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第六章「暴力と快楽と信仰。」
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しおりを挟む──信仰は自由だ。
たとえどの神を信仰しようと、それが悪魔であろうと、人間たちには『それ』が許されている。
ゲヘナにおける黒い太陽と、そう信仰されたのはずいぶんと前だが──それよりも前は、確か、自分は善なる者だった。
人間に勝手に『悪魔』とされ、『魔王』とされ、そう崇められるようになってから、供物がささげられるようになった。
自分だけに捧げられた供物だ。
それは多種多様なもので、彼を信仰していた民が滅びる間際には、よく子供が届けられた。
子供の叫びは、彼にとって格別なものだった。
彼らの恐怖や絶望に満ちた泣き声は、それまでの希望が濃ければ濃いほど、快楽を覚えた。
もっとも、それも長くは続かず。
民は滅ぼされ、信仰は途絶え、今となっては名だけが知られた魔王だったもの、だ。
「……はっ」
地面に背をつけて、空を仰ぐ。
いつか見た青い空はそこにはない。
今目の前にあるのは赤と黒のおどろおどろしいコントラストの空だけだ。
「強ぇなあ、死神……」
「……そりゃどうも」
すぐ傍で声がした。
傍らで、死神は煙草に火をつけるところだった。
「普通、素手で大鎌折るかよ。あんた、本当にここの生まれか?」
倒れた彼のすぐ傍には、同じく、彼の手にしていた大鎌が寝ている。
柄の部分が半分に折られ短くなり、刃にはヒビが入っていた。
「当然だろ。ま、他よりちいとばかり頑丈に作られてるだけだよ」
「はは……、知ってるぜ、ちーと、とかいうんだろ」
久しぶりにいい気分だった。
子供の悲鳴をきくよりも、ずっと。
「いーなあ……あいつの口車にのってここにきてよかった。楽しいことしかねえわ」
「そうかよ」
白い煙が視界にかかった。
死神が吐き出した煙だ。
アルシエルはがばっと起き上がって、手を差し出した。
「それ、一本くれや。人間どもが吸ってんのはよくみてたけど、吸ったことねえんだわ」
「ン」
「うまいのか、これ?」
「さあな。俺はもう癖で吸ってるようなモンだ」
灰色のソレをつまんで、じっとみていたアルシエルに、デスはライターを差し出した。
ぼしゅ、と音を立てて灰色の先端が燃える。
アルシエルは、それを見よう見まねで咥えた。
息をそっと吸い込むと、口いっぱいに苦い味が広がった。
「うえ」
そうしてすぐに吐き出した。
初めて感じる苦みだ。
「にっが! あんた、まじか!」
「甘いよりマシだろ」
「いいや、甘い方がいいだろ!」
先ほどまで殺し合いをしていた形相は、もはや双方どちらにも見られなかった。
彼らの周辺にはいくつかクレーターが出来上がっていて、町の住民はこちらをじろじろと見ていたが、それも彼らどちらかが視線を送るとわっと逃げ出した。
「疲れた。帰って寝るわ」
「おう。俺も馬鹿迎えにいくわ」
ぐりぐりと地面でまだ半分ほど残っている煙草を消すと、デスも立ち上がった。
その所作を見て、アルシエルは小首を傾げた。
「それ、まだ吸えるだろ。いいのかよ」
「吸ってるとうるせえやつがいるんだよ。だからいいんだ」
「ふーん。それってどいつ? どうせさっきの中にいたんだろ」
「銀髪のヤツ。お前がヘタレっていってた帝王だよ」
「へー。あんた、そいつの恋人か何かなのか? ずいぶん尻に敷かれてんだな」
「……そんなんじゃねえよ」
吐き捨てるように呟いて、デスはため息をついた。
尻に敷かれてるのは、ずいぶんと昔からだ。
幼い頃に、彼を拒み切れなかったあの日から、こうなることはきっと運命だった。
「あの帝王もあんたくらい強いなら、逃がさないでやりあっておけばよかったなー、あー、失敗した」
「そもそもお前、アルマロスから何か言われて俺ら探してたんじゃねえのかよ」
「え? ……あっ」
ここでようやく、アルシエルはアルマロスから頼まれていたことを思い出した。
彼らとの交戦。城に連れ帰るのは赤い髪一人だけで、他は足止めをする。
そのへんうまくやってね、と言われていたことを、今、ハッキリと思い出し、「ま、いっか」と地を蹴った。
***
執務室に戻ったアルマロスは、応接ソファに座る帝王を見つめた。
彼は少し落ち着かなさそうに、赤い髪の女とぴったり寄り添って座っている。
(彼女が『終焉』。眠らなければそのうち、世界を終わりに導くもの)
ゴルトはすでに帝王への興味・関心が薄れているようだった。
今周囲に出しているお達しは、『魔界を救うために終焉を始末する』というものだけだ。
それもどれほどの効力があるお達しかはわからない。
もとより帝王がいなくなったあの城は烏合の衆と化していて、そこには忠誠心の欠片もない。
──今の、この北魔界と同じだ。
