美味しくお召し上がりください、陛下

柊あまる

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番外編

黄丕承 其の三

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 妹の白蓮は、正直なところ本当に自分と同じ血が流れているのかどうかが疑わしいほど、見た目が美しく可憐である。
 身体は華奢で、肌は透き通るかと思うほど白く、シミひとつない。
 目は大きく印象的で力強く、多少性格がキツそうな印象を与えがちだが、それは実際その通りなので問題なかった。
 だが、小さな頃からその可憐で華奢な見てくれのせいで、相手問わず過剰な好意を寄せてくる者、またはむやみに傷つけて貶めようとする者が身の周りに絶えなかった。

 我が家の商売が国一番の売上を誇る娼館であったことも、その一因である。
 誘拐されそうになったことは一度や二度ではなく、酩酊した客や、酒は入らずとも一方的に懸想して思い詰めた客などに襲われそうになったことも数えきれない。
 当然家族も本人もわかっていて警戒は怠らないから、幸いなことに、それらの試みが成功したことは一度もなかった。

 兄である丕承ひしょうは、子どもの頃から黄家で雇っている護衛団ボディガードの中に混じって身体を鍛え、武術を磨き、率先してたった一人のかわいい妹を守ってきた。
 当然、白蓮も兄である自分に一番懐き、甘えまもられて、娼館の娘にしてはかなり素直に純真なまま成長してきたと思う。
 それを――

「後宮入り? しかも養女に出すって、なんだそれ!」

 先日やっと帰ってきた白蓮が再び家を出ていき、しかも仕事だったはずなのに陛下のお手がついたのだという話に衝撃を受けた。その精神的打撃ダメージがこれっぽっちも回復しないうちに、はたまた衝撃の事実だ。

「だって平民のまま後宮に入ったら下働きの立場でしょ。貴族として後宮入りできるんだから、むしろ喜ばしいことだと思うけど?」
 母の春華は「なにを怒ってるのか分からない」といった風に肩を竦めてみせた。

「そもそも後宮入りなんて、俺は認めてないぞ!」
 以前、冗談交じりにそんな話が出たときも、丕承はただの冗談だと本気で思っていた。まさか本当に……
 怒鳴る丕承を見て、春華は目を丸くし、呆れたようにため息を吐いた。
「馬鹿じゃないの。なんで丕承の許可がいるのよ。そもそも白蓮が黙って大人しく襲われるような子だと思うの? あの子が望んだからお手もついたんだし、大事に扱われてるからこそ貴族の養女にしてもらえるんじゃないの。……もういい加減、あんたも妹離れしなさいよ」

(うがーーーーっっ!)

 丕承は叫びだしたくなるのを、拳を力いっぱいプルプルと握りしめて堪えた。
 いくら相手が国で一番権力のある皇帝陛下とはいえ、顔も得体もしれない男のところに最愛の妹を嫁にやるなど、そう簡単に納得できることではない。
 しかもそのほとんどを解散したとはいえ、多数の妃嬪がいる後宮に、たった一人のかわいい妹をやるなんて……

(絶対に認めないぞ!)
 皇帝本人に対峙する機会があったら絶対にこの手でぶちのめし、できるなら妹を取り返してやる!
 丕承はそう強く決心して、怒りで震える拳をさらに強く握りしめた。

   ***

 機会は存外早く巡ってきた。

 白蓮が家族に会いたいと陛下に泣きつき、普通は簡単に認められない里帰りの許可が下りた。
 ただし公には陛下のお忍びに同行し、二人が養父である李汀洲りていしゅうの屋敷を訪問するのに合わせて、黄家の家族がそこに招かれるという形が取られた。

 李汀洲の屋敷は貴族にしては地味な造りで、ただ中に入ると改装の真っ最中である。
 おそらく貴妃の実家としての体裁を整えるためであろうと、父の虞淵ぐえんは言った。

(貴妃……)
 その言葉で、かわいい妹が自分の手を離れて遠くに行ってしまったという実感が湧きあがってきて、丕承はそれを振り払うように首を振った。

 白蓮との面会には屋敷の離れの房が用意される。
 到着してすぐに、貴族の屋敷らしからぬ足音がパタパタと響き、スタンッと音を立てて引き戸を開かれた。そして白蓮が飛び込んでくる。

「父さま、母さま!」
 高くて甘えの混じった聞き慣れた声が響き、白蓮は両親の顔を見てホッとした表情を浮かべた。そして一直線に丕承に向かって走ってくる。

「兄さまぁっ!」
 そのままの勢いで抱きついてきた白蓮の身体を余裕で受け止め、丕承は両腕でしっかりと抱きしめた。
「ごめんなさい、兄さま……何も言わずに家を出ることになってしまって」
「白蓮……」

