Gの境界線

うなぎ

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1章

教訓

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ネイレストについたその翌日から、俺と胎芽はお金を稼ぐ方法を必死になって考えた。
居候三杯目はそっと出しという言葉もあるように、人の家に世話になっていると何かと気を遣うものだ。
せっかく異世界に来たというのに、親の顔色伺いをしていた時と同じ生活をするのは真っ平ごめんだった。
まず初めに思いついたことは、ウルフから狩りの方法を学ぶことだった。
結論から言ってしまうと、これは全く勉強にならなかった。
ウルフの狩りの仕方は野生の獣のそれと同じである。
数キロ先の獲物の匂いを嗅ぎ分ける嗅覚。
捕まるまいと全力で逃げる野生動物に追いつく脚力。
そんなものは普通の人間には無い。
そのため、ウルフが当たり前にやっていることを俺達は再現することができなかったのだ。
ただ、何も収穫が無かったかと言えば、実はそうとも言えなかった。
獲物を見つける度に、ウルフは俺達を置いて走り去ってしまう。
それに追いつこうと必死に森の中を走り続けた結果、俺達はそれぞれ移動する術(すべ)を身に着けることができた。
俺ができるようになったのは、ウルフのように遠くまで跳躍することだった。
早く走ろうと考えながら必死に足を動かしていると、月面にいる宇宙飛行士のようにふわりと体が浮くことがあった。
コツを掴むと浮くタイミングを任意で調整できるため、走り幅跳びの要領で助走をつけることで、疑似的にウルフと同じスピードを得ることができた。
走るスピードが速くなったのなら狩りもできるだろう。
そう思った矢先、この移動方法にはとんでもない欠点があることがわかった。
一度地面を蹴ると、着地まで方向転換ができないのだ。
木々が生い茂る森の中で獲物は右往左往して逃げ回る為、俺は1匹も獲物を狩ることができなかった。
胎芽ができるようになったのは、空を飛ぶことだった。
もう駄目だとすぐに音を上げ、狩りを始めて1時間ほどで胎芽は休憩し始めた。
安全な場所で待機していてもらったはずだったのだが、俺達がいない間に狼と出会い絶体絶命のピンチに陥ったらしい。
木に登ろうと必死に手を伸ばした結果、その手が木ではなく空中を掴み、胎芽は空を飛べるようになった。
昨晩ルナも少しだけ触れていたが、この世界にはポランというドルイドの力の源が存在する。
俺の<境界>とは違い胎芽の<境界>はポランだけを弾くので、そういった芸当ができたのかもしれないという話になった。
「もしかするとタイガはドルイドとしての素質もあるのかもしれないな。」
ウルフの言葉に胎芽が歓喜したのは言うまでもない。
「いいなぁ。俺も空を飛びたいな。」
心の底から羨むと、胎芽はフッフッフッと勝ち誇った笑みを浮かべた。
昨晩自分の<境界>の利便性について悩んでいたのはどこのどなただったか。
今はその面影もなくイキイキしている。
まあ、機嫌が直って良かったと俺は思うことにした。
奇妙な移動手段を手に入れたことで、森の奥深くまで俺達は足を運ぶことになった。
今まで出会った動物は鹿や猪、兎に狼といった地球でも見たことのある動物だった。
だから初めて出会ったその生き物に俺は困惑した。
「何ですか、アレ?」
地面から生えた蔓(つる)のような植物が、まるで蛇のようにウネウネとうねっていた。
その蔓の周囲には他の木々が全く生えておらず、不自然な空きスペースが森の中にできている。
「ドクトリナだな。」
(ドクトリナ?)
