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青野夜子のお話。
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「なあ。さっきの女の人、お前のこと知ってるようだったけど」
神島はぶっきらぼうに呟いた。
尻目には、まだ、立ち尽くす女性をとらえている。
奇妙な女性だと思った。
まだ夕方になりかけだというのに、花束を持ってビルから出てくるなんて。
ましてや、神島ではなく、この天野廸子の知り合いのように見えた。
「そうですか?」
ふふ、と天野廸子はいたずらっぽく笑う。
教えてくれる気はないようだった。
「ま、何でもいいけど。なんかお前に感謝してたし」
事実として、さして興味はなかった。
ただ目の前にいたから、なんとなく尋ねたくらいのものだ。
(ただ、最後の笑みは)
去り際に一度振り返ったときの、彼女の笑みを思い出す。
(よくないものだった。──気がする)
何かに解放されたような。
解放されてはならなかったものに、解放されたような。
あるいは、解き放たれたような。
そんなものだった。
……あくまで、気がするだけだが。
「あのひとに何かした、わけじゃないんだよな?」
恐る恐る、問いかける。
「ええ」
天野廸子は、にっこりと微笑んだ。
掘り下げて聞く気はおきなかった。
それは、聞くべきではないことのように思えた。
(ま、いっか)
あたしには、関係ないし。
空を仰ぐ。
もうだいぶ空は橙色が浸食してきている。
(今のあたしには、卵の方が大事)
神島の関心はほどなくしていつも通り、いや当初の予定通り、スーパーの特売にうつった。
妹の誕生日にあわせて、オムライスを作るために卵を入手する予定があるのだ。
「ほら、私、特異な体質じゃないですか」
「あー、あの、普通の食事じゃ生きてけないってやつか?」
「ええそうです。だから、こうして神島さんの周りをうろついているんですけど」
神島と天野廸子は同級生だった。
同じ学校に通う、クラスメイトである。
とある一件で天野廸子という存在に知り合ってしまった神島は、日々、ストーキングを受けていた。
今日のこの瞬間も、その一環である。
「神島さんと知り合う前は、自分で獲物を捜し歩いていたんですよ」
「……ほう?」
神島の眉があがる。
投げ捨てた関心に、少しだけ興味が傾く。
「つまり自殺者ですよ。死んだあとすぐに霊体食べれるし、肉体も食べれるし、一石二鳥でしょう? ですから死んでもらうついでに、死に方だけ選ばせるってそういうことをしていた時代もございまして」
うふふ。天野廸子はそういってほほ笑んだ。
神島はとてもじゃないが笑えそうにない、と思った。
そうして悟った。
あの女性は。
つまりは、そういうターゲットだったのだ。
「たまーにね、いるんですよね。しにたくないのにそこに立っちゃう人が。あの人はそういう人でした」
それより、と天野廸子は珍しく頬を膨らませた。
そうして、神島を指さす。
「私のことは廸子さんと呼んでくださいといってるのに! さっきまた『天野』と呼びましたね?」
「あたしは嫌だって何度も断ってるぞ」
「むー! なぜですかー! 私も早く神島さんを『仁さん』て呼びたいのにー!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ天野廸子に、神島はいつも通りまともに取り合わず、スーパーへと走った。
こうなってしまってはしばらくしつこいのだ。
そうしてむくれた天野廸子は、しばらくその場にとどまって、またふとした瞬間には、神島の隣を平然と歩いているのだ。
「……むう」
天野廸子はいつも通り、しばらくその場にとどまって、走っていく神島の背を見ていた。
それから、ぽつり。
「──名前で呼んでくれなきゃ、神島さんのこと、食べれないのに」
ひどく冷たい声音で。
赤い目を濁らせて。
そんなふうに呟いて、天野廸子は神島の背を見つめる。
食べ頃を見極めるのは、いつだって難しい。
それを逃せば食べてもおいしくはなく。
あるいは食べ逃すことだってあり得るのだが──それでも。
食べ頃の──あの、美味しさといったら。
「……うふ」
じゅるりと垂れてきた涎を手の甲で拭う。
そうしていつものように、てこてことその背を追いかけるように、天野廸子は歩き出した。
