次第に朱に変わりゆく

こまむら

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第1話

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キーンコーン
校舎2階のベランダから外を眺める
遠い空が赤く色づき黒い鳥がバラバラと数羽で
チャイムの音がコダマする方へ飛んでいく
「あーまみちゃーん!さよならー!」
声がする下へ視線を変えればブレザーを少し着崩した女子が3人
自分へ手を振っていた。
下の子達に見えるように少し大ぶりに手を振り返し
「おー気をつけて帰るんだぞー」
そう声を投げた。
はぁーい!と元気に帰ってきた返事を聞き再度空を見た
すん、と鼻を鳴らせば甘い、花の匂いが漂う。
もうすっかり秋だ。
「さみぃ」
冷たい北風が体をすり抜けるとぶるりと体が自然と震える。
明日からはジャケットの下にカーディガンを着よう。暑ければ脱げばいい。
もう乾燥し出す時期、風邪ひかないように気をつけなければ。高校三年生の秋なんて大事な時期の生徒達に移す訳には行かない。
乾燥…。
「そうかもう手が荒れる時期か」
パクパクと割れる無数の傷口を想像して鳥肌が立つ。俺の手は荒れにくい体質で赤切れとは無縁だ。
俺の心配している手のひらの持ち主
可愛い恋人。
「迎えいってやるかぁ」
テストの丸つけが終わったらだけどな。
夕焼けに背を向けて教室に入る。
暖かい木の匂いに安心する。
もう3年も嗅いだ。そろそろ異動になるかもしれない。
田舎の学校は生徒も同僚もみな暖かくていい。
都内とは少し違う。
「頑張るかぁ」
体を伸ばし自分に気合いを入れる。
「職員室4階なんだよなぁ」
ボヤいた言葉は教室と廊下を隔てている扉を開けた音でかき消された。


