君はアルファじゃなくて《高校生、バスケ部の二人》

市川

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予兆

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 入学式から早二ヶ月が経った。
 季節は梅雨に差しかかり、窓の向こうはどんよりとした曇り模様である。

「シュンヤ」

 部活前に教室まで迎えに行くと、彼は「ん」とぶっきらぼうに答えながら用意をする。
 相変わらずつれない態度だ。けれど警戒心はなくなり、入学時に比べれば随分距離が近づいたなと思う。今は親友と呼べるポジションだろう。

「毎日来なくてもいいのに」
「んー? もう日課になってるから」
「お前と並ぶと目立つんだって」
「そう? オレは気にならないけど」

 ニコニコと微笑めば、シュンヤはもごもごと口をつぐむ。
 恥ずかしがっているように見えて可愛い。

 ちなみに初対面のとき警戒してきた理由は、シュンヤいわく「うさん臭かったから……」とのことだ。ナオキはその指摘を曖昧な微笑みでやり過ごした。
 いつも爽やかに振舞っているのに、野性的な彼は本質を見抜いてきたらしい。ナオキは自分の好奇心を他人の事情よりも優先してしまうタチの悪さを自覚している。さらに徹底して本性を隠しておかないといけない。シュンヤに嫌われてしまう事態だけは避けたい。

「部活がんばってね~~!」
「あとで練習見に行くからね」

 そこに明るい声が飛んできた。
 彼女たちは、認めがたいことに、”シュンヤファンクラブ”の会員である。
 ”ナオキファンクラブ”という自分のファンクラブ会員から聞いた情報によると、入学してすぐにそれぞれのファンクラブが結成され、現在会員数を競い合っているという。
 会員たちからその話を聞くたびに、ナオキは「フーン」と冷えた相槌を打ったのだった。数はどうでもいい。ただ恋愛のフィルターをかけて彼の事を公然と見ている存在が目に余る。

 そして意外なことに、シュンヤが女子に対しては愛想が良かった事も気に食わない。

「おう、待ってる」

 と小さく笑みながら女子たちに答えていて、ナオキは「ハァ? どういうこと?」と問いただしたくなった。自分への対応と雲泥の差だ。
 けれど余裕のある人物像を崩したくないので、微笑みは崩さずに注文する。

「ねえシュンヤ、オレも優しい言葉が欲しいなぁ」
「……?」

 途端に「頭おかしいんじゃないのか?」という顔をされ、ナオキは納得がいかないまま独りで微笑んだ。
 すると、"ナオキファンクラブ"の会員が声援を飛ばしてきた。

「ナオキくんのことは私たちが応援してるからねっ」
「うん、ありがとね」

 ナオキはいつもよりも過剰に微笑みをサービスした。
 すると女子たちは「キャーッ」とかん高い声を上げて頬を赤らめていく。そして「やっぱりナオキくんだよね!」「私、シュンヤくん推しなのに!」とアイドルか何かのように楽しんでいる。
 教室にいる男子たちはとっくにうんざり顔だ。

 バカみたいだな、とナオキは思った。周りもそうだけれど、愛想を振りまく自分も滑稽だ。
 らしくもなく張り合って、シュンヤを取られないように必死になっているのだ。







「10分間休憩! しっかり水分摂るようにーーっ!」

 監督が指示を飛ばすと、マネージャーたちがスポーツドリンクとタオルを配っていく。

 高校の部活動は中学とは桁違いにハードだった。
 部員たちはみんな汗だくになって肩で息をしている。梅雨入りして体育館が蒸しているせいで、余計に汗が乾かないのだ。

 立っている部員は二・三年生の先輩たちの他はナオキとシュンヤだけで、一年生たちはみんな床に崩れ落ちている。

 ナオキは先輩とエース争いをしている真っ最中なので、苦しさを表情に出すことは絶対にしない。
 シュンヤもプライドが高いらしく、意地でも喰らい付いていくという気迫が滲み出ている。