 腕の中に収まった妹の姿をよく見れば、なんとも綺麗な刺繍の施された軽くて滑らかな肌触りの衣装に身を包み、品のある高貴な香りをまとっている。
 丁寧に梳かれた髪を美しく結って繊細な飾りを揺らし、薄く施された化粧は元来の美しさをさらに引き立てていた。

「綺麗だなぁ、白蓮」
 着飾った白蓮を見るのは初めてで、丕承が感心したように呟くと、彼女はうっすらと涙を浮かべながら微笑んでみせた。
「ありがとう、兄さま」
 その顔にはもう幼かった頃の面影はなく、この短い間で白蓮は一人前の大人の女性へと変化していた。

(なんとも、寂しいものだなぁ……)
 丕承は堪らずにもう一度しっかりと抱きしめると、白蓮も背中に手を回してギュッと抱きついてきた。

 そこへ、低くてハリのある艶やかな声が響く。
「白蓮……全力で走っていくから、侍女たちが目を丸くしていたぞ?」

 房へ入ってきたのは、いかにも高貴な濃藍の袍を纏い、漆黒の髪と強い力を秘めた瞳を持つ、整った顔立ちをした、まだ青年とも呼べる年若い男――
(こいつが……)
 父の虞淵と母の春華は彼の姿を認めてすぐに膝をつき、低頭して礼を取った。

「蒼龍さま」
 腕の中で振り向いた白蓮が、嬉しそうにその男の名を呼ぶ。
 丕承は白蓮の身体を離さずにぎゅっと抱き寄せると、その男の顔をまっすぐに見つめた。
(こんな奴に膝などついてたまるか――!)

 丕承の眼差しに籠った意志を感じ取ったのか、蒼龍は一瞬目を見張ると、すぐに不敵な微笑みを浮かべて見せる。
「お前が兄の丕承か。顔を見るのは初めてだな」
「ふん。勝手に懸想して強引にかっさらっていくなど、横暴な権力者のやり方そのものだ」

 その言葉に両親も白蓮も驚愕して顔を上げ、丕承を見た。
 しかし、なぜか蒼龍だけが肩を揺らして笑うと、愉しげに言った。
「これは……今までで一番強力なライバルが現れたかな」

 蒼龍の目は鋭く力に満ちた光を湛えており、その洗練されて落ち着いた立ち居振る舞いを見ても、丕承が想像していたより遥かにできる男なのかもしれないと感じられた。
(拳を交えてみるまではわからんが……)

「生半可な男に、俺の大事な妹をやるわけにはいかん。家柄や権力など関係ない。腕っぷしの話だぞ」
 丕承の言葉に、両親は呆れて天を仰ぎ、大きなため息を吐く。
 白蓮は目を丸くして口を開けたまま固まり、蒼龍は嬉しそうにニヤッと笑った。
「いいぞ。生半可かどうか、試してみるがいい」

「蒼龍さま!?」
 白蓮が驚いて蒼龍を振り返り、慌てて丕承の胸を叩いた。
「兄さま、馬鹿なこと言わないで! 蒼龍さまは皇帝陛下なのよ!?」
 丕承は抱きしめていた腕を離さずに答える。
「家柄も権力も関係ないと言っただろう。肝心な時にお前を護れるのは腕に力のある男だけだ」
「兄さまっ!」

 白蓮の非難するような表情を見て、蒼龍は苦笑を浮かべた。
「白蓮、義兄の言うことは間違っていない。権力も大きな力ではあるが、最後は腕っぷしだ」
 丕承は顔をしかめて不機嫌そうに吐きすてる。
「だれがお前を義弟だと認めた? お前は妹を勝手にさらった、ただの横暴者だ」
 蒼龍と丕承は互いに視線を交わして睨み合うと、言葉にせずとも察し合い、揃って房の外へと出て行った。

 残された父と母の顔を振り返り、白蓮が「どうしよう?」と聞くと、二人は苦笑を浮かべてみせた。
「大丈夫よ、やらせとけば」
「どちらも確かめたいだけだ。……しかし、陛下もまだお若いな」
 虞淵の言葉に、春華も白蓮も眉根を寄せる。
「蒼龍さまは若いってば!」
「丕承と同じ歳でしょ?」
 今度は春華の言葉に、白蓮が目を丸くした。
「ええ? 蒼龍さまと兄さま、同じ歳!?」
「白蓮おまえ……夫の歳も知らなかったのか?」

 三人は三様に顔をしかめると、とりあえず二人のことが気になって、揃って房の外へと追いかけて行った。

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