おうむ返しに俺が返事を返そうとした時、その植物の頭上をワシのような鳥が飛んでいった。
木々の上を飛んでいたはずのその鳥に向けて、信じられない程の速さで蔓が伸びていく。
不意を突かれあっけなく蔓に捕まった鳥は、助けを求めるように鳴き声を上げた。
可哀そうだとほんの少しだけ思わないこともなかったが、地面に吸い込まれる鳥を、俺達はただ息を殺して静かに観察した。
するとどうだろう。
バクッという擬音語が聞こえてきそうなほど巨大な何かが地面の下から現れた。
あえて地球の生物に当てはめるのなら、ハエトリグサに近い見た目をしているが、こちらは5メートルほどの大きさがある。
2枚貝のような葉を重ね、獲物を閉じ込めたそれは、何事もなかったかのように地面の中へと沈んでいった。
「す、凄いものを見てしまったでありますな。」
「ああ。まさか植物が鳥を食べるなんてな……。あのサイズなら俺達も食えるんじゃないか?」
「父祖は我々に自然の恵みを与えてくださるが、ただ優しいだけでは人は堕落してしまう。その教訓を与えてくれるのがあのような存在だ。」
「ウルフ殿ならあれを倒せるでありますか?そのままにしておくと危険ではありましょう。」
「そうだな。討伐自体は簡単だ。あいつが口を開けた瞬間に跳躍し、露出した茎を切り落とせばいい。ただ、それだと素材を手に入れることができない。」
「素材?」
「あいつが獲物を捕食した時に消化液が出て来るんだが、それがかなりの高値で取引されている。負傷覚悟であの中に飛び込まないと採れない代物だから当然と言えば当然だがな。」
「……そういうことなら、俺達の力が役に立てるかも。」
「あの液体は金属も溶かすんだぞ?生身の人間に防げるはずがない。」
「大丈夫です。信じてください。それよりも、消化液を入れる入れ物はありますか?」
「……これを使ってくれ。あいつとは別種のドクトリナで作られた水筒だ。これなら奴の消化液でも溶けないだろう。」
俺の身を心配しながらも、ウルフは俺にウツボカズラのような形状の水筒を差し出して来た。
500mlのペットボトルと同じサイズのその水筒は、掴むとゴムのようにしなった。
「竿留氏、頑張ってくされ!」
ドクトリナはファンタジー世界の生物なので胎芽の<現想の境界>でも攻撃を防げそうな気がした。
しかし胎芽は木の裏から俺を応援するだけで、全く手伝おうとしなかった。
はぁとため息をついてから、俺はドクトリナに近づいた。
正直に言えば、俺だって怖い。
<境界>が機能しなければ、死ぬ可能性だってあるのだ。
だが、この世界で生きていくためにも勇気を出さないわけにはいかなかった。
ウルフや胎芽とやり取りをしている間に鳥の消化は終わったようで、ドクトリナの本体はいつの間にか地面に擬態をしていた。
俺が近づくと、蔓は動くのをピタリと止め、間抜けな獲物が罠にかかるのをじっと待っている。
ドクトリナの潜んでいる場所のほぼ中央にまで足を運んだ時、2枚貝のような葉が再び閉まり始めた。
(あれ?これ、暗くね?)
忘れ物をしたことに気づいた時には時すでに遅く、俺は真っ暗な闇の中に閉じ込められてしまった。
「大輔。大丈夫か!?」
ウルフの心配する声が暗闇の奥から聞こえた。
それと同時にヌルヌルしたものが、姿勢を保つために支えを探した指先に触れた。
「大丈夫です!溶けてません!ただ、灯(あかり)が必要なことを忘れていたので、ちょっと手間取りそうです。」
「すまない、失念していた。人間は夜目がきかないんだったな。採集できたら教えてくれ。そこから出してやる。」
ありがとうございますと礼を言いつつ、俺は手探りで水筒の中に消化液を入れ始めた。
<境界>のおかげで体が溶けないことがわかると、後はめんどくさい作業だけが残った。
例えるなら目をつむったまま床にこぼした洗剤を入れなおすような、そんな感じだ。
水筒の中に指を入れた感触から満杯近くまで消化液が入れられたことがわかると、俺はウルフに出してくれと合図を出した。
相図を出してすぐに、自分の体が落下するような浮遊感を感じた。
どうやらウルフがドクトリナの捕虫器と茎の間の部分を切断してくれたらしい。
さらにしばらく待っていると、日の光が暗闇の中に差し込んだ。
「怪我はないか?」
差し出された手を掴むのを俺はためらった。
ウルフのことを唐突に嫌いになったというわけではなく、手にベトベトした感触がまだ残っていたからだ。
ウルフはそんなことはお構いなしとばかりに俺の手を引っ張ろうとする。
その行動に俺は慌てふためいた。
幸いなことに、<境界>の内側にウルフの手が触れたので、彼の体が傷つくことはなかった。
「体も服も傷一つ無しか。一体どんな樹法を用いたんだ?」
「異世界の……魔法、いや、超能力みたいなものです。」
「竜の呪いを解いたものと同じか。」
「ですです。ただ、この能力に目覚めたのは最近のことなので、正直私達にも何ができて何ができないのかが把握できていません。」
「小生と竿留氏、それから一ノ瀬氏も、それぞれできることが微妙に違うでありまする。だから今回、小生は隠れていたでござるよ。」
「ほう?怖がっていたわけじゃないんだな?」
「怖がってただなんてそんな。竿留氏~。人聞きの悪いことを仰らないでくだされ。」
「そうか、そういうことなら……疑って悪かった。」
「うぐっ、心が痛いでござる。」
「やっぱ、怖かったんだな。」
「と、ところで、竿留氏が採集した素材はいくらぐらいで売れるでござるか?」
胎芽が話題をそらした時、俺は別のことに少し気をとられた。
いつの間にか、体中についていた消化液が綺麗さっぱり消え去っていたのだ。
どうやらこの消化液は揮発性が高いらしい。
野生動物が食われている間に首を落とせば採集は容易ではないか。
とも思ったが、そういうわけにはいかなそうだった。
「聞いて驚くなよ。……コイツを売れば、金貨1枚にはなるだろう!」
俺が考え事をしている間に、胎芽の質問にウルフが答えていた。
立てた人差し指を俺達の眼前につきつけた男は、心なしかいつもよりもテンションが高い気がする。
「金貨1枚。というのは、どれくらいの価値なので?小生らは異世界人ゆえ、詳しく教えていただきたく。」
みんなで喜びを分かち合いたかったのか、ウルフは胎芽の返答にガクッと肩を落とした。
それからしばらく考え込んだ後に、こんなことを俺達に提案してきた。
「……なら、このまま村に行くか。」
商材を手に入れるまでは村に行く必要など無いと考えていたが、売れる商品があるというのであれば話は別である。
実際に商品を見ることができれば物価もわかり、この世界のことを知ることができるだろう。
ネックである移動時間も今日覚えたばかりの移動方法を使えば短縮できそうな気がした。
「行ってみるか?」
胎芽に尋ねてみると、胎芽のテンションが一気に上昇した。
「是非に!」
水を差すのが嫌だったのであえて指摘はしなかったが、胎芽は明らかに昨日の話を忘れているように見えた。
これから行くのは人間嫌いの獣人達が住まう村である。
期待をしすぎると落胆した時の落差が怖いので、俺は胎芽のように楽観的にはなれなかった。
「決まりだな。獲物を家に置いたら出発するとしよう。」
ウルフに従い、俺達はひとまずコールドウッドの森から家に戻った。
一ノ瀬とルナに村に行くことを伝えると、二人はごねることなく素直に見送ってくれた。
怪我をしている一ノ瀬はともかく、ルナの反応は正直意外だった。
てっきり兄について行きたいと言い出すと思ったからだ。
