2 / 4
予兆
しおりを挟む入学式から早二ヶ月が経った。
季節は梅雨に差しかかり、窓の向こうはどんよりとした曇り模様である。
「シュンヤ」
部活前に教室まで迎えに行くと、彼は「ん」とぶっきらぼうに答えながら用意をする。
相変わらずつれない態度だ。けれど警戒心はなくなり、入学時に比べれば随分距離が近づいたなと思う。今は親友と呼べるポジションだろう。
「毎日来なくてもいいのに」
「んー? もう日課になってるから」
「お前と並ぶと目立つんだって」
「そう? オレは気にならないけど」
ニコニコと微笑めば、シュンヤはもごもごと口をつぐむ。
恥ずかしがっているように見えて可愛い。
ちなみに初対面のとき警戒してきた理由は、シュンヤいわく「うさん臭かったから……」とのことだ。ナオキはその指摘を曖昧な微笑みでやり過ごした。
いつも爽やかに振舞っているのに、野性的な彼は本質を見抜いてきたらしい。ナオキは自分の好奇心を他人の事情よりも優先してしまうタチの悪さを自覚している。さらに徹底して本性を隠しておかないといけない。シュンヤに嫌われてしまう事態だけは避けたい。
「部活がんばってね~~!」
「あとで練習見に行くからね」
そこに明るい声が飛んできた。
彼女たちは、認めがたいことに、”シュンヤファンクラブ”の会員である。
”ナオキファンクラブ”という自分のファンクラブ会員から聞いた情報によると、入学してすぐにそれぞれのファンクラブが結成され、現在会員数を競い合っているという。
会員たちからその話を聞くたびに、ナオキは「フーン」と冷えた相槌を打ったのだった。数はどうでもいい。ただ恋愛のフィルターをかけて彼の事を公然と見ている存在が目に余る。
そして意外なことに、シュンヤが女子に対しては愛想が良かった事も気に食わない。
「おう、待ってる」
と小さく笑みながら女子たちに答えていて、ナオキは「ハァ? どういうこと?」と問いただしたくなった。自分への対応と雲泥の差だ。
けれど余裕のある人物像を崩したくないので、微笑みは崩さずに注文する。
「ねえシュンヤ、オレも優しい言葉が欲しいなぁ」
「……?」
途端に「頭おかしいんじゃないのか?」という顔をされ、ナオキは納得がいかないまま独りで微笑んだ。
すると、"ナオキファンクラブ"の会員が声援を飛ばしてきた。
「ナオキくんのことは私たちが応援してるからねっ」
「うん、ありがとね」
ナオキはいつもよりも過剰に微笑みをサービスした。
すると女子たちは「キャーッ」とかん高い声を上げて頬を赤らめていく。そして「やっぱりナオキくんだよね!」「私、シュンヤくん推しなのに!」とアイドルか何かのように楽しんでいる。
教室にいる男子たちはとっくにうんざり顔だ。
バカみたいだな、とナオキは思った。周りもそうだけれど、愛想を振りまく自分も滑稽だ。
らしくもなく張り合って、シュンヤを取られないように必死になっているのだ。
◇
「10分間休憩! しっかり水分摂るようにーーっ!」
監督が指示を飛ばすと、マネージャーたちがスポーツドリンクとタオルを配っていく。
高校の部活動は中学とは桁違いにハードだった。
部員たちはみんな汗だくになって肩で息をしている。梅雨入りして体育館が蒸しているせいで、余計に汗が乾かないのだ。
立っている部員は二・三年生の先輩たちの他はナオキとシュンヤだけで、一年生たちはみんな床に崩れ落ちている。
ナオキは先輩とエース争いをしている真っ最中なので、苦しさを表情に出すことは絶対にしない。
シュンヤもプライドが高いらしく、意地でも喰らい付いていくという気迫が滲み出ている。
「やっぱりアルファの二人は違うよねーっ」
「ねーっ」
二階から見学している女子たちは気楽そうだ。
彼女たちが騒ぐたびに部員たちがヒリついており、とうとう監督が「邪魔だ」と叱って、数十人いた見物客を全員退出させた。
見物客がいなくなると、先輩たちはあからさまに長い溜息をついたり、やれやれと気だるそうにストレッチしたりする。ナオキはその動向を素早くチェックした。嫌味を言って来そうな者や、嫌がらせを企みそうな者がいれば先手を打っておきたい。自分もシュンヤも入部早々に即戦力としてベンチ入りしたこともあって、ただでさえ妬まれている。
できれば女子の見学自体を禁止してほしいけれど、マネージャーを募集していることもあってできない。大多数のファンクラブ会員たちは『静かに見学する』というルールを徹底しているので、男子側から注意する事も難しい。