ゴルトの口車にのって魔王という地位を得たが、だからといって無条件に部下が従うかといえばそうではない。
(正直、魔界がどうとか、飽きてきたし)
黒い影がゴルトの固有魔法だということは知っている。
そうしてその影に、ゴルト自身が命令を下せることも。
下された命令に、黒い影は忠実だということも。
「ハイゼットくんは、そこのカノジョが『終焉』だって知ってるんだよね?」
「え? あ、うん」
不意に問いかけられて、ハイゼットは少し戸惑いながら頷いた。
対照的に、居心地が悪そうに、ファイナルは視線を逸らす。
「じゃあ、どうして始末しないわけ? それともキミも、彼女を使って魔界を更地に派ってこと?」
「ううん、違うよ」
ハイゼットの目から、戸惑いが消える。
それが少し面白くて、アルマロスは言葉をつづけた。
「でも彼女をなんとかしないと、魔界が終わるってのはわかってるんでしょ?」
こくり。これもしっかりと頷く。
「何もしなかったら、魔界、終わっちゃうんだよ?」
彼はその目で二度ほど、魔界の終わりをみた。
空が黒に染まり、地が裂け、底の方から暗闇が押し寄せてくるのだ。
あらゆる存在はそこに飲まれ、分解され、また更地となった世界へ降り注ぐ。
巻き込まれないで済むのは、ここからその前に逃げたものだけ。
逃げるすべを、持っているものだけだ。
「ちゃんと、どうにかするよ」
「どうにかって?」
「方法は、まだわかんないけど。でも、ファイナルは殺させない。死なせない。俺の奥さんになるので」
「……はい?」
アルマロスは呆然とした。
ファイナルの頬は赤く染まり、なおのこと視線は地へ落ちている。
「俺の奥さんになるから、ファイナルは死なせない。もしファイナルがどうにかなっちゃっても、俺が必ず止めて見せる」
「止めるって……」
空が黒く染まり、地が裂けるのを? とは聞けなかった。
そんなことをきけば、彼がいつからここにいて、何をみてきたのか、知られてしまう。
しかし問わなくてもわかる。そんなことは、できっこない。
天変地異を止めることができるのは、どの世界でも神という存在のものだけだ。
「帝王だけが魔界を掌握できるんでしょ? だったらきっと俺だけに在る方法があるもん」
とても簡単なことのように、彼はそう言い放った。
その楽天的な言葉が、やはり不快だ、と彼は思った。
そうして少し、意地悪がしたくなった。彼の顔を、ほんの少しでいいから、絶望に歪ませたい。
「……君のお父さんは、できなかったよ?」
ぽつりと。
呟いた言葉に、ハイゼットはぴしりと固まった。
「彼は、キミよりも少し慎重でとても臆病だった。いろんなことを調べて、予防して、対策したけれど、結局『彼女』を守り切れなかった」
「……彼女、って……?」
ハイゼットの知る限り、父は母と幸せそうだった。
ほかに誰もいなかったはずだ。
ほかには、誰も。
「終焉じゃないよ。あの時は、この子は目覚めていなかった。けれど奇妙な悪戯で、この子と対になる『始まり』が目覚めてしまっていたんだ」
「始まり……」
「対となるだけあってこの子とよく似ていたよ」
「そんなこと、きいたことない」
「だろうね。キミが生まれるもっとずっと前だもの。キミのお父さんが、子供の頃だし」
ハイゼットの顔には、動揺の色がにじんでいた。
「不必要に目覚めた始まりは、眠らないといけなかった。そうしないと世界のサイクルが回らなくなっていてね。結局先代はその子を眠らせることにしたんだよ」
「……父さんは、その子を……」
「愛してたと思うよ。その子もお父さんを愛していたはずだ。何しろ彼女は、先代のために自ら眠りについたからね」
アルマロスは、ファイナルを見つめた。
頬のほてりはすっかりと消え失せ、少し震えている彼女の顔を、彼は見た。
「きっと嫌だったんだろうね。愛したものが死ぬのも、その世界が壊れるのも。だから彼女は、自ら眠ることを選んだんだ」
「……アルマロスくんは、それを……」
「見たよ。僕は結構長生きでね。君のお父さんとも知り合いだったし、その場面にも立ち会ったとも」
にこにこして頬杖をつき、アルマロスはそう言った。
これは、少し嘘が含まれていた。
もちろん先代とは知り合いだったが、始まりが眠った場面には立ち会っていない。
ただすべて終わって帰ってきた彼の顔には涙がにじんでいて、少し大人びた顔になっていた。
ふらふらで倒れそうな彼を支えていたのは、始まりではなく、別の少女だったのをよく覚えている。
「…………」
ほどなくして、ハイゼットは押し黙った。
何か思い当たるふしがあったのか、はたまた、不安になったのか。
(愛と希望と勇気だけで何とかなる世界なんて、あるわけないんだって)
そんなものでどうにかなるならば。
あの時だって、どうにかなったはずだ。
と、不意に思い浮かんだ光景を、アルマロスはすぐにかき消すように口を開く。
「それで? キミはまだ、そんな彼女を奥さんに、というのかい? いずれ殺すことになる、彼女を?」