『廸子さん』
彼女がそう呼んでくれる日を、待ちわびながら。
神島はぶっきらぼうに呟いた。
尻目には、まだ、立ち尽くす女性をとらえている。
奇妙な女性だと思った。
まだ夕方になりかけだというのに、花束を持ってビルから出てくるなんて。
ましてや、神島ではなく、この天野廸子の知り合いのように見えた。
「そうですか?」
ふふ、と天野廸子はいたずらっぽく笑う。
教えてくれる気はないようだった。
「ま、何でもいいけど。なんかお前に感謝してたし」
事実として、さして興味はなかった。
ただ目の前にいたから、なんとなく尋ねたくらいのものだ。
(ただ、最後の笑みは)
去り際に一度振り返ったときの、彼女の笑みを思い出す。
(よくないものだった。──気がする)
何かに解放されたような。
解放されてはならなかったものに、解放されたような。
あるいは、解き放たれたような。
そんなものだった。
……あくまで、気がするだけだが。
「あのひとに何かした、わけじゃないんだよな?」
恐る恐る、問いかける。
「ええ」
天野廸子は、にっこりと微笑んだ。
掘り下げて聞く気はおきなかった。
それは、聞くべきではないことのように思えた。
(ま、いっか)
あたしには、関係ないし。
空を仰ぐ。
もうだいぶ空は橙色が浸食してきている。
(今のあたしには、卵の方が大事)
神島の関心はほどなくしていつも通り、いや当初の予定通り、スーパーの特売にうつった。
妹の誕生日にあわせて、オムライスを作るために卵を入手する予定があるのだ。
「ほら、私、特異な体質じゃないですか」
「あー、あの、普通の食事じゃ生きてけないってやつか?」
「ええそうです。だから、こうして神島さんの周りをうろついているんですけど」
神島と天野廸子は同級生だった。
同じ学校に通う、クラスメイトである。
とある一件で天野廸子という存在に知り合ってしまった神島は、日々、ストーキングを受けていた。
今日のこの瞬間も、その一環である。
「神島さんと知り合う前は、自分で獲物を捜し歩いていたんですよ」
「……ほう?」
神島の眉があがる。
投げ捨てた関心に、少しだけ興味が傾く。
「つまり自殺者ですよ。死んだあとすぐに霊体食べれるし、肉体も食べれるし、一石二鳥でしょう? ですから死んでもらうついでに、死に方だけ選ばせるってそういうことをしていた時代もございまして」
うふふ。天野廸子はそういってほほ笑んだ。
神島はとてもじゃないが笑えそうにない、と思った。
そうして悟った。
あの女性は。
つまりは、そういうターゲットだったのだ。
「たまーにね、いるんですよね。しにたくないのにそこに立っちゃう人が。あの人はそういう人でした」
それより、と天野廸子は珍しく頬を膨らませた。
そうして、神島を指さす。
「私のことは廸子さんと呼んでくださいといってるのに! さっきまた『天野』と呼びましたね?」
「あたしは嫌だって何度も断ってるぞ」
「むー! なぜですかー! 私も早く神島さんを『仁さん』て呼びたいのにー!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ天野廸子に、神島はいつも通りまともに取り合わず、スーパーへと走った。
こうなってしまってはしばらくしつこいのだ。
そうしてむくれた天野廸子は、しばらくその場にとどまって、またふとした瞬間には、神島の隣を平然と歩いているのだ。
「……むう」
天野廸子はいつも通り、しばらくその場にとどまって、走っていく神島の背を見ていた。
それから、ぽつり。
「──名前で呼んでくれなきゃ、神島さんのこと、食べれないのに」
ひどく冷たい声音で。
赤い目を濁らせて。
そんなふうに呟いて、天野廸子は神島の背を見つめる。
食べ頃を見極めるのは、いつだって難しい。
それを逃せば食べてもおいしくはなく。
あるいは食べ逃すことだってあり得るのだが──それでも。
食べ頃の──あの、美味しさといったら。
「……うふ」
じゅるりと垂れてきた涎を手の甲で拭う。
そうしていつものように、てこてことその背を追いかけるように、天野廸子は歩き出した。
『廸子さん』
彼女がそう呼んでくれる日を、待ちわびながら。
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