そのとき、汗を拭いている先輩の一人が強烈な苛立ちを放っている事に気付いた。
部内でも発言力の強い人物だ。ナオキは爽やかな仮面を被って彼に近づく。
「三好先輩、ちょっと質問したいんですけど」
「ハァ? 嫌味か、それ」
半笑いで睨み返してくるが、気付かない振りを貫く。
「あはは。何で嫌味なんですか。三好先輩ってミスがほとんどないですよね。尊敬してて」
するとまんざらでもない顔になって、いつも気を付けていることなどをおずおずとアドバイスしてくれる。
あまりにも容易くて内心で苦笑いしてしまった。
そのとき、うっとりするような匂いが流れてきて、会話が止まった。
鼻腔内に広がって、脳の奥へと染みわたっていく。果実のような甘い香りだ。匂いの元をたどれば、そこにいるのは予想通り、シュンヤだった。汗の雫が流れていて、濡れた肌を伝っていく。
暑く蒸した体育館内の中、香り立つ誘惑の匂いに、眩暈を起こしてしまいそうだった。ナオキは猛烈にその肌を貪り付きたい衝動に駆られた。
この匂いは一体、何なのだろうか。
まるでオメガのような匂いだと思うけれど、汗を拭くシュンヤの眼光はぎらついていて、アルファのように見える。
そのとき先輩の喉がゴクリと音を立てて、意識が現実に戻ってきた。
「――シュンヤ」
呼びかけると硬い声が出た。
「なに?」
「汗、もっとちゃんと拭いた方がいいよ。風邪ひくから」
「風邪? こんなに暑いのに?」
「まあ、うん」
確かにこの暑さで”風邪”という言葉を使うのは苦しすぎた。
しかしシュンヤも周囲から注がれている異様な視線に気づいたのか、少々乱暴なくらいに汗を拭いていく。
その姿は、手負いの狼というよりも迷子の犬のようだった。
体育館内を見回せば、未だに彼を注視している目がいくつもある。
ナオキは、つい、殺気のこもった眼光を飛ばしていた。
――下卑た目で見るな。
瞬間、彼らの顔が一斉に凍り付いた。部内の人間はベータが多い。アルファらしき先輩もいるけれど、存在の格はナオキの方が上だ。いつもは年齢や信頼の差で敬っているけれど、こんな状況では引き下がれない。
しかし、敵を作る乱暴なやり方は自分らしくない。
「っつ……! 目に汗入った」
意図的に睨んだのではない、ということにすると、凍り付いていた空気が流れ出した。
三好先輩がハッとしたように言う。
「……あ、おお。すげー怖い顔してたぞ、今」
「ホントですか? スミマセン、ちょっと顔洗ってきます。シュンヤも行こう」
上辺だけ取り繕えれば、それでいい。
むしろシュンヤに手を出せば危険だと認識してもらえれば、その方がいい。
今週末には強豪校との練習試合もある。大会を見据えた重要な試合だ。
自分もシュンヤも起用してもらえるだろう。チームの連携を乱している場合ではない。
体育館前にある水洗い場でバシャバシャと水道水を顔にぶつける。
顔を上げた時、シュンヤは動かずに思い詰めた表情をしていた。
「シュンヤ?」
呼びかけるとシュンヤは黙って蛇口を捻った。
頭から水をかぶっている。
何か悩みがある事にはずっと気付いていたけれど、まだその内容については聞き出せていない。
そして、重要な練習試合の当日。
シュンヤは初めて部活を休んだ。
83
あなたにおすすめの小説
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
この噛み痕は、無効。
ことわ子
BL
執着強めのαで高校一年生の茜トキ×αアレルギーのβで高校三年生の品野千秋
α、β、Ωの三つの性が存在する現代で、品野千秋(しなのちあき)は一番人口が多いとされる平凡なβで、これまた平凡な高校三年生として暮らしていた。
いや、正しくは"平凡に暮らしたい"高校生として、自らを『αアレルギー』と自称するほど日々αを憎みながら生活していた。
千秋がαアレルギーになったのは幼少期のトラウマが原因だった。その時から千秋はαに対し強い拒否反応を示すようになり、わざわざαのいない高校へ進学するなど、徹底してαを避け続けた。
そんなある日、千秋は体育の授業中に熱中症で倒れてしまう。保健室で目を覚ますと、そこには親友の向田翔(むこうだかける)ともう一人、初めて見る下級生の男がいた。
その男と、トラウマの原因となった人物の顔が重なり千秋は混乱するが、男は千秋の混乱をよそに急に距離を詰めてくる。
