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第五章 天法士時代Ⅱ

第73話 再び『学究の館』

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『海の女王号』に乗船してから、八日後の朝。レーキはベッドの上で眼を覚ました。
 狭い。温かなかたまりが、ぴったりと背中にくっついている。
 眠っている間に、カァラが同じベッドに潜り込んでいた。ただでさえ狭いベッドが、余計に狭くなっている。
 レーキは肩をすくめて、カァラをそっと隣のベッドに移した。
 この数日、カァラはレーキと一緒に寝たがった。断っても、朝方にはこうしてベッドにもぐり込んでいる。
 旅の終わりが近づいていることを、カァラも理解しているのだろうか。
 ヴァローナに着けば、レーキはカァラの里親を探そうと思っている。そして、カァラが成人するまで養育費を送るために働く。
 年若く独り身のレーキの元より、夫婦が揃っている家庭で養育された方が、カァラにとってしあわせだとレーキは思うからだ。
 それに呪いの事もある。今ならまだ彼女を『愛している』と言うほど深く彼女を知らない。それなら、彼女は呪いの対象にはならないだろう。
 今日の午後には、『学究の館』から半日ほどの港町にたどり着く。まずは『学究の館』で里親を探そう。レーキはカァラの寝顔を見やって、心の中で『良い親をさがしてやるからな』とつぶやいた。

「これでお別れなのねェ……寂しくなるワ……はい、コレ……」
 カァラに最後のクッキーを渡しながら、ルークはさめざめと泣いている。この短い航海の間、カァラはすっかりルークのお気に入りになっていた。
「ありがとう!」
 ありがとうと言う単語を知らなかったカァラに、それを教えたのはたった八日前のことで。
 相変わらずカァラの表情はとぼしかったが、その声は弾んでいた。カァラはクッキーの袋を大切そうに自分の肩掛けかばんにしまった。
「……大事に、食べる」
「ううッ! うれしいこと言ってくれるじゃないッ!」
 ルークはカァラを抱き上げて、最後にひしっと抱きしめる。
「……ありがとうございました。本当にお世話になりました」
「ああ。気にすんな! また船が入り用ならワシを頼ってくれ。……達者でな!」
「はい。船長も!」
 レーキは最後に、船長と固い握手を交わす。
 レーキとカァラの二人は、港町に降り立った。
 船縁から手を振るルークが見えなくなるまで手を振り返しながら、二人は町中に向かう。
「まずは『学究の館』に行くぞ」
「『学究の館』?」
「ああ。そう言う名前の街なんだ。大きい街だぞ、ヒトも沢山いるし、学院が沢山ある」
 二人、手をつないでのんびりと乗合馬車の乗り場に向かう。
 大人の足なら『学院の館』までは半日ほどだが、子供にそれだけの距離を歩かせる訳には行かない。レーキは馬車を使うことにした。

 湖沼の平原に、秋の日はすでにかたむきかけていた。乗合馬車の車窓から、懐かしいヴァローナの景色が見えた。
 街道沿いには並木が植えられている。グラナート育ちのカァラには、大きな木自体が珍しいようで。
「あのならんでる、大きいのはなに?」と目を丸くしている。
「あれは木、だ。小さな種から大きく育つ。切れば材木になるし、燃料にもなる。実が生るモノも花が咲くモノもある。木になる実は果実と言う」
「果実? 果実水となかま?」
「そうだ。果実水は果実から作るんだ」
「果実水飲みたい」
「街についたらな」
 レーキとカァラ、二人のやりとりを、乗り合わせた人々は微笑ましそうに見守っている。
 カァラは貰い物のクッキーを一枚だけ取り出して、ゆっくりと時間をかけて食べた。ルークに遊んでもらった時間の、名残を惜しむように。
 カァラはようやく、自分の食べ物を横取りされないと言う環境に慣れ始めている。
 食事をがっつかなくなったし、腹がぱんぱんに膨れるまでは食べなくなった。
 その内に、痩せ気味な身体も少しずつ、子供らしい丸みを取り戻すだろう。