半日かかるのが面倒なのか、村に行くのに抵抗があるのか。
ルンルン希望の胎芽とは違い、俺は警戒を強めていた。
ベトゥリンの村までは半日かかるという話だったが、狩りの際に覚えた移動手段を使うことで、1時間もかからずに村に辿り着くことができた。
空中を飛べる胎芽はそれほど疲れていないようだったが、俺はマラソンをした時のように汗だくになっていた。
跳躍することで距離を稼げたとはいえ、遠くに飛ぼうとすればそれだけ助走がいる。
1時間もそんなことを繰り返していれば流石に息もきれた。
「よお、兄弟。人間が二人いるんだが、中に入れてもらえるか?」
俺が息を整えている間に、見張りの獣人にウルフは声をかけていた。
兄弟と呼んではいたが、ウルフとは違い鹿のような見た目をしている。
「ウルフじゃねーか!おまえ、傷はどうしたんだよ。お前も竜の呪いを食らってただろう?」
「あー……一晩寝たら治った。」
「すげーな。村の戦士達は全員寝込んでるんだぜ?」
「村長も駄目そうなのか?」
「親父もまだ寝込んでる。」
「そうか。早く良くなるといいな。」
「ああ。ありがとな、兄弟。」
「で、通っていいのか?」
「人間か……しかも、ハーフですらない。」
見張りをしている獣人が鼻を引くつかせるのが見えた。
どうやら俺達の匂いを嗅いでいるらしい。
正直いまはめちゃんこ汗くちゃいので辞めて欲しかった。
「母方の親戚なんだ。ルナの顔を見に来てくれてな。」
「随分と立派な身なりだが貴族か何かなのか?」
俺達は昨日から海峡学園の学生服を着ていた。
学ランではなくネクタイもつけるスクールブレザーなので、見方によっては貴族の正装に見えるかもしれない。
「詮索はやめてくれ。彼らに迷惑をかけたくない。」
「まあ、いいだろう。人間嫌いの奴らは皆寝込んでるから、いつもよりは騒ぎにはなんねえだろうしな。」
「助かる。入るぞ、二人とも。俺から離れるなよ。」
ウルフについて村の中に入ろうとした時、俺は獣人にぺこりと頭を下げた。
日本人なら癖でやってしまう所作だが、獣人は興味がないと言わんばかりに俺に一度も視線を向けなかった。
村と呼ばれていたことから小さな集落を想像していたが、動物の侵入を防ぐための堀や壁があったりと割と大きな共同体のようだった。
雑草の生い茂る庭付きの民家が、村の入口からぽつりぽつりと不規則に建てられている。
時折その庭先で、鍛冶仕事をしている職人や肉や野菜を売っている農民と出会うことができた。
出会うといっても彼らは俺達を一瞥すると、すぐさま視線をそらした。
そして、ウルフと話したそうに彼の様子を伺っていた。
言語が通じることからもしやと思ったが、俺達は村人が書いた文字を読むことができた。
パンは銅貨5枚、肉は鳥の胸肉が100gあたり銅貨1枚から2枚ぐらいの金額だった。
スーパーなどで購入できる鳥の胸肉も産地や品種によって金額が違う。
記憶が正しければ100gあたり100円から200円前後なので、銅貨は恐らく1枚で100円ぐらいのレートになりそうだなと俺は思った。
パンが高いのは、この世界は農耕よりも狩りが主流だからなのかもしれない。
ちょっと森に行けば獲物がたくさんいるような土地なので、みんな畑を耕したりはしないのだろう。
ちなみに、野菜を売っている獣人は兎や栗鼠(りす)のような草食動物っぽい見た目の人だった。
村の中を歩く道すがら、ウルフはこの世界の貨幣について話をしてくれた。
貨幣は全部で7種類。
青銅貨、銅貨、銀貨、金貨、大金貨、白金貨、宝金貨というものがあるそうだ。
青銅貨が100枚で銅貨1枚、銅貨100枚で銀貨1枚という具合に、貨幣の価値は100倍刻みで上昇していくらしい。
つまり金貨1枚は青銅貨100万枚ということになるのだが、何故そんな金額であの消化液が売れるのか謎のままだった。
通貨や相場について教わりながら村の中を歩いていると、ウルフがようやく一軒の民家の敷地の中に入った。
看板も無ければ出店をしている人もいないため、この家の主人がどんな人間なのか俺には想像ができなかった。
ウルフが扉をノックする。
すると、家の中からこんな声がした。
「竜の呪いは私では解けません。お引き取りください!」
その声からは何故か苛立ちのようなものが感じられた。
やってくる訪問者たちに何度も何度もしつこく同じやり取りをさせられたのかもしれない。
「ネルヴァ、俺だ。開けてくれ。」
ウルフが声を張り上げると、すんなりと扉が開かれた。
家の名から出てきたのは梟によく似た獣人だった。
270度回転する顔も不気味だったが、腕から羽根が生えているのが気になった。
胸筋もやけに発達しているので、もしかするとこの獣人は空を飛べるのかもしれない。
「ウルフ……呪いは……解けたのですか……?」
ネルヴァと呼ばれた獣人は目を丸くしてウルフの容態を確認しようと近づいた。
ウルフは何も言わずにネルヴァに傷跡を見せている。
「竿留氏……。ネルヴァというのは……。」
「ああ、昨日ルナの話に出てきた奴だな。」
「本のこと。踏み込んで尋ねようと思うのですが、竿留氏はどうされます?」
「うーん、俺はまだ様子見かなぁ。今はとにかく生活基盤を固めたい。」
「では、質問は銭(ゼニ)をいただいてからすることにしましょう。それなら問題ありますまい?」
検診を受けているウルフの背後で、俺達はヒソヒソと方針を固めていた。
悪魔と言う存在が物語の中でしか知られていない世界で、どうやって悪魔を召喚する本を手に入れたのか。
悪魔との契約には代償が必要だと知っていたのか。
その2点を俺達は気にしていた。
「体は大丈夫そうですね。今日はどうしてこちらに?」
「ドクトリナの消化液を売りにきた。いくらでこいつを買い取ってくれる?」
「病み上がりなのに無茶をされますね……その量であれば、金貨1枚と銀貨50枚で買い取りましょう。」
「ありがたい。……なあ、ダイスケ。提案なんだが、銀貨を使って服やら日用品やらを買ったらどうだ?ここなら大抵のものは全部揃うぞ。」
「全部というのは大袈裟ですよ。ここはドルイドの店ですので、自然の恵みを加工した商品しか取り扱っていません。」
「ルナ氏は貴方を医者だと言っておりましたが、雑貨屋も営んでおられるのですか?」
「薬草を煎じた薬も取り扱っているので、医者と言えるかもしれませんが、どちらかというと薬剤師が近いかと。」
「なるほど。ただの雑貨屋ではなく、ドラッグストアの類(たぐい)でしたか。」
「ネルヴァさん。商品を見せてもらえますか?」
「もちろんです。服はお二人だけでよろしいですか?」
「もう一人大きいのがいるんでな。俺と同じぐらいのサイズのものを頼む。下着と靴下も一式全部欲しい。」
「わかりました。ご用意しましょう。中にお入りください。」
ネルヴァの許可を得た俺達は家の中にお邪魔することになった。
普通の民家なら玄関のすぐ近くに廊下があるものだが、ここは扉をくぐるとすぐに調合された薬やハーブなどの植木鉢が並ぶテナントがある。
「貴方の家も見ない間に随分と賑やかになったのですね。」
服のサイズを調べる為に採寸を始めたネルヴァが世間話を始めた。
当たり障りの無い話の切り出し方にも聞こえたが、俺は見ない間にという言葉に含みを感じた。
「そうだな。昨日から凄い賑やかだ。」
「私も昨日診察に行ったのですがお二人にはお会いできなかったので、私が帰った後にお二人、いや、お三方はいらっしゃったんですね。」
そうなるなとウルフが気の無い返事を返したので、ネルヴァはそうですかと作業に戻った。