「やっと見つけた」
男は誰もが見惚れる顔でそう言った。
自堕落オメガの世話係
キャロライン
BL
両親にある事がきっかけで家を追い出された俺は、親戚の助けを借り畳4帖半のボロアパートに入居することになる、そのお隣で出会った美大生の男に飯を援助する代わりに、男の世話係として朝・晩部屋に来いと半ば半強制的な同居生活が始まる。やがて少しづつ距離が縮まって行き男が見せる真の顔とは____、。
僕のために、忘れていて
ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────
【完結】番になれなくても
加賀ユカリ
BL
アルファに溺愛されるベータの話。
新木貴斗と天橋和樹は中学時代からの友人である。高校生となりアルファである貴斗とベータである和樹は、それぞれ別のクラスになったが、交流は続いていた。
和樹はこれまで貴斗から何度も告白されてきたが、その度に「自分はふさわしくない」と断ってきた。それでも貴斗からのアプローチは止まらなかった。
和樹が自分の気持ちに向き合おうとした時、二人の前に貴斗の運命の番が現れた──
新木貴斗(あらき たかと):アルファ。高校2年
天橋和樹(あまはし かずき):ベータ。高校2年
・オメガバースの独自設定があります
・ビッチング(ベータ→オメガ)はありません
・最終話まで執筆済みです(全12話)
・19時更新
※なろう、カクヨムにも掲載しています。
ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学で逃げ出して後悔したのに、大人になって再会するなんて!?
灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。
オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。
ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー
獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。
そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。
だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。
話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。
そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。
みたいな、大学篇と、その後の社会人編。
BL大賞に応募しましたので、見て頂けると嬉しいです!
※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました!
※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました!
旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」
花婿候補は冴えないαでした
いち
BL
バース性がわからないまま育った凪咲は、20歳の年に待ちに待った判定を受けた。会社を経営する父の一人息子として育てられるなか結果はΩ。 父親を困らせることになってしまう。このまま親に従って、政略結婚を進めて行こうとするが、それでいいのかと自分の今後を考え始める。そして、偶然同じ部署にいた25歳の秘書の孝景と出会った。
本番なしなのもたまにはと思って書いてみました!
※pixivに同様の作品を掲載しています
-----------------------------------
いつもありがとうございます
追記1:2025/6/12
読み切りのつもりで書いたお話でしたが、もう少し二人の物語を続けていきます。
Ω一年生の凪咲くんと、孝景さんの新生活を第二章ということで
よろしくお願いします!
追記2:2025/10/3
おかげさまで二章書き終えました。
二章~ はアルファポリスのみで掲載です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる