの人々も絶望しているって……」
「誰がそんなことを?」
男が肩を揺らして笑った。その笑みに、さらに背筋が凍る。
「確かに、最初の頃はてんやわんやだったさ。けど、今は違うよ。生き残りの人間が共闘を組んで、今では小さな街が出来上がるほど復旧している。政府もなんとか持ち直そうと必死になっている。ゾンビに対抗する術も見出されてきた。俺たち人間は、徐々に元の生活へと戻りかけているよ」
「イズ。今日、抱いていいか」
街へ向かおうと準備していたバーレントが、振り返らずにそう言った。いつも通りのルーティーンを眺めていた僕は「へ?」と素っ頓狂な声をあげて体を揺らせた。
「抱く……?」
「あぁ」
彼は歯切れが悪そうに返事をした。一向に振り返る気配がないバーレントの分厚い背中に、はくはくと口を開閉させた。
「それは、ハグ?」
「違う、キス以上のことをさせて欲しいんだ」
バーレントの耳は真っ赤に染まっている。その光景を見て僕まで全身に汗を滲ませた。同時に心臓が激しく脈を打つ。
黙りこくった僕を不審に思ったのか、バーレントが咳払いをした。何か言わねばと唇を舐め、俯く。
「ぼ、僕……ゾンビだけど、いいの?」
「……まだ、ゾンビにはなってないだろ」
沈黙が流れる。先に口火を切ったのはバーレントだ。
「ダメか?」
口の中がカラカラに乾き切っていた。無理に唾液を送り込み、息を吸い込む。
「僕で、良ければ……」
「お前がいいんだよ」
「じゃあ、今日は早めに帰る」。そう言い残し、バーレントは山小屋を出て行った。
僕は遠ざかる車の音と、残された静寂が支配する中、ぽかんとしていた。
「……えっ、えっ」
途端に、現実味が押し寄せる。顔に手を当て、ぐるぐると尻尾を追いかける犬のように歩き回った。
「ば、バーレントが、僕と……!?」
まるでウブな少女みたいに気分が舞い上がり、自分でも笑ってしまうほどであった。
「嘘、どうしよう。すごく緊張する。どうしよう」
まさか、バーレントはずっと僕と「そういう」関係になってもいいと思っていたのだろうか。
「僕ばっかりが好きだったわけじゃないんだ……」
その事実が嬉しくて、口元が緩む。
ふと、外を眺めた。
世界は混沌として逼迫しているのに、僕の心は春の訪れた草原のような穏やかさを孕ませている。
罪悪感を抱く。けれどバーレントとの営みを想像し、僕は鼻歌でも歌い出しそうな勢いでいつも通り、バスケットに洗濯物を放り込んだ。
外へ出ると、太陽が僕の目を焼く。まるで世界で起こっているパンデミックなんて、嘘っぱちのようだった。
小川へ向かい、洗濯を終え、物干し竿へ向かう。ベッドシーツをかけ終えた時点で、あることに気がついた。
────なんの音だろう。
聞こえたのは、車のエンジン音だ。だが、その音はバーレントが使っている車の音ではない。
僕は身を強張らせ、ベッドシーツの陰に身を隠す。
「……!」
見えたのは一台の車だ。見慣れないそれは、山小屋の前で停車する。運転席から、男が降りてきた。三十代半ばぐらいの男は、ライフルを手に持っていた。
────まずい、殺される。
僕は咄嗟に腕の変異した皮膚へ触れた。これを見られたら最後、僕は撃ち抜かれるだろう。
音を立てず遠くへ逃げようにも、鎖が邪魔で自由に動けない。
────どうしよう。
僕は先ほどとは違う意味で全身に汗をかいていた。男の足音が徐々に迫る。やがて、シーツに隠れた僕を見つけたのか、男が声をあげた。
「そこに、誰かいるのか?」
問われた僕は、もう逃げ道がないと思い、両手を上げた。
僕の状況を説明して命乞いすれば、助かる確率は上がるかもしれない。
震える喉から必死に声を絞り出す。
「……います」
おずおずと出てきた僕に、男は目をまん丸とさせていた。厳つい印象はないが、頬にある大きな傷が、彼がどんな環境で生き抜いてきたかを如実に僕へ伝えた。
男は咄嗟に銃を構えるわけでもなく、綻んだように笑った。その行動に、僕は拍子抜けする。
「おお、やっぱり住人がいたんだ。よかったよ」
やがて彼は僕の顔から視線を外し、首輪を凝視した。
「……君、誰かに監禁されているのか?」
曇った表情のまま、僕の腕を見る。次第に合点がいったらしく頷いた。
「君、感染者なんだね?」
男はなんでもないように、からりとしていた。僕はその発言に眉を顰める。
「……どうして感染者なのに平然としているんですか?」
男は銃も構えずに僕のほうへ歩み寄った。心臓が酷く痛む。温厚な顔をして油断させ、僕を処分するかもしれない。武器になるようなものはないかと周りを見渡したが、あいにくなりそうなものはなかった。
「察するに、君は腕だけが感染しているんだろう? 変異せず、完全体になれないままだと思われる」
男が僕の前に立ち、腕へ触れた。僕はゆっくりと頷く。
「……怖くないんですか?」
「怖くないよ。君みたいな人、珍しくないからね」
「え?」と返した僕を見つめ「その様子だと、やっぱり知らないんだね」と男が肩を竦めた。
「ゾンビに噛まれても変異しない個体が、それなりにいることが判明してね。そんな個体の細胞を取り、新たな特効薬が誕生したんだ。その特効薬は、君みたいな中途半端に感染した人間も治療できるし、噛まれたばかりの人間も助けることができる」
僕は何も言えないまま固まった。
「……そんな……嘘だ。街にはゾンビが溢れかえって、生存者は残されていなくて……政府も機能していないし、生き残りで組まれたグループの人々も絶望しているって……」
「誰がそんなことを?」
男が肩を揺らして笑った。その笑みに、さらに背筋が凍る。
「確かに、最初の頃はてんやわんやだったさ。けど、今は違うよ。生き残りの人間が共闘を組んで、今では小さな街が出来上がるほど復旧している。政府もなんとか持ち直そうと必死になっている。ゾンビに対抗する術も見出されてきた。俺たち人間は、徐々に元の生活へと戻りかけているよ」
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