考えすぎかもしれないが、ネルヴァは俺達のことを悪魔だと疑っているような気がした。
「そういうお前はどうして店を閉めていたんだ?」
「竜の呪いのせいですよ。私では治せないと何度も説明しているのに、村の方々は耳を傾けてくださらない。」
「あー……なんで治せないのか。俺にも説明してもらえるか?」
「もちろん構いませんよ。ただし2回は言いませんからね。」
「わかってるわかってる。」
「竜は本来この世界にはいない存在です。そのため、この世界とは別の法則を彼らは持っています。その法則がわからない限り、対処しようがありません。」
「この世界にいない生き物がどうしてこの世界にいるのでしょう?」
思わず話に割り込んでしまったが、ネルヴァは特に嫌な顔をせずに質問に答えてくれた。
「十中八九ダンジョンのせいですね。あの場所では時折、異世界の住人と出会うことがあります。その戦利品に子供のドラゴンでもいたのでしょう。」
「ペットにしようとしたのはいいものの、大きくなりすぎて山に捨てた感じでしょうか。」
「日本でも良く聞く話でござるな。外来種を野に放つのはご法度でござるよ。」
「……日本と言うのは、あなた方の国の名前でしょうか。聞いた事の無い名前です。」
「出自についての詮索はどうかご容赦を。つい口を滑らせてしまいました。」
「お気になさらずに。人間が獣人相手に警戒するのは当然のことですから。」
「そう言えば俺達がやられた後に、誰か助けを求めに行った奴はいるのか?また竜が来た時にエラポスが見張りじゃ頼りないだろ。」
「アルゲディがシルバーバーチへ向かいました。モイラと一緒にね。」
「モイラと?」
「ええ、モイラとです。」
「あの……モイラというのは?」
「野心家な獣人です。彼女は人の上に立つことばかり考えている。」
3人分の採寸を終えたネルヴァが、頼んでいた服を見繕って机の上に並べ始めた。
日用品と普段着、それから、それらを入れる巾着袋を合わせて、代金は銀貨20枚だった。
普段着にいたっては3人分をそれぞれ5着ずつ買ったのにこの値段である。
安いと言いたいところだが、学生が普通にアルバイトをして20万を稼ぐのは大変なので、あの食虫植物とエンカウントさせてくれた神様に思わず感謝してしまった。
学費を稼がないといけない日比谷先輩ほどではないが、俺の家も裕福ではなかったのでPCを買うために土日はアルバイトをしたものだ。
学業との両立はとても大変だったので、働くことの大変さはある程度わかっているつもりだった。
「ところでウルフ……あなたの妹は元気ですか?」
取引を終え、商品を手渡した時、ネルヴァは更に踏み込んだ発言をした。
俺が胎芽に目配せすると、こくりと彼は頷いた。
「何か変わったことはありませんか?いつもと違う匂いだったり、雰囲気が違ったり。」
「何が言いたいんだ?」
ネルヴァからもらった本が原因で、大ムカデが召喚され、自分の家の2階が壊れた。
俺達と同じようにルナからその話は聞いているものの、ネルヴァの言わんとしていることがウルフにはわからないようだった。
ウルフ視点で考えてみると、自分の傷を治したのは悪魔では無く俺達だった。
だからルナが対価を求められるとは考えが至らないのだろう。
そもそも、自分の家を壊したのが誰なのかと言う話も忘れている気がする。
そうでなければ、ネルヴァに真っ先に問いただしていたはずだ。
「……そう言えば、ルナ氏は本から何か出て来たと言っておりましたな。」
事前の打ち合わせ通り、胎芽がそれとなく探りを入れ始めた。
「何が出たと言っていましたか!?」
演技にしては迫真過ぎる驚き様に、俺と胎芽は顔を見合わせた。
悪魔について何か知っているような口ぶりだが、この反応はルナのことを心配したのだろうか?