コーヒーの匂いがキツく香る職員室
残っている同僚はほんの数名、みな3年生の教科担任だけだ。
赤いマーカーペンが紙を滑る音だけの部屋にピコン!と明るい音が響く
自分のデスクに置いてあるスマホからだった。
手には取らず画面だけ覗くと
『あと20分くらいで終わりそう』とメッセージSNSの通知が目に付いた。
ついでに時間を見れば20時はとうに回って21時に届きそうだった。
「やべ」
買い物もしていない。洗濯物も干しっぱなしだ。
きっと湿気ってしまった。
「はぁーくそー」
「高岸先生?大丈夫ですか?」
椅子の背もたれに深く倒れ込み顔を上に上げると保健体育の教科担当で主担任のガッチリ体型の男性がウサギの描かれたピンクのマグカップ片手に片眉上げて見ていた。
「あ、佐久間先生。大丈夫です、洗濯物干しっぱなしを思い出して。」
19時を目安に帰ろうと思っていたのについテストの丸つけだけでなく提出課題にまで手をつけてしまった
「俺、お先失礼しますね」
「はいはい気をつけてね」
いそいそとデスクの上を片付けて、黒いリュックサックを椅子の背もたれから外し背負ったところでリュックの下に無造作に掛けてあった白衣もひったくる。
明日の土日は休み。これも洗ってしまおうという魂胆だ。
タイムカードを切れば俺はこの校舎は用済みだ。
メッセージが来てから10分、あと10分。
4階から1階までかけるように降りたが、もう40過ぎの中年。
降りただけなのに息が上がる。
職員用の玄関でサンダルから靴に履き替え、サンダルを手にもったまま外に出る。
これも洗おうという意思だ。
「おお!?さ、寒い!」
日中あんなに暖かかったのに21時前になればこの寒さ。
もう冬と言っても過言ではない。
チャコールグレーのジャケットの下に青みのかかったワイシャツと黒いスキニーパンツ
完全に間違えた格好だ。
ベランダに出ている洗濯物と、一緒に掛けてあるシダ植物が心配だ。
やつらはそんなに寒さには強くない。
「ほんとに20分で終わんのか?あいつ」
校舎敷地を出て閑静な住宅街から伸びる道路を家と真逆の方向へ
10分歩き住宅街を抜け商店街の少し手前、1箇所だけ明るい場所。
車のエンジン音が無数に聞こえる整備工場。
シャッターが少しだけ降りている所へ顔を出すとグレーのツナギの上からタイヤのメーカーロゴが背中にでかでかと刺繍してある黒い上着を羽織り赤いキャップを後ろへ被ったヒゲの生やした茶髪。
「タク」
そう声を掛ければこちらへ顔を向ける。
「あーあまちゃん!迎えきてくれたの?」
ポケットに両手を入れ小走りにこちらへ来た。
今日はやけにツナギが汚い。
いつもは綺麗なのに
「なんだ、今日は随分派手に汚したな」
「ツナギ?今日ねー腐ってるグリス飛び散っちゃって…やべ!と思って擦ったらこの有様です…」
肩を落としてシュンとする。
頭1つ俺より大きなこれまたおじさんがごめんねぇ…と眉を八の字に困らせているのは幾分面白い。
「別にいいよ。明日は洗濯祭りだな」
「あまちゃん優しい…手伝います…」
しかしポケットから手を出さないな。
いつもなら両手を顔の前で擦り合わせて謝ってくるのに。
「タク、お前寒いのか?」
「ん?ぜーんぜん?ブルゾン羽織ってるしねーでも冷えてきたよね、俺湯船入りたーい!」
「なんで手ポケットから出さないんだ?」
「え?」
ガチっと音が聞こえそうなほど顔が強ばった。
背筋もピシッとした。
なんか隠してんな。
サンダルを右手から左手に持ち替えて右手でタクの腕を掴む。
タクの抵抗も虚しくグイグイとポケットから手を引きずり出しじっくりと見る、つもりだったが見なくても分かった。
「あっ赤切れ!もうしたのか?ていうかクリーム塗ってねぇなお前」
「ごめんー!何十回も手洗うから…一々塗るの手間で…」
観念した様子で引きずり出されなかった右手も出てきて両手が並ぶ。
指の関節部分、指の先に血が滲んでいる。
その他まだ無事な所もカサカサと白くざらついていた。
「お前…」
「ごめんなさい……」
「謝ることじゃないけどな、俺は心配なんだよ」
しょんぼりしていたタクの眉毛と口角が上がり顔が輝く。
「俺の事…そんなに心配してくれてるなんて…」
「血は服に付くと落ちにくいんだよ」
「ですよね…」
確かに服に血が付くと落としにくいのはホントだ。
ただ落ちない訳じゃないしそんなに心配はしていない。
痛くねぇのか。こんなにボロボロで、それでも何回も手を洗うから絆創膏すら貼れねぇで。
本当はこっちだ。恥ずかしいから絶対言わないだけで。
俺がちゃんと責任もって落とします…
そう項垂れてるタクを見て意地悪しすぎたか?とも思ったがそうでもしないとちゃんとクリーム塗らないだろうから。すまんな、タク。
「タクさんまたあまさんに怒られてんすか」
「うるさいなぁ!怒られてないもん!」
広い工場の奥、事務所に繋がってる大きな鉄扉から若い整備士が顔を出しておちょくる。
「あんま恋人困らせちゃダメっすよ、タクさん一応歳上なんだから」
「一応ってなに!」
「工事締めますよーあまさん、タクさんがシャッター閉めるから入ってください」
はーいと返事をすると若い整備士は事務所に戻っていく。
もう!一応ってなに!俺だってちゃんとしてるのに!
プリプリと怒りながら先が鍵になっている長い鉄の棒を持ち出しシャッターに引っ掛けて下ろす。
ガラガラガラ
大きな音を立てて下に降りる。
今日が終わった。シャッターが完全に降りるとそんな気になる。
「怒んないの、歳上なんだから」
「怒ってない!」
怒ってるじゃん。呆れて笑う。
まるで子供のような態度が面白い。
「帰るぞ、湯船やってやるから」
そう言えばえ?と聞き返しながら笑顔になる
ほんとに子供だ。

「待ってて!すぐ用意してくる!」
事務所の鉄扉まで走り出す。
中年のおじさんとは思えない軽やかな身のこなし。
さすが体が主本の仕事やってるだけはある。
あいつは46には見えねぇよなぁ。
俺は動かない仕事だから年相応だろうけど。
そういえば家庭科の先生から柚子頂いて、消費できなくて冷凍庫に入れたヤツがあった気がする。
今日は寒いしゆず風呂にでもして消費してしまおう。
タク、喜ぶんだろうな。
喜んで小躍りする恋人を想像してつい口角が上がる。

こういう日常が1番幸せだよな。

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