 馬車は日暮れ寸前に、『学究の館』にたどり着いた。
 空は夜でも昼でもない黄昏たそがれに染まり、街には夕陽が作る長い影が落ちている。
 今日の夕焼けはとても美しい。家々は夜のための明かりを灯し始め、人々は一日の終わりを楽しむために窓辺にたたずんでいた。
 そんな早晩の景色の中を、レーキはカァラと共に『旅人のためのギルド』へ向かった。『ギルド』で宿を紹介して貰って、明日から友人たちを訪ねる。それからカァラの里親を探し、天法院で祭壇を受け取る。
 思えばグラナートに着いたときに、手紙を出しておけば良かったかと思う。だが、国をまたいだ手紙は、大幅に遅れることも行方不明になることも多い。本人が直接おもむいた方が早いことすらあった。
 突然、友人たちを訪ねてみな驚きはしないか。迷惑ではないか。レーキはそれが少し心配だった。

『ギルド』は今日も賑やかだった。
 併設されている食堂も、夕食時とあって盛況だ。
「……お腹すいた……」
 食堂から漂う夕餉ゆうげの香りに刺激されたのか、カァラがお腹を押さえて訴える。
「そうか。ならまず飯を食おう」
 カァラの手を引いて、レーキは食堂の席についた。ヴァローナ流の料理とウバブドウの果実水を二つたのむ。
「ヴァローナの飯はあまり辛くない。ウバの果実水は飲んだことがあるか?」
「ない」
「甘味があって美味いぞ」
 最初にやって来た果実水のジョッキを、カァラに渡す。カァラはそれを一口飲んで眸を輝かせた。
「おいしい!」
「そうか。良かったな」
 レーキが微笑むと、カァラは口の端をへの字に結んだ。
「どうした?」
「くち、レーキみたいにしたい」
「口? ……お前、笑いたいのか?」
 カァラの表情が乏しいのは、彼女が顔の筋肉の使い方をよく知らないからなのか。それとも他に理由があるのか。
「うん。にこってする」
「それなら口の端をこう、上にしなきゃダメだ」
「こう?」
 カァラはぐわっと口を開ける。笑っていると言うよりは、ただ口を開いただけだ。
「うーん。違うな。まず口を閉じて、頬をあげる感じで……」
「……レー、キ?」
 カァラに向かい合っていたレーキの背後で、声がした。
「まさか、レーキなの?!」
 その聞き覚えのある声に、レーキは振り返る。
 そこに立っていたのは、青い髪に藍色の眼の女性。眼鏡も顔立ちも船で別れた時と変わらない。自称、考古学者のネリネだった。
「……なんで……なんで!! 生きてるなら何で連絡よこさないのよ!! このバカ!! もう! ワケわかんない!」
 ネリネはレーキに詰め寄ってえりを掴み、がくがくと首を揺らしてくる。
「……すま、ない……」
「そ・れ・に!! 聞きたいことも言いたいことも、山ほど有るわよ! まず、この子は誰?! あんたの隠し子?!」
 急に指さされて、カァラはびくりと身をすくませる。それから慌てて、テーブルに半分身を隠した。
「本当にすまない。でもカァラが驚くから、手を離してくれ……」
「あ、ごめん……」
 そう言われて、ネリネはレーキの襟からぱっと手を離す。
「この子は俺の子じゃない。グラナートで拾った、孤児だ」
「そうなの? 羽の色が同じだから、てっきり親子なのかと……って、その銀色の羽のことも聞きたいわ。あ、ちょっとつめてくれる?」
 ネリネはレーキの前の席に腰掛けようとして、先に掛けていたカァラを見下ろした。カァラはじっとネリネを見つめて、逃げるようにレーキの隣に座り直した。
「ちょっと脅かしちゃったみたいね。……それで? 船から落ちてあんた今まで何してたの?」
「それは、ここでは話せない。飯を食ったら今夜の宿を決めるから、そこまで来てくれるか?」
 ネリネは考古学者だ。もしかしたら、『呪われた島』のことを知っているかもしれない。だが、こんなに人が多い場所で、そんな話をする訳には行かない。
 真剣な表情で言ったレーキに、ネリネは姿勢を正した。
「解ったわ。今は聞かない。まだ宿取ってないの? それなら家、来る?」
「良いのか?」
「良いわよ。部屋はあるし。あ、あたしもご飯たべちゃお。……すみませーん!!」
 ネリネが注文をし、食事を待つ間カァラを拾ったいきさつを簡単に話した。グラナートでは黒い羽の鳥人は苦労すること、それで彼女をヴァローナに連れてきたこと、彼女の里親を探していること。
 レーキとネリネが会話している横で、カァラはおとなしく果実水を飲んでいる。
「ふうん。そう言うことね。なら、あたしも協力するわ。心当たりをあたってみる。レーキの同族だもんね、楽しく生きて欲しいわ」
「……同族? なかま? おねえさんも?」
 覚えたばかりの単語を聞いて、カァラ顔を上げた。
「……あたしはレーキと同族じゃないけど、仲間だわ。あたしはネリネ。あなたは?」
「おねえさんはネリネ、ネリネ。カァラはカァラ。ただのカァラ」
 カァラはぱっと小さな右手を差し出した。
「はじめましてのごあいさつ!」
「あら、グラナート流の挨拶ね。よろしく!」
 差し出された手を、ネリネは握り返す。カァラはぐわっと口を開けて、懸命に笑おうとしている。
「……どうしたの? この子いきなり口を開けて」
「この子なりに、笑おうとしてるんだ」
「……そっか。笑うときはね、カァラ。こうするのよ」
 ネリネはにっと歯を見せて笑う。カァラはそれを真似てにっと歯をむき出した。
「そうそう! その調子! ……所でこの子、いくつ?」
「カァラ、お前、歳はいくつなんだ?」
「? とし?」
「生まれてから、何年ってことよ」
「……わかんない。年、ってなに?」
 もしや、この子は年と言う概念を知らないのか? 他にも、知らないことが多すぎる。この子には、教育以上に何かが欠けているような気がする。
「そうねえ……お日様が昇って沈んで、また上るのが一日。これはわかる?」
「うん」
 ネリネが丁寧に、カァラへ一年と言う概念を教える。ついでに基本的な数の数え方も教えてやると、カァラは三本の指を示しながら「えっと……カァラが生まれて気が付いてから、三、寒いのがあった」
「じゃあ、三年か四年くらいかしらね。あなたは三歳か四歳ね」
「カァラは三歳か四歳……三歳か四歳……」
 カァラは教えられれば覚えも良く、知能はけして低くない。ただ基本的な物事を教えられていなかったようだ。
「この子、いったいどうやって暮らしてたの?」
「詳しいことは解らない。出会った時は浮浪児だった。母親と暮らしていたらしいが……母親はもう死んでいるようだ」
「おかあさんは死んだ。死の王さまの国にいる。いまはしあわせ」
「そっか。カァラ、お母さんってどんなヒトだった?」
「おかあさん? おかあさんは……たまにごはんをくれる。はねがあるから、同族。元気な時は抱っこしてくれる。たまにぶつ。カァラはおかあさんがすきだけど、おかあさんはカァラがきらい。黒いはねだから。でもいつもじゃない。すきなときもある。おかあさんはびょうき。せきって言うのをする」
 運ばれてきたヴァローナ風のシチューを食べながら、カァラは大人二人にそう説明した。
 カァラのたどたどしい説明をつなげると、カァラの母親は鳥人で、病弱で、病が原因で死んだようだ。黒い羽の我が子をいといながら、それでも一人で懸命に育てていた。最期は床についていることが多くなって、話すこともままならなかったようだった。
 全てを聞き終えたレーキとネリネは、シチューを食べ続けるカァラを見守る。
「……良い家を、探して上げなきゃね」
「ああ。そうだな」
 二人は顔見合わせて、互いに頷いた。
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