それなら良いのだが、何かを期待しているようにも見えなくはない。
「大きなムカデが出てきて、家の屋根を壊したとルナは言っていたな。」
「……ムカデ以外に何かいませんでしたか。例えばおとぎ話に出て来る悪魔は?」
「まるで悪魔が出て来ると確信しているような言い草だな。」
「ええ、確信しています。あの本は願いを叶える書物という、悪魔を召喚するための本だからです。」
話の流れが俺達にとって都合の悪い方向に流れているような気がした。
胎芽はまだその流れに気づいていないようなので、俺がすかさずツッコミを入れる。
「仮にその本が悪魔を呼ぶものだったとして、貴方は何故そんなものをルナに渡したのでしょう?家が壊れただけですんだからいいものの、本物の悪魔が召喚されていたら、ルナが対価を要求されていたのでは?」
俺達が悪魔ではないことをウルフに強調する為に、俺はあえてこんな言い回しをした。
しつこいように思われるかもしれないが、ウルフと交流を続ける為にも、これは言い続けなければならない。
百歩譲ってウルフが悪魔とあったことがあるなら別だが、悪魔を召喚する本から出てきた生物が、悪魔ではないことを証明することは難しいからだ。
「家が壊れてしまったことについては謝罪します。ですが、ウルフを救うためにはそれしか方法がありませんでした。」
この返答によって俺達は悪魔との取引には対価が必要だとネルヴァが知っていることがわかった。
「本はまだあるんですか?他の人に渡したりとかは?」
「あの本は私が開拓者だった時にダンジョンで手に入れたものです。他はありません。できることなら返していただきたいのですが、お返しいただけますか?」
本は俺達のものではないので、この返答は俺にはできなかった。
しかし、何故返して欲しいのか、その理由は聞いておきたかった。
「本を返すことに反対はしない。そんな怪しげな物を家に置いとけないからだ。だが……本を返えせば、お前は他の奴らにも本を渡すよな?」
「……。」
ウルフの問いにネルヴァはしばらく答えなかった。
そして自分の考え抜いた後に、自分の考えを口にした。
「もちろん、他の方にも本を渡すつもりです。」
「……もう1つ聞かせてくれ。」
「なんでしょう?」
「ルナで安全確認をしたわけではないんだよな?」
「……もちろんです。」
これは流石に嘘だろうとネルヴァの返答に俺は呆れてしまった。
子供だけで悪魔と取引をさせようとするなど正気を疑ってしまう。
「なら……、いい。本は返そう。」
ウルフも納得していないようだったが、結局は彼の言葉を信じる選択したようだった。
それに対して納得できないと胎芽が抗議の声をあげる。
「ウルフ氏。本当によろしいので?ルナ氏が無事だったのは小生らを召喚したからで、悪魔を召喚したからではありませんぞ?」
「そうかもしれないが、自分は助かったのに他の者にチャンスを与えないのはフェアだとは思えない。」
「……ウルフ。くどいようだが俺からも確認をさせて欲しい。例えば、お前の傷を癒すのにルナが死ぬ可能性があったとしても、お前は他の奴らにチャンスを与えたいと思えるのか?」
「それを選ぶのは本を使う者達だと俺は思う。もちろん、ルナが死んでいたら俺はネルヴァを許さないだろう。だが、ルナにその覚悟があったのなら受け入れるしかない。」
「そうか……。そういう考えであればこれ以上は何も言うまい。存外、いい取引になる可能性も無いとは言えないしな。」
「流石にそれは楽観視しすぎでござるよ。20名のクラスメイトが1人の教師の願いのために異世界に転移したんですぞ?」
「まあ、今の話を聞いた感じだと、ウルフは何があっても後から後悔しなさそうだから俺は良いかなと。実際、竜の呪いを解かないと死にそうな人もいるわけだし、助かる方法があるのならそれにすがるのもありなんじゃないかな。」
「それは、そうですが……。」
最終的にウルフの決定を尊重する形で話はまとまった。
結果論ではあるがネルヴァが本を渡したことによってウルフは助かったので、彼がドルイドを攻めることは無かった。
なんだか暗い雰囲気になってしまったので、その雰囲気を払拭するために俺はある提案をすることにした。
「あの、お金がだいぶ余ったので、ルナにも何か買っていきませんか?ウルフさんもよろしければ、お酒とか好きなものを1つ買ってください。おごりますよ!」
「竿留氏~。小生は?」
「はあ!?俺達は服とか散々買っただろ。」
「あれは日用品でありますれば!」
「何が欲しいんだ?」
「このドルイドの入門書が気になっております。」
「しょうがないな~。すみません、これください。」
ここまで茶番劇を演じたおかげで、ようやく張りつめていた空気が弛緩した気がした。
ウルフでさえもフッと笑みを浮かべ、ルナへ送るお土産を探し始める。
「そういうことなら遠慮なく、その好意に甘えさせてもらおう。」
この選択によって、今後この村に何が起こるのか、今の俺達にはわかるはずもなかった。
ゲームであればセーブをしたり攻略本を見たりして、バッドエンドを回避することもできただろう。
しかし現実世界では、未来視でもない限りそんなことはできない。
もし悪いことが起こっても、それを教訓にしよう。
そう、俺は思った。
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