「やっぱりアルファの二人は違うよねーっ」
「ねーっ」

 二階から見学している女子たちは気楽そうだ。
 彼女たちが騒ぐたびに部員たちがヒリついており、とうとう監督が「邪魔だ」と叱って、数十人いた見物客を全員退出させた。

 見物客がいなくなると、先輩たちはあからさまに長い溜息をついたり、やれやれと気だるそうにストレッチしたりする。ナオキはその動向を素早くチェックした。嫌味を言って来そうな者や、嫌がらせを企みそうな者がいれば先手を打っておきたい。自分もシュンヤも入部早々に即戦力としてベンチ入りしたこともあって、ただでさえ妬まれている。

 できれば女子の見学自体を禁止してほしいけれど、マネージャーを募集していることもあってできない。大多数のファンクラブ会員たちは『静かに見学する』というルールを徹底しているので、男子側から注意する事も難しい。

 そのとき、汗を拭いている先輩の一人が強烈な苛立ちを放っている事に気付いた。
 部内でも発言力の強い人物だ。ナオキは爽やかな仮面を被って彼に近づく。

「三好先輩、ちょっと質問したいんですけど」
「ハァ? 嫌味か、それ」

 半笑いで睨み返してくるが、気付かない振りを貫く。

「あはは。何で嫌味なんですか。三好先輩ってミスがほとんどないですよね。尊敬してて」

 するとまんざらでもない顔になって、いつも気を付けていることなどをおずおずとアドバイスしてくれる。
 あまりにも容易くて内心で苦笑いしてしまった。


 そのとき、うっとりするような匂いが流れてきて、会話が止まった。
 鼻腔内に広がって、脳の奥へと染みわたっていく。果実のような甘い香りだ。匂いの元をたどれば、そこにいるのは予想通り、シュンヤだった。汗の雫が流れていて、濡れた肌を伝っていく。

 暑く蒸した体育館内の中、香り立つ誘惑の匂いに、眩暈を起こしてしまいそうだった。ナオキは猛烈にその肌を貪り付きたい衝動に駆られた。

 この匂いは一体、何なのだろうか。
 まるでオメガのような匂いだと思うけれど、汗を拭くシュンヤの眼光はぎらついていて、アルファのように見える。
 そのとき先輩の喉がゴクリと音を立てて、意識が現実に戻ってきた。

「――シュンヤ」

 呼びかけると硬い声が出た。

「なに?」
「汗、もっとちゃんと拭いた方がいいよ。風邪ひくから」
「風邪? こんなに暑いのに?」
「まあ、うん」

 確かにこの暑さで”風邪”という言葉を使うのは苦しすぎた。
 しかしシュンヤも周囲から注がれている異様な視線に気づいたのか、少々乱暴なくらいに汗を拭いていく。
 その姿は、手負いの狼というよりも迷子の犬のようだった。

 体育館内を見回せば、未だに彼を注視している目がいくつもある。
 ナオキは、つい、殺気のこもった眼光を飛ばしていた。

 ――下卑た目で見るな。
 瞬間、彼らの顔が一斉に凍り付いた。部内の人間はベータが多い。アルファらしき先輩もいるけれど、存在の格はナオキの方が上だ。いつもは年齢や信頼の差で敬っているけれど、こんな状況では引き下がれない。

 しかし、敵を作る乱暴なやり方は自分らしくない。


「っつ……! 目に汗入った」

 意図的に睨んだのではない、ということにすると、凍り付いていた空気が流れ出した。
 三好先輩がハッとしたように言う。

「……あ、おお。すげー怖い顔してたぞ、今」
「ホントですか? スミマセン、ちょっと顔洗ってきます。シュンヤも行こう」

 上辺だけ取り繕えれば、それでいい。
 むしろシュンヤに手を出せば危険だと認識してもらえれば、その方がいい。

 今週末には強豪校との練習試合もある。大会を見据えた重要な試合だ。
 自分もシュンヤも起用してもらえるだろう。チームの連携を乱している場合ではない。

 体育館前にある水洗い場でバシャバシャと水道水を顔にぶつける。
 顔を上げた時、シュンヤは動かずに思い詰めた表情をしていた。

「シュンヤ?」

 呼びかけるとシュンヤは黙って蛇口を捻った。
 頭から水をかぶっている。

 何か悩みがある事にはずっと気付いていたけれど、まだその内容については聞き出せていない。

 そして、重要な練習試合の当日。


 シュンヤは初めて部活を休んだ。



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