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第三章「天の国の御伽噺。」
01
しおりを挟む陽の光に目を細めて、彼女はぐぐっと体を伸ばした。
今日もそれは順調に動いている。とくにメンテナンスの必要はなさそうだ。
彼女こそまぎれもなくその陽の光を司る太陽神であり、その機能をつかさどるものだった。
「うん、今日も平和ね。あの子たちはうまくやっているかしら」
ここは本来、下界たるひとの国を管理する場所である。
住まう神たちの多くは、彼女が思い浮かべる者たちを知らない。
ここをつくって間もなく姿を消し、人知れず西洋の異郷を真似て世界が作られていたこと。
そこに住まう者は『悪魔』と呼称され、存在を知る神らからは『魔界』と呼ばれている世界があることを。
(ふふ。たまに顔がみたくなるのよね。かわいい子たちだから)
以前、彼女はその『魔界』へ降りてみたことがある。
その時に、大変愉快な四人組と知り合った。
一人は銀髪に、銀の目。
一人は銀髪に、深青の目。
一人は赤髪に、赤の目。
一人は金髪に、赤の目。
幼馴染だという彼らは、迷子のふりをした彼女にも優しかった。
優しくて、勇ましくて、強かった。
そんな彼らのうち一人が、二人の女の子を連れてここにきたのはいつの話だったか。
(きっと元気にやってる。大丈夫よ、強いもの)
ボロボロの彼女を見たときは心臓が止まるかと思ったものだ。
彼女が連れてきたのは、あの銀髪の死神の妹だという二人だった。
二人ともとてもいい子で、彼女の仕事の手伝いをよくしてくれたものだ。
「あら」
ふと、遠くの空が青く光るのを見た。
普段、この国にそのような異変はない。
そうして何より、その青い光には、どこか見覚えがある気がした。
「ちょっと出てくるわね」
「え、ちょっと! 主様!?」
持っていた書類の束を通りかかった侍女に放る。
ちょっとー! という甲高い声を背後に、彼女は光の方へ向かって走りだしていた。
妙な胸騒ぎがしていた。よくないことの前触れのような、よいことの前触れのような。
***
「落ちてる! これ、落ちてるよねえ! ちょっと、デス!?」
ハイゼットは涙目だった。
慌てて術を起動した張本人であるデスを見る。
しかし、彼から応答はない。飛べるはずの彼は、瞼を閉じてぐったりとしている。
(やっぱりしんどかったんだ)
ぐ、と彼の体を抱き寄せる。
筋肉質で頼りがいのあるそれには、ほとんど力が入っていない。
(ファイナルは飛べない、残る三人は飛べたとしても、だれかを抱えるのはきっと無理だ)
ぐっと口を一の字に引き締める。
ファイナルと、デスの二人を抱えて飛ぶ。飛べなくとも減速はできるかもしれない。
だが衝撃までは押し殺せそうにない。
(できれば安全に着地してあげたいところなんだけど)
ふと、ファイナルと目があった。
彼女の視線が、下へとそれる。
何だろうと視線をそらすと、そこに。
「そのままー! そのまま、ここに、おちなさーい!」
着物をきた、女性が立っていた。
彼女はこちらを仰ぎ、大声でハイゼットたちへ向けて叫んでいる。
「そ、そのままっていったって」
「いや大丈夫だ。このまま落ちよう」
「ほ、ほんとに?」
ハイゼットがさすがに怖気づくと、彼の手を無理矢理、ファイナルがぎゅっと握った。
「大丈夫。信じてくれ」
「……うん!」
ぎゅ、とデスを強く抱きしめる。
傷から出血はもうさほどしていないが、どちらにしろ早く治療を施した方がいい。
「フェニックス、エターナルを。ゼノンは俺につかまってくれ」
「ええ、お任せを」
「はいはーい」
もうすでに地上は近い。
迫ってくる地面は、かなりの恐怖だ。
ぎゅっと、ファイナルの手を握るそれにも思わず力が入った。
「いくわよ──、現れ出でよ『包み込むもの』! その白き体を、わが前に!」
着物の女は、ぐっと地面に手を付ける。
そのとたんに、『ぼふん』というユニークな擬音。
それから真っ白な煙があふれ出た。
(落ちる!)
──ぼふっ。
柔らかい衝撃に、ハイゼットはポカン、とした。
とっさに自分の体を下にしたが、その必要すらなかった。
何か、真っ白で柔らかいものに包まれている。
(まぶしい)
明るい、と思った。
頭上に何か強い光が存在している。
「ど派手な登場ね。ちょっとひやひやしたわよ」
ハッとして顔を声の方に向ける。
黒髪を頭の上で団子にしている女性が、ハイゼットらに手を差し伸べていた。
「ようこそ、天の国、いいえ、高天原へ」
呆けたままのハイゼットを。
気絶したままのデスを。
目に傷の入ったファイナルを。
少し疲れたようにやつれているフェニックスとエターナルを。
きょとんとしているゼノンを。
彼らをみて、彼女はくすりと笑う。
「今度は何をやらかしてきたのかしら」
ハイゼットは目を細めた。
彼女の存在は、あまりに眩しかった。
本当に、太陽と見間違うほどに。
彼女、アマテラスに連れられて、ハイゼットらは彼女の屋敷だという建物まで案内されていた。
魔界では目にかかることのない、朱色に塗られた木造の建物にハイゼットは目を奪われた。
屋敷の中にはたくさんの着物の女性がせわしなく動いている。
「ここが、ファイナルたちのいたところ?」
「そうだ」
魔界のような赤い空も。黒い雲も、ここにはない。
あるのはただ透き通ったような青空と、白い雲だけだ。
「正式には逃げ込んできた場所でしょう」
ぴしゃりと二人の会話に割ってはいると、アマテラスはハイゼットに抱えられたままのデスを覗き込んだ。
「デスがそんなになるなんて、びっくりだわ」
「……やっぱり、あの、俺とも知り合い……?」
「ええ。もちろん。私を助けてくれたのは、ほかでもない貴方だったし」
にこりと微笑むと、アマテラスは再び前を向く。
それからファイナルから預かった小さな箱を開けた。
そこから、丸い宝石を取り出して、天井に透かす。
「けったいなことをする子がいるのねえ、魔界って。記憶なくしたくらいで、こいつがどうにかなるわけないのに」
ため息をついてアマテラスがつぶやくと、
「全くです」
と、ファイナルが。
「ええ」
と、フェニックスが。
「その通り」
と、エターナルが。
「わかる~」
と、ゼノンが。
それぞれに同意を示したので、ハイゼットはむぐっと言葉をつぐんだ。
(侮られてるのか、褒められてるのか)
微妙なラインだ、と彼は思った。
しかし口に出せば五名の女性陣から反撃をくらいそうなことは彼でもわかることだ。
デスという唯一の味方が起きるまでは、大人しくしておこう。彼はそう心に決めた。
「貴女でどうにかできますか」
ファイナルが少し小走りになって、アマテラスの隣に並ぶ。
すると、
「もう」
とアマテラスは少し唇を尖らせた。
「昔みたいにタメ口でいいわよっていったのに」
「そうはいきません。少し前まで貴女の護衛でしたし」
「もう。お堅いんだから」
ぺし、とアマテラスはファイナルの額をはじく。
(なんだろう。この、場違いな感じは)
なんだか肩身がせまくなって、ハイゼットはデスの顔を見た。
彼のために調合した毒だ、とゴルトはいった。
つまりハイゼットが防げない攻撃を、デスが『必ず』かばうことを計算していた、ということだ。
「……なんだ、人の顔じろじろ見やがって」
「! デス、気が付いたの?」
不意に放たれた言葉に、ハイゼットはパア、と顔を明るくした。
ぴたりとアマテラスの足も止まる。
「あら。一番無茶したやつが起きたわね」
毒にやられたってきいてたけど。と、アマテラスがデスの額に手を伸ばす。
「そんなもんで死ねたら苦労してねえっての……」
そうしてその手を、デスはパシッと払った。
しかし今だ、体にはあまり力が入っていない。
ハイゼットに抱えられてやっと歩ける程度である。
「その元気があるなら大丈夫そうね。とりあえず私の部屋で休んでいきなさいな」
ちょっとー、とアマテラスが侍女を呼ぶ。
ぱたぱたとあっという間に侍女たちが駆け寄ってきた。
「……デス」
「あー、何も言うな。今はいい。反省なら後で聞いてやる」
一蹴である。
「アマテラス! こいつの記憶の件だが──」
「きいてるわ。施術なら私でも施せる。貴方は何の心配もせず寝てなさい」
こちらも一蹴である。
「それじゃ、ここでデスたちは待ってて。ハイゼットは私と来なさい」
「う、うん」
少し戸惑った顔を浮かべて、ハイゼットはアマテラスの後に続いた。
デスたちの部屋が、みるみるうちに遠ざかっていく。
(あ……)
思えば、彼らと離れるのは久しぶりだ。
とくに、デスとは起きているときは大体一緒だった。
「厄介な奴に呪われたものね。私が解除できるからいいものの、貴方、少しは用心しなさいよ」
「うぐ」
「貴方に何かあれば、デスは黙ってられないし、ファイナルも動かずにはいられないの」
「うぐぐ」
「二人に笑っていてほしいなら、まず自分の身を守れるようになること。それが第一だわ」
「……はあい」
しょんぼりと肩を落として、ハイゼットは頷いた。
それは自覚していることだ。
誰も傷つけたくない、というのも。
誰にも傷ついてほしくない、というのも、
まずは自分が強くなければ、何もなしえない、ということに。
「貴方への施術が終わったら、そうね、魔界の成り立ちについて話をしてあげましょう。そうすることで、もしかしたら貴方たちの助けになるかもしれない」
「魔界の、成り立ち?」
「ええ。貴方が昔成し遂げるっていってたことには、必要不可欠のはずよ」
二人がたどり着いたのは、少し暗い部屋だった。
中央には不可思議な線がたくさん蔓延っていて、天井には赤い線がいくつもひかれている。
そうして、部屋の奥には大きな鏡が置かれていた。
「始めましょう。貴方の記憶を、取り戻す旅を」
アマテラスは鏡の前に立つと、にこりと微笑んだ。
手に持っていた宝石を、鏡の中へと投げ入れる。
ハイゼットはその光景を、部屋の真ん中で見つめていた。
不思議なことに、鏡から目が離せなかった。
鏡に映った、自分から、目が離せなかった。
「天から愛された子に、愛されて生まれ落ちた子」
鏡が光る。
その輝きに、視界が徐々に奪われていく。
「天の鏡は、彼の生きざまを映し出す。失われたものを、映し出す。──さあ、ごらんなさい」
ハイゼットは目を見開いた。
そこに、映っていたのは自分ではない。
見たことがないのに、確かな確証を持って、『そう』だと思える姿がある。
「父さん……!」
銀髪に、銀の目。
彼と同じものを持ち、穏やかに微笑む悪魔が、そこに映されていた。
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