廸子さん。

黒谷

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昼河柚黄のお話。

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「た、食べる……?」
 僕の問いかけには一切振り向きもせず、女子高生は赤野茉理の前に座ると両手を合わせた。
 まるで食卓に座って行うときのように、行儀よく背筋を伸ばして、

「イタダキマス」

 僕はそのさまを、黙ってみていた。
 赤野茉理という人間を構築していた血肉が、骨が、中身が、彼女によって綺麗にバラバラにされて、小さくされて、食べられる。
 山に入る前に、彼女がいった『食べられるのは嫌』という声が耳に残響する。
 ばり。ばり。ばり。ごくん。
 ごり。ごり。ごり。ごくん。
 がり。がり。がり。ごくん。
 そんな音が、耳に障る。
 血生臭いような、甘酸っぱいような。
 なんともいえないような匂いが、鼻腔を掠める。
 滴る赤の、なんと美しいことか。
 そうして、何より。
「うふ」
 ──それはとても、美味しそうな食事風景だった。
 思わず魅入ってしまうほどに。
(美味しそう? 美味しそうだって?)
 自分で自分に絶句する。
 僕は今、なんと思った?
 こともあろうに──今この景色を、『美味しそう』だなんて思ったのか?
「う、あ……ああ、ああああああ……」
 頭を抱える。
 嗚咽をあげながら、後ずさる。
 聞いてはならない。
 見てはならない。
 口を開いてはならない。
 頭の中に浮かぶ警告を理解しながら、しかし視線を逸らすことも、耳をふさぐことも、嗚咽をとめることもできずに、出口まで後ずさる。
「ああ」
 そこで、唐突に女子高生が声をあげた。
「そこのお兄さん」
 僕に向かってだ。
「お兄さんは、どうしでしたっけ」
 何が、と聞く前に、女子高生が振り返る。
 口元にフォークの先を当てて、可愛らしい顔で。
「死にたいひと、でしたっけ」
 僕はありったけの力で首を横に振った。
 ぶんぶんと音がしたかもしれなかった。
 僕のそういうありさまをみて、女子高生は少し残念そうに、微笑んだ。
「では、私は用事がないので。どうぞお帰り下さいな」
 許しが出た。そう思った。
 僕は一目散に小屋から飛び出した。
 ドアを閉める余裕はなかった。
 もしかしたら勢いよくあけた反動でしまったかもしれないが、そういうものを確認する余裕もなかった。
 小屋を出て、滝つぼの前を通って、来た道を戻る。
 地表に出た木の根に足をとられながら、木の枝に腕をかすられながら、しかし速度を緩めずに降りる。
 ──しかし。
(嘘だ、嘘だ)
 周囲を見渡して、現実を否定する。
(こんなの、ありえない)
 いくら走っても、木の間をすり抜けても。
 景色は、いっこうに変わらない。
 確かにあるはずの、山の入口が見えてこない。
(こんなときに──僕は、迷っている、っていうのか!)
 思わず自分への叱咤が、嫌悪が漏れる。
 器量のよさを持ち合わせていないことは理解していたが、こんなときくらい、生死がかかったこんなときくらいは──。
「うわっ」
 ずざ、と体が傾く。
 手をつく余裕もなかった。あごまで地面にこすって、僕の体は停止した。
「……う……、……いった……」
 全身が痛い。
 そうして、重い。
 まるで、何かにのしかかられている──あるいは、阻まれているかのようだ。
「……え?」
 ぐ、と。
 足首が、何かに。
 掴まれる。
「……ァ……」
 耳元で声がした。
 女の声だ。
「……って、言ったのに……」
 振り向くことはできなかった。
 足を確認することもできなかった。
 ただ、両手で木の幹をつかむ。
 足を引っ張られる力にはんとか反発しようと、力を振り絞る。

「一緒に死んでくれるって言ったのにッ!」

 ぐん、と足が付け根から抜けてしまうかのような衝撃が襲った。
 化け物じみている。ニンゲンの、少なくとも女が出せる力じゃない。
「はな、して……くれ……!」
 べき。
 木の幹が鳴く。
「僕は、まだ……」
 べきべき。
 また、鳴く。
「死にたくないッ!」
 喉の奥から、声を振り絞って叫んだ。
 森の中に響き渡って、反響して、僕の声は遠くまで消えていく。
 不意に、足を引っ張る力が止んだ。
 ──代わりに。

「もう、ダメですよお」

 別の女子高生の、声がした。
 
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