「……、……うん」
こくり、とハイゼットは頷いた。
アルマロスは目を見開いた。その目には、少し強い光が戻っていた。
「じゃあ、魔界を終わらせるんだね?」
ふるふると、今度は首を横に振る。
「駄々っ子だな。できないものは、できないんだよ?」
呆れたように言葉をかけると、ハイゼットはふっと顔をあげた。
銀の瞳が、まっすぐにアルマロスを射抜いた。
「俺は、父さんが出来なかった程度じゃ、諦められない」
アルマロスは息をのんだ。
その目にあるのは、愛や希望や勇気などという、生易しいものじゃなかった。
──傲慢と、強欲だ。
ほしいものを手に入れたいという強い欲。
そうできると信じて疑わない、傲慢。
王者のものだ。
生まれついて、それを与えられると約束された者の目だ。
少なくとも、彼が知る『善なる者』の目ではない。
「ほしいものは欲しいもん。全部。一か百かじゃ満足できない」
「……はは、まじか」
ぞくりとした。
背筋を、悪寒が走った。
悪魔だ。言っていることは子供のように純粋無垢なくせに、その熱量が異常だ。
知らないものは知らない、と突っぱねて駄々をこねて、そのうちにどうにかしてしまう意味のわからない恐怖。
理解のできない、化け物。意思疎通ができる様で出来ない、怪物。
「だから、ね! 協力してよ。キミも『望み』を俺にぶつけていいからさ!」
すぐにその目は止んで、けろっと態度が元に戻る。
思わずのけぞってしまった体を、アルマロスはゆっくりと元に戻した。
(あの死神が尻に敷かれるの、なんかわかるかもしれないな)
要するに聞き分けのない子供なのだ。
いっても聞かない、しかし強大な力を持ってしまった、厄介な子。
聞き分けがいい分、先代の方がマシだったかもしれない、なんてふと思った。
何しろこれでは、こちらが折れるしかないのだ。
折れるまで、彼は何度でも諦めずに協力を要請してくるだろう。それこそ、どんな手を使ってでも。
「例えば、僕の好きなことをしたい、とか言われても、キミは許容できるわけ?」
「んー、ものにもよるなあ。例えば、子供を大事にしないようなことはちょっと。繁栄に子供は絶対大事だし」
「奴隷市場のことかい?」
「うん。北魔界にはたくさんあるんでしょ? それは困る。だから見つけたらダメだよ! て怒るけど……」
ぷは、と思わず吹き出してしまった。
殺す、とか殴る、とかではないのだ。
怒るのだ。それも、ダメだよ! ときた。
「セルくんにも言ったけど、魔界は各地の魔王がきちんと治めるスタイルにしようと思ってるんだ。そのスタイルがあまりにその、よくなかったら注意するけど、それ以外は応援する。手助けもするし」
「……帝王一強にしないってこと?」
「うん。そんなふうにする必要ないかなって。俺、政治とかよくわかんないし、けど、やっちゃダメなことはわかるから、その時はもちろん、ゲンコツしにいくけどね!」
えへへ、と笑う彼を見ても、もう不愉快な思いはわきあがってこなかった。
むしろアルマロスは感服していた。
底が知れない、と思った。
どんな悪も知ったうえで、ダメだと怒りはするが、『殺し』はしないのだ。
追放をするという考えも持ってはいない。
あらゆるものに好意的なくせに、あらゆるものを許容するくせに、自分の主張は力づくでも押し通す。
これはまた厄介な独裁者だ、とむしろ笑みがこぼれてきた。
──ある意味で、この魔界にはふさわしいかもしれない。
(まあ、ゴルトくんより退屈しなさそう、かも)
少なくとも、彼が実権を握ったこの数か月は退屈だった。
停滞していたといってもいい。
それも悪くはなかったが、やはり、多少のトラブルは必要だ。
誰かが何かをやらかして、それに誰かが『困った』顔をする。
それはそれで、美味しいし退屈しない。
「どう? 俺の案に、のってみない?」
笑って差し出された手を、アルマロスは、少し躊躇ってから、とった。
「退屈だと思ったら反旗を翻すかもしれないけどね」
「望むところだよ! その時はデスと一緒に大暴れしにいくね!」
「そういう退屈しのぎが欲しいんじゃないんだけどね」
にこにこ笑うハイゼットの少し後ろで、ファイナルは戸惑った顔をしていた。
彼女もうすうすは感づいているのだろう。
彼に止められるかどうか、そんな甘い話があるのかどうか、いまだ『信じきれない』自分に。
(ここの葛藤も中々、見ごたえありそうだし。特等席に座らせてもらおう)
それじゃあ、とハイゼットがファイナルの方へ振り返ったその時だった。
ばーん! とドアが勢いよく開き。
そこから、触手に絡まれたデスとアルシエルが入ってきたのだった。
「アルマロス! 俺のガキどっかやったろ! あと地下にあった檻、壊したらなんか出たんだけど!」
トラブルの始まりである。
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